夜明けの遅さに驚く。8時半を過ぎてようやく、世界は白み始める。広くて深いバスタブにたっぷりの湯をはり、身を沈める。湯量を気にしつつのインドでは味わえない、贅沢な朝のひとときだ。
雨はあがり、青空が見られる朝。思ったほど寒くもなく、しんと澄み渡った空気がむしろ心地よい。
朝食をとりに、町中のカフェへと赴く。カフェオレとクロワッサン、そしてオレンジジュース。
そんなありふれた取り合わせも久しぶりで、そっと小さく心が弾む。
午前11時。シャンゼリゼ大通りに面したオフィスビルにある西日本新聞社の支局を訪れる。
あの日あのとき、天神の西日本新聞本社へ飛び込み営業をしたときに対応してくださった国際部の高木氏が、昨年の8月よりパリに赴任なさっているのだ。
オフィスで1時間ほど、現地スタッフの女性を交えて話をしたあと、高木さんに案内されて、近所にある日本料理店へと赴く。界隈には何軒もの日本料理店が見られ、日本食の人気の高さをしのばせる。
高木さんお勧めの店は、1階が寿司屋、2階が焼き肉屋となっていた。入店した12時過ぎはまだ店内は閑散としていたのだが、30分も過ぎると急に込み始め、2階の焼き肉コーナーも賑わっている様子。
なんでもフランスでは「焼き鳥」や「焼き肉」が人気で、ことにあの「甘みのあるタレ」がフランス人を虜にしているらしく、焼き鳥のタレをご飯にかけて食べる人も少なくないとのこと。同じ感覚で「うな丼」なども人気があるらしい。
ところでこの店。予想を超えて、にぎり寿司がおいしい。更には高木さんが追加注文してくれたバッテラが美味。バッテラ好きのわたしとしては、かなり幸福である。
なにゆえにシャンゼリゼでバッテラを。
と思われる向きもあろう。が、普段インドで寿司とは無縁の生活を送っている身に取って、それはたいそうなごちそうである。いくら久しぶりのパリだからとはいえ、毎食フレンチでは、胃がもたれるというものだ。
我がインド生活とその背景を語り、高木さんとそのご家族のパリ生活とその背景をお聞きする。瞬く間に時間はたち、場所をカフェに変えてしばし過ごし、2時を回るまでご一緒した。
暮らす視点からのフランスについて知るところが興味深く、実に楽しいひとときだった。
ところで驚いたことに、フランスでは今年に入ってからレストランやバーなどの「店内での」喫煙が禁止になったという。あんなにも、喫煙者に寛大だったフランスが。
尤も、外での喫煙は可能だから、喫煙者はテラス席を独占する。つまりは、テラス席のない店の売り上げが減っているという。同時に、テラスを温めるヒーター(写真右下)の売れ行きが伸びているとのこと。
ちなみに左下の写真は「乗り合い自転車」。パリ市街から自動車を減らすべくのアイデアらしい。バンガロールにもこんな自転車があれば……。と、思い巡らすだに、非現実的ではある。
さて、高木さんと別れたあとは、美砂さんとの会合だ。最後に会ったのは、彼女がニューヨークへ遊びにきたときだった。記憶をたどって数えてみれば、実に11年ぶりの再会である。
ホテルまで訪れたくれた彼女の姿に、11年の隔たりを感じず。そんなにも久しく会わなかったことが信じられない思いだ。相変わらずの元気そうな様子。パリ在住15年。今は舞台衣装などの仕事をしているという。
近くのカフェに赴き、11年間のそれぞれの出来事を拾い上げながら、ワインを飲みつつ、語りつつ。
なにより異邦人として、異国に住むことの、たとえ仕事ができたとしても、難しいことについてを、語り合う。
特には、ヴィザ、査証の問題。
フランスに十年以上暮らしていて、然るべき査証のステイタスで暮らしてきたにも関わらず、移民局の気まぐれで、さまざまな不都合が生じ、更にはバカンス重視の移民法弁護士の怠慢で、事態はより悪化し、一時は泣く泣く日本へ帰国していたこともあったという。
ビザの問題は、海外で生活する者にとって避けがたい問題。人生の流れを大きく左右する。
そんな話や旅の話、過去の話に時間は瞬く間に過ぎてゆく。この次は、インドで会おうね、と約束をする。テキスタイル王国のインド。彼女が気に入ることは、間違いない。
そういえば、彼女はわたしの『モンゴル旅日記』を読んで、とても感銘を受けてくれ、数年前、パリからシベリア鉄道経由でモンゴルに入り、ウランバートルやゴビ砂漠を旅しながら、日本へ帰国したことがあったという。
ゴビ砂漠の、まるで手が届きそうな、満天の星空を見ながら、
「美穂さんが書いていた星空って、このことだったんだ」
と感じ入ってくれたという。そういう話を聞くと、自身の体験を、書き残していてよかった、と思う。とてもうれしい。
夜、シャンゼリゼ大通りから伸びるモンテーニュ通りを歩く。高級ブランドのブティックが立ち並ぶ街路。
夜のパリは、本当に、独特の魅力。雨に冷たく濡れた石畳の、街灯に光るさま。ブラッサイが撮るパリの夜の写真がしのばれる。
20代のころの自分が好きだった欧州の絵画や音楽、好んで見ていた欧州映画のことなどを、とりとめもなく思い出しながら、歩く。
過去はまるで前世の記憶のように遠い。あれからニューヨーク、ワシントンDC、カリフォルニアを経て、今はインドという国で。
わたしを取り巻くさまざまは、変わったけれど。未来の長さも変わったけれど。やっぱり、それは、大した変化ではないとさえ、思えるのだ。