わずか3日目なのに、目覚めればもうすでに、何日も滞在しているような親し気な気持ちになっている。
今朝は少し早起きをして、ハンドバッグと財布を買い求めに出かけた。日々、質の良い革製品を目の当たりにしたせいか、買うつもりがなかったのに欲しくなってしまったのだ。
昼前に、シャンゼリゼ界隈のホテルをチェックアウトして、サンジェルマン・デ・プレのプチホテルに移動するべくタクシーの乗り込む。
シャンゼリゼに比べると、カジュアルで気さくなムードの漂うサンジェルマン・デ・プレ界隈は、散策にも、食べ歩きにも、とても楽しい場所。
ポストカードにもなっているようなカフェがいくつかあり、異邦人の思い描く味わいに満ちた「パリの街角」が、そこここで見られる。
さて、街歩きはあとにして、軽くランチをすませたあと、メトロに乗り込み、ニューヨーク時代初期、同じ会社に勤務していたリョウコさんの家へと赴く。
彼女と会うのはあの日あのとき以来3年ぶりだが、久しぶりの対面という感じではない。尤も彼女の方が、わたしのサイトを読んでいるせいか、坂田周辺事情に詳しく、あっさりとしているのである。
「あなたはわたしの近況を知っているだろうけど、わたしはあなたの近況を知らないのよ」
という会話を交わすことは、珍しくない昨今のわが交友事情。わたしとしては、若干つまらないのだが、これはよくあるパターンである。
この間、会ったときには陰も形もなかったレオ君が、こうして誕生していた。かわいすぎる。ちょっといやがられている気がしないでもないが。
彼女のハズバンドが買ってきてくれたというLADUREE(ラデュレ)のスイーツと、コーヒーをごちそうになる。LADUREEとは、初日、シャンゼリゼで立ち寄ったあのサロン・ド・テだ。
事情をよく知らずに吸い込まれるように入ったが、やはり有名店であったらしい。なかでもマカロンが非常に人気なのだとか。サンジェルマン・デ・プレにも店舗があるらしいので、マカロンを試してみようと思う。
夕暮れ時、再び小雨が降り始めた。どうにも、天候には恵まれていないようだ。しかし寒すぎもせず、傘をささなくてもしのげる程度。
この界隈は、かつてよく訪れた場所だから、地図がなくても歩ける。「激変するインド」とは対照的に、欧州は歳月を重ねようとも街の光景はさほど変わらない。次々と目の前に現れる見覚えのある店に、十数年の歳月がいっそう軽やかだ。
セーヌ河畔。かつての駅舎を改装して作られた、天井の高いオルセー・ミュージアムが好きだったので、幾度か足を運んだ。往路復路に、セーヌ河畔をひたすらに歩いたものだ。
あのころは、ジュリエット・ビノシュ主演の映画『ポンヌフの恋人』の情景を思い出しながら、この界隈を歩き、こうしてポンヌフという名の橋を眺めた。一番上の大きな写真の、ライトアップされたそれがポンヌフである。
多感な年頃に、旅をたくさんしておいてよかったと、今、しみじみと思う。我が多感な時期は、十代ではなく、二十代だ。十代のころは、思慮浅く、概ね阿呆だった。
あのころは、デジタルカメラなどなく、素人向けの一眼レフを携え、しかしひょっとしたら将来仕事で使えるかもしれないと、印刷用にポジティヴフィルムで、山ほどの写真を撮り溜めた。
その写真の、ごく一部は雑誌などで使ってもらえたけれど、大半は、眠り続けている。一時は、「一日一過去」で復活させようと思ったが、頓挫したままだ。
歳月を経て、今はこうして、ポケットに入る小さなカメラで、撮った先から、人に見てもらうことができる。きっといいことなのだろうと、思う。
それにしてもこの街の、なんと食が豊かなことだろう。バンガロールから来た身としては、外で食べる食事のなにもかもが、おいしく感じられる。
朝食のクロワッサン、ランチの、バケットにハムとチーズを挟んだだけのサンドウィッチ。焼き菓子の数々。ビストロやブラッセリーやカフェの、さりげない料理も味わい深く。
いきあたりばったりで見つけた小さな店で、今夜もおいしい夕食を楽しめた。
タコのサラダ。
それから鴨肉のグリルが美味だった。
フルーツを使った甘酸っぱいソースが、香ばしく焼かれた鴨肉の味を引き立て、なんともいえぬ味わい。
まるで「水」のようなさりげない扱いで、ボトルに入れられたワイン。
それを小さなワイングラスで、やはり水のように飲む。
2002年以来フランスは、1週間の就労時間が35時間に制限されているらしい(管理職、自由業などをのぞく)。
週休2日で、一日7時間以内。
それで、世間が機能しているところが驚きだ。
無論、サルコジ大統領は、この「週35時間労働制」を撤廃しようとしているらしいが、筋金入りのヴァカンス好きなフランスの人々が、それを受け入れるのだろうか。
平日のランチタイムでさえ、仕事途中の人々の、ワインを飲みながら、語り合いながらの優雅さで、まるで週末。
この国はこの国で、わけのわからぬ国である。