夕べ、デリーから戻って来た。バンガロールの空港に着くや、数便が同時刻に到着したとあって、ターミナルはごったがえしている。人間(じんかん)距離が、他国に比して著しく狭いインドでは、人々が遠慮なく、間近に接近してくる。
自分の半径、せめて50センチは開けておきたいのだが、それもままならず、苦労である。しかし日本の首都圏の通勤列車を思えば、かわいいものともいえる。あの密着ぶりは、世界で最でも例を見ない異常事態だ。
さておき、今朝は平和に起床。かと思いきや、ゲストルームのギザ(シャワー用の温水器)が非常事態。内部から水がジャージャーと漏れてきて、やれやれまたかよ。である。早速メーカーのサーヴィスセンターへ電話。
「祝日ですので、修理は月曜になります」
「今すぐ来れないの?」
「無理です。月曜日の午前中です」
仕方なく、アパートメントのエレクトリシャンに応急処置をしてもらい、月曜まで待つこととする。と、1時間ほどもしないうちに、「ピンポ〜ン」と来客。ギザの修理人である。
月曜日に来るんじゃなかったの?
まあ、早く来てくれる分には構わんが、まったく相変わらず、あまりにもインド的すぎて脱力だ。「人生是フレキシブル」の心が大切である。
故障の原因は、水道管の水圧が強すぎて、内部のタンクが対応できず、壊れてしまったらしい。タンクを取り替え、水圧を下げて修理は終了。思いのほか、迅速な対応に驚く。
いやいや驚いている場合ではない。相手の都合というものを、もう少し考えて欲しい。
こういう大切なんだか大切じゃないんだかわからない雑事で「集中できない時間」が瞬く間に過ぎて行くのだインド生活。
贅沢野郎。
それはわたしだ。
あの若かりし頃、安宿を転々として放浪していた自分に、この数泊をわけてやりたい。
ということは、以前も書いた気がするが、また書く。
高級ホテルに連泊しておきながら、
「なんか飽きた」
などと思う自分がどうしたものだ。
しかも「日本食がまずい」などと生意気なことを言って。
ここはインドなんだから。
白いご飯を味わえるだけでも、ありがたいというものである。
初心忘るべからずである。
ちなみにこのダイニング、パンはとてもおいしいのよ。
と、さりげなくフォロー。
水曜日。ホテルをチェックアウトして、マルハン実家へ赴く日。
途中でまたしてもカーンマーケットへ。
パッと見たところごちゃごちゃと煩雑な古くからの商店街だが、前回も記した通り、新しい店が続々と。
右の写真、"GOOD EARTH"。
ここは確か数年前からオープンしていたが、相変わらず洗練された品揃えである。インド製だけでなく、マルセイユの石けんやオイルなどの輸入物も扱っている。
陶磁器類も、エルメスもどき? なオリジナル商品があって、かなりすてき。
店内は写真撮影禁止のはずであるが、こっそりとおさめさせていただいた。
ちなみにGOOD EARTHに隣接する店 "OMA" は、初めて見た。かなり新しい店のようである。聞けばこの店はデンマークのブランドで、9割の商品がデンマークからの輸入らしい。
NEEMRANAのショップもあり、ここではアルヴィンドへのプレゼントを購入する。彼の名前に因んで、蓮の花の置物。蓮の花には色々な形があるが、ここで見つけたそれは、形状といい大きさといい色合いといい、かなり理想的な美しさだったのだ。
カーンマーケットのあとは、GK-1と呼ばれるやはり商店街へ。ここはさほど新しい店は見られないものの、古くからの店が改装されていて雰囲気がよくなっているところもある。
サリーの専門店に、サルワールと洋装のミックスのような衣類が展示されていたりもして、インド服が現代的にアレンジされていくその変遷の具合を、つぶさにたどるようである。
ところで、商店街の通路に「メヘンディ」(植物製染料ヘナによる簡易入れ墨)職人が座っていたので、久しぶりにお願いすることにする。
今日のところは左手だけ。
スタンダードは手のひら側だけだが、今日は手の甲もやってもらう。
見本帳を見せてもらい、クジャクのモチーフで。
かなり緻密な筆致で、お上手である。
色を深く浸透させたい場合は、ヘナが乾く前にレモンの絞り汁をコットンなどに浸して湿らせ、乾くまでの時間を長引かせる。
しかし、外出中とあってそれは無理。
30分ほどすると自ずと乾いて来るので、それをパラパラとはがす。
実家に戻ってのち、染料を沈着させるべくマスタードオイルを表面にぬった。
長持ちしてくれるといいのだけれど。
たいていは1週間程度で消えてしまう。
ただ、そこにいるだけで、「へんなもの」がやってくる。
今日もまた、例に漏れず、視界にはさまざまな「へんなもの」が飛び込んで来たが、上の「鶏の置き物売りのおじさん」もそのひとつ。鶏そのものといい、自転車におけるディスプレイといい、なぜインドの日常世界とは、こうもへんてこりんなのだろう。
それは、日本人としてのわたしにとって「へんてこりん」なだけであり、彼らにとっては何ら違和感はないのであろう。はかり知れぬ、インドスタンダード。
いくら家族がインド人で、インド生活に慣れ親しんでいるわたしであっても、わたしは100%日本人である。こんな光景を見た日には、
「あんな鶏、誰が買うんだ」
と、虚空に向けて突っ込まずにはいられないのである。
と、思った先から、おじさんを呼び止めて、鶏に手を触れてみたり、値段を聞いたりしている人々が数名登場するから不思議なものだ。インドで鶏が縁起物だとは聞いたことがないが。クジャクならまだしも、鶏。わからぬ。
●マルハン家でおいしい夕食。くつろぐひととき。
マルハン実家に到着したのは午後6時半。アルヴィンドも打ち合わせを終えて、7時には合流するはずだった。ところが7時ごろ、彼から電話。
「美穂。僕ちょっと疲れたから、これからホテルでマッサージしてもらおうと思うんだけど、どう思う?」
「あなたが疲れているのはわかるけど、久しぶりに実家に帰るのに、わざわざ今日じゃなくていいでしょ? 週末にすれば」
「8時半までには家に帰るからさ〜。オベロイのマッサージはすごく上手なんだよ〜」
「ああもう。好きにして。わたしはお腹が空いてるんだから、早く帰って来てよ!」
そんなわけで、7時半ごろから実家のリヴィングルームで、義父ロメイシュと義継母ウマとで、談話のひととき。まさかアルヴィンドはマッサージで遅れるなどとはいえず、打ち合わせが長引いていることにする。
待っている間、例のテレビ番組も見せる。二人とも、言葉はわからないものの、とても喜んで見てくれた。
しかし、待てどくらせど、アルヴィンドは帰って来ない。わたしは非常にお腹が空いているのだ。
ようやく彼が帰って来たのは9時40分。わなわなさせられること山の如し。
にも関わらず、今夜はとてもインド的。なかなか夕食までことが運ばず、食卓に座れたのは10時半。なにしろおなじみ実家の料理人ケサールは、料理は格別にうまいのだが、仕事が遅すぎるのだ。温め直すだけで軽く20分はかかる始末。
が、ともあれ、野菜たっぷりでヘルシーなインド家庭料理を味わえて、よかった。
マルハン実家には、価値のあるなしに関わらず、かなり年代物のアンティークが保存されている。
昨年、ダディマが他界したのを機に、多くのものが処分されたようだが、まだ現役でがんばっているアンティークの一つが、左のキッチン家電。
キッチンに入ったアルヴィンドが、
「僕が子供の頃から使っているオーヴンがある!」
と叫ぶので、行ってみたところ、こんなかわいらしいオーヴンがあった。
なんでもロメイシュが亡妻と結婚したときに英国で買った「オーヴン」らしい。
つまり40年前のもの。
今でも料理の保温などに使っているという。
インド家電のクオリティが先進諸国並みに充実し始めたのはここ十年のこと。
それまでは、故障の多い国産ブランドを使うか、海外旅行の折に購入して来るのが普通だった。だから、大切に使う習慣がおのずと身に付いているのである。
マルハン家に限らず、年代物の家電を大切に使っているインド家庭は少なくないと思われる。
ところで、価値あるアンティークも見つけた。上の大きな絵画がそれだ。
今ではインドの現代絵画の雄として知られるM.F. フセインの原画である。彼がまだ若い頃の作品を購入していたらしい。数年前まで倉庫の奥底に眠っていたのを、つい最近、発掘して来たという。
ニューヨークの親戚宅にも、彼の絵画が山と飾られていることは何度か記したが、マルハン宅にもあったとは。
しかし、保存状況が悪かったらしく、かなり傷みが見られる。
今後、実家へ戻るたび、少しずつ物置を整理して、価値あるアンティーク探しをするのもいいかもしれない。
ところで上の写真は、翌日のメヘンディ。昨日よりは色が茶色く沈着しているが、全体に浅い。1週間持つかどうかあやしいところだ。