夫がムンバイで勤務しはじめたのが2月。バンガロールの自宅とムンバイのホテルとの二重生活を始めて、はや4カ月が過ぎた。確かにホテル生活は不経済であるが、幾度も記した通り、ムンバイにおけるここ数年の家賃の高騰ぶりは、筆舌に尽くし難い。
快適ならまだしも、ろくでもないアパートメントに50万円だの100万円だのの家賃を払うことが耐え難く、また交錯する事情もあり、結果的に同じ高いなら、しばらくはホテルで暮らそうと判断していたのだった。
だが、ホテルライフも長くなると不便だ。今回のように週末を挟んでわたしもムンバイに滞在するとなると、衣類の調達、洗濯、食生活、さまざまな面で無理が出る。
それより何より狭い。バンガロール自宅は人口密度がかなり低いが、ホテルは高い。酸素が薄くなっているような気さえする。特に朝のラッシュ時は、それを痛感する。
わたしがシャワーを浴びている間、夫は部屋で熱心にヨガをしている。当然「汗だく」だ。つまりは、爽やかなシャワー後の気分を吹き飛ばす、室内は濃厚なアロマに満たされている。思わず、口をつくのは、
「うっ、クサい!」
最近では、「臭いシチュエーション」に遭遇すると、夫もわたしの口癖を口にするようになった。
「ウクサイ!」
いやいや、「ウッ」と「クサイ」は一語ではないのだが。しかし、ウクサイはウクサイで面白いから、訂正せずにいる。
そんなくだらない話はさておき。「優雅ホテルライフ」とはいえ、たとえば洗濯物のすべてをホテルに出す気にはならない。ズボンやワイシャツは仕方ないにしても、夫のカチャ(パンツ)やバニャ〜ン(ランニングシャツ)やソックスは、むしろ新調したほうが安いほどだ。
従って妻は、香りのよいアーユルヴェーダのボディーシャンプーをぶくぶくと泡立て、夫の下着を踏み洗いしつつ、額に汗を光らせながらぐいぐい絞ってタオルドライをしつつ、自分が贅沢をしているんだか貧乏臭いんだか、なんだかよくわからない日々である。
さて、家族会議を重ね、諸事情を鑑みた結果、近い将来の、たとえば夫のオフィス移転の可能性といった不確定要素はあるにせよ、とりあえずアパートメントを借りるべきだろうとの結論になった。
かくなる次第で、4月に次いで、今週わたしは再びアパートメント探しの旅に出ていたのだった。他にやるべきこともあれこれとあったので、火〜木の3日間うちの数時間ずつ、限られた時間ではあったが、合計20物件ほどを見た。
バンガロールには家があるから、ムンバイは1ベッドルームでいいだろうと思っていたのたが、そういう物件は少ない。需要が少ないから供給も少ないのだ。無論、まったくない訳ではもちろんないが、条件が非常に悪い。
せいぜい床面積が1000〜1500スクエアフィートの2ベッドルームからである。つまり2寝室にリヴィングルーム、キッチン、ダイニングのスペースといった構成。
相場は、移住前の2005年に下調べをしたときよりも、明らかに「2倍以上」である。あのときは3ベッドルームが4000〜5000ドルだったが、今や2ベッドルームでさえ、その値段で好条件のものを探すのが難なのだ。
不動産各社には、上限を決めて「2 lakhs (200,000ルピー)以内」「1000スクエアフィート以上」「1ベッド、もしくは2ベッドルーム」の物件をリストアップしてくれるよう頼んだのだが、どこも2.25や2.5lakhsの物件を織り交ぜて来る。交渉次第で10%は落とせるとのことだが、あてにはならない。
この4月、そして今回を合わせると、30件を超える物件を見たが、2005年に比べると、見せられるアパートメントのクオリティが落ちている。手入れが行き届いていない、まるで廃屋、まるで幽霊屋敷、続々登場! である。つまり、きれいなところは、最低でも3 lakhs、4 lakhsを払わなければ見つからぬということだ。
それにしても、ビルの外観からしてひどい。モンスーン前とあって、雨が降り出す前に急ぎ外壁工事や外壁塗装をしている物件も多く、それはそれでいいのだが、外から見る限りでは、とても今現在、人が住んでいるとは思えない「荒れ果てた」感じの物件も多数。
内装工事まっただ中の物件もあり、強烈なペンキの匂いにくらくらさせられたり、家具をヤスリで磨く際の粉が部屋中に飛散しているのを汗ばんだ身体が受け止めたりと、我ながら、次第に臭くなっていくのがわかる。
ともあれ、一年前の「プチ家作り」において、インド内装工事のスタンダードを、工事前後の変化の具合を理解しているから、廃屋状態の工事現場を見てもさほど驚かないが、先進国から来た駐在員及びその家族らは、衝撃度が高いに違いないと察せられる。
実際、今回エージェンシー2社を使って探したが、営業スタッフはそれぞれ(男性と女性)、日々、かなり大変な思いをしていることを打ち明けてくれた。
特にドイツ系企業を顧客に持つ女性は切実だった。あらかじめ写真入りのPower Pointを使って、ムンバイの住宅事情に関するプレゼンテーションを行ってから物件巡りを始めるべきだと、会社ぐるみで現在準備している旨、語っていた。
さもなくば、廃屋のような物件に5000ドルだの8000ドルなどを払わねばならないことに、顧客は混乱し、呆れ、激怒し、疲弊し、かなりたいへんな事態となるらしいのだ。
この尋常ならぬ高騰は、もちろん不動産エージェンシーで働く彼らのせいではないのだが、そんなことを慮ってくれる人はいないだろう。わたしの場合、バンガロールに家があり、引っ越さなくていいからこそ心に余裕があるが、これが100%の引っ越しとなると、叫ばずにはいられないだろう。
物件巡りはもちろん車で行うのだが、目的のビルディングに到着し、車を降りた瞬間に感じるのだ。この物件が、いいか悪いかが。どんなにアパートメントの内装がきれいでも、エントランスやエレベータなどの公共のスペースが薄暗かったり、ゴミが落ちていたり、空気が淀んでいるところには住みたくない。
エレベータやエントランスで居合わせた「ご近所さんのムード」もまた、大切だ。こちらが笑いかけて微笑みを返してくれるか、あるいは無視されるか、そのあたりも、将来暮らし始めたときの住み心地に影響する。
わたしがムンバイにいるときは、多少の不都合も二人で分かち合えるが、アルヴィンドがここで一人のときもある。だからこそ、明るく清潔な場所を見つけたい。
仕事から帰って来て、どんよりと暗いエントランスをくぐり抜け、ぼろぼろのエレベータで階上へあがり、薄暗い、古くさい部屋に帰宅するというシチュエーションは考えたくない。
車を降りた瞬間に、「ただいま!」と思えるような明るさがエントランス周辺にあり、気さくなセキュリティガードがいて、笑顔のご近所さんがいて、住み心地のよい部屋が待っている。そのシチュエーションが欲しい。
しかし、昨今のムンバイではもう、そのような物件を見つけるのは、よほど困難であるに違いないと、半ば諦めていた。
アパートメントの入り口で、車のドアを開くたびに、「もう、下りて部屋を確認するまでもないかも」と、ひっそりと嘆息を漏らすこと何度も。無闇に疲労感は募る。最早、諦めかけていた2日目の夕暮れ時。この日の、最後のアパートメントの情報に目を走らせる。
アパート名にCasablancaとある。カサブランカ。それはスペイン語で「白い家」。
やれやれ、カサブランカなどと言いながら、きっと灰色に薄汚れたビルディングなんだろうな、などと思いつつ、しかしかすかな期待を抱いて目的地へ。
滞在しているTaj Presidentの真裏で、車はとまった。ロケーションとしてはかなりいい。建物は白でこそないものの、クリーム色で、そこそこきれいだ。なにより、今まで見た物件とは異なり、エントランス周辺がかなり明るめ。第一関門突破である。少し軽い気持ちで車から降りる。
ひょっとして?
との期待が湧くが、いやいや、期待はずれは辛いから、期待しないぞ、と思いつつ、エレベータでへ。
一緒に乗った老婆とその娘二人が、にっこり笑顔で挨拶をしてくれた。
しかも、老婆は別れ際、手さえ振ってくれた。
第二関門突破。
そして「本題」が待つ17階へ。
マンハッタン時代の火災や911の経験から、高層ビルの高層階に住むのは憚られていたが、最早そんなつべこべを言っていられない。こうなったら、17階だろうが70階だろうが、その他の条件がよければいいのだ。
エレベータを下りてホール。自然光が差し込んで来て明るい。第三関門突破! ここで部屋がひどかったら、がっかりだなあと開かれたエントランスを入って驚いた。
きれい!
きれいじゃない!
日当りもいいし、眺めも悪くない!
吹き込んでくる海風も心地いい!
レイアウトも、かなりいい!
いや、すごくいい!
ここなら住める!
いや住みたいかも!!
実際、ムンバイで物件巡りをしていて「住めるかも」ではなく「住みたいかも」と積極的に思えたのは、ここが初めてだった。
ぼろぼろの廃屋に見慣れた目に、それは「奇跡のように美しい物件」であった。尤も、市街北部や郊外に出れば、新しいアパートメントビルディングも多く、きれいな物件は少なくない。
しかし、わたしが探している南ムンバイ、カフ・パレードやコラバ、ナリマンポイント、マラバーヒル周辺のエリアは、古い物件が多いのだ。だからきれいなインテリアの部屋を見つけるのは至難の業なのである。
ところで、インド従来の家屋は、室内が薄暗い場合が多い。夏の日差しを避けるため、窓を大きくしない、あるいは常にカーテンを引いている家庭もあるのだ。
しかし、わたしは少々暑くても、日当りのよい明るい部屋を好む。陰気くさくて風通しの悪い部屋は、調べるまでもなく「風水が悪い感じ」が漂っている。
しかしながら、このカサブランカのこの部屋は、ともかく明るい。何もかもが新品で、フロアこそ大理石ではないものの、品質のよいタイル、やはり品質のよい木材で作られたクローゼット、そして清潔なキッチンとバスルームを備えている。
上の大きな写真は、ダイニングエリアからキッチンを見た様子。置かれているガネイシャ像も上品だし、キッチンも美しい。
ごく少数の人間にしか受け入れられない、妙に凝った、奇異な内装のアパートメントが少なくないインドにあって、大家のセンスの良さが偲ばれる、多くの人に受け入れられやすいインテリアである。
ここしかない!
「この物件、気に入ったので、押さえてください」
ディテールを見るか見ないかのうちに訴えるわたしに、しかし現地で合流した不動産エージェーンシーの別のスタッフが困惑した表情で言う。
「実はここ、すでに他のエージェンシーからのお客さんが気に入って、明日、大家と会うらしいってことが、たった今、わかったんです。電話ではすでに、双方話をつけているらしくて、かなり不利みたいなんですよ……」
いやだ。
ここを見てしまった以上、もう、他の「住めるかも」物件では妥協できない。あるいはまた、一からやり直しである。
「今すぐ夫に電話をして、事情を説明しますので、その人たちよりも早く大家に会えるよう、明日の朝、アポイントメントを入れてください」
この物件を逃したくはない。
聞けばこのアパートメント、大家が米国から帰国する娘のために購入し、内装工事をしたのだという。大家はインテリアデザインの会社を経営していて、彼が自ら手がけたとのこと。道理で、細部まで配慮されていて、なにやら「温もりのある家」に仕上がっているはずだ。
しかし娘は米国から帰って来なかったらしい。ちょっぴり気の毒なお父さんではある。
かくなる次第で、翌朝、つまり木曜日の朝、エージェンシーと共に大家の家へ行った。ここもまた、滞在しているホテルから徒歩5分の近距離である。
感じがいい訳でも、悪い訳でもない、彼は大家のおじさんであった。聞けば、やはりすでに別の人と交渉が進んでいるようで、条件を両天秤にかけられているような気配すらする。だからって、彼にとって有利な契約内容を無条件で飲むのは賢くない。それなりに、かけひきが必要である。
話の途中で、くらくらする事実が発覚した。それはバンガロールで家を借りたときにはなかったルールである。
契約の際、デポジット(前金)を一括して一年分、支払わねばならないのは、バンガロールでも同様である。しかし月額が高い分、1年分ともなると相当の金額だ。が、これは予測していたことであるからいい。
デポジットは移転する際、手元に戻って来る。たとえば入居後、まもなく他へ移転せねばならないことになっても、契約に基づいた期限(たいてい2、3カ月前)に則って、引っ越し日時を大家に告知すれば、全額、手元に帰って来る。
ムンバイも、デポジットに関してはバンガロールと類似のルールなのだが、これに加えてLock in Period という期間が設定されているのだ。それは一般に12カ月。万一、半年後に引っ越さねばならなくなっても、1年分の家賃は最低、彼らに払わねばならないというルールである。
払わなければ、もちろんデポジットから差し引かれることになる。絶対に1年以上暮らすという保証がない人にとっては、かなりリスキーな契約内容である。
なお競合相手は、「家賃1.9Lakhs、Lock in Periodが12カ月」を提案し、契約はDoneしそうだという。
その情報を、どこまで真に受けるべきか。かなり微妙な状況だ。
それにしたって、どこまで暴利をむさぼるのだムンバイ大家界の人々よ。
その場では結論を出さず、一旦撤退し、ホテルでマルハン家作戦会議。エージェンシーの意見も参考にしながら検討の結果、「家賃2 Lakhs、Lock in Period 9カ月」で行こうと決めた。移転の可能性があるのに、一年分を払うだなんて、どう考えても金の溶かし方、間違っとる。
とはいうものの「Lock in Period 半年」などと主張したら、競合相手に完敗の可能性もある。
これで断られたら縁がなかったと諦めて、また一から探そう。
午後、エージェンシーにこちらの以降を伝え、大家に伝えるよう頼んだ。我々は月曜にはムンバイを離れるので、返事は即刻欲しいとも付け加えておいた。
ランチののち、カサブランカを得られる確率は五分五分と判断したわたしは、別のエージェンシーを通して改めて、物件探しの旅に出たのだった。しかし「もう、見るのもいや」な物件ばかりで、カサブランカを上回る物件に出合うことはできなかった。
今回、「百歩譲って」ムンバイの住宅エリア探訪、ムンバイのお宅探訪の経験を積むことは、できた。将来、少なくとも仕事に役立つ側面もあろう。そう思い直して、エージェンシーの女性と別れた。その直後、大雨が降り始めて、モンスーンが訪れたのだった。
雨が降りしきる翌日金曜。わずか3日間ながらも物件探しに疲労困憊となったわたしは、ホテルで読書をしたり、テレビを見たり、You Tubeで日本の情報を見たりして、気ままに過ごしていた。と、アルヴィンドから電話。
「ミホ! 大家は僕たちのオファーを受け入れたらしいよ!」
つまり、我々はカサブランカに住むことに決まったのだった。半分諦めていたので、なんだかあっけない気さえする。もうちょっと、自分たち寄りの数字を提案すればよかったのか、などとかすかに悔やんでみたりもする。
交渉に、負けたような、勝ったような、複雑な気分ではあるが、ともかくは、きれいなムンバイ新居を見つけられて、よかった……!
さっそく今朝、再び、大家宅へと赴き、契約の詳細や引っ越しの日時について、話を詰めて来たのだった。
来週、わたしはバンガロールで過ごすが、再来週からはしばらくムンバイで、新居を整えるべく東奔西走することとなるだろう。
まったく話がそれるが、左の写真は、Ritu Kumarで購入した服である。
最近のインド・ファッションもまた、目に見えて「着やすくておしゃれなもの」が激増している。
インドブランドのファッションについても深入りしたいところだが、それはさておき。
ゲストルームも非常に快適なので、これなら日本の母を招いてもムンバイで一緒に過ごせる。しかも快適に。アルヴィンドがデリーのロメイシュ・パパに連絡をしたところ、早速、遊びに来たいと乗り気のようである。
ロメイシュ・パパが来てくれれば、たとえばわたしがいなくても、あるいは日本へ旅行することになっても、アルヴィンドがひとり寂しくならずに(子供か?)すむ。やはりホテルライフよりは、いいことも多そうで、気分も落ち着きそうだ。
ロメイシュは、アルヴィンドたちが子供のころ、転勤でムンバイに住んでいたことがあり、まさにこのカフ・パレードで何年か暮らしていた時期がある。
当時、アルヴィンドとスジャータはデリーの祖父宅に預けられていたが、夏休みの際などはここを訪れ、今は亡きお母さんに連れられてTaj Presidentのプールで泳ぎ、ベーカリーでおいしいお菓子を買ってもらうのが楽しみだったと、折に触れて話していた。
彼らにとっては、ここは少し懐かしい場所でもあるのだ。なにかしらご縁があるのだろう。なんだかんだと言いながら、数日で新居が決まり、これからまた、家財道具の調達といった仕事が待っているとはいえ、ともかくはよかった。
それもこれも、物件探しを始める直前に購入した「幸運を招く太陽系指輪」のご利益であろうか。Thanks God!
今宵、我らの瞳に乾杯!