久しくここを不在にしていた気がする。1週間、記さないだけでもう、かなりの精神的負担である。インド生活において、日々起こることのたとえ断片であっても、ここに記すことによって「経験を消化している」のだということを、改めて感じる。
仕事に熱中していたとはいえ、ご近所へ買い物に出かけたり、人々との関わりはあったりで、記したいことは毎度湧き出る泉のごとく、インドで暮らす日々。
レポートのまとめはまだ終わっていないが、半分以上を納品したので、週末を前にちょっと今日は小休止。思うところを簡単に、記しておこうと思う。
●米大統領選の報道を見ながら、思う。
オバマ氏が勝利した様子を、テレビで見た。アメリカ。ああ、なんてアメリカだろうと思う。彼の国を、人はいろいろと言うけれど、そしてわたしも言うけれど、やっぱり大したすばらしい国だと思う。
国を率いるリーダーを選出するために、候補者が、その周辺が、そして国民が費やすエネルギーの大きさといったらない。
オバマ氏の、感情を抑えた冷静な笑顔と語り口調。
計り知れないほどの情熱と、知性と、精神力と、体力で以て、大国を引率しようとしている。同じ人間として、そのただならぬパワーの有り様に、ひたすら感嘆する。
「ちゃんと、食べてる?」
と問いたくなるほど、スリムなところがちょっと気になるが。
「画面がハレーションを起こしてたいへんなことになってますよ」
と、妻の不思議なファッション(黒地に赤のドレス)にはひと言、コメントさせていただきたいが。
アメリカ。アメリカ合衆国。
20歳のとき、初めて訪れた海外が、アメリカだった。ロサンゼルスの郊外で1カ月間ホームステイをした。あの1カ月の経験が、紛れもなく、わたしのその後の人生を変えた。
それまでは、大学を卒業したら、故郷の福岡で高校の国語教師になろうと思っていた。そのために、教職課程のある日本文学科を専攻したのだった。
しかし、あの夏、アメリカで過ごした日々は、それまでの20年間の価値観を、尺度を、根本から打ち砕いた。アメリカは、広かった。世界は広いということを、身を以て痛感した。
ただ、空を見ているだけで、大地を見ているだけで、水平線を見ているだけで、そう思った。
百聞は一見にしかず。それまでのわたしは、頭の中でだけ、だった。経験することの重要性を、何も知らなかった。
もっともっと、いろいろな土地を訪れたい。旅をしてみたいと、20歳にして初めてそう思った。あのときに、物心がついたとさえ言っても過言ではない。
あれから、旅する20代が始まった。仕事で、プライヴェートで、旅をした。あちこちを、さまよい歩いた。
30歳のとき、ニューヨークへ移った。1年の語学留学のはずだったのが、働き始め、翌年には起業し、伴侶となる男と出会い、結婚し、ワシントンDCに移り、永住権を得て、気がつけば、十年がたとうとしていた。
カリフォルニアで数カ月を過ごしてのち、インドに渡った。アメリカは、わたしに、わたしたち夫婦にとって、かけがえのない国である。
テレビを眺めながら、自分の来し方について、思い巡らす。尽きず。
●神々を求めて、スラムの商店街をゆく
帰国まで2週間足らずとなった。家族への土産を求めて、今日はショッピングへ出かけた。「まともな土産物」はほとんど調達し終えたが、数日前に、ちょっと「異色の土産物」を求めて、近所を散策したのだった。
というのも、「なんか、欲しいものある?」と妹にメールを送ったところ、
「もし、お時間があれば、そこいらの市場とかに売っていそうな、よくタクシードライバーが、貼り付けているような、神様のプリントがほしいです! シールでも、ただの紙でも、なんでもよかよぉ〜」
という返事を得たからだ。
デリーのカーンマーケットに神様宗教関連グッズの店があるのは知っているが、ムンバイはどこにあるのか、知らない。コラバの市場界隈にありそうだが、記憶をたどっても、明確に思い出せない。
そんな次第で、仕事が一段落したある日の夕暮れ時、近所のスラム街に接する商店街へと赴いたのだった。タクシードライヴァーたちが暮らす場所は、基本的に低所得者層向けの住宅か、スラムかである。そこに行けば売っているに違いないと思ったのだ。
わたしが住んでいる南ムンバイのコラバ地区、カフ・パレードと呼ばれるエリアは、1970年代に開発が進められた埋め立て地。高層の高級アパートメントビルディング(日本でいうマンション)が林立する住宅地である。
すでに幾度も記して来たが、ムンバイ不動産の高騰ぶりは著しく、従来から高かったのだが、今や世界の大都市をしのぐ高値を付けている。2ベッドルームですら、1カ月の賃料が50万円を軽く超え、3ベッドルーム、4ベッドルームとなると、100万円を超える物件も多数ある。
新しく快適な物件ならまだしも、改築、改装の行き届いていない廃屋もどきのアパートメントですら数十万円をつけているから、呆れるというものだ。尤もこの趨勢も、いつかは落ち着きを見せて、多少は安くなるのではないかと思われるが。
さて、そんな高級住宅街はしかし、そこに出入りする使用人やドライヴァーたちが暮らすスラム街と隣接している。ムンバイでは、人口の半数以上がスラムに暮らしているのだが、この地区で言えば、我が家の向かいにあるワールドトレードセンターを挟んで、こちらと向こう側、という感じで世界が分断されている。
2カ所を結ぶ、その100メートルほどの道路はまるで、貧富の差の境界線だ。あまりにも著しすぎるそれは、貧富の差である。
同じ人間が、どうしてここまでも、異なる境遇の中で生きているのだろうと、呆然とするほどの、それは、差異である。
左の写真は、境界線となる路上にて、富のエリアから貧のエリアを望んだ光景。右の写真は、その逆だ。貧しき人々は、この道を通って、仕事先である富のエリアに赴く。我が家のメイドであるジャヤもまた、毎日この道を行き来している。
通りを進むにつれ、歩いている人間の数が増える。いったい、どれほどの人々が、この界隈に暮らしているのだろう。歩道では、男たちがいくつもの、車座になってたむろしている。
野菜の土の匂いや、露店の魚の匂いや、公衆トイレの匂いや、揚げ物の匂いや、さまざまの匂いが次々に鼻腔を攻撃する。
商店街の、裸電球のセンチメンタル。
足場の悪い道を、しかしあたりを見回しながら、歩く。
なにやら、毎日が祭りのような賑やかさと喧噪と。
ともあれ、生命力がほとばしっている、ここに暮らす人たちには。
日用品を売る商店や、衣類を縫製するテイラーや、家電の修理店や、身分証明の写真を撮る店や、金物工具の店や、チャイやスナックのスタンドや、派手な子供服を吊るした店などを、眺めながら……。
と、鏡と椅子だけを備えた、オープンエアの簡易理髪店の隣に、「それらしき店」を見つけた。
ここになら、あるかもしれない。
「フレームはいらないので、カードだけ、見せてもらえますか」
店主に声をかける。
「どの神様が欲しいんだい?」
「え〜っと。どの神様でもいいんです」
と、店主は、店の奥から埃かぶった神様カードの束を取り出して来てくれた。
色とりどりの、随所随所に金色がまばゆい、ヒンドゥーの神々。
いや、ヒンドゥー教ばかりではない。
聖母マリアも、ジーザス・クライストも、まるでヒンドゥーの神々のような様子にて、彩り鮮やかに描かれている。
「1枚、いくらですか」
「5ルピー」
10円ちょっとだ。
あれこれと選んでいるうちに、おもしろくなって、大量に買い占めてしまった。妹も、こんなには要らんだろうと思いつつ。ほかに欲しい人もいるかもしれないし、お土産にいいかもしれないし。いいんだろうか。
ちなみに右下にあるのは、ステッカーだ。裏表に印刷されていて、まさにドライヴァー向け。車のフロントグラスに貼れば、外からでも中からでも、見ることができる。
象の頭を持つガネーシャ神が、1000ルピー札にまみれている、いかにも「商売繁盛」なレイアウトのものと、蓮花の上にたつラクシュミ神。そして猿の容姿をしたハヌマーン神。
ハヌマーンを手に取りながら、
「あ、これはフマユーンですね」
と、いつも間違えてしまうのだが、やはり間違えて口にしてしまったら、
「ハヌマーンです」
と、冷静に言い直されてしまった。知ったかぶりで、若干恥ずかしい間違いである。ちなみにフマユーンとは、デリーにある世界遺産の霊廟である。
店主のおじさんは、英語が流暢だ。メモ帳を勧めてくれたので、ついつい買ってしまった。ガネーシャのイラスト入り、である。時代を先取りしたカレンダーも印刷されていて、一冊10ルピーだ。
「わたしはこの近所に住んでますが、そもそもは日本から来ました」
「そうかい。また、ちょくちょく寄っておくれ」
節操なく、あれこれと神を買い込む異邦人に、しかし彼は、たいへんフレンドリーであった。
見上げれば、月が煌煌と麗しく、ディワリの名残のランタンがあたりを照らす。
自分が何を思うのかもわからず。
遥か彼方のノスタルジーが、喧噪の渦に見え隠れする。
神様!!