いよいよ今夜の便で、日本である。明日の午後3時ごろには、福岡へ到着する。仕事もすべてすませ、お土産の調達や荷物のパッキングなどはほぼ終了。
不在時、ムンバイ宅はジャヤに、バンガロール宅はプレシラに管理を任せておけるので、特段、家のことをせずにすむのが本当によい。こうして予定通り仕事を終え、のんきにブログなど書いていられるのも、使用人を持つことができるインド生活ならではだとしみじみ思う。
米国時代は旅行のたびに、その前後がたいへんだった。特に帰国後は、大量の洗濯物やそうじ、食品の買い出しなど、旅の疲れを癒す間もなく、慌ただしかったものだ。
ただ、インドに移ってなお、夫はわたし不在時、わが手料理の作り置きを望むのだが、冷凍食よりも新鮮な料理を食べた方がいいだろうし、わたしも面倒だから、今回はわたしの不在時、ジャヤに夫の食事の準備を頼んだ。
従っては今回、本当に、自分の身の回りのことだけをして旅立てるので、気分が楽だ。
上の写真は、毎日我が家へ遊びにくる、ワシか、トンビか、タカか、よくわからぬが、鳥だ。我が家のエアーコンディショナーの室外機の周囲に施された鉄さくが、ちょうどよい「止まり木」になっているようである。
バンガロールでは、かわいらしい野鳥のさえずりで目覚めるのに、カラスの多いムンバイでは、「クワァー!クワァー!」という、けたたましい彼らの叫びで目を覚ます。
しかし数日に一度は、この鳥の「ピ〜ヒョロヒョロヒョロ〜」という鳴き声で目が覚める。ピ〜ヒョロということは、トンビだろうか。
朝と、午後3時から4時ごろ、遊びにくる。ときどき木切れや木の実をくわえてくる。毛繕いをしていることもある。どことなくあどけなく、子供のようでもある。
わたしに気づくと逃げるのだが、このときは一瞬、事態を飲み込めずに、しばらくわたしを見つめていた。
正面から見ると、ちょっと間抜けな顔である。
手なずけたいところだが、難しそうである。
緑色のオウムも、別の窓辺にときどき飛んでくる。
これはかわいい。
また来ればよいのにと同じ場所にインド米を散らしておいたら、カラスが速攻でやってきた。
やはり。作戦失敗。
ところで、前々回の記録を読んだ妹から、突っ込みのメールが届いた。いまどき、「散髪」なんていう人はいない、とのことである。
嗚呼。敢えて「レトロな言葉」を使っている、わたしなりの言葉遊びなのに、それは最早、理解されないようだ。
そういえば数年前、日本人の前で、「イカしてるよね」と言ったら、引かれてしまったこともあったっけ。
あれもまた、わたしなりのレトロな言葉遣いであったのだが、日本を離れて久しい、それもそれなりにいい歳の女性が使うと、「100%本気」ととられてしまうようである。とほほ。
そもそも、そのレトロな言葉遊びになにか意味があるのか、と問われると、返す言葉もない。日本帰国を前にして、無駄に誤解を招く表現の使用は、慎んだ方がよいようだ。
あ、それからレギンス。妹さま曰く、
「あと、レギンスの流行りももう終わったんじゃないかと思うよぉ〜。しかもあれは若者限定じゃなかろうか。(中略)たぶん、20代位まで、な、ファッションだったんじゃぁないかと思うぜ〜」
との指摘を受けた。ううううぅぅ。これは、100%本気だった。先日、ユカコさんと電話で話したとき、彼女も先日米国で調達したと言っていた。「インドの服に、合うよね〜」と盛り上がっていたのに……。
「七部丈とか、八分丈とか、いろいろあるんですよ」
と聞いたので、じゃ、いろんなヴァリエーションをそろえよう! と張り切っていたのに……。確かにユカコさんやわたしよりも若いが、年齢のことなんて、ちっとも気にしなかったのに……。
だいたい、20代と30代なんて、あんまり区別つかないじゃないの。30代と40代だって、そんなに区別つかないじゃないの。
だからって、20代と40代も区別がつかぬとは言わんが、ともあれ、年齢別にファッションに線引きするのはナンセンスだ。だいたいレギンスなんてジーンズみたいな位置づけでしょ?
ジーンズなんて子供から年寄りまでOKじゃん。露出度高いミニスカートやらキャミソールを買うっていうのならまだしもさ。
なんてことを、ここでむきになって叫ぶこともないのだが。
なんと言われようと、買うよ、わたしはレギンスを。履くよ、わたしはレギンスを。
そんなわけで、日本滞在中もできる限りここにレポートを書こうと思う。2年前の旅行記(←文字をクリック)は、時間がない最中、よく書いたものだと我ながら感心する。
今回はアルヴィンドも来るし、どこまで記録できるかわからないが、ともあれ久しく日本を離れているわたしの目に、日本がどう映るのか、それが自分でも楽しみだ。
なるたけシニカルにならず、やさしく温かい視線で、捉えたいものである。