ゆっくりと時間があるはずの休暇も、瞬く間に過ぎていく。米国時代もそうだったが、インドもまた、「正月ムード」がない。大晦日のカウントダウンが終われば、静かな元旦と、普通に生活する人々。
アルヴィンドはすでに元旦の朝から打ち合わせをいれているし、2日は二人して健康診断に出かける。翌日3日はその結果を聞きにいき、4日はムンバイに戻る。
つまり、明日31日のカウントダウンディナーを除いては、あまり「色気のない」年末年始である。
毎度しつこいが、デカン高原の、バンガロールの気候のよさが、本当にありがたい。
年末に、蝶の舞い飛ぶ庭の芝生に寝転んで、青空仰ぎつつ昼寝ができるという贅沢。
ところで日曜日には、友人知人数名を招いての、パーティーを開いた。
ゲストはわたしたちを含めて約10名と少なかったので、自分でほとんどの料理を作った。
チキン以外は、新鮮な野菜をたっぷりと使ったサラダやグリル。野菜の力を生かすため、あえてシンプルな料理でまとめた。
思えば日本に帰国したときの「所感」をまだ綴っていないままだった。日本に戻って思ったことはあれこれあれど、最も危機感を覚えたのは「食生活」だった。
もちろん滞在中の大半は、おいしい料理をたくさん口にした。久しぶりに帰国するからこそ、良質の料理をふるまっていただいたし、わたしたちも敢えて「よきもの」を味わった。
それなりにお金を出せば、良質の素材や安心できる食材が入手できることは、よくわかっている。
しかし、その一方で、加工食品の多さに驚いた。
特には、コンビニエンスストアの、パック入りの食べ物など。スーパーマーケットの、加工食品の占める割合の高さ。また、デパートメントストアの地下に売られている菓子の、見目麗しくも生命力のなさ。
もちろん、中には「素朴でヘルシー」なものも見られたが、食べ物的でないものの多さが目について仕方なかった。
著しく、食品の種類が豊富である一方で、生命力がまったくみなぎっていない食品の多さに、愕然とさせられた。
詳細をあれこれと綴りたいが、こんなことを書くと、疎ましがられることもわかっているので、どうにも乗り気にならないまま、書かずに来た。
ただ、これだけは言える。日本から離れて久しい人間だからこそ、この危機感をつぶさに実感できたということを。いたずらに、シニカルになっているわけではない。批判がましくなっているわけではない。
ずっと日本に住んでいた人間が、束の間、海外に出て、食の不自由を感じたという場合、日本に帰国してのちは、むしろこれほど豊かで美味なる食べ物がそろっている国はないと感じるだろう。
わたしだって、米国時代に日本へ帰国したときは、日本の食は豊かだと思い込んでいた。身体への善し悪しを考えるよりも、そのバラエティの豊富さに感嘆していた。デパートメントストアの地下はパラダイスだと思っていた。
ところが、今回は、違った。日本の食品添加物の、独特の匂いや、特有の酸味、菓子の風味、そういうものを久しぶりに口にして、それは明らかに、「不快な懐かしさ」だった。
恐ろしいほどに、いつまでも腐らない、色や形が作り物のようにきれいな果物や野菜の存在感も異様だった。
生命力がないばかりではない。多様な添加物で、敢えて言えば「毒」を含んだ食品すらも、目について仕方なかった。見た目はもちろん、口にした瞬間に、「身体に悪そう!」と思われる食べ物にも、遭遇した。
しかし、その違和感は、数日後には損なわれつつあった。味覚は瞬く間に添加物に慣れ、舌の敏感さは速攻で失われたからだ。そのことがまた、恐ろしかった。
書き始めると止まらなくなってしまった。
具体例を挙げなければ伝わらないこともわかっているので、中途半端に書くべきではないと思っているのだが、書かずにはいられなかった。
さて、左の写真は、義姉スジャータが差し入れてくれたイチゴのタルトレット。
小麦粉とバター、卵、砂糖。そしてイチゴ。
最低限の素材で、本当においしい菓子ができあがる。
加工食品や保存食がほとんどないインドでの生活。
インドに住む日本人の多くから、「インドにはおいしいものがない」との声を聞く。確かに「自分が食べ慣れたところの故郷の味」に比すれば、どこの料理であれ、すべてを受け入れるのは困難だろう。
しかし、否定するばかりでは生産性がない。「工夫次第で」健康的で豊かな食生活が実現できるのだ。
しかしそのためには、ある程度、もしくはかなり手をかける必要がある。ともあれ工夫が必要だ。
加えて、外食のインド料理をして、「インドの料理はヘヴィーで不健康」などともよく聞く。家庭料理と外食とはまったく異なり、若干家庭料理を学べば、決して不健康などとはいえない、むしろ薬膳のような健康的な料理である。
それが伝わらないことは、本当に残念なことである。最早、この件に関しては、いちいち説明するのもの虚しく、半ば諦めているけれど。
もっとも、何を以て「おいしい」とするのか、そのあたりの基準が人により異なるから、わたしとて自らの価値観を押し付けるわけにもゆかぬ。
さておき、わたしが懸念するのは「インド食生活の善し悪し」ではなかった。
問題は日本の食である。変な加工食品を食べるくらいなら、一汁一菜のほうがよほどよい、とさえ思える。娯楽としてではなく、生命線としての食生活。そのことを意識している人たちは、いったいどれほどいるのだろう。
あれこれと言いたいことが尽きぬが、今日のところは、この辺にしておこう。
さて、年の瀬も迫り、明日のうちにもクリスマスツリーを片付けよう。
それにしても、部屋に漂う花の香りのすばらしいこと。百合の香りもいいけれど、チューベローズ(月下香)の、夕暮れ時から匂い立つその甘くやさしい香りは格別だ。
数日前、書店で購入した料理の本。このコンセプトがとても気に入った。アフガニスタンのカブールからパキスタンを経由して、インドのコルカタに至るグランド・トランク・ロード (Grand Trunk Road)。
今や、国境によって分断されてたこの道路、かつては一本につながっていた。表紙の写真は、トラックの外観である。インド周辺のトラック野郎はまた、実に派手な趣味なのである。
2500kmを超えるその街道沿いの食べ物のレシピが、その土地土地にまつわるストーリーや、色鮮やかな写真とともに、バラエティも豊かに記されている。料理はどれも、味わってみたくなるものばかり。
旅情を誘いつつ、食欲をそそる、ユニークかつ上質な本だと感じた。ちなみにこの本の出版社は、他にも良質の書籍を出している。
今日、夫とMGロードを歩いていた。チャーチストリートに向けてのびている小道で、古びた書店を見つけた。夫が突然、向きを変えて本屋に入っていった。
やたらと親しげに、初老の男性店主に声をかける。彼が子どものころ、義父ロメイシュの転勤で、一時バンガロールに住んでいたことがある。そのとき、この書店へよく訪れていたのだとか。
「僕、あなたのことを覚えていますよ。子供のころ、よく訪れていたんです」
と声をかける夫。店主もまた穏やかに、
「僕も、あなたのことを覚えてますよ」
店は夫が生まれる一年前に開店したという。以来ここでひっそりと、埃と喧噪にまみれて、営業を続けている。
UBシティやMGロード、ブリゲードロード界隈で買い物をする。めまぐるしく移り変わる街の景観。その一方で、置き去りにされたかのように、古びた建築物がひっそりとたたずんでいる。
ブリゲードロードの、クリスマスあけてなお、クリスマス的なネオンもきらびやかに、数年前に比べると、ずいぶん「洗練された」感である。
新しい店も続々とオープンして、それでも喧噪はいつもと変わらず。
休暇のうちに、もっと実践的に、身辺のあれこれを片付けるつもりだったのが、なにやら気だるく穏やかに、日々は流れていくようで。
今夜はのんびりと、ブリゲードロードで買ったDVDでも見るとしよう。
一年前、その在り方を考えるためにも「今しばらくは、インドにて。」から「インド発、世界2008」へとタイトルを変えたこのサイト。来年もまた、続けるつもりではいるのだが、まだ新たにするための準備などはできておらず。
新年はまた、今年同様、少し休むかもしれない。
ともあれ、みなさま。よい年末年始をお過ごしください。