夕べ、バンガロール宅に到着した。人があちこちへ移動する年末年始だからこそ、普段、移動の多い我々はバンガロール宅でゆっくりしようと決めたのだった。
例年ならば、予約でいっぱいのインド周辺リゾート地も、世間の不景気と先だってからのテロの影響か、あちこちで「がらんとしている」との噂を聞く。
数日前、モルディヴ旅行から帰って来た知人もまた、ピークシーズンにも関わらず、リゾートがいかにガラガラに空いていたかをレポートしてくれたばかりだった。
ということを、帰りの機内で口にしたところ、夫アルヴィンドが、
「ってことは、ホテルの予約、とれるんじゃない? モルディヴに行く?」
と急に張り切る。
いくらバンガロールからモルディヴは近いとはいえ、わたしはもう飛行機には乗りたくないのだ。確かにモルディヴはすばらしいビーチリゾートだけれど、家でゆっくりと本を読んだり、文章を書いたり、ぼーっとしたりしていたいのだ。
そもそもは、バンガロールでのんびり案に合意していたくせに、なんなのだいったい。
昨日まで、仕事のことばっかり考えてて、休暇のことを真剣に考えられなかったんだよ。空いてるんなら、やっぱりどこか行こうよ。モルディヴが近いし、やっぱりいいよね〜。行こうよ!
と俄然、乗り気の夫。うううぅぅぅ。
が、次の瞬間、夫が硬直した。
「あああぁぁぁ〜! パスポートを、ムンバイの家に置いて来た!!!」
ふふふ。阿呆なやつ。
夕べ、荷造りをしているときに、
「バンガロールに行くだけだから、パスポートはいらないね」
と彼が言うのを、わたしが、
「いや、パスポートはいつでも携行しておいた方がいいと思うけど?」
と言ったにも関わらず、
「いや、いいや。要らない。置いてく」
と言って、持ってこなかったのだ。
100%、モルディヴに行く気になっていた夫。それからというもの、飛行機が着陸し、帰りのタクシーに乗り、自宅についてなお、折に触れては、「パスポート……」とつぶやく始末である。その挙げ句、
「モルディヴがだめならさ〜。ゴアはどう? ゴアのリーラ・ホテルはいいらしいし。それともカビニのジャングルのリゾートは?」
と、次々に代替案を提示してくる。なにやら、どこかに行かなければならないモードに転換されたらしい。著しく、うるさい。
結局、今朝、スケジュール表を各々広げての家族会議の席において、じっくりと話を詰めるまで、しつこくどこかへ行こうと迫ってくる夫であった。結論から言えば、当初の予定通り、バンガロールで過ごすことにした。
移動が多く、物事をじっくりと考えられない生活は、楽しみも多いけれど、決して理想的とは言いがたい。年末年始の、街が静かなこの時期こそ、自分自身も心穏やかに、来し方行く末に思いを巡らせ、静かに過ごすのも悪くないのだ。
ということを、滔々と説得して、納得していただくにいたった。パスポートを忘れていただいていて、よかったと思う。
それにしても、気になるのは、世間のインド敬遠ぶり。不景気とは別に、もしもこれがテロの影響だったとしたら、どれほど人々は過剰に恐れすぎているかと思う。
イスラエルのガザ地区のように空爆が起こっている、戦時下である、というなら話は別だ。しかしここは戦時下でもなんでもないのだ。高級ホテルに行くのを自粛している人の多さにも、驚きを通り越して、呆れる。
しかし、自粛している人が大多数だから、きっと自粛していないわたしの方が呆れられているのかもしれない。いや、呆れられているに違いない。
ちなみにインドにおいて、高級ホテルとは、インド人富裕層や外国人駐在員にとって、公私に亘る重要な社交場の一つであり、他国における高級ホテルの位置づけとはかなり異なる。
最近でこそ、市井にきちんとしたレストランがオープンしているが、従来インドでは、外国人が安心して食事ができる場所と言えば、まず高級ホテルのダイニングが挙げられるのだった。
26/11のテロでは、確かに多くの命が奪われた。しかし、インドにおいてテロはしばしば起こってきており、あちこちで、多くの命が奪われてきたのだ。今回のテロにだけ過剰に反応してどうするのだという思いもある。
確かに、世間の識者が言うように、今回のテロは従来とはいくつかの点において異質だ。これまでは爆弾テロ、自爆テロのような攻撃が主だったが、今回は「銃撃戦も行われた」という意味で衝撃だった。
庶民の集まるところではなく、富裕層や外国人、そしてジュイッシュ(ユダヤ教徒)の人たちが集まる場所がターゲットととなった。
しかし実際のところ、亡くなった人の大多数はインド人だ。
本音を言えば、外国人である自分が、敢えてテロリストの攻撃を受ける可能性は、天災を恐れるのと同じくらいの確率で低いと思うのだが。
わたしは好き好んでリスクを冒しているとか、危険に挑んでいる、というわけでは決してない。ただ、むやみに杞憂したり、恐れたりして、テロリストたちの思惑に振り回されたくないだけだ。
今朝、ヨガのクラスへ久しぶりに赴いたアルヴィンドが言っていた。クラスに来ていたのは、スジャータとラグヴァン、そしてファミリーフレンドのラナおじさん、そしてアルヴィンドの4人だけだったと。
マスター・ジーのクラス(←文字をクリック)は数カ月の滞在で世界各地から研修生が来るのだが、みなキャンセルしたのだという。唯一、メキシコから来ている青年が居残っていたらしいが、毎日のようにメキシコの家族からすぐに帰ってこいと電話があるという。
いったい世界各地では、今回のテロをどのようにレポートしているのだろう。
更に、マスター・ジーはリーラ・パレス (Leela Palace Hotel) でもヨガクラスを行っていたが、これもまたキャンセルされたという。ホテルはテロのターゲットになるという噂が、巷に広がっているようだ。
理解できない。こうもいっせいに、根拠のほとんどない情報に翻弄されて、恐れる人々の傾向が恐ろしい。もっとも、インド在住者は別として、わざわざ海外からインドへは来たくない、という気持ちはわかる。それにしてもだ。
世界はメディアの報道に翻弄され過ぎている。情報が多過ぎて、その情報の善し悪しを自分で選別できない。「過激で極端な例」ばかりを目にすることで、自分自身がその「過激で極端な例」に遭遇するかもしれないと想像する。
確かに、悲劇的なテロだった。しかし、単純に「死者数」だけを見てみれば、天災だの疾病だの交通事故だのに巻き込まれる可能性が圧倒的に高いと思われる。
ムンバイではなく、バンガロールですら、こんな大事になってしまって。冷静なレポートよりも先に、恐怖を煽るメディアの報道姿勢は、万国共通のようである。
などと、わたしがここで声高に叫ぶ必要は、実のところ、ない。街が静かで、のんびりと過ごせることは、個人的には歓迎である。
狂ったように押し寄せて来た海外資本と海外の価値観の流入が、一段落して、それは確かにインド経済とって一時的に痛みかもしれないが、長い目で見れば、妥当な浮き沈みではなかろうか。
「インドの経済発展のために貢献したい」という企業や団体も、もちろんあるだろう。しかし、それを大義名分にしている企業だって、たいそうあるだろう。
BRIC'sだなんだと、自国の経済不振を理由に、あまりにも分別なく発展途上国に活路を見出してきた先進諸国も、これで少しは冷静になるのではないだろうか。などとわたしが偉そうに語ることでもないだろうけれど。
ともあれ、テロに翻弄されているのは、全国民のごく一部の富裕層と外国人くらいのもので、国民の大多数は、自分たちの世界観の中で生き生きと、生きてるインドである。
この国の、想像を超える「底力」を見ながら、わたしもさまざまを学んでいこうと、思うのだ。
今日は、またしてもUBシティへ。最近お気に入りのイタリアンToscanoがピザを始めたというので、早速マルガリータを試した。それからクリスマスらしく(といってもすでに終わってはいるが)、ターキーも注文。どちらもかなり美味であった。
年末年始のバンガロールは、旅に出る人、故郷に帰る人が多く、街は閑散としている。それでも、せっかくだから、明日はスジャータ&ラグヴァンはじめ、街に残っている友人知人数名に声をかけて、小さなパーティを開くことにした。
従っては食料を買い出しへ。
スーパーマーケットの一画で、ワインを買っていて、衝撃の事実を発見。ここカルナタカ州の酒税が大幅にアップしていたのだ!
ムンバイのマハラシュトラ州はそもそもから高かったので、同じワインでもムンバイで買うのはいやだな、と思っていたのだが、バンガロールまでもこうなるとは……。
ちなみに西インドのナシック産SULAの赤ワインの一つが、435ルピーから688ルピーとなっていた。カルナタカ州……。いったい、その酒税をどうする気だ。産業破壊だ。なんだかよくわからんが、気に入らない。気に入らないが仕方ない。
世の中、気づかぬうちにいろいろなところに変化があり、いちいち驚かされる。
ちなみにこの仏陀なレストラン、UBシティに新しくオープンした「城SHIRO」という店だ。
マンハッタンにあるダイニング、「道TAO」的なインテリアだ。
2000年のオープン当初、初めて店内に入ったとき、どすんと鎮座する大仏像に驚かされたものだ。
あの店のコンセプトに酷似している気がする。
「城SHIRO」では日本料理ほか、オリエンタルな料理が楽しめるようである。
今日のところは見学しただけだったが、近々食事をしてみたいと思う。