Smile: Venus, Jupiter, and Crescent moon.
宵のころ、実家のバルコニーから空を眺めたら、笑顔があった。こんなかわいらしい夜空を見るのは初めてのことだ。宵の明星、すなわち金星と、木星とが近寄って、さらには三日月までもが。
普通のデジタルカメラで、三脚もなく、またしても息を止めて撮影。きれいには、撮れなかったけれど、雰囲気だけでも。右側の光は、視界を横切ろうとする飛行機。
今朝、香港経由でムンバイへと戻る夫アルヴィンドを見送りに空港へ。
「楽しい旅だったね。来てよかった」
と、名残惜しむように、帰路に就いた。
校長はじめ、香綾会と呼ばれる同窓会の会長と職員の女性との会合があるのだ。
二十数年ぶりの母校は、しかしさほどは変わっておらず、ただ、授業中とはいえ、構内の静かさに驚く。
香綾会館に通され、食事をいただきながら、さまざまな話をする。
一度は高校教師を目指した身の上である。現在の高校生たちの話は、非常に興味深く、教育についても考えさせられるところが多かった。
なぜ香椎高校との関わりが今になって発生したかについては過去に記した(←文字をクリック)ので割愛する。
さて、学校関係者の方々は、西日本新聞の「激変するインド」を読んでくださっていたり、あるいは先だっての「仰天ライフ」の番組をご覧になったり、RKBラジオを聴いてくださったりと、わたしをご存知の方が少なくない様子。
非常に光栄なことである。
今回は、ご挨拶にお伺いしたと同時に、学校側から来年5月の創立記念日に講演をしてほしいとの依頼を受けていた、そのことに関しても直接お話を、ということで出向いたのだった。
何しろ数年に一度しか帰国しない身の上で、半年後に再び、さらには1年後の同窓会に参加というのは、正直なところ確約できそうになかった。
とはいえ、卒業生であるわたし自身の国内外での経験を伝えることで、在校生たちが何らかを感じ取ってくれ、ささやかでも前向きな影響を受けてくれるとしたならば、それは非常に意義深いことである。
今の自分が、高校生だった自分に伝えたいことは、ごまんとある。あのころの、考えなしに阿呆だった自分を、叱咤激励する言葉は数知れない。
たとえばそんな言葉の数々を、今の高校生たちはどう感じるのかわからない。それでも、あのころの自分がもしも聞いていたら、もっと実りのある日々を送れたかもしれない、そんなメッセージの一部を、母校の生徒たちに伝えられたらと思う。
時を隔て、同じ校舎で三年を過ごす「縁」のある人たちへ、わたしが伝えられることがあるとするならば、それはわたしにとっても幸せなことである。
そんなわけで、秋の同窓会については出席できなくなる可能性はあるものの、とりあえずは在校生を対象に講演をするべく、5月中旬、再び福岡へ戻ってくることになった。
これを機に、福岡ーインド間の仕事を、もっと積極的に進めていこうとも思う。