お似合いの二人。
ではない。
車のディーラーの女性と、わが夫である。そう。これは「車の納品」の光景である。インド移住3年を過ぎてようやく車を買った。新居を買っておきながら、車を買っていなかったとは、普通ではない事態である。
米国における「車社会」とは違った意味で、インドでの生活は、車なしではいられない。バンガロールでは、業者から月契約で車とドライヴァーを借りている。
自分たちで車を買い、ドライヴァーの手配をし、メンテナンスをすることを考えると手間がかかることもあり、不経済とはわかっていながらも、「しばらくは様子をみよう」という状態が続いていた。
そのうち、ムンバイとの二都市生活がはじまり、バンガロールよりもムンバイにいることが増えた。ムンバイでこそ、車は必要なのだが、ムンバイは市街にタクシーが走り回っているし、無線タクシーを呼ぶこともできる。
半日、一日契約でのレンタカーもバンガロール同様簡単にできるので、今まではそれでお茶を濁して来た。
しかし、不便と言えば不便だ。なにしろ、「タクシー」はおんぼろのフィアット。このフィアットについても語りたいことがたくさんあるのだが、ともかく「マキシマム25年もの」の小さな車である。
乗りにくい。服が汚れる。無線タクシーはまだきれい(まだまし)だが、運転手が道をよく知らない場合が多い。指導でストレスがたまる。
「車を買おう」「買わねば」「買うぞ」と言い続けて一年が過ぎ、ようやくディーラーへ赴き、購入したのだった。しかしまだ、ドライヴァーは確定していない。
インド都市部において、ドライヴァーを持つことは必要条件である。とはいえ、自分の車を買った以上、自分でも運転したい。が、わたしはマニュアル車を20年以上も運転したことがなく、練習が必要である。
なおインドのドライヴァーは大半がマニュアル車を運転している。渋滞が多く、細かな移動の多いムンバイでは、マニュアル車の方が安全との見方から、我々もマニュアル車を買った。
米国時代、ニューヨーク在住時は、車を持っていなかった。マンハッタンでは、地下鉄やタクシーや自分の足で移動できるので、自家用車を持つ必要はない。
仕事で『muse new york』を配達したり、郊外へドライヴ旅行に出かけるときなどは、レンタカーを借りていた。それで十分であった。
しかし2000年、当時ボーイフレンドだったところのアルヴィンドがMBAを卒業し、ワシントンDC郊外のヴァージニア州での勤務が決まった時から、事態は変わった。自動車通勤以外に方法はない。
「運転もせずに取得できたインドの自動車免許証」をなぜか持っていたアルヴィンドだが、車の運転はできなかった。
日本人の経営する自動車学校の方が、米国人の自動車学校よりも丁寧に違いないと判断し、就職開始までの数カ月、彼をそこに送り込んだ。
わたしも米国で免許を取ったとき(日本の免許証は更新できずに失効した)、その学校に通ったのだった。その学校の経営者であり、教官だったT氏をして、
「坂田さん、僕は久しぶりに、ふんどしのヒモを締め直して、仕事に取り組みました」
と言わしめた、それはマイハニーの運転ぶりだった。
ようやく免許が取れてからも、彼が運転になじむまでにどれほどの困難辛苦があったか。それは筆舌に尽くしがたく、ここで詳細を綴り始めると終わらないので書かない。
さて、「過激初心者」だったアルヴィンドのために、我々が選んだ車は、HONDAのACCORDだった。当時のアメリカで、もっとも人気のある大衆車だった。
黒のボディ。2ドアのスポーティな姿が気に入っていた。いろいろな車を試乗してみたが、ACCORDが、視界が広く見えて、安定感があり、彼にとっても、わたしにとっても、とても運転しやすかった。
あの車には、本当にお世話になった。5年間乗ったが、一度も車がトラブルを起こしたことはなかった。運転する側がトラブルを起こしたことはあったが。
一度アルヴィンドは、「自爆」したことがある。打ち合わせに向かう途中、ハイウェイの出口を見逃しかけたのを、十分に減速しないまま、慌てて右側へカーヴしたため、曲がりきれずに左側の路肩に突っ込んだのだ。
突っ込んだ弾みで車は反対方向に回転し、ぎりぎりで後続のトラックに衝突することなく、道路を横切り、右側の路肩に突っ込んで停車したという。
相当の衝撃があったようだが、前輪のタイヤが二つパンクしただけで、ほとんどダメージなく、アルヴィンドにもダメージはなく、際どいところで救われた。
もちろん、レッカーで移動してもらうなどの騒ぎとなったらしいが、それでも、タイヤ以外、車もアルヴィンドも無事であったのだから、不幸中の幸いである。
結婚してからも、あちこちへ遠出をした。しかし、定期的なメンテナンス以外に、なにかトラブルを起こすことは一度もなかった。
そしてインド移住前、ワシントンDCからカリフォルニアまで、米国大陸横断した時も、重い荷物をたっぷりと載せて、ACCORDは実にけなげに、走ってくれた。
西日の照りつけるハイウェイ。乾いた砂漠。ルート66……。
米国を離れる数日前、車を売ったときには、なにやらしんみりとしたものである。
いかん、また話が長くなる。
インドでは、ここ10年あまりの間に、海外自動車メーカーの進出が著しい。
かつてのインドでは、国産車のアンバサダーやフィアットの小型車、それにマルチ・スズキの小型車などが主流で、超富裕層の輸入高級車などが時折見られるという程度だったようだ。
しかし今や、MERCEDEZ、BMW, HONDA, TOYOTA, MITSUBISHI, SKODA, CHEVROLET, FORD, AUDI, MARUTI SUZUKI, TATA, HYUNDAI……と、さまざまなメーカーの車が国内生産されるようになり、町中でも数多くの車種が見られるようになった。
TOYOTAの工場があるバンガロールでは、TOYOTA車の普及率が高いようだが、ムンバイ富裕層に人気が高いのはHONDA車のようで、ディーラーの数も多く、この界隈でもよくHONDA車を見かける。
HONDAの工場はデリーの郊外にあり、現在、国内生産しているのはACCORD, CIVIC, CITYの3種。日本で販売されているものとは、名前と型が異なるのではないかと思う。
米国で「大衆車」だったACCORDだが、インドで見ると、「高級車」である。米国では小さめに見えたのに、ムンバイで見ると、とても大きく見える。
道路を埋め尽くしている小型のフィアットはじめ、その他の大衆車が小さすぎるからか、目が錯覚するのである。
そもそもインドのHONDAでは、ACCORDとCITYだけが生産されていたが、数年前に、ACCORDとCITYの間に位置するCIVICが販売開始された。この中ぐらいのサイズがいいだろうと、当時から目をつけていたのだった。
以前、インドの自動車産業についてリサーチをしたので、車のことを書き始めてもまた、とまらなくなるので、この辺にしておく。
さて、経緯を大きく端折るが、いくつかのメーカーの車を乗り比べた比べた結果、やはりHONDAのCIVICを選んだ。黒にした。
他の国はどうだか知らないが、インドは、内装のレザーシートの色なども、幅広い選択肢の中から選べる。車を取り寄せた後、ディーラーがシートの張り替えなどをしてくれるのだ。米国ではこのような選択肢はなかったように思う。
ディーラーのお姉さん曰く、殺生を一切しないジャイナ教徒が多いムンバイでは、「人工皮革」の需要も高いのだとか。面白い話である。
わが家の界隈、コラバ地区のカフ・パレードは、昔ながらの富裕層が暮らすアパートメントが林立している。しかし、駐車場のための十分なスペースがないため、車は屋外の駐車場、もしくは路上に駐車である。
ベンツやBMWといった高級車も、野良犬が寝そべる汚い路上に、放置されている。南国の灼熱の太陽の下、「素のまま」にさらされている。
カラスやハトの糞は落ち放題。週末など、界隈の貧しい青少年が駐車場界隈でクリケット遊びをしている。ボールが車に激突することもある。
ある種、みな懐が大きい。
エンブレムをへし折られたベンツを、何度も見かけたことがある。ベンツのエンブレムを付けた、どこから見てもベンツじゃない車を見かけたこともある。
インドである。
わたしたちの住むアパートメントは、HONDA所有者が非常に多く、ショールームで見るよりもよほどよい。
隣の車も2台ともHONDAである。
それはそうと、駐車スペースが異様に狭い。
日本なら狭くて普通かもしれないが、米国での潤沢な駐車スペースに慣れている身としては、あり得ない狭さだ。
これじゃ、ドアもきちんと開けられない。
ACCORDが大きく見えるわけである。ドアに傷がつくのは、時間の問題であろう。一応は、防護用のビニールシートを購入したが、「焼け石に水」のような気もする。
ところでディーラー曰く、彼女のショールームでは、ACCORDが2, CIVICが4, CITYが4の割合で売れているのだとか。
「暴走傾向」にあったインドの自動車産業も、去年の中頃あたりから、相当に「減速気味」である。各社が「第二工場設立」だとか「小型車生産開始」といったニュースを次々に発表していたが、このごろは前向きなニュースをほとんど聞かない。
ちょうど一年前、デリーで行われたオートショーで、TATAが1ラックカーのNANO(25万円ほどの超小型車)を発売すると言って世界の注目を集めた。
あのころが、ピークではなかったか。
しかし工場設立にあたってのトラブルなどが起こり、昨年末には発売開始されるはずだったのが、音沙汰ない。
みな、NANOのことなど、すっかり忘れてしまったかのようである。
インドである。
力一杯、話はかわるが、今夜の夕餉は「長崎皿うどん」であった。12月に日本へ帰国した際、帰路で「給油のため」立ち寄った長崎空港の待合室で、「皿うどんの素」(2食入り×2)と「ちゃんぽんの素」(4食入り×1)を買っておいたのだ。
アルヴィンドの大好物である。
麺とスープ(あんかけ)の素だけが入っていて、具は自分で調理する。
インドで手に入る野菜類とエビで、十分においしくできた。
見た目、具の構成が「邪道」のような気がするが、おいしければそれでいいのである。前回はキャベツでなく白菜で作ってみたが、それもまたおいしかった。
ちなみに、以前長崎在住の知人からお土産にいただいて味を知った「みろくや」の商品である。地元では有名なのだろうか。
まだ、ちゃんぽんが一箱残っている。
楽しみだ。