今日もまた、INDUSの講習会へ。ムンバイ在住のインド人女性ジャーナリストによる、テロとメディアに関するレクチャーであった。
毎回、会員のご自宅を会場に行われるこのINDUSの勉強会。勉強会そのものも興味深いが、実は「お宅訪問」そのものも、楽しみのひとつだ。
仕事を通して、インドの人々の「衣食住」に関するさまざまを、リサーチすることがある。その際、自分の身内や友人だけでなく、なるたけ多くの人たちのライフスタイルや嗜好を知っておくと、なにかと役に立つのだ。
とはいえ、じろじろとお宅を眺めるのも失礼なので、極めて普通にしているのだが、それぞれの家庭に共通する「インドならでは」が見られるのは興味深い。
家だけでなく、人々のファッションや身につけている小物類にも、その人たちが属する階級やソサエティの様子が反映されていて、興味深いものである。
この国にいると、どこで何をしていても、退屈しないし、退屈できないものである。
さて、肝心の話題。
昨年11月にムンバイで起こったテロが、これまでのテロと大いに異なる理由はいくつか挙げられるが、その一つとして、昨年、インドが米国と原子力協力協定を結んだことも影響しているとの話が出た。
ムンバイカーですらよく知らない、ナリマンハウス(ユダヤ人コミュニティの組織)が攻撃されたことが顕著な例で、米国が狙われるとき、それはインドも狙われるということであるということが、示唆された。
2001年9月11日の米国における同時多発テロの後、米国はアフガニスタンの空爆を開始した。パキスタン、アフガニスタンは、インドにとって隣国であり、つきあい方は慎重を要する。
インドのメディアはたやすくパキスタンへの敵対心を煽る報道を行うが、その危険性についても言及された。
また、反体制のジャーナリストが拘留され拷問を受けるなど、「粛清」の事実などがあることにも話は及び、人々の目には見えないところで行われている、上層部からの情報操作の断片についても教わった。
講演にもまして、講演後の質疑応答が賑やかであった。参加者の大半が、南ムンバイに暮らすインド人マダムらである。彼女らは、本当に、迫力がある。
テロに際して、メディアが恐怖を煽ったり、テロが起こった途端、根拠もなく「パキスタンの仕業だ」と、冷静さを欠いて、センセーショナルに報道する姿勢が著しく間違っていると、参加者の多くが声を大にして訴えていた。
世界が抱えるテーマの多さと重さに、途方に暮れる思いだ。
さて、帰路、毎度おなじみ INDIGO DELIに立ち寄ってのランチ。ドライヴァーのプラシャントは的確に運転してくれて、たいそう快適である。
今日は新しい発見があった。INDIGO DELIの隣の隣に、MOSHE'Sがオープンしていたのだ。かなり狭いが、1階がベーカリー、2階がカフェレストランとなっている。
尤も、本店のMOSHE'S(漁村前)はわが家の近所なので、この新しい店までわざわざ来ることはないのだが、ともあれ小洒落た店が増えるのはうれしいことである。
ところで、INDIGO DELIでのランチだが、今日はビーフバーガーを食べた。ヴォリュームたっぷりで、おいしかった。
先日から仕事の関係で、日本で出版されているインド関連の書物を数冊、読んでいる。その中に、駐在員経験者のコメントとして、インドの食生活に関して否定的な記述が見られた。何冊もの本の、あちこちで、見られた。
すでに読んでいた本であり、その否定的な記述についても知っていたことなので、今更とりたてて語ることでもないと看過していた。
ところが以降、偶然にもここ数日のうちにも、「インドの肉はまずい」「牛肉も、あるにはあるが、硬くて食べられたものではない」「インドのカレーはまずい」といった話をいくつかの方面から耳にした。
インドにだって、おいしい肉はある!
ということを考えていたら、ビーフバーガーをがっつりと食べたくなり、注文してしまったのだった。
「流通」という店において、確かに問題は多い。ただ「きちんとした店」を見つければ、インドでだって十分に、おいしい肉を購入することができる。
鶏肉は言わずもがな、マトンだってとてもおいしい。豚肉には硬いものも多いが、酵素のあるパイナップルやパパイヤなどでマリネすると、ほんのりと風味もよく、とてもおいしい料理を作ることができる。
照り焼き風に味付けをしたスペアリブなど、わが家の人気メニューだ。フィレ肉をトンカツにするのもよい。
ヒンドゥー教徒は牛肉を食べないが、インドには他の宗教の人もいる。クリスチャンは牛肉を食べる。都市部には牛肉を売っている店も、ステーキ専門店もある。
大衆的な店、あるいは庶民的な店で牛肉を出すところはほとんどないが、高級ホテル内のレストランや、近年続々とオープンしている「グローバルスタンダード」なイタリアン、コンチネンタルレストランなどでは、牛肉も「普通に」食べられる。
尤も国産の牛肉は主に「やわらかい、赤身のフィレ肉」が主流。脂身のついたサーロイン風、あるいはカルビ風の牛肉が好きな我々夫婦にとっては、若干物足りないが、しかし、「硬い」ということはない。
日本の柔らかい牛肉に比べたら、それでも硬いのかもしれないが、米国の平均的な牛肉に比べると、相当に柔らかい。
インドのフィレ肉は、そのままステーキにしても、またひき肉にしてハンバーグにしてもおいしい。
薄切りにして片栗粉をまぶして炒め、野菜などと一緒に和風もしくは中華風に味付けして炒めると、旨味が濃縮されて旨い。これもわが家の人気メニューだ。
シンプルに塩こしょうでバター焼き、というのもいい。マッシュドポテトとインゲンなど緑黄色野菜のグリル、トマトのサラダでも添えれば、家庭科の授業みたいに理想的な一品となる。
前述の通り、近所のスーパーマーケットで多彩な肉から少しずつ選べる、などという気の利いたことはできない。
だから一度にまとめて購入し、適当に小分けして、冷凍保存である。
多少不便はあっても、食生活に支障なく、日本よりは遥かに安い値段で、肉だけでなく、野菜、果物、その他、さまざまな食材がインドでは手に入る。
特に昨今のインドの食事情は、外国人居住者にとっても、十数年前に比べると格段に向上しているはずだ。
工夫次第で、豊かな食卓は実現できるのだ。
と、ここまで書いて気がつく。
そう。このサイトを読んでいる方々は、インドで牛肉を食べられることも、インドの食材で十分においしい食卓を実現できるということも、わたしの記録を通して、ご存知なのである。
だから、ここでわたしが声を大にして、
「インドのものをまずいまずい、言うな!」
と、言ったところで、多分意味がない。わかっているが、インド食に関する否定的なコメントを読んだり聞いたりするにつけて、「ああ、違う……」と思う気持ちを、とめられないのである。
確かに、わたしにしても、インドだけでなく、他国で口にする料理に対して「まず!」と思う場面に遭遇することはある。
口に合う合わないの問題を超越して、普遍的にまずいと判断できる食べ物は存在する。そのような事態は別として、常日頃から、異国の食文化について否定的なコメントを発し続けるのは、あまり行儀のよいことではないと思える。
長い歴史の中で育まれて来たその国の食文化を否定するのは、失礼な話でもあると思うのだ。
たとえば、インドで食べるインド料理は、味付けが濃くて辛くて、胃に重たいとコメントしている人は、数多い。確かに旅行者が行くような店に、その傾向は強く見られるかもしれない。
わたしたちがインドで一度も注文したことのない、「バターチキン」なる濃厚な料理を注文する日本人が多いことにも、その理由が伺える。あれを食べれば、胃がもたれて当然である。
インドの外食が胃にもたれるのは、外食産業が、家庭料理と差をつけるために、敢えて味付けを濃厚でリッチなものにしているからだ。家庭料理は、その家庭にもよるけれど、たいへんヘルシーなものである。
辛みを抑えたければ、チリをいれなければいいだけの話だ。ギーや生クリームなどの油脂を減らせば、胃に重たくなることもない。
精白された小麦粉で作られる柔らかなナンは「レストランで出される主食」であり、家庭では無精製の小麦粉と水だけで作る健康的なチャパティが主食である。
各家庭が、自分たちの嗜好に合わせて、さまざまなスパイスを調合して作り上げるインドの家庭料理は、同時に薬膳のようでもあるのだ。
にもかかわらず、「インドのカレーはまずい」と、そもそも「カレー」という大ざっぱなくくりさえも不正確なのに、もっともらしく一刀両断された日には、「それは違う!」と、本に向かって、世間に向かって、反論したくなってしまうものである。
実は日本のカレールーに使われているスパイスは、インドで使うよりも、遥かに種類が多いということをご存知だろうか。
スパイスはあれこれと混ぜることで、強みが和らげられ、マイルドになる。遠い昔、東京でフリーランスのライターをしていたころ、スパイスの記事を書くために、某食品メーカーのスパイス研究所を訪問して、教わったことだ。
スパイス特有の鋭い風味を嫌う日本人の嗜好に合わせて、カレールーは開発されているのである。ついでに、化学調味料なども一緒に加えられて。
一晩置いたカレーがおいしい、という日本人ならではのカレー観も、一晩置くことでスパイスの風味が飛んで味が柔らかくなるから、である。
インドで食べる本場のカレーと、日本人が慣れ親しんで来たカレーは、似て非なるものなのである。
今でこそ、インドの食生活も変わり始めているが、そもそもは電子レンジなどは一切使わず、料理は毎日新鮮なものが作られるのが常である。
当たり前だが、外食だけがインドの食ではない。外食には当たり外れがある。旅行者ならまだしも、何年も暮らしている人でさえ、この国の食に関して、暴言に近い言葉を吐いているのを見聞きすると、いたたまれない気持ちになる。
せめて「まずいまずい」と言うかわりに、「口に合わない」と表現してはいかがだろう。いずれにしても、大半の人間にとって「母国の料理」が一番、口に合い、おいしく感じるものなのだから。
日本に来た外国人が、
「日本料理は、何もかも醤油臭くてたまらん」
「ごはんがネチネチして食べにくい」
「どんなおかずも、砂糖甘くて気持ち悪い」
「納豆? あんな腐ったもの、よく食うな」
「生魚? 食べられるわけないだろう? 原始人じゃあるまいし」
「なんでピザの上に、ツナ缶とマヨネーズがトッピングされてるんだ?」
「ありえね〜、この臭いスープ。とんこつ? 豚の骨〜? うげ〜」
「なんじゃこのむちゃくちゃ酸っぱいプラムは! 食えるか、梅干し!」
などと、いちいち日本の食べ物にケチをつけているのを耳にして、日本人であるわたしたちは、どう思うであろうか。
またしても、話がそれつつ、ムキになって語ってしまった。
ここ数週間に限らず、実は恒常的に耳にし続けて来ている「インドの食に対する否定的なコメント」に対する憤りが噴出したようである。
「食」に関しても、あれこれと、理路整然と綴るべきことが山ほどあるのだが、これもまたどうにも追いつかないので、ちょっと「小噴火」である。
考えていることが、指とキーボードを経由せずに、一気にコンピュータに反映されれば早いのにと思う。
以下、またしても長くなるが、自らへの覚書の意味も含め、過去の記録から関連する記事を転載しておく。
●「先進国」「発展途上国」という、言葉について考えた。(1/25/2004)
世間では、「第三世界」であり「発展途上国」であるとされるインドから、わたしたちは「先進国」であり「超大国」の首都であるワシントンDCに戻ってきた。
空港から自宅へのタクシーの道中、その広く、見晴らしの良い、美しいハイウェイをなめらかに走りながら、わたしは、自分がここに住んでいることすらが、なにか夢の中のことのように思えた。
道は凸凹、都市の空気は悪く、街は汚く、喧騒に満ちたインド。無論、田舎の田園地帯はのどかで穏やかで、都市部のそれとは異なるが、いずれにせよ、至る所が「濃密」なインド。それに対し、この国の、なんという爽やかさ。淡泊さ。そして希薄さ。
わたしは、インド旅行中、しばしば自分の「価値観の場所」を定めるのに混乱した。物価の違い、貧富の差、生活水準……。
わたしは、子供のころこそ、まだまだ「発展途上国」だったはずの日本に育ったが、大人になってからは、すっかり「先進国」となった日本の価値観の中で生きてきた。そして、「先進国」とか「発展途上国」という概念を、特に疑うことなく、さりげなく、受け止めてきた。
昨今のわたしにはしかし、その、あくまでも「経済」もしくは「産業文明」においての尺度であり区別であるはずの「先進国 Developed」とか「発展途上国 Developing」といった括りが、地球規模で、とんでもない勘違いを育んでいるように思えてならない。
あくまでも「経済的」なはずの、その「優劣の基準」が、国全体の文化や、さらには人間個人個人の「質」にまで及んでいると、勘違いをしている「先進国の住民」が、米国をはじめ世界中に散らばっている気がするのである。
わたしの経験のなかで、それが顕著でわかりやすい例を挙げたい。それは約十年前、わたしがモンゴルでの一人旅を終え、日本に帰国すべく北京に戻り、空港の近くのホテルに宿泊していたときのことだ。
わたしはホテルの近くにある家族経営の小さな食堂で、一人、その店自慢の水餃子を食べたあと、店の従業員の女の子と親しくなり、筆談を交わしていた。道路脇にあるその食堂の料理はとてもおいしく、トラックやタクシーの運転手が常連客のようだった。
夜、昼とそこに通ったわたしが、今夜、街のホテルに移ると言ったら、家族揃って「うちへ泊まりにおいで」と誘ってくれ、団地住まいの彼らの家に1泊させてもらった経緯がある。
さて、わたしが食事を終えたころ、日本人の男性二人と、通訳の中国人女性が店に入ってきた。
40代ほどの日本人男性が、通訳を通して、餃子を頼んだ。すると当然のように、店自慢の水餃子が出てきた。なにしろ、その店は水餃子の専門店だったのだから当然だ。するとその男は通訳を介して、従業員の女の子に言った。
「なんだこれは。俺は焼いた餃子が食べたいんだよ。カリッと焦げ目のついたヤツ。焼いたの持ってきてよ」
通訳は、戸惑う従業員に訳して伝えた。
ほどなくして、焼かれた餃子が出てきた。それを見て、彼は言った。
「ああ、だめだよこれじゃ。全然うまそうに見えないだろ。餃子はちゃんと並べて焼かなきゃ。こんな風にバラバラじゃなくて」
通訳はまた、従業員に伝え、再び餃子の皿は下げられた。北京には、日本の中国料理店に出てくるのと同様、きれいに並んで香ばしく焼かれた餃子を出す店はもちろんある。しかし、中国では、水餃子や蒸し餃子が一般的で、焼き餃子を出さない店も多いのだ。
しかし、従業員は3度目にして、その男の言う「日本的な見栄えの餃子」を持ってきた。すると、その男は言った。
「そうそう、これだよこれ。俺たちはこの近くにある松下電器で働いてるんだが、これから日本人が増えるから、これをメニューに加えるように、って言ってくれ」
通訳は、なんと訳したか、知る術もない。
わたしは、怒りと恥ずかしさと悔しさで、鼓動が高まり、頭に血が上った。けれど、そのころのわたしには、その人に何かを言う勇気がなかった。それが、たまらなく情けなかった。10年過ぎたいまでも、まるで昨日のことのように、はっきりと思い出せるほど、それは印象的な出来事だった。
あの日本人の男は、例えば、イタリアのミラノのレストランで、
「これは俺が好きな、表参道のイタメシ屋のピザと違う。焼き直すように言ってくれ」
と言うだろうか。
「日本人旅行者がたくさん来るから、日本人に合うものをメニューに加えろ」
と言うだろうか。
あるいは、ニューヨークのダイナーで
「このハンバーガーは大きすぎる。トマトもタマネギも分厚すぎる! もっと薄くて食べやすいのを出せ」
と言うだろうか。
無論、インドのレストランで、「日本風のカレーを出せ」と言うことは考えられる。
ここで、細かいことを解説せずとも、お察しいただけると思うので、書かない。つまり、あの日の松下電器のあの男性は、多くの、先進国に住む人々の、シンボルのようにも思えるのだ。
遠い過去の時代から、繰り返される「支配される側」と「支配する側」の力関係。それによって発生する、とんでもない思い違いと勘違い。
少なくとも、わたしにとっては、「文化的・歴史的 発展途上国」である米国よりも、「文化的・歴史的 先進国」のインドの方が、遥かに興味深いということを、今回の旅行を通して知った。
そして、米国や日本という「経済的な先進国」の一員として、自分がさまざまな事柄を「評価」していることにも気がついた。そのことに気づいただけでも、今回の旅はいい経験だった。
多分、これからさき、わたしの中でもさまざまな混乱が発生することになるだろうけれど、それを喜ばしいこととして受け止めようと思う。