週末の新聞のローカル特集ページに、オリジナルの香水を調合してくれるムスリム(イスラム教徒)の女性の記事が載っていた。
先祖代々のファミリービジネスを受け継いで、夫とともにオベロイ・ショッピングセンターの一画に店を構えているという彼女。使用するのはすべて天然素材の濃縮オイルで、アルコールほか化学薬品は一切使わないという。
インドに暮らし始めて以来、食事にせよ、コスメティクスにせよ、そして衣類にせよ、インドならではの「自然派」を取り入れた生活をしている。
香水もまた、自然のものを、しかも自分自身オリジナルの香水を作ってもらえるとあっては見過ごせない。早速今日、歯科医を訪れた帰路、オベロイ・ショッピングセンターに立ち寄ったのだった。
実はこのショッピングセンター。かなり構造が複雑である。昨年11月26日にテロリストから攻撃を受けたオベロイとトライデント。これら二つのホテルは合体していることは以前も記した。
ショッピングセンターもまた、出入り口があちこちにあり、二つの建物のアーケードがややこしく入り組んでいるのだ。
いつもは、グローサリーショップやカフェ、ジュエリーショップや工芸品店などが入ったオベロイ側のグランドフロアーを中心にうろうろしているのだが、目的の店舗は別のエリアにあった。
「インドの香水の店はどこですか?」
と、パシュミナ店のおじさんに尋ねたところ、トライデント側の2階にあるという。万年休止中のエスカレーターを上り、2階にたどりつけば、確かに同じ名前"SHAMA"の看板を掲げた店が現れた。
しかし記事に載っていた店の雰囲気とは違うし、女性もいない。
裏側に回ってみると、またしてももう一軒、"SHAMA"という小さな店がある。店主がにこやかに招き入れてくれるが、やはりここにも女性はいない。
「香水をブレンドしてくれる女性のいる店はどこですか?」
と尋ねたところ、店主は「ここでも同じものが買えますよ!」と笑顔で積極的に椅子を勧める。しかし、彼は香水の配合ができるふうではない。
「わたしはオリジナルの香水を調合してくれる女性を探しているんです」と主張すると、「彼女なら1階の店」としぶしぶ教えてくれた。
テナントは半分ほど閉店していて全体に薄暗く、裏寂れた感じのショッピングアーケード。こんなところで敢えて買い物をすべきなのだろうかと自問するが、ここは玉石混淆の国、インド。ともかくは訪れてみようと思う。
ようやく片隅に、店を見つけた。記事の写真で見た女性、サビーナの姿を認めて一安心。彼女曰く、この香水店はファミリービジネスで、だから同じアーケード内に3店舗も同名の店があるらしい。
競争率が高そうで、出店の意図がよくわからないが、それもまたインド的といえばインド的か。
●宗教的な背景を持つ香水。インドから、世界へ。
さて、わたしはインドに移り住んで以来、さまざまな「インドのよきもの」に出合ってきた。それを暮らしに取り込みながら、生活をしている。今日はまた、久しぶりに、これまで知らなかったインドの一面に出合った日であった。
ムスリムの人たちによる香水店の存在は、以前から知っていた。コラバ地区の商店街にも、棚に香水入りの瓶を並べた専門店が点在している。店内には、ムスリムの白衣に身を包み、髭をたたえたごっついおじさんが座っているのが一般的だ。
香りに関心がないわけではないが、民族色、宗教色の強いそのたたずまいに加え、香りもまた濃厚すぎるのではないかという印象があったため、敢えて店内に入り、香りを試してみようと思うことはなかった。
しかし、今回記事を読み、自分の体質や精神状態に合わせた香水を作ってもらえることに関心を持ったのだった。
サビーナ曰く、この店には調合されたもの、あるいは調合されていないものを含めて、5000種類もの香りがあるという。
そもそも、香水は「宗教儀礼用」もしくは「薬用」として成り立ち、発達してきた。この店もまた、25%がムスリムの顧客で、宗教用に使われることが多いという。
またムスリムだけでなく、ヒンドゥー教徒の人々も、寺院での祭礼用に買い求めるのだとか。バンガロール出身の彼女は、バンガロールの寺院にも顧客をたくさん持っているという。
ちなみに仏教にもまた、仏前に捧げるものとしての、閼伽(あか)や香水(こうずい)の存在がある。
その他の顧客の大半は、欧米の香水業者の買い付け人だとか。ここで香水のもととなる天然の濃縮オイルを購入し、各ブランドが独自の配合で香水を作るのだという。
尤も最近では、天然の香料ではなく、薬剤により安価で香りを作り出す方法もとられているという。
●香水の魔術師サビーナと、彼女の香水。
彼女の家族、親戚はみな、香水関係の仕事をしていて、彼女も自然とこの道に進んだのだという。現在35歳の彼女は、17年前からこの仕事をしているが、香水に関するアカデミックな教育を受けたわけではない。
インドのあちこちを旅し、さまざまな花やハーブ、樹木、スパイスに触れ合い、独学で「大地の芸術」を身につけていったのだという。
彼女曰く、ビジネスよりもまず、香水に対する情熱を重んじていて、だからこそ、なるたけピュアなものを人々にまとってほしいと考えているのだという。
「従兄弟たちは、商売を優先しているから、普通の香水と同じように、アルコールを配合したりしているの。でもわたしは、アルコールや薬剤を配合することで自然の香りが喪われることを知っているから、決して使いません」
「香りは、気持ちや身体のコンディションを左右するもの。生活する上でとても大切な要素なんです」
ここで売られている香水は、アロマセラビーにも、もちろん使える。ただ、一般のエッセンシャルオイルと違って水で薄めたりキャンドルで温めたりする必要がないのだとか。
「小皿の上に入れておけばいいのです。それだけで香りが漂いますから。残りはまた瓶に戻してもいいんですよ。香りは永遠に続くんです」
さて、オリジナルの香水を作ってもらう前に、まずは予算を確認しておかなければならない。希少価値の高いオイルもあるから、もしもそれをたくさん使うことになっては、たいへんなことになってしまいそうだから。
と、彼女曰く、
「香水は種類によって値段が全く違います。本当にピンからきりなので、オリジナルの香水に関しては、このボトル1本(約150ml)で5000ルピーと設定しています。あれこれと混ぜ合わせますから、厳密に料金を出せないので」
とのことである。日本円で1万円。決して安くはない。しかし、普通の香水が70%ほどもアルコールで薄められていることを思えば、100%天然素材で、しかも自分だけの香りだと思えば、決して高くはない。
早速、作ってもらうことにした。
●自分のことを語りつつ、さまざまな香りを嗅ぎつつ……
香水作りの過程は、実に楽しいものだった。というのも、香りの一つ一つの成り立ちを彼女に聞くことができたうえ、彼女もまたわたしの話を聞きながら、わたしのイメージを掴み、それに合わせた香り作りを行ってくれるからだ。
結果的にわたしは、店に2時間半以上も居座っていた。ランチを食べていなかったのに、空腹を覚えることなく、香りの世界に没頭していた。
それはまるで、カウンセリングを受けているようでもあった。
まず、簡単に自己紹介をした後、彼女が一つ一つのボトルを開けて、香りを嗅がせてくれる。その香りが好きか嫌いかの反応を、彼女に伝える。
まずはホワイト・ムスク。やや、甘め。次にヴァニラ。思ったよりも甘くない、いい香り。ラヴェンダーの花。なじみのある香り。リラックス効果がある。ついでジャスミン。ああ、ジャスミンティーが飲みたくなってきた。
今度はラヴェンダーの根。おおぅ。根だけあって、なにやら土の湿ったような匂いがする。あまりいい香りとは思えないが、しかしこれは大地に近い香りで、精神を深く鎮めてくれる効果があるという。そういわれると、確かに気分が落ち着く気がする。
今度はジュヒ (Juhi) 。ジャスミンに似ているが、ジャスミンではない似た別の花の香りだとか。トライデントホテルはこの香りのアロマを焚いているらしい。どうりで、なんだかなじみのある香りだと思った。
次はサンダルウッド。しかし、サンダルウッド特有だと思っていた強さはなく、かなりマイルド。甘い風味もする。聞けばサトウキビを少しブレンドしているのだという。それで甘い香り。
ジャスミンのつぼみから抽出した香り。ああ、これは本当に爽やかでいい香り。ジャスミンの花にグリーンティーの爽やかさが混ざったようで、好きな匂いだ。気分が清々しくなる感じ。
次は3種のブレンド。バラとジャスミンのつぼみ、そしてジュヒ。結婚式の花嫁がつける香りなのだという。バラは、なじみのある酸味と甘みとエレガントな香りとは異なり、若干、きつくて濃い。
聞けばこのバラは、オリッサ地方のガンジャムというところでとれるものらしく、このままだと香りが強いが、しかし非常に人気の高い高級種で、海外からの買い付けも多いのだとか。
そして次は、奥から取り出されてきた濃厚な黒い液体。ブラック・ムスクである。ムスク、即ち麝香(ジャコウ)は、そもそも雄のジャコウジカのヘソのあたりにある香嚢からとれる分泌物を乾燥したもの。
香料としてだけでなく、漢方薬など薬としても利用されてきた。
産地についてわたしはおぼろげながら、中国やアフリカをイメージしていたのだが、実は中国とインド(ネパールやチベット界隈も含む)で採取されてきたのだという。
ジャコウジカが殺されるケースが続き、今では採取を禁止されているとのこと。つまり世間でムスクと言われているのは合成香料らしい。
しかし彼女ははっきりと言わなかったが、ここでは「本物のムスク」も扱っているようである。「山に暮らす専門の人たちに頼んで、採取してもらっているんです」とのこと。
さて、ブラック・ムスクは、なじみのあるムスクとは異なり、とてもいい香りとは思えない、濃厚で、どっしりとした強さだ。しかしこれは、鬱病に絶大な効果を発揮するのだという。
次は緑色のカス (KHAS)と呼ばれるオイル。これはケシの種からできているそうで、体内の血液などの循環をとてもよくするのだとか。手のひらの指の付け根などにつけてマッサージをすると効果があるのだという。
それからラミヤ (LAMIYA)。これはカシミール地方産のサフランと蜂蜜を配合したもの。お湯で溶いて飲みたくなるような風味だ。これは若々しさを保つ効果があるという。
ついでアンバー。これは精神の鎮静化に作用する。
そしてなじみのあるユークリップス(ユーカリ)のオイル。これは普段我が家でもよく使っている。たとえば風邪の引きはじめなど、洗面器にお湯をはって、オイルを数滴たらし、頭から洗面器ごとバスタオルで覆って頭部をサウナ状態にするのだ。
このスチームがかなりきく。スチームができないときは、コットンにほんの少量(肌への刺激が強すぎない程度)を垂らして、両耳に詰めると、頭から目頭、鼻にかけてがすっきりするのだという。
そして次はアラブの国々から需要が高い香料で、DEHNAL OUDHと呼ばれる高価なもの。アッサムのジャングルに自生しているアガール・ウッド (AGAR WOOD)の樹皮から作られるという。テーブルの下のガラスケースに入っているのがそれだ。
何でもこのオイルを作るには、3カ月間、樹皮を煮続けてオイルを抽出し、それから5年間、暗室で寝かせるのだという。まるでワイン作りのようでもある。
デトックス効果があるという5SPICESは、彼女のブレンド。レモングラスなどが使われて、爽やかな柑橘系が夏に似合っている。これもまた、いい香りだ。
そしてヒマラヤ・スプリングウォーターと名付けられたブレンド。オレンジ、アムラ、トゥルシ(インドの聖バジル)、ミントなどがブレンドされていて、とてもいい香り。気分がリフレッシュする。
最後に彼女が最近、ブレンドして作り上げたという香水、REEM。
別名を"She is the perfect girl" 。
左写真の中央のボトルがそれだ。
オレンジの皮やオレンジの花、ニーム、レモン、ムスクなどが配合されているという。
いろいろ混ぜずに、もうこれだけでもいい香り。これが欲しいというな気もするが、何しろ「パーフェクト・ガール」と命名されている。大人なわたくしには、ちょっと香りが若々しすぎるかもしれん。
大人の女としては、ちょっとリッチで深みのある香りをまといたいものだ。
ところで、これだけたくさんの香りを試していながら、ちっとも頭が痛くならない自分に驚いた。実はわたしは、一般で売られている香水には苦手なものが多く、たとえそれがいい香りでも、場合によっては頭痛や吐き気を催したりしていた。
それでもたまには香水を試してみたく、一度シンガポールへ母と赴いた折には、かなり自然派のブランド、Annick Goutalの専門店で、Le Chevrefeuilleという香りを探し当てた。
その香りは今までのなかで一番気に入っていたのだが、すでに使い切ってしまい、インドでは手にはいらず。
それはそうと、そこでいろいろな香りを試した時ですら、数種類をかぐとだんだん嗅覚が混乱してきて、いちいちコーヒー豆の香りをかいで「お鼻直し」をせねばならなかった。
今回ももちろん、途中でコーヒー豆の助けを必要としたが、しかし嗅覚にさほどの混乱はなく、ましてや頭痛などまったくせず、むしろどんどんリラックスして、香り以外にもあれこれと話をして、結果的にずいぶんと長居をするに至ったのだった。
これもまた、自然の香りがもつやさしい力だったのだろうか。
●いよいよ自分のための香り作り。肌につけて、香りを確認しながらの作業
さて、これまでが「香りの模擬テスト」ならば、これからが本番である。いや、テストなどというと堅苦しいが、しかしテストのようであり、実験のようでもある。
ベースとなるムスクに加え、5、6種類の香りをブレンドするのだという。なお、一般の香水は、何十種類、何百種類もの香りが混ざり合っているのだという。
まずはベースとなるムスクの香り選び。最初はホワイトムスクを甘いと感じていたが、改めて香ると、これがいいように思えてきた。彼女はまずこれをビーカーに注ぐ。
ブレンドされた香水は、紙切れにつけたあと、肌に塗る。香水は、人の体臭や体温によって香りが変化するので、自分の肌につけてみてしばらく時間をおいてから、確認するのがいいのだ。
第一のブレンド:「ジャスミンのつぼみ」。ここで香りを確かめる。うむ。いい香りだ。しかしオリジナルの香水、と呼ぶには物足りないシンプルさ。
第二のブレンド:ベラ・ジュヒ・ローズ。バラとジャスミンとジャスミンに似た花のブレンドだ。香りに複雑なメロディが織り込まれた。
第三のブレンド:ヒマラヤ・スプリングウォーター。ここで瑞々しさとまろやかさが加わった。
第四のブレンド:バラ。ううむ。このバラは、ちょっときつい。さっきでやめておけばよかったかも、と思う。しかし、肌につけてしばらくすると、きつさがとんで、温もりのある香りに変わっている。ううむ。これもいいかもしれない。
ちなみに彼女、気に入らなかったらいちからやり直すと言ってくれているが、しかし実際そういう事態にはならないのだとか。
スパイスと同様、混ぜるほどにマイルドになり、いやな香りにはならないのだという。もちろん、彼女の経験がものをいっているのだとは思うけれど。
さて、バラでちょっと混乱したわたしの様子を見て、彼女は別の瓶を取り出した。
第五のブレンド:Reem。例のパーフェクト・ガールである。ここで柑橘系の爽やかさと溌剌感が添えられた。同時に香りに深みが増した。いい感じだ。主旋律だったバラが後手に回り、柑橘系がメロディを奏で始めた。
実は柑橘系の香り大好きなわたしの好みが反映されてきた感じ。もう、これでいいかも。と思っていたが、彼女が最後にもう一種類、加えたいという。
第六のブレンド:サンダルウッド。彼女曰く、サンダルウッドは「太陽の光」のような存在なのだとか。これが加わることで、香りに光が射すのだという。
確かに、彼女の言う通りだ。香りがうまく、まとめられた感じがする。
そしてとうとう出来上がった、わたしだけの香り。うれしい!
最終的には多めに作ってくれた彼女。3種類のボトルすべてにおさまるよう調合してくれた。そして最後に、「どんな名前をつけますか?」と問われたので、とっさに "MUSE" と答えた。
ボトルはそれぞれ恭しくケース(素朴)におさめられ、なんだかかわいらしい。肌に直接つけても、衣類や下着などにつけてもよい。ハンカチなどにつけて、クローゼットに入れておくのもいいだろう。
アルヴィンドのためにも、リラックス効果や、サイネス問題に効果のある、なにかシンプルな香りを買っていこうと思い、彼女にアドヴァイスを仰ぐ。
と、彼女は食生活や民間療法に関していくつかの提言をくれた。そしてまずはそれを試してから、香りを試されるといいですよ、とのこと。
敢えてあれこれと売ろうとしない彼女の姿勢にもまた、好感を覚えた。
香りの話を通して、彼女といくつもの言葉を交わしたが、印象的だったのは、「自分の体調が悪いなどと思い込んではいけない」といったことだった。なんに対してもポジティヴな姿勢でいること、そして眠りにつく前は、心を平穏にすることなどをアドヴァイスしてくれる。
わかっているはずのことでも、そして自分で実行しているつもりでも、実はそうではないことを、再認識する。
「わたし、年齢とともに、新陳代謝が悪くなっているのか、太りやすくて、以前なら食べ過ぎても体重をもとに戻せたのに、最近は戻せないんです」
などと打ち明けたとき、彼女はこういった。
「年齢と新陳代謝が関係があると思いすぎるのがいけません。老齢でも痩せている人はたくさんいますし。まずは自分がなにを食べているかをきちんと認識すること。そしてよい食べ物は、身体にきちんと作用していると自覚しながら口にすることです」
思い込まずにいようと思っていたにも関わらず、実は自分にとって都合の悪いことは、加齢だのなんだのと、身体のせいにしていた気がする。
心がけをかえなければ、と思わされた。
やれやれ、猛烈に長い記録となってしまった。なんだか取材に訪れて記事を書いているくらいの勢いだ。ともあれ、わたしにとって貴重な体験だったので、覚書として残しておくにも意義深いだろう。
ムンバイ在住もしくは訪問予定がある方で、興味があれば、お立ち寄りになってみてはいかがだろう。店の場所がわかりにくいが、この住所があれば大丈夫なはず。親戚の店につかまらないように。
SHAMA PLAZA: Indian Perfumers
Sabeena Y. Shama (Specialist in: Oil base pure concentrated perfumes)
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