爽やかだったはずの朝のウォーキング。しかしこのごろは、「不爽やか」である。ムンバイの束の間の軽やかな季節は過ぎて、朝晩すら暑くなってきた。
湿気を含んだ海風は、ほんの数分歩いただけで、肌に重くまとわりつく。気温の上昇とともに、漁村臭をはじめとする、もろもろの爽やかでない匂いが強くなってくる。
これから数カ月のエクササイズは、やはり屋内でのヨガだろうか。ヨガよりもウォーキングの方が気に入っている身としては、若干辛い。ちょっと、かなり、相当、セントラルパークが恋しい。
セントラルパークと言えば、来月からの旅の予定がほとんど決まった。
・4月4日〜11日 スイス(チューリヒ、ジュネーヴ、その他)
・4月11日〜17日 ニューヨーク
・5月18日〜23日 東京
・5月23日〜6月2日 福岡
バンガロール宅へは再来週の平日5日間、及び5月の第一週のみの滞在となりそうだ。本宅というよりは、すでに別荘化している。さて、こうして2009年前半は早くも過ぎてゆく。
スイスへは、ムンバイからスイス航空でまずはチューリヒに入る。マルハン家ファミリーフレンドに会うなどして2泊したあと、ジュネーヴに飛んで所用をすませ、その後レマン湖界隈を旅しようかと思っている。
スイスへは東京時代に取材で何度か訪れ、かなりあちこちへ足を延ばした。米国時代にもアルヴィンドと一度訪れた。すでに「雪山関係」はいくつか訪れているので、今回はのんびりと湖畔の美しい町でも散策しようかと思っている。
その一方で、フランスにも近いので、美食の町リヨン辺りでおいしい料理とワインを楽しみたいという案もある。一方、隣接するイタリアにもそそられる。
以前取材でスイスからイタリア入りし、コモ湖に足を延ばしたことがあった。湖畔のヴィラと、シルクの街。とてもいい場所だ。そのルートの要となるウイリアムテル急行が楽しかったのだが、5月を過ぎなければ運行しないとのことで、今回は諦めた。4月はまだ、微妙に「冬期」なのである。
隣国に気を取られず、やはりスイスで、二度目でも三度目でもいいから、やっぱりまた「雪山」巡りをするべきだろうか。いや、それよりもベルンの旧市街巡りなどもいいかもしれない。
と、調べれば調べるほど、迷う。
レマン湖北岸のローザンヌからクルーズ船で南下すれば、対岸はフランス。エヴィアンだ。あのミネラルウォーターのエヴィアンである。十数年前、取材で訪れたときは、数時間の滞在だったが、陽光やさしくとても情趣のある町だったと記憶している。
エヴィアンのスパでリラックスするのも、いいかもしれない。
すでに行ったところにもう一度行きたい、という思いと、行ったことのない場所を訪れてみたい、という思いが入り交じって、なかなか決められない。
インターネットが登場して、旅のプランが本当にたてやすくなった。航空券やホテルの予約、旅のルートの決定。東京時代、取材のルートを決めるため、大量のガイドブックを購入したり、政府観光局を訪れて資料集めに奔走したことが、前世の出来事のようだ。
その一方で、情報が多過ぎて、絞り込めないのも問題。調べれば調べるほどに、どれもが魅力的に思えて、なかなか決まらない。あれこれと比較してしまい、いったい何がなんだかわからなくなってくる。
自ら旅の記録を熱心に残しておきながらこういうことを書くのもなんだが、他人の撮った写真などに影響された「予備知識」が入りすぎるのもよくない。
昔のように、地図を広げて、ただ地形や地名を見つめて、行き先を決めていたころを思い出しつつ、ヨーロッパの地図帳を開く。ヨーロッパは狭い。列車や車で数時間も走れば、異なる国の、異なる町。
ホテルの予約もいれず、あてもなく長い時間をまた、旅したくなってきた。
さて、のんびりと過ごす週末。ランチは久しぶりにROYAL CHINAの点心を。ここの料理は本当においしい。インドにいることを忘れてしまう、かなり本気のチャイニーズだ。
最後に訪れたのは、ロメイシュ・パパとウマがムンバイに来た時だから去年の8月。あれから半年以上も来ていなかったとは。
ダイイン (Die in)。
ではない。
犬も人間も、路傍で死んだように昼寝である。
いつもいつも思うことだが、この国では人間と動物が、妙に近い。
さて、ランチのあとに訪れたのは、毎度おなじみとなりつつあるウィリンドン・クラブ。芝生を見渡すラウンジの風も、湿気を含み始めていて、暑い。
ここもまた、束の間のパラダイスだったようだ。
それにしても、だ。この暑い最中、ゴルフコースを回る人々がいることに感心する。しかも目につくのは日本人駐在員。
見るからに暑さでぐったり来そうだが、それはそれで、よいのだろうか。むしろ身体に悪くはないのだろうか。余計なお世話だろうか。
途中、冷房の効いたライブラリーに赴く。ここは快適。本日の目的は、リサーチのための資料探しであったので、大量の雑誌や新聞をめくっていく。
これまではリサーチのたびに大量の雑誌を山と購入していたが、今後はここで下調べをして、必要なものだけを購入するという作戦が取れる。便利だ。
途中、アルヴィンドはプールへ泳ぎに出かけ、しかしわたしはライブラリーに根がはえて、4時間以上も居座っていた。気がつけば、窓の向こうは夕闇で。
夕食は、クラブ内のダイニングですませることにした。新しいインド産ワインのキャンペーンが行われていたので、ハーフボトルをオーダーした。これがインド産にしては、かなりおいしい。上の大きな写真がそれである。
このごろは、インドにも新しいワイナリーが次々にお目見えし、新しい銘柄も続々と発売されて、いつしかリカーショップのディスプレイが華やかだ。
2001年に結婚式で初めてニューデリーを訪れた際、地元の「掘建て小屋」みたいなリカーショップに連れて行かれた時には、その品揃えの少なさに愕然とした。
2003年末、インド移住を念頭においてインドを旅したとき、インド産の赤ワインを飲んで、そのまずさに途方に暮れた。ワインに対して、さほど拘りやうんちくはないし、大酒飲みというわけでもないが、しかしワインは好きである。
米国移住以来、ほとんど毎日のように、グラス1杯は飲み続けている。
だから2005年末の、インド移住に先立っての最大の懸念は「おいしいワインが売られていないこと」だった。が、そんなことを口にしたら、あらゆる意味で顰蹙をかいそうだったので、公言はしなかった。
だいたい、インド移住を前にして、懸念すべきはワイン云々の次元ではないのでは? と、当時の自分に突っ込みをいれたいものである。他にはとりたてて問題点を見いだしていなかったあたり、我ながらミステリアスである。
米国では10数ドルも出せば、おいしいカリフォルニアワインがさまざまに手に入った。20ドルも出そうものなら、ハレの日感覚だった。
しかしインド産のワインときたら、10数ドル出しても、焦げ臭いような赤ワインや、さらさらと味気ない白ワインしか、なかったのだ。
ところが2005年末に移住して、年を重ねるごとに、インド産でも「いけるかも?」というワインに出合えるようになった。
加えて海外のワインも続々と輸入され始め、街のリカーショップは増え、リカーコーナーのあるスーパーマーケットも次々に誕生している。あまりにもめまぐるしい変化だ。
それはもちろん、欧州各国や先進諸国ほどの選択肢と比べると足下にも及ばないが、そこそこに満足している。舌がインドのワインに慣れたといえばそれまでだが、それはそれで、幸福である。
うれしい瞬間、おいしい瞬間が、少しずつでも増えたなら、暮らし全般が楽しくなるというものだ。
MY FAVORITE "MADE IN INDIA" が、月日を重ねるにつれて増えていくことが、うれしい。