海外に、とりわけ先進諸国を訪れたあとに、わが国インドに戻ってくると、このインドの有り様になじむまでに少々の精神力を要する。いや、かなりの精神力を要する。いや、精神力など、最初から使うべきではないのかもしれない。
2週間ほども家を空けていると、あれこれと雑事が溜まっている。この際、1カ月以上空けているバンガロール宅のことは忘れて、ムンバイ宅である。
たとえ使用人がいても、自分でやらねばならないことは当然あれこれとあり、その一つが不在時の郵便物の受け取りだ。
月曜日、委任状を託してメイドのジャヤに取りにいってもらったが、彼女自身がID(身分証明書)を持っていないため、彼女が委任されているところのジャヤである、ということを証明できず、つまりは代理人として受け取れなかった。
郵便局、といえば、昨年の今頃、ムンバイのビジネス街、ナリマンポイントの郵便局から発送した「仰天ライフ」のDVDらは、ニューヨークにも、パリにも、東京にも届かぬまま、1年がたとうとしている。
きっと箱と箱の間などに挟まっているのだろう。
さて、わたしが今日訪れたのは、自宅近所のコラバ郵便局。この郵便局もまた、50年ほども時が止まったかのようなたたずまいである。おんぼろにもほどがある、というようなオフィスである。
無闇に多い職員のおじさんらが、雑談をし、弁当を食べ、そこが郵便局であるということは、見た限りでは誰にもわからない。
ひとりのおじさんに不在票(手書きの紙切れ)を示したところ、奥の間に通された。
その郵便局のすべてを、写真に撮りたいくらいだったが、人々の視線が鋭く、3枚のみをこっそりと。
不在票を、おじさんに差し出す。
自分のために作っておいた夫名義の委任状も差し出す。
おじさんは、しばらくそれらを眺める。
そしてわたしのIDを要求する。
先日取ったばかりの、ムンバイの自動車運転免許証を示す。
おじさんは、しばらくそれらを見比べる。長い時間、眺める。
口から出そうになる言葉を飲み込み、彼の動作を見守る。
棚の上には、いくつも、無造作に並べられた、麻ひもで縛られた、分厚くぼろぼろの紙の束。
すべてが手書きの、その紙の束のひとつを、どさりと机に載せる。
椅子を勧められる。
長期戦になりそうである。
おじさんは、1ページずつ、紙の束をめくる。
何かを探しているようだが、何を探しているのかわからない。
5分ほども、根気よく、めくっている。
わたしは、急ぎの用事などないのだ。
そう言い聞かせて、窓の外を眺めたりする。
室内を見渡したりする。
夫の名前が記されたページが見つかった。それを不在票と照合している。
おじさんは椅子から立ち上がり、まるで難破船から引き上げられたかのような、金庫とは言いがたい、鉄の箱の蓋を恭しくあける。
そこに収められている無数の封書を一つ一つ確認しながら、ようやく夫宛のものを見つける。
それにはやはり麻ひもが巻かれていて、まるでおみくじのような塩梅で、紙切れがくくりつけられている。
おじさんは、麻ひもを、その硬く結ばれた麻ひもをほどこうとするが、ほどけない。はさみ、を探して目が机の上を泳いでいるが、見つからない。しばらく、麻ひもと格闘している。ほどけない。
あきらめて、紙切れをちぎるようにして、取る。
おじさんはその紙切れを開き、今度は別の、装丁がぼろぼろになった大きな帳簿を取り出して、1ページずつめくりはじめる。
合理性。
のかけらもない。
敢えて、時間を浪費するための作戦が、そこにはあるように思えてならない。
敢えて、ゆっくりと、仕事をしたいのだ。とでも言わんばかりに。
ミヒャエル・エンデの、『モモ』を思い出す。
インドの役所仕事というのは、モモ的、である。と、強引に自分に言い聞かせる。
示された箇所に、自分の名前とサインを記入し、封書を受け取り、その場を去った。
さて、シンガポールから夫宛に届いたその封書。時間をかけて受け取ったその包み。
それは、ビジネス誌の購読開始の「おまけ」であり、もらってもうれしくない、つまりは受け取る価値のないものであった。
……ああ徒労。
今週中に仕上げるべきリサーチの仕事。とある食関係の情報を収集するために、街へ出る。スーパーマーケットを徘徊する。ついでに買い物もすませる。
そして、インターネットでは見つからない情報を見つけるべく、図書館へ赴くことにした。まずはアメリカン・ライブラリー。
入り口は、空港同様、カラシニコフの銃口を外に向けて固定した警備員が待機している。この銃口の前を通過するのは本当にいや。しゃがんで通りたくなる。
入館に際しての荷物検査も厳しく、しかもハンドバッグを持ち込めない。財布と携帯電話だけを携えて、中に入る。比較的きれい。しかし、目的とする食関連の本はなく、速やかに退散。
次に訪れたのは、ムンバイ公立図書館。やはり50年前あたりから、時間がとまっているような風情だ。勝手がよくわからず、使用法を、受付にいた女性係員に尋ねる。あれこれと、教えてくれる。
まずは、ジャンル別に分けられた図書カードから本の所在を確認する。
目的の本がありそうな本棚を見いだしたら、窓口の係員のおじさんに声をかけて、番号を告げる。その棚に該当する鍵の束を持ったおじさんとともに本棚に赴く。
一段ずつ鍵がかけられた書棚。わたしが読みたい本は三段にわかれている。だから一段ずつ、鍵を開けてもらう。鍵を開けてもらう→本を取り出す→鍵を閉じてもらう→鍵を開けてもらう→本を取り出す→鍵を閉じてもらう→を3回繰り返す。
ピックアップした5冊の本。ぼろぼろの、年季が入った本。
それらを携えて、今度は受付へ行く。書名を帳簿に記入する。自分の名前と住所も記入する。そして机に向かう。そこで初めて、本に目を通すことができる。
じ、時間がかかりすぎる……。
結局、収穫は少なく。わかってはいたけれど、やはりインターネットでまとめて調べる方がよかったような気がする。
しかし、インターネットばかりには頼りたくない、インドの図書館にはインドでしか手に入らない情報があるに違いない、と思ったりもする。
翌日は、ウェリンドンクラブのライブラリーにも行った。しかし求めていた食関連の書籍は「大事な本」だとのことで、1冊ずつしか机に持っていけない。
鍵をあけてもらい(またかよ!)、1冊取り出して、ざっとめくって、机に向かって、メモをとり、また書棚にいって、鍵をあけてもらい、1冊を取り出して、ざっとめくって、机に向かって、メモをとり……を5回ほども繰り返しているうちに……
ええええええぇ〜〜〜ぃ! めんどくさいわい!!!
と、堪忍袋の緒が切れた。もういい。図書館はもういい。インターネットの方がよほど早い。情報も多い。
昔を思い出して、地道な情報集めをやってみたくなったわたしが愚か者であった。図書館巡り。「趣味」のため、ならまだしも、仕事目的では効率が悪すぎると言うことが、身にしみてわかった。特にインドでは。
わずか数日の間にも、あれこれあれこれあれこれ、本当に不思議なくらいに、変な出来事が起こる。日常なのに、本当に非日常である。
ところで、ニューヨークの紀伊國屋で、機内で読むための日本語版のニューズウィークや日経ビジネスなどをバックナンバーを遡って何冊か買って来ていた。
日本語の本は、あたりまえだが速やかに読めて、中身も速やかに吸収できて、本当によい。
世界経済を語る記事の中に、インドの文字をしばしば目にする。そこにある「インド」は、まるで化粧や衣装で飾り立てられた、虚像のようでもある。
相変わらず、貧しい人たちが路傍にあふれ、公共機関は前々時代的で、インフラストラクチャーはすべてにおいてハチャメチャで、経済大国への道?
BRICs。という言葉の、他国の現状は知らぬが、しかし「I」の部分の、空々しい感じ。
「世界の金融恐慌を、BRICsが救う」などという記事を目にするにつけ、なんなのだろう、この現実と、世界の認識との相違は、と思う。
嘘を描いているわけではない。ただ捉えられている部分が、あまりにも部分的すぎるのだ。
前時代的な場所を転々とした挙げ句、疲れきって「現代的」な書店へ赴く。
現代的な書店の、現代的なカフェで、現代的なフィラデルチフィアクリームチーズを使った、現代的なチーズケーキを口にして、ほっと人心地着く。
この、天と地のような、雲と泥のような、ピンとキリのような、「格差」という言葉では表現し尽くせない、異なりすぎる価値観が同居している世界とは、なんなのだろう。
向いの席では、派手な装いをした若い女性が、ボーイフレンドと思しき若い男性に、詰め寄っている。
大声で、詰め寄っている。
時に米国的に、F**K!といった言葉も織り交ぜながら、詰め寄っている。
彼女のブレスレットが、きらきらと揺れている。
ここに暮らしていると、すべてがドラマのようである。
虚飾のようでもある。
書店に入るや否や、店頭にたっぷりと置かれたナラヤナ・ムルティの本。
A BETTER INDIA A BETTER WORLDが目に飛び込んで来たので買った。
カフェラテを飲みながら、その本を開く。
インフォシスの創業者であるナラヤナ・ムルティについては、以下を参照されたし。以前視察で訪れたときの写真はこちら(←文字をクリック)。
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ナラヤナ・ムルティ(N R Narayan Murthy)は、1946年マイソールの中流家庭に生まれ、カンプールのIITで学んだソフトウェアのエンジニア。 卒業後、Patni Computer Systemsに就職。 1981年、同僚と共に、バンガロールにIT企業InfoSys(現インフォシス: infosysの前身)を創業した。
彼は巨万の富を築いたにも関わらず、私欲に走らず、インド経済にも大きく貢献している。2006年11月号のTime Magazineは、この60年余におけるアジアのヒーローの一人として、マハトマ・ガンディーやダライ・ラマと並び、彼を紹介している。
インフォシスはその優れた技術力とコストパフォーマンスで、高品質のITソリューションを提供。全世界に7万人を超える雇用者を持つ。インフォシスの成功は、バンガロールのITビジネスの象徴的な存在として、その美しいキャンパスを含め、多くのメディアに紹介されている。
なお現CEOは、創業メンバーであるナンダン・ニレカニ (Nandan Nilekani) 。
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まだ導入部分までしか読んでいないのだが、すでにそこにある文章に、ぐっとくる。経済大国として世界の注目を集めはじめているインドが、しかし抱えている問題の大きさを、さらりと綴っている。その一部を抜粋する。
The enigma of India is that our progress in higher education and in science and technology has not been sufficient to take 350 million Indians out of illiteracy. It is difficult to imagine that 318 million people in the country do not have access to safe drinking water and 250 million people do not have access to basic medical care. Why should 630 million people not have access to acceptable sanitation facilities even in 2009? When you see world-class supermarkets and food chains in our towns, and when our urban youngsters gloat over the choice of toppings on their pizzas, why should 51 per cent of the children in the country be undernourished?
When India is among the largest producers of engineers and scientists in the world, why should 52 per cent of the primary schools have only one teacher for every two classes? When our politicians and bureaucrats live in huge houses in Lutyens' Delhi and the state capitals, our corporate leaders splurge money on mansions, yachts and planes, and our urban youth rebel in their latest sport shoes, why should 300 million Indians live on hardly Rs. 545 per month, barely sufficient to manage two meals a day, with little or no money left for schooling, clothes, shelter and medicine?
ナラヤナ氏は、インドの経済成長に対する賛辞の言葉を並べた後で、上記の文章を綴っている。それは、インドにおける「不可解な事実」として、皮肉を込めた書き方でもある。
十億を超える人口を抱えるインド。高度な教育とテクノロジーが賞賛されている一方で、3億5000万人もの人々が文字の読み書きをできない。
3億1800万人の人々が、安全な水を口にできない。2億5000万人の人々が、基本的な医療を受けられない。
「世界基準」つまり、先進国的なスーパーマーケットが街に誕生し、若者たちがピザのトッピングをどれにしようかと眺めている傍らで、インドの51%の子供たちは、栄養失調である。
公立学校の半数以上は、教師が決定的に不足していて、しかし企業の重役たちは、豪邸に住まい、ヨットや自家用飛行機を楽しみ……しかし、3億のインド人は未だに、1カ月545ルピー、つまり1000円程度の収入で暮らしている。
1日2食を口にするのが精一杯。学費や衣類や薬などに回すお金はない……。
あれこれと、思いは巡るが、自分の生き方に照らしたとき、なにをどうコメントすればいいのやら、わからない。
インド。なんという、不可解な国。