インターネットがうまくつながらんここ数日の間、不毛に諸問題が頻発し、不毛にエネルギーを消耗しつつも、元気ではある。
諸問題の一つ一つを記したいくらいに、書きたいこと満載の現在だが、呑気に綴っている場合ではない。と言いつつも、綴れるだけ、綴ってみよう。
●公営の電話会社だもの。使っているわたしたちが悪いのだ。
現在、一瞬、インターネットがつながっている。いったい、なにがどうなっているのかよくわからんが、ともかく不調である。そもそも、インターネットのプロヴァイダーが「公営の電話会社」だというところが、諸悪の根源である。
MTNL。と呼ばれるムンバイの電話会社。電話を引いた時に、電話回線からハイスピードインターネットを引くサーヴィスをセッティングしてもらった。
この界隈では、他のサーヴィスよりも、MTNLの方が安定性があるという「噂」を聞いたのである。しかし、これが間違いだった。
これまでも、あれこれ問題はあったが、なんとかお茶を濁せた。しかし今週は、帰国を目前にしていろいろなアポイントメントに関するメールのやりとりなどを含め、インターネットの重要性120%。濁せるお茶などない!
昨日、業を煮やして、MTNLのオフィスに赴いた。便利なことに、歩いて2、3分の至近距離にオフィスはあるのである。そこは、一応はビルディングであるが、裏寂れている。
グランドフロアの電話料金受付カウンターでインターネット関係のオフィスの在処を尋ねたところ、2階だと言う。2階に上る。しんみりとした感じの廊下に、いくつかのドア。
適当にドアを開けてみる。おじさんが机に向かって書き物をしている。「インターネット?」と声をかけたら、別のドアを指差す。
別のドアをあける。大きな机をはさんで、おじさんが二人、雑談をしている。机には、大きな帳簿とペン。コンピュータはない。
ここは違うだろ。
と思いつつも、「インターネットのアクセスでトラブルが発生しているのですが、どこで確認すればいいですか?」
と尋ねたら、「ここです」という。
ここかよ。
先日の郵便局に毛が生えたような、いや、毛すらはえていない、つまりは同じように殺風景というか、やる気がないというか、「IT」という言葉からはほど遠い、そこは空間である。
たとえて言えば、昭和27年の日本に突如現れたインターネット。とでも言わんばかりの、時空が歪んでさえ見える、それは違和感である。
軽いめまいを覚えながらも、気を取り直して、午後の日ざしが差し込む部屋で、のんびりとした風情のおっさん二人に、事情を説明する。
滔々と説明する。
二人はきょとん、としている。それもそのはず、英語が通じていないのだ。
もう、泣けちゃう。
ともかくは、プロブレムなのだ! インターネットにアクセスできんのだ! と主張したところ、おじさんのうちの一人が、ポケットからよれよれの紙片を取り出し、わたしの電話番号を書き込む。よれよれの紙片に、だ。
手帳くらい、使おうよ。手帳くらい。ともあれ、おじさん曰く、
「明日の朝、11時に行く」
とのことである。いやだ。いますぐになんとかしてほしい。でも、そんなことは無理だとわかっている。そんな次第で、今朝、11時30分におじさんは来た。
あれこれと1時間ほど触っていたが、結論から言えば、解決をみず。ただ、夫のコンピュータのみ、アクセスできるようになった。
そして今。なぜか夫のコンピュータはアクセスできず、今度はわたしのコンピュータがアクセスできるようになった。もう、なにがどういうわけでこういう状態なのか、わけわからん。
わたしの不在時に、プロヴァイダをケーブルテレビの会社に移行してもらうよう、夫に頼んでいるところである。もう、時間の歪みの中に巻き込まれるのはご免だ。
●久々に、家事に熱血する。
尽きないメイド問題。月曜日、新メイドのヨギータの義父が他界したため、彼女は故郷のプネに帰ってしまった。1週間は戻らないようだ。
そんなわけで、昨日より、久々に掃除や洗濯をマダム自ら行っている。
久しぶりに掃除を始めると、とまらない。普段は「メイドに任せているから」と見過ごしている隅々の汚れが気になりだして、暑い最中「大掃除」となる。
冷蔵庫の中身を全部取り出して、ピカピカに磨き上げる。食器棚の内部も外側も磨き、収納棚の中身も片付け、汗だくになりながらの労働である。
途中で手の荒れに気づき、ビニル手袋を着用、本気度は加速し、すっかり家中がピカピカとなった。朝の9時から掃除をはじめて、気がつけば12時半。
シャワーを浴びて、磨き上げられた部屋を見回して、大満足。やっぱり、たまには自分で家事をすべきだな、と有閑マダム改め勇敢マダムは思うのだった。
そして今日、なぜかしら、太ももあたりが筋肉痛……。
ヨガだのウォーキングだのをやるよりも、家事をやる方がよっぽど運動になり、なおかつ生産性が高いのではないかと思ったりもする。特に掃除機のあとのモップかけなど、結構、腕の力を使うし……。
なにがなんだか、もう、よくわからない。
●義理の家族の来訪で、安心して日本へ帰れる妻
ヨギータがしばらく不在だが、しかしあまり気にならないのは、わたしが日本へ出発する前日に、スジャータとラグヴァンが遊びに来てくれるからだ。
わたしが不在時、寂しがるハニーのために、遊びに来てくれるのである。無論、ラグヴァンはムンバイで学会があるのに合わせての来訪だが、それでも有り難い。
来週の火曜にはデリーのロメイシュ・パパが来てくれる。木曜あたりには義継母ウマが来てくれる。スジャータはそのころまでいてくれる。
つまり、いざというときは、彼女たちが家事を手伝ってくれるので、心配はいらないのだ。
なんという恵まれた環境であろう。
翻って日本を思えば、妻の不在時に夫が自分の家族を家に招くというのは、考えられないことだろう。インドに来る前のわたしなら、多分、受け入れられなかった。
それが今は、ウェルカムなのである。わたしもすっかりインドに洗脳され、大家族主義になじんでいる。それがいいことだとさえ思う。
「夫が寂しがるから」を口実に、親兄弟が一緒に過ごす機会を得られるのは、幸せなことではないか。
家族のことについては、あれこれと思うところ尽きないが、今日のところはこの辺にしておく。
●母校、香椎高校での講演を巡って。
香椎高校の創立記念日における「講演」を頼まれたがゆえの、今回の帰国。東京もさることながら、福岡が重要なのである。
数日前より、20年ぶりだの25年ぶりだのの友人らから、「会おう!」との連絡を受け、一気に時間が逆流している。ともあれ、結局はみなで一緒に会えるように調節してもらっている。
ある友人曰く、「インドから珍しい動物が来る」ぐらいのノリで、会いたがってくれているらしい。
珍獣かよ!
ところで、講演については、香椎高校の同窓会である「香綾会」のホームページに詳細があるので、卒業生の友人各位、こちら(←文字をクリック)でご確認を。
それにしても、「創立88周年創立記念式典」において講演とは、なんとも末広がりでおめでたい感じだ。
「8」といえば、わたしの父が野球をやっていたころの背番号で(父は若い頃、ノンプロながらも、かなり本気で野球選手をやっていた)、父の好きな数字であった。
その父の命日が、講演会の翌々日の27日である。なにやら怨念、いや、因縁めいたものを感じる。
肝心のレクチャーであるが、やはり写真などを織り交ぜつつの方が臨場感も出るだろうと、今週になって急遽、パワーポイントでプレゼンテーションの資料作り。
90分の講演時間内におさまるよう(実際には「仰天ライフ」の映像を冒頭で流してもらうよう頼んだので、70分程度となる)、話をまとめるのがたいへんだ。
大ざっぱなシートとはいえ、100ページ近くにもなったので、1ページ1分としても多すぎる。これから絞り込みの作業である。
前半の東京滞在でしゃべり倒して喉を痛めないよう心がけたい。