Photo: 宗教/Georgetown, Washington, D.C. September 25, 2004
……勘定しても、勘定しても、しつくせない程赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔の生えた丸い石を眺めて、自分は女に欺(だま)されたのではなかろうかと思い出した。
すると石の下から斜(はす)に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなって丁度自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂(いただき)に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾(つぼみ)が、ふっくらと瓣(はなびら)を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹(こた)える程匂った。
そこへ遥(はるか)の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花瓣に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな」
とこの時始めて気がついた。
(夏目漱石『夢十夜』第一夜より抜粋)
初めてこの文章を目にしたのは、高校時代の国語の教科書で、だった。高校2年か3年のときである。当時のわたしにとって、百年とはあまりにも長い歳月であり、この文章を、超非現実的な夢物語として解釈していた。
100分の16か17だったころ、百は偉大だった。
そして今、100分の44にさしかかろうとしているとき、百がとても、短くて、身近だ。
日本を離れたころ、つまりは30歳を過ぎたころから、「時間の定義」について、自分なりに思うところがあった。
時間は、たとえばわたしが生まれた1965年から順番に流れていたとしても、1966年、1967年、1968年……と一旦流れてしまった後は、まとまって過去となる。
過去となった時間は、順序通り、一直線上の過去として成立するのではなく、その過去を経験した人物の思うがままに、強弱がつけられ、順序が入れ替えられ、記憶の倉庫に貯蔵される。
そのことを明確に認識させてくれる要素の一つに、「旅」がある。「場所」もまた、大切な要素だ。
たとえば、わたしにとっての、バルセロナ。初めて訪れたのはガイドブックの取材で24歳のときだった。街の雰囲気、匂い、なにもかもが、すぐに好きになった。取材自体はかなり辛かったが、また必ず訪れたいと思わせられる街だった。
次に訪れたのは、27歳の時。3カ月欧州一人旅の終盤、当時付き合っていた男性と、この街で合流した。
ランブラス通りの、カタルーニャ広場に面したホテルに滞在した。メルカート(市場)で苺を買った。
その、ぐっと硬い苺を、ゴシック地区の広場のベンチで食べながら、アイルトン・セナの死を語り合った。その数週間前、アイルトン・セナが事故で他界したのだ。
サグラダ・ファミリア(聖家族教会)の螺旋階段をぐるぐるとのぼり、曇天の空を撮った。チョコレートドリンクを飲みながら、マヨルカ島の名物パン、エンサイマーダを食べた。
バレンシア風の、サフラン色鮮やかなパエーリャを食べた。教会で、いくつもの神々に祈った。そして、列車に乗って、ピレネー山脈の麓に向けて、二人旅を始めたのだった。
それから5年後。
ニューヨークでアルヴィンドと出会ったわたしは、彼ともしばしば欧州を旅した。バルセロナへも、二人で訪れた。自分としては、過去の思い出を消して最新の思い出に刷りかえる、つまりは「記憶の上書き」をしたいとの思いがあり、27歳のときに訪れた場所へはくまなく足を運んだ。
更には、アルヴィンドと初めて訪れる場所もふんだんに盛り込み、濃密な時間を過ごしたのだった。
それから数年間、上書きされた記憶は、順序よく並んでいるかのようだった。つまり、最新の経験ほど、より鮮明に思い出せる、という具合に。
ところがそれから十年たった今、どうだろう。3つの記憶は混沌として「バルセロナ」という記憶の倉庫で一塊になり、鮮度の優劣がつけがたい。
尤も、注意深く記憶をたどれば、前後関係を正確にたどることはできる。
しかし注意を払わなければ、むしろ24歳の時の、初めての訪問時に味わったスペイン風オムレツのジャガイモとオリーヴオイルのおいしさが身近だ。
二度目に訪れた時の、ホテルの窓辺から見下ろしたランブラス通りの夕暮れのほうが、最後の旅よりも、最近だ。記憶が突出して、手に届き易い。
つまり何が言いたいかと言えば、過去はもう、順番などさておいて、ひとまとめで過去であり、その順番を検証する必要がないかぎり、自在に変化させられる、もしくは変化してしまうものであるということだ。
それは、若かりし頃には思いも寄らなかったことだが、歳を重ねるにつけて実感させられる現実である。それ故に、過去は変えられる、とも思えるのかもしれない。
しかし、なぜ、敢えてこのようなことをわたしは書いているのかといえば、わたしは几帳面なことに、記憶を整理しておきたいと思う性分だからだろう。
メモ魔、というほどでも、記録魔、というほどでもなく、しかし、自分の過去を、きちんと把握しておきたいという意味があるのかないのかよくわからない衝動が、ある。
今回の日本の旅は、過去、時間、記憶といった事象に対して、諸々に考えを巡らせさせられることが多かった。どうして20年、25年の空白を、やすやすと飛び越えることができるのか。単に「懐かしい」という感情では片付けられない、それは心の動きであり、脳の働きのように思える。
そういえば、晩年、認知症となりつつあった父方の祖父が、しきりに「黒いメモ帳の所在」を気にしていたことを思い出す。その黒いメモ帳とは、戦前、祖父が朝鮮半島に暮らしていたときに携帯していたものらしく、当時祖父が商取引していた物品の相場などが記されていたらしい。
認知症を例に挙げるのは極端かもしれないが、しかし、当人にとっての過去は、最早、孫や子供たちの存在を飛び越えて、若かりし頃に集約されており、それが全世界なのである。
時間は「直線」に流れているのでもなく、「円環」として繰り返すのでもなく、しかし紛れもなく伸縮し、点と点が前後を行き来しながら混沌と過去を織りなしている。ように感じる。
アインシュタインによれば、時間と空間は同じもので時空(時空連続体)と解釈する。ニュートンの時間方程式もアインシュタイン方程式も時間対称性を持ち、ニュートンもアインシュタインも自分の方程式に時間対称性(時間は等方向つまり過去、現在、未来にも流れる事が方程式上可能)が存在するのを見つけており悩んだが、アインシュタインはあえてこの方程式上に存在する時間対称性が数学的に存在を許すのを肯定し、過去、現在、未来が同時に存在しているという解釈をした。
これを時空連続体という。時空連続体には過去、現在、未来がすでに同時に存在している、という解釈である。
この概念を発展させた近年の研究で、なぜ光速が秒速約30万キロなのかという事も説明する。即ち、すでに出来上がっている過去、現在、未来(時空連続体)の中を私達が光速度 秒速約30万キロで走っている、とされる。
私達が光の速度を秒速約30万キロと観測するのもこの為である、とされる。もし、私たちが時空連続体内を秒速10万キロで走っていると、光速度は秒速10万キロとなる、とされる。
アインシュタインは記者から「その様な事が本当にあるのか?」と聞かれ、「信じては貰えないと思うが、過去、現在、未来がすでに同時に私の数学方程式上には存在しているのです」と答えている。
この解釈以降、空間3次元と時間1次元が合わせて「時空」と呼ばれるようになった。(『ウィキペディア』より抜粋)
大切な経験は、いつも身近にあり、決して遠のくことはない。
身近に寄せておくならば、苦い経験よりも、甘い経験を。
辛い経験よりも、幸いの経験を。
哀しみよりも、喜びを。
怒りよりも、楽しみを。
その取捨選択は、自分自身で行えることであり、同時に、反芻する訓練でもあり。つまりは過去に手を加えながら、自分の来し方を心地よく脚色できる。
それは、「現在」を引き立てるための、技術でもあるような気がする。
わたしは子どものころ、非常に神経質で、悲観的だった。詳細は省くが、そのことで、子どもながらに自分自身を苦しめていたように思う。
その傾向が緩和される過渡期が、高校時代だったということを、このごろになって改めて、思い至る。
歳を重ねるごとにたくましくなり、逆境に強くなっていくのは、もちろん歳を重ねての経験のなせるわざともいえるが、同時に、わたしが押し並べてポジティヴでいられるのは、多分、過去を処理するにあたっての、未来に対峙するにあたっての、つまりは時間を揺蕩(たゆた)うにあたっての、自分を楽にするための技術を身につけるべく、知らず知らずのうちに訓練していた、ということもあるような気がするのだ。
いったい何を書きたいのかよくわからないが、ともあれ自分自身の備忘録としても。