現在、15日の朝である。激しい雨が降り続いている。風がヒュ〜ヒュ〜唸りながら、がたがたと窓を揺らしている。
ムンバイは、一昨日の夜から暴風雨。モンスーン炸裂である。日がな一日、灰色の重い雲が空を覆っている。雨が小降りになったと思って窓を開けたりしようものなら、たちまち横殴りの雨が降り始めてきて油断ならない。
ところで、来週7月23日は満潮絶好調ということで、この日が大雨の場合、街が大洪水状態になること必至。前後の22日、24日も比較的高潮とのことなので、ムンバイ在住の方々はご存知かとは思うが、ご注意を。
ちなみにわたしたちは、今週の日曜からバンガロール宅へ戻り、1週間ほどを過ごす予定である。最も危険な日を避けられるとはいえ、しかし今朝の新聞では、水没した道路や床上浸水の家屋の写真がちりばめられ、すでに大洪水の様相を呈してはいる。
南ムンバイよりも、北ムンバイの方が、洪水の被害が大きいようだ。そういえば昨年も、バンドラ界隈で道路が水没し、車がなかなか動かず大渋滞に巻き込まれたことがあった。まるで「水の都」(←文字をクリック)であった。
南ムンバイはむしろ、超老朽化した建物の崩壊が懸念される。それでなくても住民に撤退命令が出ている古いアパートメントは多数あるムンバイ。
しかし「インド独立以前からの家賃制度」が局地的にそのまま生きているという、説明すると長くなるので説明したくない事情があり、毎年、いくつかのビルディングが倒壊しては、貧しき住人が死んでいる。
去年も確か、モンスーンのシーズンに古いアパートメントが倒壊して20名以上が死亡した。雨で地盤が緩み、建物が水を吸収してもろくなっているこの時期。壊れる建物がでないことを祈るばかりだ。
ところで上の写真は、一昨日のもの。上の2枚は、HIGH STREET PHOENIXと呼ばれるロウアーパレル地区にあるショッピングモール。
初めて訪れた3年前から、ず〜っとどこかが増築工事中で、すでに出来上がっているところはもう、古びた感じになっていて、それはまるで、いつまでたっても完成しないバルセロナのサグラダファミリアのようである。
左上は、初めて発見した店。ナチュラルソープやハーブティ、キャンドルその他、自然志向の商品が並ぶが、いずれも高い。
インドは国内物価差が著しいという話は何度も書いて来たが、自分の尺度をどこに合わせればいいのか、混乱することしきりである。
たとえば天然素材のグリセリンソープ。いつも使っているKHADIやFABINDIAのものは、1個50〜60ルピー程度なのに、どう見ても、どう触っても、どう匂いを嗅いでも、さほど変わりないクオリティのものが、250ルピーもする。
先進国価格で突っ走る「小洒落た店」をあちこちで見かける昨今だが、よほどのマーケティング力がない限り、たちまち淘汰されてゆくのだろうな、と初めて訪れた店に対して失礼だが、そう感じてしまう。
奇しくも隣にあったFABINDIAに立ち寄り、石けんを数個購入し、そして奇しくも斜め前にあったBOMBAY STOREで、夫に頼まれていたKHADIのモイスチャライザー(ジャスミンやサンダルウッドのよい香りもの)を購入した。
日本帰国時に、メイクアップアーティストの友人からホワイトニングや美容液を勧められたことは記したかと思う。
実は3年ほど前、別の知人からゲランの美容液を勧められ、買ってはみたものの肌に合わず、使わないままになっていたことがあった。
高価だし、もったいないと思いつつも、だからといって、合わないものを使っても意味はない。贅沢なハンドクリームとして使用していた。そして顔には「インド・コスメ」でのミニマムなお肌のお手入れを行っていたのだった。
そして今回。友人に勧められた中から、そのダイナミックなお値段に目を見張りながらも、SK-IIのホワイトニングを購入したのだった。
それにしてもだ。コスメサイトなどを見ると、世間の女子は、美容液やホワイトニングやらなんやらかんやらに、どれだけ投資していることか。改めて、驚かされる。
と同時に、「このまま放置していてはならぬのでは」という思いさえ、沸き上がってきた。というか、沸き上がらせてみた。
そんな次第で、ここしばらく、毎日朝晩、お肌のシミの、気になる部分へ重点的に、塗り込んでいるのだが……。
1カ月半経った今、手応えなし、である。この商品、世間では絶賛されているのに。「シミが消えた!」な声が続々で、世界は桃井かおりな美肌に満ちあふれているというのに。
どうやら、やはり、わたしの肌は極めて「庶民派」のようである。下手に養分を与えるよりも、インドのローカルブランドの化粧水をバシャバシャと振りかけているので満足のようである。
わかっていた気もしないでもないが、数年に一度は、試してみなければ気がすまないのかもしれない。2本購入したので、それらを使い切ったあとは、しばらくは、冷却期間をおこうと思う。
雨が降って、家にいる時間が多い。自由な時間はたっぷりあるというのに、そしてあれこれの企画はさまざまにあるというのに、どうにも実行に移せずにいる。
中途半端な坂田プロジェクトが、ごろごろと、眠っている。もったいない。この自分という素材を、もっと有効に使いたいのだが、なかなか持続しない。
問題は「締め切りがない」という点にもある。言い訳でもある。
自分が自発的に行う仕事にも、「仮の締め切り」を決めて行動すべきなのだろう。さもなくば、あっという間に月日は流れ、中途半端なプロジェクトの数々は封印されたまま、賞味期限が切れてしまう。
結婚前。自力で東京、ニューヨークで生きていたころは、生活費を捻出し、会社を維持し、さらには自分の表現できる媒体を作ったりと、いっぱいいっぱいで働いていた。
あのころは、経済的な不安がなく、自分のしたいことをゆっくりと手がけられたらどんなにいいだろうと思っていた。
そして今、その「どんなにいいだろう」な状況が与えられているにも関わらず、この不完全燃焼でだらけた状態はなんだろう。あのころのわたしから、パンチをお見舞いされそうである。
こんなことじゃ、いかん。と、内省す。
命短し、働け乙女。である。
もっと、がんばらな。