ムンバイに次ぐマハラシュトラ州第二の都市、プネーで発生した新型インフルエンザの影響は、ムンバイにも及んでいるようで、昨日12日からは公立学校をはじめショッピングモールや映画館、劇場なども閉鎖される騒ぎとなっているようだ。
去年のテロに続き、わたしたちの不在時に起こる騒動。自分が住んでいる都市ながらも、どこか別世界の話のような気がする。ロメイシュ・パパが「ムンバイに帰る時に使いなさい」とマスクを調達して来てくれた。
これを身につけて飛行機に乗ることになるのだろうか。
ところでロメイシュ・パパ、といえば、昨夜はロメイシュ・パパを巻き込んでの、大夫婦喧嘩を展開してしまった。大騒ぎだった。ふふふ。
何がふふふだ。
遠く米国時代からの読者の方は、わたしたち夫婦がバトルの多い夫婦だということはご存知だろう。このごろは、バトルな話題がないことから、きっと夫婦仲がよくなったのだろうと思われていることだろう。
このブログを読む友人、知人らからも「お二人、仲がいいですよね〜」とよく言われる。
それは誤解だ。
ただ、あまりにもくだらないため、公にしていないだけで、たいそうぶつかり合うことの多い夫婦である。いやになる。
一方、義姉スジャータ&ラグヴァンは「出会って一度も喧嘩をしたことがない」という、相変わらず気味が悪いほど仲のよい夫婦である。喧嘩をせずに、いつも穏やか。わたしたちには、どう考えてもあり得ない、互いを思いやる心に満ちた夫婦の在り方だ。
わたしたちの喧嘩の理由。それはもう、イヌもネコも、ネズミさえも食わない次元のものだから、記さない。ただ一ついえるのは、98%は夫に非があるということだ。
などと言ったら、世間から顰蹙を買うことが目に見えているので、控えめな数字を提示しておこう。
62%は、夫に非がある。
出会ってから13年。結婚してから8年。この歳月、わたしはどれほど、献身的に彼を支えて来たか。その「内助の功」たるや、涙なくしては語れない献身度であると自負している。
具体例を明記したいところだが、世間から顰蹙を買うことが目に見えているので、控えておく。
ともかくは夕べ、我々はパパの書斎で大口論を展開していた。そこへ、夫婦揃っての外出から機嫌良く帰って来たパパが入って来た。「ただいま〜」というパパに目もくれず、闘う我々。
「二人とも落ち着きなさい! いったい、どうしたの? 何か問題があるなら、家族で相談しようじゃないか」
と優しいロメイシュ・パパ。実家滞在1週間を超えるともう、我慢などしてはおられん。
「パパ。聞いてよ。あなたの息子はね、本当に、ホニャララララララ$%^#@!……で、わたしはもう、やっていけません!」
「ちょっと待ってミホ! それは言い過ぎでしょ!! ミホだって、ホニャララララララ*&@@#……じゃないか!」
「まあまあ、二人とも、落ち着いて!」
「パパ、わたしはね、ずっと我慢してきたんです! もう、限界なんですよ、この男には! この13年間というもの、すべて彼を優先してやってきたんです。それはパパもわかってるでしょ?」
「ミホ、今、古い話を持ち出さなくてもいいでしょ!」
「何言っているの! 原因を究明して改善しなければ、いつまでたってもトラブルは抜本的に解決されません! あなたはそうして、喉元すぎれば熱さ忘れて学習しないから、何度も同じ問題が繰り返し起こるんじゃないよ!」
いつしか戦場は書斎から冷房の入っていないリヴィングルームに移っており、気がつけば汗だく、理性を失った妻は、半泣きで夫の問題をまくしたて、最早、鬼婆の形相である。
我ながら、恐ろしい。
そんな、見た目、汗と涙の鬼嫁に対し、しかしロメイシュ・パパは、「我が献身」を理解してくれていて、我々二人の間を取り持つべく、滔々と諭すのである。
いや、ここは嫁の言い分を聞いておくのが賢明だとする大人の男の機智であろう。いずれにせよ、やさしい義父である。
国際結婚。ということが理由では、多分ない。
ロメイシュ・パパの言う通り、互いのいいところを認め合い、互いに敬意を持つことが大切で、自分とそりの合わないところを主張するばかりではよくない、ということはよくわかっている。
とはいえ、いろいろあるものである。
いろいろあるが、彼と出会ったおかげで、「インド生活」というおもしろい人生を送ることができているわけで、大小の荒波が押し寄せようとも、経済的な不安なく、健全な暮らしが送られていることに対しても、感謝すべきだと思っている。
この結婚によって祖国が増え、生まれ育った境遇が著しく異なる人々と家族や親戚となれた。
こうして夫の拠点であるところのデリーに滞在し、家族や親戚らと触れ合う機会があるにつけ、それを望んでいたわけでもないのに、インドという国と断ち切れない絆ができている自分の境遇を、未だに不思議で面白いものとも思う。
主には、「いいところを、見よう」の姿勢でなければ。
逆に言えば、その姿勢がなかったら、わたしたちの絆は、結婚するよりも前に、ぶちぎれていたに違いないのだ。まだまだインド生活には未練があるし、この国でやりたいこともあれこれとある。
献身妻、がんばろうと思う。
●サードオピニオンを求めて、マルハン家いきつけの歯科医へ数年前にバンガロールで神経治療をした歯の根元が炎症を起こしていることがわかった。ムンバイの歯医者はバンガロールの歯科医の治療が悪かったという。
インプラントをするしか方法がないと言われていた。
先日、最新のX線を持参して、バンガロールの歯科医を訪問した。彼はもちろん、自分の神経治療に問題はなかったと言い、しかし炎症などは「不可抗力として起こりえる」と言った。やはりインプラントを勧められた。
いずれにしても、インプラントしか方法はないと理解したが、やはりなぜそうなったのか、知っておきたい。
マルハン家が信頼している優秀な歯科医がバサント・ビハールにあるというので、訪れた。そのドクターは、見るからに「信頼できるムード」が漂っていた。
彼にX線をとってもらった。
「この神経治療は、ひどい!」
とひと言。やはり。問題は数カ所に及んでいるのだった。やはり長期的に考えて、インプラントが無難だと勧められた。ちなみにムンバイの歯科医で、その隣の歯もまたインプラント治療を進めているのだが、治療費が、異様に高い。
バンガロールとデリーは等しく全行程含めて3〜4万ルピー程度。しかしムンバイは8万ルピーもかかる。先進諸国並み、である。
それにしても、信頼のおけるムードを漂わせているドクターというのは、それだけで、話していて安心感がある。彼に治療してもらいたいとさえ思う。
しかし、安いからといって4回ほどの飛行機代を考えたら、ムンバイと同じくらいになってしまう。というか、そもそも、歯医者のために他都市へ通うのは、かなり面倒である。
福岡に始まり、下関、東京、ニューヨーク、ワシントンDCと、あちこちで治療をしてきた、我が歯。同じ歯を何度も、ということもあるわけで、問題の根源がどの時点にあったのかを探るのは難しい。
何十年も付き合って来た歯は、それなりに傷んでも仕方がないのかもしれない。せめてこの先の何十年かを、しっかりと働いてもらうべく、きちんとした治療をしておきたいものだ。
ところで遠い昔、ここにも紹介したバンガロールの歯科医。OWCのディレクトリにも載っており、外国人駐在員からの評価もすこぶる高かった。実際、とても感じのよいドクターで、簡単な治療は問題なく、好印象であった。
しかしこの神経治療に関しては、問題大ありだったということがわかったゆえ、お勧めしません。
■バンガロールでの歯科治療は、わたしたちにお任せしないでください!
左上の写真は、実家からバサント・ビハールへ向かう途中。雨が降っているわけでもないのに、洪水の道。水道管が破裂しているようである。インドでは、どの都市においても、よく見かける光景だ。
さて、歯科医訪問(写真右上)のあと、バサント・ビハールの商店街であるバサント・ローク(写真左下)へ。ここは訪れるたび、進化しているんだか劣化しているんだかわからないムードを漂わせている。
ここでちょっとした買い物をした。高級食材を扱うスーパーマーケットにて、バンガロールやムンバイとの違いを探りつつ、リサーチも兼ねて店内をうろうろとしていたら、お姉さんから「どうぞ、お試しください」とヤクルトを差し出された。
キャンペーン実施中、のようである。
何年ぶりの飲んだのか思い出せないが、懐かしい味がする。思わず1パック、お買い上げ。
そういえば、数年前にインドでもヤクルトおばさんを配備するとのニュースを読んだが、どうなっているのだろう。インド的ヤクルトおばさんは活躍しているのだろうか。
ともあれ、長いと思っていたデリー滞在も、毎日親戚に会ったりするなど、なにやら慌ただしく過ぎていく。
さて、これからまた、叔母宅を訪問だ。いってまいります!