ニューヨークに暮らし始めたばかりのときから、そうだった。ただ、ストリートを闊歩しているだけで、この街から沸き上がってくる強いエネルギーを感じた。自分が弱っているときは、その強すぎる力を受け止められず、滅入ることもあった。
しかし、束の間の旅人となった今では、客観的に、とても楽な気持ちでこの街に向き合える。人々の様子を、冷静に眺めながら、楽しみながら歩けるのがよい。
急に決まった今回の旅。特に目的はないといいながらも、毎度、定番のコースがある。紀伊國屋書店もその一つ。今日はホテルを出て、紀伊國屋を目指してミッドタウンを南下していたのだが、時計を見れば正午近く。早くも空腹である。
と、突如、「寿司を食べねば!」との衝動がこみ上げてくる。
なにしろ、寿司を口にすることなど滅多にないインド食生活である。クオリティは、ほどほどでよい。しかししっかりと、食べたい。オーセンティックな日本料理店は、確かにおいしいが、しかしサイズが小さくて、量も少ないのに、お値段は高い。
従っては、以前訪れて、なかなかにおいしかったカジュアかつボリュームもあった「ちよだ鮨」を目指す。
ランチにしては高いが、寿司にしては安い。
しかも、ウニまでついている。
が、しかし2年前に訪れたときよりもクオリティが若干落ちている気がする。
ネタのサイズも小さくなっている。
日本基準で考えればむしろ大きめだが。
などとの不満は、インドから来た身の上、贅沢な話である。
福岡の寿司と比べるなかれ。
これだって十分に美味である。
さて、食後はその界隈の日本食料品店などをのぞいてみる。今まで以上に、「弁当」や「パン」の売り場が活気に満ちあふれている。これはもしかすると、不況でレストランよりも弁当を好む人が増えたということなのか。
それとも、日本の弁当が、ニューヨーカーに激しく愛されているのか。
よくわからぬが、その過激な込み合いぶりに驚いた。
食後はブライアントパークを横切り、紀伊國屋書店へ。今はファッションウィークの最中で、ブライアントパークには大きなテントが張られている。ファッション関係者が公園でランチをとっている。インタヴューの様子も見られる。
そんな中、鳥類愛護団体が、オウムを公開していた。手乗りオウムを触らせてくれる。かわいいんだか、かわいくないんだかよくわからないかわいさ。
それにしても、目に留まるのは女性たちの露出度の高さ。インドでは、最近でこそ欧米のファッションに身を包んだ女性が増えているが、基本的には町中で足を出さない。
高級ホテルのクラブや、若者たちが集うバーなどでは、週末の夜ともなるとマイクロミニなスカートにタンクトップを着た若い女性たちが見られるが、日常の町中ではまずあり得ない。
だから久々に、まるで半裸な人たちを見ると、ついつい目が釘付けになってしまう。
夕刻、ミーティングを終えた夫と合流。ロックフェラーセンター界隈を歩き、DEAN & DELUCAでコーヒー休憩をし、やはり二人して、きれいなお姉さんたちのファッションを眺め入る。
さまざまな人種が入り乱れ、さまざまなスタンダードが混沌としていて、誰もがしっかり「自分基準」で、誰もがマイノリティ(少数派)で、本当にこの街は、ユニークだと思う。
夜は、友人の真由美さんとディナー。久しぶりに、昔よく訪れていたリンカーンセンター斜向いの小洒落たメキシカンレストランROSA MEXICANOへ。ここのマルガリータと、テーブルの脇で作ってくれる新鮮なワカモレは格別なのだ。
途中からアルヴィンドも合流して、3人でテーブルを囲む。
真由美さんが、わたしの書く文章のことを、アルヴィンドに説明してくれるのだが、彼はあまり、ピンときてくれない。
もう、とうの昔に諦めたけれど、しかし出会って当初は、わたしの仕事であり自己表現の方法である「書く」ことを通して構築している世界を、彼は何一つ知りはしないのだ、と思う時、一抹の寂しさを感じていた。
対峙して、口から発する言葉と、内省しながら書き留める言葉とは、多かれ少なかれ、世界観が異なる。彼はわたしの個性の重要な部分を、生涯知り得ない。知ったら二人の関係性が変わるかどうかについては、知る術もないことだが。
滅多に会うことのない真由美さんが、わたしの書き留めた文章や本や、ブログなどを通して知り得ているわたしの一面を、しかし、いつもわたしと一緒にいる夫が知らないというのは、なにやら奇妙なものであると、二人の会話を眺めながら、思うのだった。