のような気がしていたが、ホテルに滞在していた日々を加えれば、1年と8カ月。すでに結構な月日をここで過ごしている。かなりたいへんな思いをしてこのアパートメントを見つけ、ムンバイの拠点として来たが、12月にはお別れである。
我々のもとに、またしても「移行期」の到来だ。一旦はバンガロールに戻る。束の間、「普通の定住」を味わえる。しかし来年早々、再び二都市生活に舞い戻る確率は非常に高い。
それは北ムンバイかもしれないし、同じ南ムンバイかもしれないし、あるいはデリーかもしれないし、ひょっとするとインドではないかもしれない。
いずれにせよ、バンガロール宅は拠点として確保しておくので、精神的にはずいぶん楽だ。楽だとはいえ、面倒だ。面倒だがしかし、面倒だと言った途端に、より面倒な気分になるので、特に面倒を感じない。ということにしておこう。
移動の多い日々もまた、翻っては、さまざまな経験ができて人生が豊かになる。ということにしておこう。
二都市生活の善し悪しは、さまざまにある。「悪し」の筆頭に、先々の計画が立てにくい、ということがある。仕事を含め、自分自身のやりたいことに関する計画が、思うように立てられない。一定期間を要する習い事もできない。
在不在がぎりぎりになるまでわかわないから、早めに予約が必要な各種イヴェントに参加するのが困難である。などなど。
ところで、とあるインド在住日本人の方が、ご自身のサイトで当ブログのリンクをはってくださっている。その紹介文に、「インド人の旦那さんの転勤に伴って世界各地を転々としていらっしゃるようです。」との一文があった。
旦那さんの転勤に伴って世界各地を転々。
それを読んだ時に、なんだか自分のことであるのに、自分のことでないような気がした。客観的に見れば、そして事実、「夫の転勤に伴って転々としている」に違いない。違和感を覚える理由は何一つない。
にもかかわらず、「夫に伴っている自分」が、自分らしくない気がして、奇妙な感じなのだ。奇妙というか、いや、なのだ。
わたしは、確かに8年前に結婚をしたはずで、目の前にいる男はわたしの夫に間違いないのに、「結婚している感じ」が、そこはかとなく他人事である。
むしろ、シングルで仕事をしている友人らに、強いシンパシーを感じる。そして彼女たちと話している時、一瞬、自分も独身時の心境である。
紛れもなく、夫の仕事であちこちに住み、住むばかりか旅も重ねている身の上にも関わらず、あくまでも能動的でありたいと本能的に思う、自己主張の強い心根。
この先もしばらくは「夫に伴って」行くであろう日々の中で、どのように自己発現をすることが望ましいのだろう。
考えるべきは、そのあたりなのだと思う。
発揮。
発揮するためにすべきことは、実はとても多い。
ときどき、発作的に、全速力で走り出したくなる。
とあるリサーチの仕事の一環で、とある加工食品のテイスティング、をした。これが、好感のもてる食品ならまだしも、普段は決して口にしないものである。
しかし、味を知らなくてはレポートができず、しぶしぶと、味見をする午後。それらは、インドならではのフレイヴァーが利いており、サフランやピスタチオ、ローズといった香りもある。
それらが「自然のもの」ならいいのだが、人工香料だったり、人工着色料が使用されたりしているものだから、辛い。ローズ味のそれなど、最早香水である。
香水といえば、パーンもまた、香水のようなものだ。しかし、あれはすべてが天然のスパイスやハーブからなっているから、まだましともいえる。
さておき、そのローズ風味の食品。一口、二口しか口にしていないにも関わらず、いつまでも口中に残る香水の味。しかし、その香水臭に刺激され、懐かしい記憶が蘇った。
あれは中学2年のとき。「つっぱり」とも「ヤンキー」とも形容された友人の一人に、大阪からの転校生、Kくんがいた。
転校早々、一時はクラスの天下を取ったかに見えたKくん。しかし、姑息な手段を古株に見抜かれ、相手にされなくなるなど、短期間のうちにも、さまざまなドラマがあった。
彼の自宅に遊びに行ったこともあったが、母親がおらず、父親の職業も怪しく、それなりに問題の多い家庭だと見受けられた。そのKくんをなぜ思い出したかといえば、彼がしばしば噛んでいたガムの匂いが、その香水臭と同じ匂いだったからだ。
あれは、ロッテのイブだかロブだかいうガムだった。金色の箱とえんじ色のロゴマークが印象的な、高級感溢れるガムであった。他のガムよりも高かった。中学生には高級品だった。にも関わらず、Kくんは時々、気前よくくれた。
まずいんだかおいしいんだかわからない。かなり甘くて、香水っぽくて、最初の数噛みのインパクトがともかく強い。しかし、噛んでいるうちにたちまちなじむ。嫌いではない。また噛んでみたい。そう思えるガムだった。
あのガムは、まさにインドの、パーンの風味である。あの商品を開発した人は、ひょっとするとインドに来たことがある人かもしれない。ともあれ、あの味を商品化できた快挙をたたえたい。
今はもう、発売されていないらしい。ほかにも金色に緑色のロゴの高級ガムがあったはず。しかしその味は、覚えていない。
Kくん。今ごろどうしているだろう。