↑2008年5月。バンガロール旧空港の到着ゲート周辺の写真。
またしても、久しぶりのバンガロールである。
速やかに到着した飛行機から、速やかに連結ブリッジを渡って、速やかにトイレットペーパー完備の清潔なトイレに立ち寄り、速やかに手荷物受け取り所へ赴き、速やかにカートを引っ張りだし、速やかにターンテーブルの傍らに立ち、速やかにスーツケースをピックアップする。
すべてが速やかで、爽やかで、流麗でさえある。去年の初旬までは確かにあったはずの、あの著しく不便なおんぼろ旧空港が、まるで前世の記憶のようである。
この間、新しく赴任して来た駐在員のご夫人たちと話していた時、「旧空港を知らない」という言葉を聞き、敏感に反応してしまった。
あの旧空港の洗礼を受けていないなんて。
先輩風を吹かせながら、まるで戦後生まれの若者に戦時下を語る老人のように、あの空港がいかにひどかったかを語ってしまいたくなる。あの難関を乗り越えて来た「武勇伝」を語りたくなる。大きなお世話ではある。
大きなお世話と疎まれても、しかしここに書き記しておこう。
旧空港の人と新空港の人、とでは、バンガロールに対する第一印象はもちろん、全体に対する姿勢が大いに異なることは否めないだろうと、空港から自宅へ向かうタクシーの中で、夜空に映えるビルボードを眺めながら、今夜はしみじみと思ったのだ。
新旧のギャップは、あまりに著しい。
旅行者はまだしも、駐在などで、しかも「否応なしに」「涙ながらに」インドへ赴任してくる家族にとって、あの旧空港は、あまりにも、ウェルカムさのかけらもない、空港だった。
それどころか、すぐさま引き返したくなるような、嫌な感じ満点の空港だった。
ふるさと以外の町に住んだことのないわたしが、なぜインドなんかに来なければならなかったのだろう。どうして、夫はニューヨークやパリじゃなく、バンガロールなんて言う僻地への赴任になったのだろう。
インドのシリコンヴァレーっていうけれど、本当にカリフォルニアのシリコンヴァレーに似ているのかしら。そうだといいのだけれど。
ようやく、到着した。飛行機を降りて……バスに乗るのね。肌に触れる夜風は、確かに心地いい。これがデカン高原の風なんだな。地理の授業で習ったときには、まさか自分がデカン高原に住むことになるなんて、思いもしなかった。
この、薄暗いおんぼろバスに乗らなければならないの? これでターミナルに向かうのね。それにしても、無駄にがたがたと揺れるバスね。
インド人乗客たちの、大きな瞳が、わたしたちを見つめている。珍しいのはわかるけど、じろじろ見ないで欲しい。インド人の目って、どうしてあんなにギラギラと輝いているのかしら。
それにしても、この空港、暗いのね。空からも、町灯りが少なくて驚いたけど。
え、ここが入国審査のフロア? お、おんぼろ……。天井も、梁も漆喰も、なにもかもが微妙に歪んでいる。蛍光灯はあちこちで切れている。この長い列に並ぶの? あ〜いやだ。
わ、なに? ものすごい数の蚊! マラリアになったらどうするのよ? 虫除けスプレーを持ってくるんだった。疲れた。座りたい。
「ママ〜、座りたいよ〜」
5歳になったばかりの息子がぐずりはじめた。わずかに用意された椅子には、すでに老人たちが座っている。周りの乗客たちは、入国審査の紙をひらひらとさせて、蚊を追い払っている。
「ここ、本当に、インドのIT都市なの?」
思わず、夫に不満をぶつけてしまう。っていうか、わたしたち、こんなところに住めるわけ?
ようやく順番が来た。パスポートやヴィザを提出する。夫がいろいろと質問されて、覚束ない英語で答えている。わたしもこれから、英語を勉強しなきゃならないのだ。気が重い。
やっと、これから手荷物受け取りだ。エスカレータを降りる。
え、ここにも長蛇の列? こんな狭くて息苦しいところでどうして待たなきゃいけないの? え、機内持ち込みの荷物をスキャンするの? 飛行機から降りた後だっていうのに? わけわかんない。
あ、あの人、アルコール、没収されている。一人2本までなのね。そういうところも、ここで細かくチェックされるのね。かわいそうに。
あ〜、もうさっさと荷物を受け取って、ホテルに行きたい。え、ターンテーブル、ひとつだけ? 表示がないけど、え、他のフライトも、同じターンテーブルなの? ちょっとこんなに人がいて、荷物見つけられるの?
やだもう、ここにも蚊がいっぱい。
「わたしたち、ここで立って待ってるから、パパ、荷物取ってきて」
……信じられない。30分もたったのに、まだ荷物が出てこない。
……信じられない。もう55分もたったのに、まだ最後の荷物が出てこない。まさか、ロストバッゲージ? いやだいやだ。あのスーツケースには、当座の貴重な日本食が入っているのだから! 納豆がなきゃだめなのよ、わたしは!
あ〜、よかった。ようやく荷物が揃った。すでに1時間半を過ぎている。息子は爆睡している。寝てくれてむしろ助かる。
え、また荷物の検査? どうして? もう早く外に出してよ。え? スーツケース開けるの? 全部? もうやだ〜? わたしたち、ひょっとして目、つけられてる? 勘弁してよ。
こういうときって、袖の下を渡すといいのかしら。まあ、ここは夫に任せましょう。わたしの納豆が見つかったら没収? 密封して来たから匂いは大丈夫なはず。
あ〜、もう、到着してから2時間近くたってるんですけど。
ちょっと、トイレに行きたい。え、行かない方がいい? でも行きたいの!
なにここ。しゃがむ便器ってのは慣れてるからいいけど、なんで水浸し? 鍵が壊れてるしもう。トイレットペーパーなんてないよね。わかってるけど。なにこの水桶。
ああ、もう、いや。
ホテルのドライヴァーが迎えに来てくれるんだよね。大丈夫だよね。……。うわ、なに、このドライヴァー軍団。ちょっと、どこにわたしたちの運転手がいるの? サインボードをいちいち確認して見つけるわけ? ちょっと、わかんないよ。
え、見つからないの? え、もう一回ふりだしに戻る? やめてよ〜。もういや〜。
……到着のシーンだけで、ずいぶん長々と「その一例」を書いてしまった。
出発時も同様に「異なる大変さが満喫できる」のだが、そこまで書く時間的余裕は、今、ない。が、いつか書きとめておきたい。
旧空港の人の心に押された烙印は、決して消えることがないのである。だからなんだ、と言われれば、答えようがないのだが。
【参考資料】
旧空港の様子を描いた記録はこちら。
■日本母・福岡より来襲(来訪)
新空港の様子を描いた記録
■ベンガルール(バンガロール)国際空港見学レポート