↑ぐんぐんと伸びる庭のヤシの木。芝生の上に広い木陰ができてうれしい。
23日から30日までの7泊8日、バンガロール郊外のアーユルヴェーダ道場(施設)で過ごす予定であることは先日記した。それもこれも、夫の心身によかれと思って妻が考案したプランである。
押し付けがましいとかがましくないとか、そういう話はさておき、ともかく決めたのだ。夫もその気になったのだ。従っては、23日夜の道場入りに備えて、年内の仕事をすませ、部屋の片付けの計画を立て、思い立ったら吉日とばかりに突然のクリスマスパーティを開くなどして、年末の不在に備えていた。
わたしは几帳面な日本人の中でも、より几帳面なタイプである(多分)。米国、インド生活を経て、昨今はネジがかなり緩んでいるが、それでもスケジューリングに関しては、かなり綿密に立てる方である(多分)。
頭の中には年間計画、月間計画、週間計画の一覧がおさめられていて、それらが整然としていると、気分がよい。一都市ですら暮らすことが困難なインドにおいて、二都市生活をそれなりに速やかにこなしつつ、仕事も並行してやっていけたのは、スケジュール管理によって精神の整理ができていたことも一つである。
しかし、わが人生、一人ではない。
計画が整然としていないどころか雑然としているインド人の夫との二人三脚状態。整然としたリストが「踏み荒らされること」しばしばである。
昨日のことだ。外出中の夫から、一通のメールが転送されてきた。差出人はインド財界の著名人。12月25日、ムンバイのタージマハル・パレスにおけるクリスマス・パーティの招待状である。
25日。
わたしたちは合宿の最中である。なぜ参加できないパーティの招待状を転送してくるだろうかこの男は。と思いつつも、「予定が合えば行きたかったな」という気持ちはあった。4年前にやはり同じパーティに出席して、楽しい経験をしたのだ。
しかし、一旦、道場入りを決めたのだから、変更はしたくない。第一、パーティ出席だけのためにムンバイに日帰り旅行とは、面倒でもある。
帰宅後の夫、わたしの反発を恐れてか、控えめに聞く。
「ねえ、どう思う? クリスマス・パーティ」
「どう思うもなにも、わたしたち予定入ってるじゃない」
「だけど、これは行っておいた方がいいと思うんだよね〜」
「そりゃそうかもしれんけど、じゃあもし、モルディヴ行きを決めてたとして、キャンセルしてまで行くわけ?」
「行かないよ」
「じゃあ、そういうことね。行くことないでしょ」
「でも、僕たちが行くのはモルディヴじゃない。近所のアーユルヴェーダグラムじゃないか。しかも変更可能な」
「そ〜りゃそうだけどさあ(心中では大いに合意)。いっぺん決めたんだし。そんなこんなで、計画倒れにしようって思ってるんじゃない?」
……といった会話が延々と繰り返される。わたし自身は、パーティにも行きたいが、アーユルヴェーダ道場もきちんと勧められた7泊8日を遂行したい。
夫は、「25日の夜から7泊8日はどうか?」と提案する。それはアーユルヴェーダグラムで年を越すということである。それは絶対にいやだ。
クリスマスは地味でも我慢できるが、年越しを地味にやるのは、いやだ。ゲストもほとんどいないであろう、しんと静まり返った郊外のアーユルヴェーダ施設で、肉なし、酒なし、音楽なしの、静寂に包まれた中で、しんみりとカウントダウンなんて、いやすぎる。
大晦日は、小洒落たダイニングで食事をし、高級ホテルだかソーシャルクラブだかでボリウッドミュージックに合わせて踊りまくり、カウントダウンで盛り上がり、スパークリングワインでもシャンパンでも何でもいいから威勢のいいもので乾杯して、賑やかに新年を祝すのが、わたしたちの、インドにおける大晦日の過ごし方ではなかったか。
というか、そうでなければ、いや。
優柔不断傾向にある夫と頑固傾向にある妻との不毛な会話が久しく続いたが、今回は珍しく「折衷案」を採用。25日はクリスマスパーティに参加すべくムンバイに飛び、夜、戻って来てその足でアーユルヴェーダ道場へ向かうことにした。
望まれる7泊8日を1日減らして6泊7日とし、31日夕方にチェックアウト。こうなったらもう、1日くらい少なくったっていいだろうという話だ。そして合宿あけ直後にカウントダウン・ディナーに突入である。飲み過ぎず、お腹に優しいものを食べるよう、気をつけねばなるまい。
そんなわけで、明後日はムンバイだ。
先日、「一時さよなら気分」を味わって来たばかりなのに、ムンバイ。さらには1月4日から視察旅行のコーディネーションでまたしてもムンバイ入りの予定。なにかとご縁のある街である。結局、まだまだ二都市生活のようなものである。
さて、刻々と変化するバンガロール。先日、友人とともにランチをとるべく、UBシティの近くに新しくオープンしたITC系列のホテルを訪れた。無駄に広々とした吹き抜けのロビーが、曇天には寒々しいが、いい感じではある。
個人的には、もう一つのITC系列のホテル、THE WINDSORのコロニアル風建築が好みであるが、一応記念撮影はしておく。
トラの椅子である。
4脚あったが、これがいちばんハンサムであった。
情けな〜い顔をしたトラもいた。
そんな話はさておき、ダイニングのランチはインド高級ホテルの定番であるところのブッフェ。
インド料理をはじめ、コンチネンタル、オリエンタルとヴァラエティ豊かで、巻き寿司もあった。
「水加減、失敗しました?」
と尋ねたくなるような、過激やわやわなご飯であったが、ここはインド。寿司的なものが食べられるだけ、幸せである。
スウィーツ類も充実していて、少しずつ味見的に食べるが、ちりも積もれば山である。このごろは、調子に乗ってあれこれと食べ過ぎている気がする。しかし、ヴェジタリアンな道場入り前だし、よしとする。
夕刻、夫とUBシティで合流し、毎度おなじみGOOD EARTHでローズウォーターなどを調達。一本400ルピー。日本円で800円。インドにしては高いこのトナー(化粧水)がわたしの「基礎化粧品」である。
洗顔は、1個50ルピー(100円)程度の自然派石けん。モイスチャライザーは、「乾燥してるかな?」と思う時にしか使わず、つまり数日に一度の利用。
わが、1カ月あたりの基礎化粧品代は1000円未満である。安っ。
日本に帰国した時に、すっかり洗脳されて購入した美容液やら化粧落としやらは、どうにもわたしの肌に濃厚すぎて、合わない。SK-IIなど、今思えば目玉が飛び出るほど高いのを、空港でついつい買ったが、半分も使わないままだ。ということは以前も書いたか。もったいないが、肌に心地悪いので、だめなのだ。
わたしの顔には、今のところ、栄養は不要のようである。というか、美容関係については面倒くさがりな自分を、単に肯定したいだけかもしれない。
SK-IIが肌に合わない。高すぎる。などということを、『きれいごとブログ』に書いたら締め出しを食らうこと必至だ。
クリスマス気分を味わえるのも、今日が最後かも。
などと思うと、クリスマスツリーの前で記念撮影の一つや二つ、やっておきたいものである。
2カ所のツリーの前で、夫にシャッターを切ってもらう。
結局は、ムンバイでまた、クリスマス・パーティを楽しめることとなったわけだが。
ともあれ、肌を刺すような風も、心騒ぐクリスマスソングも、きらびやかなネオンも、なにもないインド。茫洋とした年末年始で、節目っぽさがないのである。従っては、思い出にメリハリをつけるためにも、社交の場に足を運ぶことは大切だ。
この日の夜は、義姉スジャータ宅を訪れ、夕食を共にした。デリーのニナ叔母も遊びに来ていた。この叔母もまた、「できるお方」で、そのキャリアについてを書き始めるときりがない。
外交官だった彼女の父親の赴任に伴い、学生時代をワシントンD.C.で過ごしていた彼女。彼女の母親と一緒にジョージタウン大学に在籍し、同時に卒業したことで、当時メディアにもとりあげられていた。その記事は以前、彼女の自宅で見せてもらった。
その年季の入ったクリアファイルには、思い出の品々がおさめられていた。叔母夫妻の結婚式の招待状や、学生時代の各種表彰状。なかでも印象的だったのは、ホワイトハウスからカード。JFK(ケネディ大統領)の直筆サインが入った晩餐会の招待状である。
もちろん、晩餐会には両親とともに出席したらしく、JFKとも言葉を交わしたとか。ケネディのアドレス(演説文)が記された小さな贈呈用ブックレットもある。オークションにかけたらいくらになるのかしらん、などと思う自分がいや。
日本の、福岡の、平民の出自であるわたしにしてみれば、夫の家族親戚は、実にグローバルな世界に身を置いており、優秀な人々が多い。幼少のみぎりより、がっちりと存在感をアピールしながら生きている人が多い。
しかしながら、どの人も、そのことを鼻にかけたり自慢したりということがなく、ともかく「普通」である。その在り方がまた、いい感じである。
インド家族や親戚のことを書くと、あたかも自慢話のようになるので、これでも差し控えているのだが、自慢とまではいかないまでも、しゃべりたくもなるというものである。
左上のパランタ(具入りチャパティ)は、そんなニナ叔母がわざわざデリーから持って来てくれたもの。右上のビリヤニ(炊き込みご飯)はスジャータの得意料理。ラム肉やジャガイモが、ごろごろと埋まっている。
おいしい晩餐のあとは、スジャータの手作り「タルト・タタン」が振る舞われた。彼女が昔から愛用しているジュリア・チャイルドのレシピブックを参考にしたとのこと。これがまた、美味であった。
かくなる次第で、地味となりそうだった年の瀬だが、それなりに社交的かつ師走感漂う日々である。
さて。今日明日と、時間ができた。ムンバイからの荷物をほどき、衣類を片付けたり、書斎のドキュメントを整理したり、やることはまだまだある。もうひとがんばりしようと思う。
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