インド生活の約半分、つまり2年近くも二都市生活をしていたわけで、片付けもそうそう簡単にはいかないものである。モノを増やすまいと心がけていたムンバイ宅であったが、増えていた。
キッチン用品などは現在ストレージルームに預けているが、バンガロール宅に送った書類や書籍類がまだ片付かない。衣類は大した量ではなかったので、年内のうちに片付けられたのだが、資料の類いは時間がかかる。
収納スペースを確保するために、すでにある書類の見直しから始める。要らないものを片っ端から捨てたいところだが、懐かしいなにか、を発見すると手がとまる。ありがちな反応である。
2010年早々、新しい仕事が次々に入り、それは非常にありがたいことで、とっとと仕事にかかりたいところだが、未だ片付けが完了せず、明後日のチャリティ・ティーパーティの資料を作ったりと、なかなか集中できない。
集中できない、というよりも、自分の感覚がどうにもおかしいのだ。
この2年間というもの、バンガロール宅には1週間から長くて10日程度の滞在だったせいか、滞在が2週間を超えたあたりから、落ち着かないのだ。
正確に言うと、この家がゆっくりと落ち着きすぎて、落ち着かない。のである。つべこべ言わず落ち着け! というものである。
ところで掃除をしていると、いろいろと面白いものが発掘される。久しぶりに目にして我がことながらウケたのが、上の写真だ。
そう。これは26歳時のわたしである。当時勤務していた会社の、新入社員用会社案内に、編集者代表として紹介されたのである。代表も何も、編集者はわたしひとりだったのであるが。
それにしても……。
人間、若けりゃいいってもんじゃないと、つくづく立証させられる写真である。たとえ若かろうと、この髪型。たとえ若かろうと、このHOYAバリラックス(今でもあるのか?)を思わせるメガネ。我ながら、勘弁して欲しい。
だいたい、カメラマンもカメラマンである。このアングルはないだろう。たとえば斜め45度やや上方から撮ってくれれば、もうちょっと顎のラインもくっきりと、かわいく写ったはずである。これじゃ、丸顔どころか、横に楕円形じゃないか。
ああ、それにしても赤面すべきはキャッチコピー。
情報のキューピッド エディター 編集制作 坂田美穂
キューピッド……。恥。
念のため言っておくが、自分で考えたのではない。これは会社案内制作会社の人がインタヴューしてくれて、すべてを編集構成してくれたのだ。
左下に目を走らせれば……
●趣味・特技:家事、旅、文字を綴ること
●夢:行きたいところにすぐ行ける身の上になること
とある。趣味・特技の筆頭に、家事。旅、文字を綴ることはさておいて、家事。
家事かよ!!
なんか間違っとる。だいたい20代独身女性が、家事を趣味・特技にしてどうする。これを婚活に使用するつもりでもあったのか、26歳の我よ。
しかし、「行きたいところにすぐ行ける身の上になること」については、それなりに、実現している気がする。
ところでこの会社案内と一緒に保管されていたのは、アメリカ大使館査証部宛の手紙だった。30歳のとき、1年の語学留学の予定でニューヨーク行きを計画していたわたしは、当初、学生ヴィザを取得するべく手続きをしていた。
しかし、学生ヴィザを取得するには年齢が高すぎること、またフリーランスという立場上、必ず日本に帰国する保証を示す書類を提出できないことから、取得を代行してくれる旅行代理店から、1年間の滞在許可をとるのは難しいと言われていた。
帰国の証明を出せないのであれば、何か手紙を添えた方がいいとのことだったので、読まれるかどうかすらわからないものの、自分が今、英語を学ぶ必要性と、英語を習得後には日本へ戻ってくると言った旨、熱く記したのだった。
今、読みかえすに、それは熱いというよりは、暑苦しい。しかしそれもまた、青春である。
ともあれ、1年ではなく、半年の査証しかおりなかったものの、結局は途中から現地の日系出版社で働き始め、やがては会社を立ち上げと、日本へ戻るどころか、どんどん遠のいていったのだった。
さて、毎度のことだが、夫の書類もまた、妻が片付けるのである。で、夫の古いアルバムなどを開いてしまい、これまた見入ることしばし。
これはアルヴィンドが10歳くらいのとき、家族で欧州旅行をしたときの写真。アムステルダムの運河巡りの様子である。つるんとしたでこっぱちと、子どもながらに度のきついメガネが、いかにも「ギーク」な少年である。小生意気そうだが、かわいい。
こちらは10年後。20歳ごろの写真らしい。実母を白血病で亡くしたあと、彼は大学を一年休学していたのだが、そのとき義父ロメイシュと二人で、欧州を「センチメンタル・ジャーニー」したらしい。家族で巡った土地を二人で改めて旅したとのこと。
傷口に塩をすり込むようなその企画、間違っている気がする。案の定、辛い旅だったようだ。デリーにいるのが辛くて気分転換したかったらしいが、二人してどんよりとした旅となったようだ。なにかと間抜けな父子である。
ところで、義姉スジャータは、義母が他界する直前に結婚をしたため、結婚式の写真を見れば、人々の顔に笑顔が少ない。衰弱しきった母の姿も痛々しく、人々は哀しい笑顔をしている。
アルヴィンドもまた、そうである。
え? どこにアルヴィンド? とお思いであろう。上の写真の左、スリムな少年は、マイハニーである。わたしが彼と出会ったときには、すでに1.2倍ほど横に広がっていたが、今や1.5倍近く広がっているため、別人である。
右の白い帽子の老紳士はアルヴィンドの母方の祖父である。祖父もこの数年後に他界した。
しつこいようだが、かわいらしいのでもう一枚。
今となっては面影ゼロ。マイハニー。もう少し痩せてくれれば、ハンサムな気がするのだが……。
なんてことはどうでもいいから、とっとと片付けねば! さてこれから、本棚の整理だ! なのに最早夕暮れ時で、ワインでも飲みたいところだ。ああ、どうしよう……。
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