久々の、激写である。このごろは、路傍の壁にあれこれとペイントを施す「ストリート・アート」(というのか?)が流行っている気がするインド。
ムンバイでも見かけたし、ここバンガロールでも随所にちらほら。信号待ちの車窓から、動物たちをテーマにしている壁画&読めないカンナダ語の文字を撮影しようとカメラを向けたら、牛を連れたおじさんが横切った。
現実と非現実が溶け合った、お気に入りの一枚だ。
インドではかなり大々的に日食が見られた。
インドにおける日食の詳細は、別人格ブログ (←Click)にも記したので、読んでいただければと思う。
わたしも自らの胸部レントゲン写真を利用して、見た。
なかなかに、興味深く、楽しいものであった。このスケールの日食は、1000年に一度のことらしい。
わたしは終日、自宅にいたので気づかなかったが、実は町中が「忌日」として静まり返っていたようだ。ヒンドゥー教では、日食は不吉なものとされているらしいが、実際に外出を控え、断食をしている人も多かったとのこと。
翌日の新聞は、「日食を大いに楽しんだ」というものと、「活動を自粛した」というものの二つがとりあげられ、それはあたかも、異なる世界の共存だ。
そういえば、メイドのプレシラはクリスチャンのせいか、通常通り出勤していたが、ヒンドゥー教徒の庭師は休んでいた。
著しく異なる世界観が平然と同居している感じが、インドの「普通」なのだということを、このごろは「普通に」受け止めていたが、しかし他国では「普通ではないことなのだ」ということを意識しつつ、今年はまた初心に返って、インドの森羅万象に接していきたいと思っている。
疲れそうだけど。
今日は義姉スジャータの夫、ラグヴァンの弟、マドヴァンの自宅に招かれた。彼ら夫婦の第二子誕生を祝う会である。さまざまな料理が用意されていた。次々に揚げられるパン「プーリー」が美味であった。
かつてわたしが自宅で開いていた「ミューズ・クッキングクラス」の話題が出た。その場にいた人は、「わたしがインド料理を習っていた」と思い込んでいて尋ねられたのだが、わたしが、大胆ながら「教える側」であった。
もちろん、自分だけの力ではできない。当時の使用人モハンのレシピを参考に、彼のサポートのもと、日本人駐在員夫人を対象に開いていたのだ。あれは楽しかったし、好評でもあった。
チャパティはもちろん、このプーリーも作った。あのクッキングクラスを、いつかまた再開したいものである。
■ミューズ・クッキングクラス (←Click)
未だ、過去のサイトを残したままであった。ホームページを作るソフトウエアは、古いコンピュータにしかインストールできず、もう2年近く、ホームページをリニューアルしていない。
内容をそのままに、新しいソフトウエアなどに移行し作り直したいものだが、なにしろ膨大な量だ。このまま古いものは放置しつつ、リンク先を変更して、新しいソフトウエアで新しいページを作り上げていくのが現実的なのだろう。
コンピュータの世界は、移り変わりが早すぎて、便利になるけれど、ちょっと古いものはあっというまに「化石」な状態になってしまい、なにかとやりきれない。
寄添う二人。
ではなく、寄添う二台。
車のディーラーの店頭である。
いくらスペースがないからって、こんなにぎゅうぎゅう詰めに駐車するとはこれいかに。
インド。こんな光景ばっかりだ。
インド発、元気なキレイを目指す日々(←Click)