結局、今回は2週間余り、ニューヨーク滞在となった。連日、概ね好天に恵まれ過ごしやすく、いい時候でよかったと思う。
自宅の様子を確認するため、久しぶりにバンガロールに電話をし、メイドのプレシラと話をする。
「先日、二晩、雨が降りました」
「どこかで火事がありました」
といったこと以外は、特に変わりない様子で、彼女の声を聞きながら、遠く異次元に位置しているような、わたしたちのもう一つの日常。あの、出発の朝に見送ってくれた赤い蝶の様子もまた、夢の中の出来事のように覚束ない。
一両日中に書き上げねばならない原稿。西日本新聞の『激変するインド』。このニューヨークで、インドにいる自分を想定して、インドを書くのは、非常に難しい。
脳みそを、あちらの空気に浸らせなければと思うのだが、書こうと思っていたテーマがあったのに、構成が頭の中でぐちゃぐちゃと渦巻くばかりで。
旅は愉し。しかし外食続きは多少、胃に負担がかかる。食べ過ぎぬよう、メリハリをつけつつの食生活であるが、我々が今のところ気に入っているのが、ホテルの数ブロック先にある焼き鳥屋。すでに2度も訪れた。
それから青菜のサラダ。
サラダには、クリスピーなジャコと温泉卵がトッピングされているなど、日本感満点。
ここの餃子がまた、かなり美味。
夫もわたしも、二度目にして常連気分だ。
インド生活で日本料理に対する期待値が低くなっているせいもあるだろうが、それでも結構、おいしいのではないかと思う。
昨日は隣席に座っていたビジネスマン二人と会話。フランスのリヨンから訪れたらしいが、毎回ここへ来るらしい。わたしたちが食べているサラダや、白ご飯や、エノキのベーコン巻きなど、「真似して」注文している。
反対側の隣に座っていたのは、日本人の男女。男性は30歳某大手企業駐在員。女性は28歳夜のバイトをしている専門学校生。男性は女性の「顧客」のようである。
二人で食事をするのは初めてらしく、紹介し合う互いの素性のあれこれが会話の中に出てきて、すべてが日本語だから聞きたくないのにすべて耳に飛び込んできて、二人の故郷から会社名、バックグラウンドなどなど熟知状態。
すでに一方が説明したことを、一方がもう一度聞き直したりしているのを耳にすると、「それはさっき、説明したやん」と突っ込みを入れたくなるほどで、食事に集中できず困った。
海外で、ネイティヴではない言葉の海に浸っていると、母国語だけは、しかし矢のようにするどく、突き刺さってくるのだ。
ところで夫は、日本食を食べるときの行儀が、あまりよくない。箸はうまく持てるのだが、途中で肘をついたりする。茶碗の持ち方がおかしかったりする。
正面でそれをやられるのが辛く、いちいち注意をするのだが、夫は当然、煩わしがる。インドでは、手で食べる際に肘をつくのは別に悪いマナーではないこともあり、彼にとっては理不尽なのだろう。
「日本人にとって肘をついて食べるってことはね。インド人が左手で食事をするようなものなの」
といえば、
「僕は別に、左手も使うけどね」
と居直る。
「僕にとっては、日本人が麺をずるずるすすって食べることの方が、よほど気持ち悪いけど」
と、むしろ攻撃する。
わからんでもない。わからんでもないが、気になる。見過ごそうと思いつつもしかし、看過できず、昨夜もつい、
「エルボウ! (ひじ)」
と言ったところ、ふと気づけば、隣の日本人カップル、二人とも肘をついて食べている。
前後左右、「エルボウ!」状態である。
男に至っては、左側の肘に上半身の体重をかけ、白いシャツを着ているにも関わらず、その肘先で醤油入りの小皿を押して位置を移動させたりしている。
いろんな意味で、嗚呼!!
美術館へ足を運んだり、ミュージカルを観に行ったりと、少しずつエンターテインメントを織り交ぜつつも、気ままに過ごしているここ数日。
道が悪く、埃っぽく、従ってはバンガロールではできない「ひたすらの街歩き」ができるのは、本当に旅の醍醐味。
特にニューヨークにいる間は、ひたすらに歩く。
背筋が伸びて、気持ちがよい。
ミュージカルで、ライヴのオーケストラや、歌や、踊りを目前にするのもまた、普段とは違う刺激でいい。
ずっとインドに居座らないことが前提の、インド在住でなければ。
インドの中だけにいると、たとえ心地よくても、よくない。
ということを肌に感じつつ、いつもとは違うアンテナで、違う刺激を感受する。
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