昨日の早朝、バンガロールに到着した。午前3時の空港は、昼間だらけている野良犬たちが、元気に走り回るころ。何匹ものイヌが、吠え合ったり、追いかけ合ったり、じゃれあったりと賑やかで……インドだ。
気分的には近い米国とインド。しかし、物理的には実に遠い。ということを、毎度、旅のあとのけだるさからしみじみと実感する。
とはいえ、アイスランドの火山噴火の影響もなく、予定通りに帰宅できたのは幸運なことであった。
ところで、世間では主に「アイスランドの火山」とだけ、報道されているようだが、その火山が発生したのは、エイヤフィヤトラヨークトル氷河、らしい。エイヤフィヤトラヨークトル。
Eyjafjallajoekull。
米国のメディア(CNNだったか)では、この発音しにくい氷河の名前を、街頭で一般人に読ませるなどして、かなりしつこく「笑いのネタ」にしていた。
噴火の影響で多くの人たちが空港で足止めを食ったり、さまざまなトラブルに見舞われているといったニュースと同時進行で、である。なにやら、ワイドショー的で、少々呆れた。
旅の間は、よく歩く。特にニューヨークでは。普段、埃っぽくて道も悪いバンガロールで、気軽に街歩きをできない分を取り戻すかのように。
同じ歩くでも、庭をぐるぐる散歩するのとは、脳の、刺激を受ける場所が違う。そのせいもあるのか、今回の旅では、自分でも驚くような、「勘の冴え」が、見られた。
■冴える勘:その1
夜のメトロポリタン美術館。閉館間際で大勢の人々が行き交うエントランスホール。トイレに行った夫を待って、わたしはベンチに座っていた。と、数十メートル先を歩いている、日本人らしきカップルが一瞬、目に留まった。
女性の方は、すぐにクロークの方に消え、横顔を一瞥しただけだが、外で待っていた男性の方を、遠目に数秒、見つめた。すぐに目をそらさなかったのは、どこか見覚えのある人物だったからだ。
と、瞬間、閃いた。
5年前、一時カリフォルニアに住んでいたとき、わたしのホームページ(当時はまだブログではなかった)の読者が、やはりカリフォルニアにお住まいの方のブログを紹介してくれた。
彼女のブログには、幾度かコメントを残し、その後、メールのやりとりをしたことが会ったが、お目にかかることはなかった。顔写真は何枚か、ブログで拝見していた。
当時、彼女のブログには、ご主人のブログのリンクがあり、そちらも拝見したことがあった。プロフィールに、一眼レフを構えた彼の写真があったのを記憶している。
顔全体が映っていたものを見た記憶がないのだが、しかし、そのときの写真と、美術館で立っている彼との顔が重なったのだ。
その瞬間、一瞥した女性の横顔と、彼女の顔写真とも重なった気がした。
しかし、彼らはカリフォルニアの人だ。そもそも、5年も前に見た、顔さえはっきりしない写真をもとに、彼らだと閃いた自分があやしい。
もう一度、二人揃っての姿を確認して、確信できたらお声をおかけしようと思ったが、人ごみに紛れて見逃してしまった。
その夜、彼女のブログを久しぶりに訪ねた。ご主人のサイトのリンクはなく、彼女の顔写真もなく、記憶をすりあわせることができなかったが、今、ニューヨークに旅行へ来ているとのことが記されていた。
やはり。
間違いを承知でメールを送ってみたところ、果たして彼女たちもまた、メトロポリタン美術館へいらしていたとのこと。すでに予定が詰まっているとのことで、お会いすることはできなかったが、不思議なご縁だと思った。
それにしても、なぜ、彼らだとわかったのか。自分でも、よくわからない。
■冴える勘:その2
今回の滞在でお気に入りとなったレストランは何カ所かある。2回以上訪れた店がそれに該当するが、その一つがイーストヴィレッジの一風堂だ。
夫がとんこつラーメンを気に入り、帰国前にもう一度行きたいというので足を運んだ。込み合う店内。受付には2、3人のメートルディーが立って、お客の対応をしている。
そのうちの一人と、言葉を交わしながら、ハッとした。黒人だが、オリエンタルの血が入っているような彼女の顔。見覚えがある。
「失礼だけど、あなたのお母さん、日本人ですか?」
「そうです」
「お母さんの名前は、M子さんじゃないですか?」
「そうですけど……」
やはり。M子さんとは、ニューヨーク在住時に、一度、一緒に仕事をしたことがあった。そして当時、まだ10歳ほどだったお嬢さんとは、2回ほど、ちらっと挨拶をしたことがあったのだった。
M子さんとお嬢さんはよく似ているというわけでもなく、10歳の少女だった彼女と今の彼女とは、随分と様子が違っているのに、わかった自分にまた驚いた。帰り際、M子さんへの手紙を託して、店を出たのだった。
こうして考えると、実は、気づいていないだけで、自分と縁のある人に、日常的にあちこちで、すれ違っているのかもしれない。歳を重ねて、知る人が増えるにつれ、そういう偶然は重なるのだろう。
旅の最初に、ドバイの空港でムンバイに住むビルに出会ったことも、ニューヨークのホテルの隣室に、バンガロール在住の夫の知人に会ったことも、そういうことなのかもしれない。
ニューヨークに暮らしていたのは5年半。そしてインド生活は4年半。もう、こんなにも長い間、インドに暮らしているということが、「半年はお試し期間」などといいながら、暮らし続けていることが。
帰国するなりのトラブル、不都合、あれこれと待ち受けていて、お世辞にも住みやすい国ではないにも関わらず、夫もわたしも、米国に戻りたいとは、まだ思わない。
夫に関して言えば、最初は戻りたがっていたが、今ではここでの暮らしの方がいいということに、気づきはじめている。
「IPLの決勝戦に間に合って、よかった〜」
と、帰りの飛行機で、夫。クリケットの国内リーグの観戦を楽しみにしている。重いジャケットが必要ない、暖かい(暑い)バンガロールに戻れることを、喜んでいる夫。
インド移住前後は、本当に、筆舌に尽くし難いあれこれがあったが、インドに来てよかったと、安堵するように思うこのごろ。
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