今朝、近所のどこからか流れてくる、大音量のインド国歌で目が覚めた。夕べ遅くまで映画を観ていた夫。しかしまるで夢遊病者のようにベッドから抜け出し、傍らに立って敬礼をし、口ずさみ始めた。
妻もまた、立ち上がり、同様に。寝ぼけ眼の寝間着姿の夫婦が、ベッドの両側に立って歌う図は、かなり恐ろしい。
1947年の今日、インドは英国統治から独立した。それは同時に、パキスタン(バングラデシュ)との分断の歴史の始まりでもあった。
そして今日は、日本の終戦記念日。昭和40年生まれのわたしはすでに「戦争を知らない子どもたち」の世代で、太平洋戦争も大東亜戦争も、第二次世界大戦も、肌身には触れていない。
しかしながら、歳を重ねるごとに、なぜか日本の敗戦が切実なものに感じられる。日本を離れて久しい故か、単に歳を重ねた故か。
我が家のプジャーコーナー(儀礼のスペース)に蠟燭を灯し、線香を焚いて、般若心経を唱える。
さて、4年前、とある書籍で竹内浩三という人のことを知った。日本の終戦記念日に因んで、3年前の5月16日の記録の一部を転載する。ぜひ読んでいただければと思う。
(↓以下、4年前の記録)
5月3日、竹内浩三という人のことを知ったことは、当日のブログに書き残しておいた。
彼の作品をどうしても読みたくなり、先日、全作品集『日本が見えない』をはじめ、日本で話題の本、かつてから気になっていた本、インド関係の本などをamazon.co.jpにて注文したのだった。(中略)
竹内浩三の、そのユーモアに満ちた漫画や、小説や、その一方で戦地からの本音の、矛先が向かってくる。一篇を、ここに転載したい。
●骨のうたう
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるやあわれ
とおい他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や
苔いじらしや あわれや兵隊の死ぬるや
こらえきれないさびしさや
なかず 咆えず ひたすら 銃を持つ
白い箱にて 故国をながめる
音もなく なにもない 骨
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や 女のみだしなみが大切で
骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨は骨 骨は聞きたかった
絶大な愛情のひびきを 聞きたかった
それはなかった
がらがらどんどん事務と常識が流れていた
骨は骨として崇められた
骨はチンチン音を立てて粉になった
ああ 戦死やあわれ
故国の風は 骨を吹きとばした
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった
なんにもないところで
骨は なんにもなしになった。
(竹内浩三全作品集 全1巻より 「骨のうたう(原型)」)
終戦前に、戦地で命を落とし、戦後を知らない彼が、この詩をしたためていたことこそに、驚き、胸が潰れた。
昭和22年三重県庁の公報によると、1945年4月9日、「陸軍兵長竹内浩三、比島バギオ北方1052高地にて戦死」。23歳だった。