ということで、なにやら世間が浮き足立っている。結果がどちらに転じても、暴動などが起こるおそれがあり、そこはかとなく緊張感も漂っている。
昨日の記録の最後に触れた「イスラム教徒とヒンドゥー教徒の諍い」について、記しておきたい。
上の写真は、今朝の新聞。毎度おなじみ、出たがりなカルナタカ州知事が、相変わらず「顔付き」でメッセージを発表している。
今日のメッセージはしかし、読み進めるうちに、少々目頭が熱くなった。
久しく続いて来た "Rama Janma Bhoomi and Babri Masjid" に対する判決が、明日、下る。しかし、伝統とコスモポリタンが共存するカルナタカ州の人々よ、どのような結果がでようとも、特定の人々を攻撃するようなことはするなかれ。噂や中傷に惑わされず、カルナタカ州の平和と調和を守ろう。
と、激しく大ざっぱに要約すれば、かようなことが、記されているのだ。
UNITY IN DIVERSITY.
多様性の中の、統一。
まさに、インドをあらわすひと言であろう。狂信的な人々や、悲しくも教育のない人々が多数存在するこの国で、明日の判決に対し、どうか冷静であってほしいとの願い。
さて。その「明日、判決されるべきケース」であるが、昨日、「何十年も続いてきた」と書いた。しかし、厳密にいえば、「何百年も前から続いてきた」それは諍いであったらしい。
北インドのウッタル・プラデシュ州に「アヨーデャーAyodhaya」と呼ばれる場所がある。そこは、叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公ラーマ王子の生誕地とされており、ヒンドゥー教徒らが崇める聖地の一つだという。
そのアヨーデャーに、1528年、イスラム教寺院、バブリ・マスジード (Babri Masjid)が建立された。5世紀も前のことだ。
日本では室町時代。いごよく(1549)くるフランシスコ・ザビエルさえ、まだ日本には来ておらず、キリスト教も流布されていなかったころである。
さて、アヨーデャーにおける、二宗教間の争いに関する最も古い記録は1853年。つまり、今から150年以上も前に遡るらしい。ちょうど日本に、ペリーが黒船でやって来た年で、江戸幕府が大騒ぎになっていたころである。
1859年。当時、インドを統治していた英国は、二つの聖地の礼拝堂を、「内側をイスラム教徒用、外側をヒンドゥー教徒用」という具合に、フェンスで仕切ったらしい。
仕切ったくらいで話がおさまるとも思えぬのだが、苦肉の策だったのであろう。
しかし、90年後の1949年には、バブリ・マスジード内に、ヒンドゥー教のラーマ像が建てられるなど、混乱が見られたため、政府が介入。紛争エリアを封鎖した。
スペインのコルドバにある、メスキータを思い出す。荘厳なイスラム建築であるメスキータの中には、しかしレコンキスタ(国土回復運動)の結果、キリスト教(カソリック)の礼拝堂が建てられた。
いきさつは異なるにせよ、異教の歪んだ混在だ。
1984年あたりから、ヒンドゥー教の聖地回復を巡って、ヒンドゥー過激派であるVHP (Hindu Parishad party)が動きを見せ始める。
また、当時のBJP (Bharatiya Janata Partyz:政党の一つ)のリーダーも、ヒンドゥー教の「聖地回復」のキャンペーンをリードし始めた。このころから、数年おきに二宗教を巡って大小の軋轢が見られ始める。
1992年、VHP支持者ががバブリ・マスジードを破壊。全国各地で暴動が起き、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒の双方合わせて2000人以上が死亡した。
特に1992年12月、1993年1月にムンバイで起こったすさまじい暴動は、"Mumbai Riots"と呼ばれ、映画『スラムドッグ・ミリオネア』の冒頭シーンにおいても、その光景が描写されている。
2001年には、バブリ・マスジードの跡地に、VHPがヒンドゥー寺院を設立しようとしたところから、緊張感が再び高まった。BJPもまた、跡地にヒンドゥー寺院を建てることに同意。しかし、ムスリムの反発も抑えねばならない。
2002年2月には、ヒンドゥー教活動家を乗せた列車の爆破事件が起こり、58人が死亡、翌月3月には、それに報復するかのように、グジャラート地方でイスラム教徒が1000人から2000人、殺害されている。
そんなこんなで、2002年より、「イスラム教寺院の跡地にヒンドゥー教寺院を建てるか否か」を巡る裁判が幾度となく展開されてきたようである。並行して、暴動やら爆破事件やらなんやかんやもまた、数年おきに起こって来たらしい。
そして。明日25日金曜日、ウッタル・プラデッシュ州のイラーハーバード高等裁判所にて最終的な判決がくだされるらしい。その結果が、どちらの宗教に有利であったとしても、暴動などが起こる可能性が高い。
政府その他は、国民に「冷静な態度を」との警告を発してはいるものの、どこまで平穏が保たれるのか、誰にもわからない。
暴動などが起こる場所が特定できないとはいえ、ひとまずは、モスクやヒンドゥー寺院を訪れることは控えたほうがいいだろう。
とまあ、いかにも「事情通」のように記しているが、実は数日前まで、この件については何も知らなかった。
今、いくつかのサイトなどを参考にしてまとめたに過ぎず、正確さに欠いている場所も散見されるだろう。ともあれ、「雰囲気」だけでも、掴んでいただければと思う。
……と、ここまで書いて、今インドのニュースサイトを確認したら……。
最高裁の介入により、判決は28日に延期されたらしい。
嗚呼。世間はなにやら大騒ぎで、「明日は休業」とか「明日は休校」とか「飲み会は中止」とかで、てんやわんやだったのに。いずれにしても、「危険」は28日以降に持ち越されたに過ぎない。
世の中が平和であるよう、八百万(やおよろず)の神に祈ろう。
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