2010年の年の瀬。クリスマスシーズン。遠く記憶を遡れば、今年ほど「穏やかにのんびりと」過ごしている師走は、これまでなかったように思う。
馬車馬のように無我夢中で働くばかりだった20代の東京時代。冴えない恋愛事情。ロマンティックなクリスマスの思い出なんぞ、ひとつもない。
30代前半のニューヨーク時代。マンハッタンのこの時期の、イルミネーションの美しさといったらなく。きれいで、愉しくて、胸がときめいて、しかしミューズ・パブリッシングの経営に専心、気が抜けない日々だった。
すでにマイハニーとは出会っていたけれど、よく喧嘩ばかりしていたものだ。
30代後半、ワシントンD.C.。結婚して、マンハッタンを離れ、「半ば専業主婦」になってみたものの、ストレスがたまり、鬱々としていたころ。
長過ぎる冬の、ホリデーシーズンにはしかし救われ、愉しきサンクスギヴィング・ディナーにクリスマス・パーティ。友を招いてのパーティもよくやったものだ。
夫の仕事の関係で、過激富裕層な人々の大邸宅でのパーティに訪れる機会も少なくなく。リッチ。ウェルシー。セレブリティ。ゴージャス……。
人々の、豪奢なライフスタイルに感嘆し、しかしなぜだろう。そんなライフを望んではいなかった。
お金は必要。けれど、この地で、このまま、どこへゆく? 心の中に吹き抜ける、すきま風がいつも。
40代を目前にして、心に閃いたインド移住の欲求。それは少しずつ、強くなり、夫を巻き込み、現実味を帯びた。
ついには、5年前、40歳を目前にしてインド移住。その前後の夫はといえば、「大葛藤」にさいなまれ、インド移住後もしばらくは、本当に、辛そうだった。
どれだけ喧嘩をしたことか。
しかし、インドに悪態をつきながらも、徐々に暮らしには慣れていき。2年目には新居を購入。しかし落ち着くまもなく3年目にはムンバイオフィスに移転。
1年半に亘ってムンバイとの二都市生活を送り、バンガロールに再び戻って来たのは、ちょうど1年前の今頃だった。
どたばたとした心を鎮めるべく、アーユルヴェーダグラムにて、1週間「道場入り」をしたのも、ちょうど去年の今頃。
さまざまな「波乱」がざっぱ〜ん、ざっぱ〜んと押し寄せる日々には、幾度となく、塩辛い水を飲みこみ、目を開けることさえつらいころも、確かにあった。
ただもう、しっかりと食べて、しっかりと寝て、体力さえつけていれば、乗り越えられるものである。やりすごしてきた。やりすごせてきた。
過去の記録の、前向きな記述の行間に、同時進行していた諸事情を思い出しつつ、しかし、過ぎてしまえば、辛かったはずの諸事情すら、記憶にコントラストをつける大切な影。
影があってこその、光。
なのだということを、改めて思う年の瀬。
思えば、夫との喧嘩が激減している昨今。
心の平静がなければ、些細なことが苛立ちのもととなり、行き違い、喧嘩が絶えず、悪循環になっていたものだということを、改めて認識する。
季節のメリハリが浅いこの地。過去のクリスマスの記憶をたどって、この5年の流れを省みてみた。
■2005年 インド社交界のクリスマス (←Click!)
インド移住後わずか1カ月。このときは、ムンバイやデリーへ出張する夫に同行して、バンガロールに安住するまもなく、慌ただしい日々だった。クリスマスは、HDFC銀行CEOのディーパック・パレック主催のパーティへ。移住後まもなく、インド財界人のパーティに出席できてうれしかった。
インドの財界人といえば、ボリウッドの俳優並みに、メディアへの露出度も高い。キングフィッシャーのヴィジャイ・マリア氏は、メディアで見るままに派手な男。キングフィッシャー・エアラインが就航直後で「話題の男」でもあった。室内でもサングラスをかけていたのには、ちょっと笑えた。まだUBシティは建設中だった。それにしても、サリー姿が初々しいわたくしであることよ。
■2006年 2006年のメリークリスマス。 (←Click!)
この年は、我が家でクリスマスパーティを開いた。移住当初に住んでいた、カニンガムロード沿いのEMBASSY WOODS。コロニアルスタイルの素敵な部屋だった。しかし大家がもう、困ったお方であった。あのころのバトルがまた懐かしい。結局契約更新をするのがいやで、この直後に新居購入に踏み込んだ。
それはともかくこのときの夫。仕事で忙しく、クリスマスに友人を招くような余裕もなく。従っては大半が、わが日本人の友だち。「ブログに写真が出てもOKよ」という人たちばかりだったので、華やかさがスクリーンからあふれて来て懐かしい。殆どの友人が、バンガロールを離れた。ターキーを焼くなど、料理も楽しんだ。
■2007年 インドで三度目のメリークリスマス! (←Click!)
このときは、新居で初めて迎えたクリスマスだった。しかしながら、写真が少ない。どんな料理を作ったのかも思い出せない。やっぱり写真は撮っておくべきだな、と今になって思う。
■2008年 メリークリスマス! 美味ブランチ@Four Seasons (←Click!)
この年はムンバイ二都市生活をしていたころ。なにかときついクリスマスのころだった。というのも1カ月前、11/26、ムンバイを襲った同時多発テロ。世間はパーティを祝するムードが浅く……。
当時ムンバイに住んでいたユカコさんとビル、そしてジェイクの5人で、ホテルのクリスマスランチを楽しんだ。これがまた、インドにいるとは思えぬすばらしい料理の数々で、4人でひたすら食べて飲んでしゃべっての、すてきな午後だった。この日のこともまた、大切な思い出。
■2009年 突然のクリスマスパーティ@ホーム (←Click!)
まるで年間行事のように、荷造りやら引っ越しやら荷解きを繰り返していた日々。「これをもって、しばらくは、引っ越しをしたくない!」と思いつつ、荷造りをしていた1年前。わずか1年半のうちにも、ムンバイでの家財道具は増えていた。げんなりした。思えば家具類はまだ、ストレージルームに預けっぱなし。
1年目と同様、ムンバイにてディーパックが主催する財界人なパーティにも出席したが、自宅でもパーティを開こうと、急遽前日になってバンガロールにいる友人たちに声をかけた。
以下は日帰りでムンバイでのパーティ@タージマハル・パレスの記録。
■クリスマス@ムンバイの記録を今更ながら (←Click!)
このような華やかなパーティに参加するのもまた、刺激的で楽しいものである。
さて今年もまた、自宅でパーティを開く予定。今年は夫も「自分の友人知人を招くぞ!」と張り切っている。
しかし、開催日は26日。みなホリデーシーズンでバンガロールから離れている人が多い。それを見込んではりきって大勢にメールをしたようで、妻は少々慌てる。が、ちょうどいい塩梅で、出席の返事が集まった。
今年は日本人、インド人半分ずつ、プラス@(日印人以外)という構成で、賑やかな集いとなりそうだ。
「誰か、ミュージシャンを呼ぼうよ」と夫。
「なんならわたしが歌おうか?」と、調子に乗る妻。
「やめて。ホストが歌うもんじゃないよ」と、素っ気なく却下する夫。
というわけで、歌の上手な近所の女の子(ラスヤ)に歌ってもらえないか、打診をしてみるつもり。
人数が多ければケータリング・サーヴィスを頼もうかとも思ったが、今年は準備の時間もある。
ヴェジタリアンとノンヴェジタリアンのメニュー構成も考えつつ、今年もまた、自分であれこれと料理を作ってみようと思っている。準備をする時間もまた楽しいもの。
インドの食材を駆使しつつ、どんなディナーが仕上がるだろう。ここ2、3日であれこれと考えてみよう。なんだかわくわくしてきたぞ。
■インド発、世界2010:坂田の個人ブログ(←Click!)