いったいここで、わたしは誰に向かってこのブログを書いているのだろうと思いつつ、5年が過ぎた。
こつこつと、膨大な文字を綴り続けてなお、書きたらず、追いつかず、インドの暮らしは日々濁流のように流れてゆく。
「最初の半年はお試し期間」と、米国を離れる時に口にしていた夫はいつしか、母国での暮らしや仕事にぼやきを入れながらも、ここでのライフにすっかりなじんでいる。
ニューヨークに住んでいた5年半とはあまりにも異質の、インドでの5年。
世界とは広く、人、一人の生涯で、好奇心を満たすだけの、渇望を潤すだけの、時間は与えられていないのだということを知る45歳。
無為な日々の積み重ねも人生。それを避けたくあがくのもまた人生。
行く末来し方。身の振り方。人生は長そうで短く、短そうで長い。
生き方の有り様。心の有り様。人との関わりと、自己との対峙。
身の丈を知る。と同時に、継続すべき努力。
いつまでもあがき続けることは、「足るを知る」に反するわけではない。
諦め投げ出す口実と、達観の境目。逡巡しながら流れる歳月。
たとえば新聞を開き、ざっと目を通すだけで、焦燥に駆られることがある。
目に留まり、心の琴線に触れる事象をすべてピックアップなどすることもできぬのに、せめて一部だけでも「伝えなければ」という衝動。
それは、仕事を通してであり、こうして個人のブログを通してであり、人との会話を通してであり。
衝動が焦燥に変わるのは、その対象があまりに多く、日々移ろう出来事が果てしないからだ。
なにもかもが、大切に思えるし、なにもかもが、取るに足らないことのようにも思える。
もうこのごろは、巷に情報あふれ、メディアはあふれ、人々は滔々と轟々とざあざあと流れる言葉を、視線を上から下へ上から下へ、あるいは右から左へ、右から左へ、移動させながら、読み流す。
さて。
今年に入ってから、明らかに、日本からの仕事が増えている。リサーチの仕事、原稿執筆、そして視察旅行のアテンドなど。
自分の仕事はさておいても、日本のインドに対する視線が、殊更に、鋭くなっていることを感じる。皮膚感覚で。
ともあれ、どんなに微力であれ、「日印を結ぶ」のが、わが役割である。
従っては、どんなにネガティヴが押し寄せても、最後にはプラスマイナスプラスでなければならない。
同時に、今の日本を知っておかねば、ならない。
クライアントを案内しながら、日本を尋ね、日本を聞く。主には一人でしゃべりながらも、しかし時に尋ね、時に耳を傾ける。
それはもう、ニューヨークやワシントンD.C.で仕事をしていたころとは、根源的に異なる状況だ。
ニューヨーク在住のライターなりレポーターなりコーディネーターに望まれる仕事と、ここインドのそれに望まれる仕事の間には、著しい差異がある。
ニューヨークタイムズをめくっても、焦燥感を覚えることはなかった。
今年もまた、少なくとも一度は、日本へ帰るべきかもしれない。もっと二国間を頻繁に行き来しながら、媒介者にならねばならないと、このごろは、切に思う。
路傍でラクダが、木の葉を食べているのを、バイクに乗ったお父さんが、シートの前方に載せた息子に、「見てご覧」とばかりにバイクを止めるのを、「珍しい光景として」ではなく、「まあ、なんて微笑ましい」という気持ちで、カメラを向けている自分。
街で牛やウマやラクダや羊がうろうろしているのが、野良犬がそこら中に寝転んでいるのが、あまりにも普通になっている。
押し並べて、なじみすぎている視点を、日本人的振り出しに戻す意味でも。
インド発、元気なキレイを目指す日々(第二の坂田ブログ)(←Click)
●環境破壊を極力防ぎながら生活するために。
●日本とインドを結ぶために、ささやかながらも。
●週の終わりのつれづれに。