ヴォランティアでバンガロールを訪れ、低所得者層への住宅作りを手伝っている日本人の学生たちの話は、数日前に記した。
彼らをオーガナイズするHABITAT FOR HUMANITY バンガロールオフィスの所長ジョセフから、作業終了の式典に招かれていたので、昨日訪れた。
わずか一週間の滞在期間である故、家ができ上がってしまうわけではない。
しかしながら、更地だった場所に、約90センチの溝を掘り、石を積み重ね、基盤を築き上げていた。
土木作業の経験がない19名の学生たち。
しかもうち16名が女性だ。
単に旅行へ来るだけでも体調を壊す人がいるというこのインド。
にも関わらず、炎天下で、これだけの基礎を築けたというだけで、すばらしい。
それだけではない。
今この時期、彼らにとって、インドの貧しい人たちの暮らし、インドのスタンダードを見られたことは、かけがえのない、経験だったと思う。
奇しくも昨日の新聞に、バンガロールのスラム人口が記されていた。
ムンバイの住民の半数がスラムに暮らしているということは、過去幾度も記した。
現在のバンガロールは、3人に1人、つまり3分の1が、スラム在住者だ。
スラムとは、電気や水道などの基本的な生活インフラストラクチャーが整っていない、貧困層の住まいのことである。
その現状の断片については、このブログでも、そしてMSSのブログでもしばしば状況をご紹介してきた通りだ。
先日も書いたが、インドで電力が供給されている世帯数は57%に過ぎない。
ぜひ見ていただきたいのは、下記のサイト。
■主要国の電力事情 (←Click!)
「主要国の一人あたり電力消費量」の図をクリックすると、いかに先進国が発展途上国に比して、膨大な電力を消費しているかがわかる。
ちなみにカナダは消費量が多いとはいえ、天然資源も多い。日本のようにエネルギー源を輸入に頼り切っている国とは事情が異なる。
世界平均。日本。そしてインド。そのあたりだけでも、しっかりと見ていただきたいと思う。
「主要国の電源別発電電力量の構成比」をクリックすれば、日本が原子力発電に頼っているその比率もわかる。
先日も記したが、地震が発生する前、九州電力の社内報の記事向けに、インドの電力事情についてあれこれ調べた。その仕事とは関係なく、夫からもらった資料に基づいて、自分なりにデータを整理しようと思っている。
ここでも機会があれば、紹介したい。
何が言いたいかといえば、地球基準で見た日本についての一端だ。
これだけ高度経済成長中だと言われているインドの、しかし大半は、先進国では考えられないような、被災地のようなインフラのもと、生活している。
同じ時代に生きる、同じ人間が、である。
数年前、インドの洗濯洗剤事情をリサーチした時に、さまざまなデータを集めた。これは2007年のデータだが、当時のインド都市部における洗濯機の普及率は6%以下。地方農村部においては1%以下であった。
つまりインド全国で、洗濯機を使っている世帯は、2、3%にも満たないということだ。
店頭には、洗濯器用ではなく、バケツでの手洗い用の洗剤の方が、いまだ数多く並んでいる。
それもそうだろう。インドの電力供給の圧倒的な少なさを思えば。家電メーカーが続々と商品を出したところで、それを使える電源がないのだ。
彼らがおそろいで着用しているTシャツは、右下写真の女性、東さんがデザインしたのだとか。カラフルで、とてもかわいらしい。
わたし母校は下関市の、梅光女学院大学(現梅光大学)。3年の時、大学祭実行委員会の実行委員長をつとめた。
あのとき、あれこれと地元のイヴェントに参加したり、やたら活動的に活動をしていたことを、久しぶりに思い出した。みなでおそろいのTシャツを作ったことも。
いろいろあったけれど、本当に、いい経験だった。
思えば、昨日書いた「負の力の強さ」を、具体的に教えてくれたのは、当時お世話になった、北九州のイヴェント会社の社長だった。
集団で行動をすると、必ず反対意見を言う人がいる。ケチを付ける人がいる。不満を口にする人がいる。足を引っ張る人がいる。
更に日本に感して言えば、異質を忌み嫌う人がいる。出る杭を打ちたがる人がいる。
しかし、反対意見で耳を傾けるべきは、建設的な代替案がある場合である。
それ以外の、「いやだから」とか「気が進まない」いった、理屈の通らない、嫌がらせとしか思えぬ反対意見には、引きずられるべきではない。
そのような主旨のアドヴァイスだった。それは、いつでも、わたしの心の中にある教訓だ。
なんか、また話がそれた。
衝撃のまつげ三人娘。なにが衝撃って、つけまつげの長さもさることながら、このインドで肉体労働しながら、そのまつげを維持できることだ。
汗でとれないの? 目がかゆくならない? かぶれたりしないの? 面倒じゃない?
不思議な髪飾りの構造も含め、疑問を矢継ぎ早にぶつけるも、キャハキャハ笑いながら、楽勝のようである。
ある意味、感動した。
さて、場所を木陰に移しての、小さな式典が行われた。家を建ててもらった人からの感謝の言葉、そして学生チームリーダーの挨拶。そのあと、皆が手をつないで歌う。
わたしも一緒に歌いたいところだったが、今どきの歌謡曲だったようで、あいにく知らなかった。
みな、言葉はわからないながらも聞き入っている。
なんか知らんが、我が家のドライヴァーのアンソニーも、立ち会っている。左写真、右側の赤いシャツの男性だ。
最後に所長のジョセフからの挨拶。彼らのヴォランティアに関する感謝への言葉に加え、地震と津波に対しての、彼の思いを話してくれる。
英語がよく聞き取れない学生も少なくないので、通訳を頼まれた。
その時点で、すでに感極まって泣いている学生たちがいる。
「黒柳徹子テク」を駆使しながら、通訳しながら話す。通訳終了後、いつのまにか、「自分のしゃべり」に入っている我。
わたしもみなさんと同じ年頃のころ、初めて海外へ出ました。その経験が、その後のわたしを変えました。
今回はわずか1週間の滞在であれ、あなた方の、この地での経験は、かけがえのないものとなるはずです。
インドの、貧しくても元気で生き生きと暮らしている人たちの様子を、みなさん、間近に見ましたよね。
明後日、日本に帰国した時、あなた方は、きっと強い衝撃を受けるでしょう。
けれど、あなた方のような若い力が、日本を引っ張って行かねばなりません。
どうぞ、くじけることなく、強い力となって、牽引してください……。
思いはまとまらぬが、しかし、こうして出会ったも縁。
わたしの話を聞きたいと言う学生も数名いる。
従っては式典のあと、一緒にホテルへ戻り、しばらくインドのこと、慈善活動のこと、さまざまにレクチャーした。
パソコンを持って行っていたので、データや資料を見せながら説明した。
またバンガロールへ来ます、今度は慈善団体を訪れたいです。という人もいる。彼女らには、「インドの母」となってお世話をしてあげたいと思う。