ドライヴァーを巡る諸々の冒険を経て、現在はアンソニーAが、我が家のドライヴァーである。今のところ、4カ月ほどそれなりに平穏だ。油断はならぬが、取り敢えず、ノープロブレムである。
あ、ところでこの「ノープロブレム」。わたしの口癖と思っている読者がいらっしゃるようなので、敢えて記しておくのだが、これは、わたしの口癖ではない。
インド人の口癖、である。
ついでにいえば、たとえ問題があっても、「ノープロブレム」である。これは、いわば「かけ声」のようなものであり、ときに「願望」を込めることもある。念のため。
さて、話は戻るがアンソニーA。わたしは、ドライヴァーと、必要以上の話をするのは避けている。彼とも、時折、「家族のみなさんは元気?」とか、「子供たちはどう?」といったことを話すが、基本、無口だ。
が、クリケット優勝の翌日であった昨日は、さすがに声をかけた。
「昨日は、ちゃんと試合を見られた? 停電はなかった?」
「大丈夫でした。7時半ごろから30分くらい停電したけれど、そのあとは、ずっと最後まで見られました。ドーニーは、すごかったですね! サーも喜んでたでしょう?」
そう。人口12億人のインドにおいて、バックアップ用の自家発電装置を備えた住居に住める人たちの方が、圧倒的に少ない。
先日も記した通り、インドの電力供給は需要に追いついていないことから、計画停電どころか「無計画停電」が日常茶飯事なのである。
我が家でも、一日に数回、電源が切り替わる。自家発電装置を使っている時には、電源ボックスにオレンジ色のライトがともるので、一目でわかる。
ちなみに自家発電装置を使っている間のほうが、照明が明るい。つまり、公共の電力の方が、パワーが微妙に低いのだ。
そんな次第で、庶民にとっては、クリケットの試合が気になるのに加えて、「いつ停電がくるか?」ということの方にも気が気ではなく、スリリングなわけである。
人々が、家電店の前に集ったり、パブなどに集まって観戦するのには、みんなで大騒ぎをしたいという以前に、停電で見られなくなるのを避けるという理由もあるのだ。
わたしは、地震のあと、日本のメディアにあふれた「日本人礼賛」の言葉の数々に、たいへんな居心地の悪さを感じた。
確かに、3月11日、12日ごろの報道で見た日本の人たちの、「道徳心あふれる冷静な行動」に対しては、感嘆したし、すばらしいと思った。
外国のメディアも混乱が目に見えない静かな人々を礼賛していた。
しかし、だからといって、日本人が他民族に比して優れているとか、すばらしいとかいう話ではないと思う。
それは、あくまでも「見え方」の問題に過ぎないと思うのだ。
過去、数十カ国を旅し、数百の町を歩き、4つの国に暮らし、無数の国の人たちと言葉を交わし、異国の人間に嫁いだものとして書くならば。
これまで、他国の人々に比して、「日本人であるわたしが、特段すぐれている」と感じたことはない。
確かに、日本人は手先が器用だとか、片付けが上手とか、割り込みをせずに列を並ぶとか、時間を守るといった点において、非常に「きちんとしている」とは思う。
それは、幼少時の経験で育まれた経験であり、訓練であり、道徳心である。だからといって、人間的に、人種的に、優れているかどうかという点については、まったく別の問題だ。
人の個性があるとすれば、国にも個性がある。
その個性を育むものには、地理的条件や気候も大きく影響する。四方を海に囲まれ、四季のある小さな島国に育った人間と、見渡す限り荒野の大陸に育った人間とでは、思考回路が異なるのは当然であろう。
年中暑い国の人間が、日本人のようにあくせく働かないのは、当然のことである。適度にだらけなければ、身が持たない。
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たとえば、日本人のわかりやすいところで言えば、中国の人たち。なにかと、アグレッシヴな民族性を槍玉に挙げられることもある。だからといって、彼らに人としての思いやり、やさしさがないとは、言えまい。
中国残留孤児を育ててくれたのは、誰なのか?
と、考えてみるだけでも、ひと言で他国の人々を否定することの恐ろしさをわかるだろう。
それと同じことで、ひと言で、日本人は優れているということを口にするのも、恐ろしいことである
このような事態に陥ったことにより、自らを鼓舞し、励ますという意味でも、広まったのであろう日本民族礼賛だが、それがむしろ、無理を引き起こす気がしてならない。
このところ、しつこいほど書いているが、人には正負、陰陽、双方の感情がある。負や陰がない人などない。
負の部分を屈折した形で圧迫し、善を装ううちに、心にストレスを貯め込むのではなかろうか、というのが、わたしの懸念である。
日本人としてのわたしは、優れて秀でているにも関わらず、なぜ心にどす黒いなにかが? という矛盾。
協調性。
仲間意識。
出る杭を打つ。
集団行動。
日本人の特長は、どの状況においても、「長所」であるとは、いい切れないだろう。それがたちまち「短所」に転ずることもあるということを、自覚するべきだと思うのだ。
少なくとも、日本では常識的に「善し」とされることが、他国ではそうではない、ということもあるということをも、知っておくべきことだと思う。
なにしろ、これからは、日本は海外の力を借りずしては立ちいかないだろうし、もっと多くの若者たちが、国を出て、見識を広めるなり、外貨を稼ぐなりせねば、その閉塞感を打ち破ることはできないだろうから。
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日本を離れて15年がたつ。最初のころは感じなかったが、しかし10年ほど前から、帰国するたびに、日本に対する違和感や、「このまま、いったい、どうなるのだろう……」という不安感を募らせてきた。
ブログにも、帰国のたびに、そのネガティヴな印象を記そうと文章にするのだが、あまりにも「嫌われそう」で、アップロードできぬまま、溜めてきた文章が、ある。
コンピュータには、2年前の帰国時の記録も残っている。
昨年末の帰国時には、しかし「かなり穏やかな口調」ながらも、先進国の極みのような日本への不安を、西日本新聞の『激変するインド』に記した。
案の定、ある読者から攻撃を受けた。1200字。原稿用紙3枚以下の文字数で、思うところを検証を含めて記すのは簡単ではない。言葉がたりなかったのは認めるが、しかし、いずれも、わたしが感じた本心である。
恐ろしいほどに、「なくてもよいモノ」があふれていて、それが豊かさなのか。明るくて、まばゆくて、選択肢が多すぎて、疲れる。
人間が動物であることを忘却しきっていることの不安を、東京を歩いていても、福岡を歩いていても、感じずにはいられなかった。
何を書いても、何をどうしたいのか、自分でもわからないが、取り合えず、下記、昨年の日本帰国直後に書いた西日本新聞の原稿を、転載しておく。
日本は、この先、どのように、方向転換をしていくのだろう。
* * *
■目的地がわからない船に
10年に亘る米国生活を経て、インドに移住し、今月でちょうど5年。高度経済成長に伴い、日夜変貌する生活環境を目の当たりにする日々だ。
林立する高層ビルディング、急増する各種自動車、低所得者層にも普及する携帯電話、欧米化するファッション……。ショッピングモールやスーパーマーケット、レストランも続々と誕生し、確かに便利になった。
人口約12億人。日本の約9倍の国土に、多数の言語と宗教が混在する。移住当初は、異文化の混沌に戸惑い、著しい貧富の差、筆舌に尽くし難い不便に打ちのめされた。
水漏れや停電などインフラストラクチャーの不備をはじめ、次々に襲いかかる大小のトラブル。これらは改善されて然るべき問題だ。しかしその都度、周囲の人々に助けられた。
ご近所さんに頼る。家族や親戚の力を借りる。よくも悪くも人との交流が不可欠だ。時が経つにつれ、この国ならではの人々の協調や共存、社交性を、肯定的に感じる場面が増えた。
先日、久しぶりに日本へ帰国した。家族や友人に会える、おいしい日本食が味わえる、街が清潔で整然としている、物事が機能的に運営されている……と、日本のよさを挙げればきりがない。
その一方、閉塞感を覚えずにはいられなかった。
スーパーマーケットやコンビニエンスストアに赴けば、種類は豊富でも、過度に手が加えられた加工食品が多いことに気づく。出来合いのものばかりを口にしていれば、その結果は推して知るべしだ。
また、かつては見慣れていたはずの工業製品の多さに目を見張った。膨大な量の見目麗しい商品群を目の前にして、要不要がわからなくなる。
きらびやかさを助長する店内の蛍光灯の、青白く鋭い光にも辟易した。暗すぎるのはよくないが、明るすぎるのもまた、目の毒ではなかろうか。
今回は都市部しか出歩かなかったせいもあるが、高齢者が多い日本にあって、老人の姿が少ないことにも驚いた。整備された歩道を歩けば、突然背後からすり抜けていく自転車。そのたびギクッとさせられる。
老人や身体障害者が安心して歩けるわけがない。一方、駅などの公共の場では、絶え間なく注意を喚起するアナウンス。トイレに入れば勝手にせせらぎ音が流れてうるさい。
追求されすぎた利便性は、時に制御不能となり、むしろ不便だ。受け身の生活が当たり前となり、判断力が損なわれる。このままでは退化するのではないかと思うくらいだ。
人間は自然の一部であり、動物である。その事実が忘却されているように思えてならない。
先進国に暮らしていると、「先進=優等」「後進(発展途上)=劣等」という図式に囚われがちだ。歴史や文化は二の次に、テクノロジーが尊重され、機械文明は進む。
しかし、そこに暮らす人々の瞳の輝きは、工業製品の光沢に負けてやしないか。
先進国への道を邁進中のインド。あまねく人々の生活環境の向上を望む一方、目的地がわからない船に乗り込んでしまったような不安を、感じずにはいられない。
(西日本新聞『激変するインド』2010年11月記事を一部修正)