2001年6月30日に、米国で二人だけの結婚式をして、届けを出した。翌7月、初めてインドに渡り、結婚関連の儀式を行った。
当時、わたしはニューヨークで、夫はワシントンD.C.で仕事をしていた。夫は結婚したら、一緒に暮らそうと言っていたが、わたしは当面、ニューヨークを離れるつもりはなかった。
もしも、子供が生まれたときには、一緒に住もう。でも、それまでは……と、結論を出さずにいた。ミューズ・パブリッシングの仕事が波に乗っていたし、ニューヨークを離れるのがいやだった。
週に一度は、どちらかが、どちらかの都市を訪れる暮らしだった(離れている割に粘着型)。わたしがD.C.を訪れるときには、1週間ほど滞在していた。
そんな暮らしをしていた最中。
2001年9月11日、わたしはワシントンD.C.の家にいた。テレビの画面に映る、まるで映画のようなシーン。窓を開ければ遠方に、ペンタゴンから吹き上げる黒煙が見える。
その1週間後、一人でニューヨークに戻った。荷物を部屋に置くやいなや、エレベータに戻り、屋上に上った。52階のそこからは、マンハッタンが一望できたのだ。
いつも彼方に見えた、二つの棟のあたりから、煙がたなびいていた。ほのかに、嫌な匂いが、空気を満たしていた。大好きだった夕映えの摩天楼が、あんなに哀しく見えたことはない。
仕事にはなかなか手につかず、塞ぐ思いで、街を徘徊する日々。
数日後の夜、近所にあるハドソンホテルの、お気に入りのバーのテラスで、一人でワインを飲みながら、揺れる灯火を眺めていた。
あのとき、人生の優先順位を、変えた。
これまで好き勝手に生きて来た。これからは、夫と二人の時間を優先しようと。来年の年明け早々に、ニューヨークを引き払うことを決めた。
もしもあのとき、ニューヨークを離れていなかったらどうなっていただろう。などと考えるのは無意味なことだが、しかしときどき思う。
自分を取り巻くすべての現象が、直接はもちろん、間接にせよ、今の自分を育んでいる。
9/11のあともそうだった。それまで独身生活を謳歌していた人たちが、「家族の結びつき」を見直しはじめていた。
結婚に加え、出産も増えた。そして離婚する人が、多分少しだけ、減った。
その趨勢をまるで他人事のように見ていたけれど、よくよく考えれば、わたしもその中の一人であった。
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わたしたちの結婚の直後、以下のような出来事があった。10年前に「メールマガジン」に書いた記事を、以下、一部抜粋する。
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「まるで子犬のように夫を出迎えましょう」
私たちがアメリカで結婚の手続きをした直後、福岡の妹から祝福のEメールが届いた。そこには、結婚生活の先輩からの、唯一のアドバイスとして、上記の一言が記されていた。
「なに~? 子犬のように夫を出迎える~?!」
(なんじゃそりゃ)と笑いながら読み進めば、この言葉は我が母親からの伝授だという。
以前、母は知人に誘われて、某団体が主催する「心のセミナー」なるものに参加したという。その話のなかで印象に残ったのがこの言葉だったらしい。
早速実行したところ、「これはいい!」という結論に達したらしく、嫁ぐ娘へ「はなむけの言葉」として贈った。
「子犬のように」とは、それが多少、阿呆っぽくみえるとしても、「ニコニコとうれしそうに」ということであろう。
「夫を出迎えましょう」となっているが、妻の方が遅く帰宅する家庭は「妻を迎えましょう」で応用できよう。結婚していない同棲中のカップルにも有効かもしれない。
さて、これを実行するのは簡単そうでいて意外に難しい。
しかし一旦実行してみると、我が母の言うが如く「これはいい!」という効果が伴う。「ばかみたい」などと言わず、好奇心のある方、お試しあれ。しかも、「子犬効果」は相手に強要せずとも、自分が行っていれば自然と「伝染」する。
無論、日頃の対応如何によっては、気味が悪いと言われたり、下心があるのではと勘ぐられたりする可能性もあるが……。(2001年11月9日の記録)
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つまり、「ただいま」「おかえり」を、きちんとする、ということだ。これは母からのアドヴァイスとして、ありがたく、基本、実行している。
もっとも我が家の場合、夫が「おかえり〜!」と言いながら帰って来る場合も少なくなく、一人でガクッとすべるリアクションを、一応、せずにはいられず、ひと手間かかるのだが。
子犬化しての出迎えに加えて、わたしが心がけているのは、「行ってきます」「行ってらっしゃい」に、気持ちをこめること。
これは、結婚を遡る、まだ東京に暮らしていたころに、心に刻んだことだった。阪神大震災の被災者のコメントを、なにかの記事で読んだときのこと。
ある女性が、ボーイフレンドとけんかをしたまま、その日は別れた。翌朝の震災で、彼は他界した。彼女は、最後に笑顔で別れなかったことを、とても悔やんでいる……という内容であった。
それを読んだときに、思ったのだ。
「さよなら〜」や「バイバイ!」や「いってらっしゃい」や「じゃあね〜!」には、永遠の別れの可能性が、秘められている。
人と別れるときには、だからこそ、きちんと「挨拶」をしよう。そう思った。
夫と生活を共にするようになり、だから、これらの挨拶だけは、きちんとやろうと心がけている。
とはいえ! くだらん喧嘩の多い我々である。
その実行度は、完璧からはほど遠い。ときには、投げやりに「行ってらっしゃい!」と言うこともある。そんなときには、お互い心が落ち着かないから、たいていトラブルが起こる。
それをわかっているから、ふてくされて外出した後は、どちらかが電話をかけて、挨拶をしなおす。
「ちなみに、わたし謝らないよ。90%あなたが悪いんだから」
「いや、今回は50/50だ」
「あ〜、結局、自分、反省してないわけね。せっかく電話してやったのに!」
「そっちこそ、無駄な電話、かけてこないで!」
「う〜〜。あ〜もう、むかつく。じゃあね。Have a nice day!」
「You, too!」
みたいな、子供の喧嘩並みの展開になり、状況が好転しているんだか悪化しているんだかわからんケースもある。
しかし、たいていは、和解の方向である。つまり、諍いを長引かせず、1日でリセットさせる効果もある。
自分の力の及ばぬ、たいへんなことが起こっているとき。『キレイだったブログ』にも書き残したが、直接の被災を受けた人を除いては、「いつも通りに」生きることが、大切だと思う。
ただ、その「いつも通りは」、当然ながら、「含みのあるいつも通り」である。
日常の尊さを、思い知らされたあとの、身の振り方。結局は、先日「Make Our Garden Grow. 庭仕事に精を出しながら。」(←Click!)で書いた通りのことくらいしか、実行できないとはいえ。
あれから10年が経ち、結局、自分ができることといったら、あのときと同じことなのだ。
ただいま。
おかえり。
行ってきます。
行ってらっしゃい。
ついでに
いただきます。
ごちそうさま。
この挨拶に込められた日常への感謝を、意識しながら、生きること。結局は、それくらいのことしか、できないのだ。そのくらいのことだけれど、誰にでもできる、そして多分尊いこと。
記憶。思い出。
今から19年前。うら若きわたしは、モンゴルへ一人旅をした。その旅の前に読んだ書物の中に、チンギス・ハーンの息子であるオゴタイ・ハーンのことばが記されていた。
それれは、わたしの心に深く刻まれた。更にその後の旅の経験を通して、その言葉の重みが増した。
「永遠なるものとはなにか、それは人間の記憶である」
「財宝がなんであろう。金銭がなんであるか。この世にあるものはすべて過ぎ行く。この世はすべて空(くう)だ」
以下、旅のあとに自費出版した『モンゴル旅日記』の一部より、抜粋する。
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かつて、モンゴルと、中国を中心とする周辺諸国との間で繰り広げられた軋轢の数々は、「遊牧民族」と「農耕民族」という圧倒的な価値観の違いによって生まれたものだ。
遊牧民は、草が生い茂った「素のままの大地」を生存の絶対条件とし、農耕民は草地を耕し田畑にすることを絶対条件とする。
モンゴルと中国の間の深い溝は、この価値観の違いによって、紀元前の昔から延々と築き上げられてきた。モンゴルがソ連になびいたのも、そんな中国の支配から逃れたいがためのことだった。
隣り合わせの2国間には、民間レベルでは今なお、冷たい風が吹き抜けている。
同じ蒙古斑を持つモンゴロイドということで、日本人とモンゴル人は近い存在だといわれる。しかし、たとえ顔は似ていても、生活の根本的な部分は、まったく異質なものだと思われる。
彼らはそもそも、驚くほどに「欲」の少ない民族だった。常に移動する彼らにとって、「物」は大した価値を持たなかった。
■『モンゴル旅日記』より抜粋。ウェブ復刻版はこちら。(←Click!)
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わたしがロマ族(ジプシー)や、モンゴルの人たちや、など「遊牧民」「流浪の民」に対して、遠い昔から強く心を引かれるのは、彼らのライフに、自分が求める真理のようなものが、あるからかもしれない。
それが実現可能か否かは別として。
ところでロマ族(ジプシー)の起源はに北インドのロマニ系に由来していると言われている。インドに導かれたのには、さまざまな要素があったのだと、思う。
ともあれ、話を戻す。
ただいま。おかえり。行ってきます。行ってらっしゃい。いただきます。ごちそうさま。
この美しい日本語を、日本語ならではの表現を、大切にしたい。
【おまけ情報】
"Black Cat, White Cat"(邦題『黒猫・白猫』)
●監督:エミール・クストリッツァ
●製作年:1998年
●製作国:ユーゴスラヴィア、フランス、ドイツ
数年前にも紹介したが、再び。わたしの大好きな映画の一つ。ドナウ川のほとりで生きるジプシーたちのライフ。出演者の大半が、本当のジプシーたちだ。音楽も、ハチャメチャなストーリーも、なにもかもが、いい!