5月27日は父の命日。2004年に他界したから、7回目の命日だ。他界したのが66歳だったことを思うと、若かったな、と感じる。
いつもは、ガネイシャ像に花を手向け、蠟燭を灯し、線香を焚くのであるが、今年は庭の仏像にも。
夕べは風が強かったのか、隣接する敷地の、インド菩提樹に絡み付いているブーゲンビリアの花が、我が家の庭にたくさん舞い飛んで来ていた。
それを拾い集めて、仏像に飾る。
神様に花を飾るのは、ヒンドゥー教的だな、と思いながら。インドの神様は、マリーゴールドやジャスミンやバラのレイなどを首にかけられたりして、華やかに飾り立てられているものが多いのだ。
「ミホ。その耳元のブーゲンビリアは、くすぐったいんじゃない? 瞑想に集中できないと思うけど」
確かに仰る通りである。そこまで仏像の気持ちになって、考えておりませんでしたよ。
右上の写真は、インド菩提樹の葉。とてもかわいらしい形をしている。
2階のベッドルームの窓から見下ろすと、こうして菩提樹越しに、仏像が見える。仏陀が瞑想をし、悟りを開いたのがインド菩提樹のたもとであった。
だから、この場所に仏像は、とてもぴったりだと思ったのだ。
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この間のムンバイでの、日本山妙法寺での経験は、本当にありがたいものだった。記憶を、遠くにまで遡らさせ、両親をこえ、祖父母までをも、偲ばせてくれた。
記憶。断ち切れることのない絆。わたし自身のOriginについて、思いを巡らせる。
あれこれと、綴りたいことあれど、今日のところはこの辺で。