日本を離れて15年。ニューヨークで、ワシントンDCで、そしてインドで、数多くの日本人に出会ってきた。
米国在住時には、仕事を通して出会ったクライアント以外の「駐在員及びその家族」に関わる機会は極めて少なかった。
自分の仕事で手一杯だったのに加え、駐在員の奥様方とは、あらゆる面で住む世界が違いすぎると思っていた。
実際、『muse new york』の取材で、駐在員家族のお宅へお邪魔するべく郊外へ赴いたこともあったが、「入り込めない壁」を感じていた。
尤も当時はわたしも若く、肩肘を張って生きていた。その壁は自分で作り上げていたとも言える。
インドに来てからは、米国時代とは異なり、日本のコミュニティにも関わってきた。
日本人会総会のパーティに出席したり、さくら会と呼ばれる女性たちの会合に参加したり、また自らもOWC(外国人女性のクラブ)の日本人お世話係を3年間、受け持った。
加えて、チャリティ・ティーパーティを催し、日本の駐在員夫人をお招きして、会話や講座を楽しむひとときを設けたりもしている。
わたしもずいぶん、変わったものだと思う。
しかし、人付き合いに深入りしないという点においては、昔から変わらない。
まあ、その件については、触れると長くなるので割愛するが、基本、「爽やかなお付き合い」を心がけている。
ほとんど日本人社会と関わりのなかった米国時代も、そして現在インドでも、一貫して感じことがある。
異国で生活をするということは、一筋縄ではいかない。
たいへんさ、負の側面を察し、理解した上で、常々思うのは、できることならば、夫婦、もしくは家族そろって赴任するのがいいのではないか、ということだ。
特に、今の時代。特に、インドなどの発展途上国においては。家族そろって、艱難辛苦を乗り越えるほうがいいのではなかろうか、と思うのだ。
この件について、「余計なお世話だ」と思う方は、看過願いたい。
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妻の仕事のこと。子供の学校のこと。親の介護のこと。それぞれの家庭にそれぞれの事情があるだろう。が、もしも、
「ニューヨークだったらよかったのに」
「パリだったらついていくけど……」
といった理由で、インドに家族が伴わないということであれば、それは再考の余地ありだと思う。
そもそも、異国での暮らしは、それがニューヨークだろうがパリだろうがロンドンだろうが、思い通りにいかないことが「普通」であり、問題には、必ずぶつかるものである。
さて、インドでの仕事や生活は、一筋縄ではいかないことは、ここでも何度も記してきた。日本とはさまざまな点において常識が異なる上、複雑な文化や習慣が存在する。
一つの国でありながら、いくつもの国が混在し、同時に時代も入り乱れている。「三丁目の夕日」的な世界と現代とが、渾然一体となっている。
そんな中、男性が一人で異国に赴き、仕事をこなし、日常生活を運営するのは、実にたいへんなことである。
ちなみに、女性の単身赴任に関しては、この場合、あまり心配はしていない。女性の方が、比較的フレキシブルでたくましいケースが多いからだ。
夫の仕事のために、妻が自分のキャリアを諦める。これはかなり大きな問題となるだろう。しかし、長い人生のうちの数年間。タフな時期を共に乗り越えるのはまた、意義深いことだと思う。
仕事をやめてインドへ帯同して来た女性たちを何人も見て来た。悩んだ末に仕事を辞め、こちらへ来た人は、ただ漫然と時を過ごすのではなく、この地で自己実現の場を模索している人が多いように思う。
慈善活動、ヨガやアーユルヴェーダなどの勉強、コミュニティへの参加など。日本へ帰国後、ビジネスに生かしている人もいる。
インドへ来ることがマイナスになることばかりではない。
子供にとってもしかり。異国の子供たちと触れ合うことで、世界観が広がる。たくましくなる。免疫力が強くなる。
この国に暮らしていたら、否応なく家族の会話が増える。引きこもってはいられないからだ。子供たちは、親に頼らずには暮らしていけない。
折に触れて書いていることだが、
便利=幸福ではない。
不便=不幸ではない。
不便のなかに、愉しみやおかしさが、秘められている。
不便のなかに、家族のつながりを深める要素が込められている。
不便のなかで、創意工夫が育まれる。感謝の気持ちが芽生える。
そういうことを気づかせてくれるのはまた、ここでの暮らしならでは、である。
夫婦は、家族は、支え合って生きていかんと。家族の平和あっての、世界の平和であろう。
わたしのブログを読んだことがきっかけで、単身赴任ではなく、家族で来ることに決めた、などとうれしいことを伝えてくださる方に、これまで3名ほど、お会いした。
少なからず、世間に貢献していることを知ることができるのはうれしいことだ。ただ、
「インド、最悪。来るんじゃなかった」
「坂田さんのブログ、詐欺。」
などと、文句を言われたりした日には責任を持てんので、これ以上、勧めることはしない。まあ、そういう責任転嫁傾向の強い人とは、基本、関わるつもりはないのだが。
ただ、書き添えるならば。
「後悔するかも」と、常に思い悩んでいる人は、たいていどの道を選んでも後悔するものである。
「後悔するもんか!」と思っている人は、後悔しないような道を選ぶから、たいてい後悔しないものである。
たとえ後悔していても、していないふりができるのは、前向きな意地っ張りであり、それは即ち努力ともいえる。
それから、常に不満や文句を口にしている人のもとには、何年も住んでいるわたしにさえ降り掛かって来ることのないようなトラブルが、連発するケースがある。
不満はトラブルを招く。まあ、不満を言ってなくても、それなりには、降り掛かってくるのがインドだもの。だが。
ところで、これまで比較的避けて来た駐在員家族向けの話題を、なぜ敢えて記しているかといえば、1週間前の日曜日、駐在員のご家庭に招かれたからだ。
それも、「インド生活を前向きに暮らすために」というテーマでの会合の、「語り手」として。
わたしが "INDO WATCHER" というインドビジネス情報誌に書いていてたコラムを読んだ駐在員男性のHさんが、感想のメールをくださったのがきっかけだ。
その後、何度かお会いする機会があり、会合のお誘いを受けたのだった。
Hさんのお宅に10家族が集まった。子供たちもいるし、夫婦同伴ということで、比較的カジュアルな内容でのインドの紹介である。
実際には、飲んで食べて騒いでの集まりが主目的な、楽しい集まりであったのだが、ランチの前に1時間ほど、皆が車座になって、話をしたのだった。
たとえここに住んでいても、なかなか知ることのできないインドの実情。その断片をお話しすることで、これまで解決できなかった疑問が解消するケースもあるのではないかと察せられた。
夫も、インド人からの意見を述べるなど、積極的にかかわってくれた。
話のあとは、ランチタイム。みなさんが持ち寄ってくれたおいしい料理に、マイハニーも大喜びである。
超貴重品な和牛の料理を持参してくれた家族もあり、
「和牛ビーフ、最高!」と、夫はご満悦である。ニューヨークのレストランなどでは、日本の牛肉を「WAGYU BEEF」と呼ぶのである。
牛肉を喜んで食べるヒンドゥー教徒の夫を目の当たりにすることからして、書物にはない「奥深く広がりのあるインド」をつぶさに実感いただけるというものである。
ニューヨークのユニクロで購入した、夫は「菊正宗」わたしは「名物七味唐辛子」のTシャツという微妙ペアルックで参上。
などという話はさておき、普段お会いする機会のない駐在員の方々と会話ができたのも、とてもいい機会だった。
今回はわたしが話してばかりだったが、逆にみなさんの、インド生活の経験談をお聞きしたいとも思っている。
インド生活を前向きに乗り切るため、わたしたちの経験が生かされるのであれば、これはまた、意義深いことである。またこのような機会があれば、積極的に参加させていただきたいと思っている。
チャリティ・ティーパーティで行っているようなレクチャーの延長で、インド生活にあたっての提言をプレゼンテーションすることもできる。仕事とは別に、このような活動もまた、需要があれば行いたいと思う。
なお、ブログの一番上にも記しているが、現在「インド発、生活情報サイト」を製作中だ。すでに完成しているテーマにはアクセスできる。
インド生活において、役に立つ情報を、今後、ブログからこちらに移行しつつ、検索しやすいサイトを作ろうと思っている。
★ "INDO WATCHER"に載せた記事に、大幅な加筆修正を加えて掲載している。ご覧いただければと思う。
■インドに暮らすにあたってのご提案 (←Click!)
★以下は過去、駐在員の子供たち関連の記事をまとめたもの。参考までに。
■異国で子どもを育てるということ。 (←Click!)
■PWG会合で、「異国における教育」を語り合う。(←Click!)