目覚めてなお、夕べの喜びが、引き続いている。窓から差し込む朝日。寝ぼけたまま、半ば無意識のうちにカメラを手に取り、顔も洗わずに、写真を撮る。
目の前にある光景を、とどめずにはいられない、衝動。
シャワーを浴び、身支度を整え、朝食に向かう前に改めて、カメラを携える。
どこをどう切り取っても、自分の心にぐっとくる、そんな世界。
わたしは、写真を撮ることに慣れていることもあり、素早い方だ。
そのわたしが、よりいっそう、何も考えずに、即座にシャッターを切ってしまえる。それは、自分の好む光景が、あたり一面に満ちあふれているからこそ、であろう。
いつまでも、記憶しておきたい、シーンの数々……。
などと、フォトグラファーでもないわたしが、偉そうに写真撮影を語りたくなるほど、自分で撮っておきながら、見ていて幸せになる、今日はまた一段と、大好きな写真ばかりだ。
朝食は、フルーツ、もしくはミューズリから一品。パンケーキ、バナナケーキ、フレンチトーストから一品。夫とは、別々のものを注文して、分け合って食べる。
バナナ、パイナップル、パパイヤ、マンゴー。
ありふれたフルーツがおいしいのは、「今、まさに食べごろ」な、ほどよく熟したものが、供されているから。
簡単そうで、実は簡単ではない、濃やかな心遣い。
ホテルの一隅には、お洒落なブティックがあり、骨董品や布、書籍などが、静かに並べられている。
朝食をすませたあと、まだ暑すぎない午前中に、街を散策することにした。
ゴールは、ポルトガル、オランダ、そして英国という三つの国の統治を経て、現在に至る。
その変遷が、このフォートでは、肌身に感じられる。
夕べ、フォートに入った瞬間に思い出したのは、ポルトガルのファロと言う港町。心に残る旅先の一つだ。
まだ夫と出会ってまもないころ、スペインのセビーリャを起点に、アンダルシアを巡って後、ポルトガルの最南端から北上するドライヴの旅をしたことがある。
わたしにとって、スペインは、取材や個人の旅行で、幾度か訪れたことのあるなじみの地であった。
夫とは、すでにそれ以前に、バルセロナを含む地中海沿岸を列車で旅したことがあったので、彼の知らないアンダルシアを見せるべく、彼とは二度目のスペインだった……。
などと、説明していると、また話が長くなってしまう。
ともあれ、ジブラルタル海峡を見晴るかしながら、国境を超えてスペインからポルトガルへ入り、夕暮れ時に到着したファロの、その言葉に尽くし難い、哀愁。
時代を数百年、ぐっと遡ったかのような街の風情に、心を奪われた。そのときの心持ちを思い出させる、夕べの一瞬だったのだ。
今、懐かしくなったので、ちょっとアルバムを開いてみた。上はそのときの写真の一部だ。
当時はデジタルカメラもなく、あまり写真も撮らず、ごく限られた数枚しか残っていないが、記憶の中には鮮明に、街の様子が刻み込まれている。
ゴールの、このフォート内は、世界遺産となっており、ユネスコの管理下に置かれているとのこと。昔ながらの町並みを残すべく、さまざまな規制もあるようだ。
今にも崩れ落ちそうな、ぼろぼろの建物がまだ残る一方、ブティックやホテル、カフェなどに姿を変えている店もあり、しかしそれが、街の味わいを損なっていない感じが、いい。
ホテルのすぐ近くには、オランダ統治時代の教会などもあり、その気になって歩けば、ミュージアムなどの見どころも点在するフォート内。
しかし、早くも日差しは鋭くなり始め、気ぜわしく歩くよりも、ホテルでのんびりしたい。その一方で、もう少し街の様子を知りたい。
ホテルや店の看板の意匠にも、多分規定があるのだろう、あまり目立たないので、それがどこなのか、即座には判断できないのだが、「ここは?」と思ったこの建物。
「アマンガラ」と呼ばれる、アマンリゾーツのホテルだ。このホテルにも泊まってみたいと思っていたが、かなりグレードが高い。
時期によって異なるだろうが、1泊US$500。ラグジュリアスなカテゴリーに入るホテルだ。3泊するには贅沢すぎることもあり、選択肢から外したのだった。
細部が洗練された、高級感が漂うホテルのロビーやラウンジ。外観の手入れも行き届いている。部屋もきっと、すばらしいのに違いない。ご興味のある方は、ホームページをどうぞ。
■AMANGALLA (←Click!)
左上は、フォートと外の世界を隔てる壁。2004年の津波の際には、この城壁のお陰で、フォート内は被害を免れたのだという。
またしても、小さな看板が掲げられたブティック・ホテルを見つけた。フォート・プリンターズ。ここも滞在の候補に挙がっていたホテルだ。
かつて、イスラム系の印刷所だった建物だということで、入り口に入るなり、中央に昔のプレス機が飾られている。
コンテンポラリーなインテリアの、静かで、シンプルに居心地のよさそうなホテル。しかし、わたしの好みは、自分たちが滞在している、ゴール・フォート・ホテル。あちらを選んでもらって本当によかった、と思う。
まだまだいくつかのブティック・ホテルがあるのだが、もう、今回の見学はこのくらいにしておこう。なにしろ、ジーンズをはいていること自体が暑苦しく、早くホテルに戻りたい。
と、ホテルの近くで、BAREFOOTという名のブティックを発見。ホテルからもらったブローシュアの、ショッピングスポットのリストにあったので、名前は覚えていた。
早速入ってみた。入った瞬間、またしても、惚れた。
そらもう、いい感じのテキスタイル製品などが揃っているのだ。衣類、雑貨、子供のおもちゃ。それにブックコーナーや、アーユルヴェーダの処方に基づいたコスメティクスなどのコーナーもある。
今回の旅。買い物のことなど、ほとんど考えていなかったのだが、あれこれ眺めていると、あれこれ欲しくなる。MiPhone@Indiaにも載せたが、かわいさ余ってネズミのぬいぐるみを買ったら、夫の顰蹙を買った。
夫はネズミ年なので、ちょうどいいと思ったのだけど。
ちなみにこの製品、手織り&手染めだとのこと。お子様にも安全なぬいぐるみである。
■BAREFOOT (←Click!)
ホテルのそばにある、映画のポスターのショップ。ここでは懐かしのボリウッド映画の復刻ポスターなども飾られており、夫はポストカードを数枚購入。右上は、若かりしころのアミターブ・バチャンだ。
ランチは、外のカフェでも試そうか、とも思ったのだが、自分たちのホテルの料理がおいしくて安心だとの結論で、賭けに出ることなく、ホテルに戻る。
今年は、アーユルヴェーダグラムから「出所」して以来、例年になく、なぜか肉類の摂取が激減しているマルハン夫妻。
主食もチャパティでヘルシーに、肉を食べたいという衝動も落ち、これは大人になったということか。
というわけで、豆腐とチンゲンサイ入り米麺のヌードルと、サラダ・ニシソワーズを。これがまたなんというか、普通に素朴においしくて、幸せ。
驚いたのが豆腐。絹ごし系の柔らかで美味なる豆腐だったのだ。自家製なのかどうか、聞くつもりが忘れてしまった。
食後はホケーッとお茶を飲みつつテーブルで書き物をして、夫は花のまわりを飛び交う小さな蜂を撮影するくらい、気分に余裕があるようで、心地のよい時間である。
部屋に戻り、わたしは旅の途中の写真を整理したり、部屋に置かれている写真集を広げたり、ぼーっとしたりして、過ごす。
夫はプールで、気持ちよさそうに泳いでる。
午後をのんびりと過ごした後、軽くシャワーを浴び、日が傾き始めたころにまた、散歩に出ることにした。
先ほど、BAREFOOTで購入した服を早速、着てみる。軽くて、涼しくて、快適! ジーンズなどよりずっといい。やっぱり、郷に入れば郷の服装に従え、である。
フォートの中には旅行者向けのホテルや店があるほかは、ローカルの人たちは高齢者の居住者が主だという。その言葉通り、街の随所で、老人たちの静かな様子を見かける。
ところで、スリランカもインド同様、ジュエリーショップが多い。スリランカでは、主にムーンストーンとブルーサファイアが採掘されるようだ。
しかしそれ以外は、多分インドで購入する方が価格的にはお手頃のよう。
なにしろ店の人が、わたしがインドから来たと告げると、「この手のセミプレシャス・ストーンは、インドの方が安いかも」と言っていたくらいなので。
但し、前述のムーンストーンならスリランカの方がいいだろう。
ただし、フォート内にある、あらゆる土産物、骨董品店は、海外からの旅行客を対象としているので、「いい買い物」をしたいのであれば、フォートの外で店を見つけた方がいいようだ。
ちなみにBAREFOOTは本店がコロンボにあり、値段はどの店も同じはずである。
■夕暮れ時。ポルトガル、オランダ、英国の植民地時代に思いをはせつつ。
日没の海辺の、数百年前の遺跡が現在、の砦に触れつつ、歩きながら、海を見渡し、風を受ける。
1292年。当時38歳だったヴェネツィアの商人であり冒険家、マルコ・ポーロは、インドへ向かう途中、このゴールを通過した。
マルコ・ポーロをして、「セイロンは世界で最も麗しい島の一つ」と言わしめていたという。
ここへはまた、中国からの商人らも立ち寄っていたらしい。
1505年。ポルトガルのガリオン船(貿易用の大型帆船)が、インドのゴアからモルディヴに向かう途中、大嵐に遭い、現在のゴール沖で座礁した。
翌朝、船長が、数マイル先の岸辺、つまり現在のゴールにあたる海辺から、「雄鶏の鳴き声」を聞いたことから、この街は、ポルトガル語の雄鶏、"GALLO"が転じて"GALLE"と命名されたらしい。
ちなみにポルトガル人にとって、雄鶏は有名な伝説のモチーフ。我が家にもポルトガル土産の黒い雄鶏の飾りがある。
バルセロスの雄鶏。関心のある方は、検索されたい。
ポルトガルによって、ゴールにフォート(砦/要塞)が築かれ、ここは植民地となった。やがて、アジアと欧州の貿易港として、重要な役割を果たすようになる。
その後、17世紀に入り、今度は東インド会社なオランダ艦隊がやってくる。1640年、オランダは相当無茶をして、良港であるこのゴールを手中におさめるべく、戦いを挑んだようだ。その際、多くの現地人の命も奪われたという。
当時、ここで取引されていたシナモンを中心とするスパイスや、宝石類は、欧州の人々にとって、この上なく価値の高いものだった。
シナモンやカルダモンが、ゴールド(金)と取引されるほど、であったという。
その後、18世紀に入り、今度は英国の植民地となる。
こうしてさらっと、歳月を記し連ねるのが憚られるほど、それぞれの時代に、それぞれの戦いが繰り広げられてきたのだろう。
重厚な歴史があったことが偲ばれる。
この厚みのある城塞、岩がちな海岸を乗り越えて、オランダの船が攻め入ってきたときの様子。
その戦闘の有様を想像するのは、たやすくない。
このゴールがまた、ゴアやマレーシアのマラッカとも似た匂いが漂っているのは、ポルトガルやオランダの影響を受けているからこそ、であろう。
欧州列強とアジアの過去に思いを馳せつつ、しかしたどり着いたのは、菩提樹のたもとの、仏教寺院。夕べから、キリスト教会だけを見ていたせいか、ここが仏教国であることを、束の間、忘れそうであった。
こうして、過去が現在に至るまで、連綿と続いている様子が、日常に満ちあふれている中で、人生を送るというのは、いったいどういう心境であろうか、と。
人々の精神構造、価値観に、どのような影響を与えているのだろう。過去から連なる哀しみ、恨み、怒り。喜び。
過去を意識せぬ、浮き世にのみ、身を委ねたライフとは、明らかに、異質であろう。
普段、考えの及ばないところまで、思い至らせてくれるのも、また旅の醍醐味だと思いながら、夜風に吹かれて、歩く。
どんな宗教に帰依していようとも、人は、愚かなときには、果てしなく愚かであり。愚かさの象徴。そのひとつは、物欲に囚われ、地位に固執し、他者を倒し、奪い、我が、我が、という有り様か。
人間が人間として生まれた時から、戦いは続き続いて延々と。
奪い合い、殺し合い、血を流し合い、そこには何一つ、正当な理由などないはずなのに。
ともあれ、世界の有り様を憂うより、自分の心の平穏をまずは、育もうではないか。
キリスト教会、仏教寺院、ヒンドゥー寺院……。あちこちで、節操なく「合掌」し続けている、我が人生。
殺戮し合うことのない世界。不毛な諍いのない世界。子供が笑顔で未来を語れる世界……。
よき旅の途中は、魂が、時空を超えやすい。
ホテルに戻り、スリランカの美味ビール、ライオンビールを味わう。軽く、食事をする。今日もまた、豊かな一日であった。
心地のよいベッド。ふかふかとした枕で、眠りにつけることの幸せ。