■ゴール Galle: 心地のよい非日常の快適さ。旅の醍醐味が詰まった朝
目覚めた直後。普段のように、お湯を沸かして、二人、白湯を飲む。いつもは、家の庭。我が家の庭もまた、すてきな場所だけれど。
旅先には、非日常の心地よさがある。
屋根。焼きむらのある八つ橋のような瓦が積み重ねられた屋根を眺めながら、飛び交う鳥たちを眺めながら、今日もまた、青空だ。
アルヴィンドが、ここでの3泊を決めたのは、ビーチで泳ぎたいから、ホエール(クジラ)・ウォッチングをしたいから、という理由があった。
なんでもこの時期、クジラがよく出没(?)するとかで、ホエール・ウォッチングのツアーが人気らしいのだ。三半規管の弱いわたしには、船が激しく揺れるらしきそのツアー、有り得ない。
行きたいのなら、一人で行っておいでよ。わたしは、フォートで過ごすから。
そう言うわたしに、最初は一人で行くと言っていた夫だった。しかしながら、心地のよい空気に、彼もここでくつろぐことを選んだ。
結局は今日もまた、朝は散歩をし、昼過ぎはホテルで過ごすことに。そして遅めの午後、フォートの外へ出かけよう、ということにした。
今日の朝食。ミューズリーを試す。添えられたヨーグルトが、インドの甘いヨーグルト、ミシュティ・ドイにも似た味わい。ミューズリーと合わせるにはリッチ(濃厚)すぎる気もしたが、これがまた、おいしい。
今日は卵とベーコン、そしてパンケーキを選ぶ。それぞれを、夫と半分ずつにして、試す。このホテルは、コーヒーもおいしい。紅茶もいいけれど、コーヒーが好きなわたしには、うれしい。
尤もわたしは、旅に出るたび、コーヒーパウダーを持参している。
南インド産の飲み慣れたコーヒー。カップとお湯さえあれば入れられる1杯分のフィルターと、コーヒーパウダーを密封容器に詰めて。
米国に行く時にも、日本へ行く時にも、インド国内の旅にも。
右上の写真。クリックして拡大して見ていただくとわかると思う。例の「エッグホッパー」が、さりげなく、売られている。
途中、隣り合わせに立っていた不動産屋2軒で、情報を収集する夫。社会保障が不安定なインドでは、資産管理(運用)の筆頭が不動産投資につき、我が家の場合も例に漏れず。
インドではなく、スリランカにセカンドハウスはどうだろう? と、の衝動に駆られ、一応、話を聞いてみているところである。
内戦終了後、ここ数年で不動産価格は急上昇しているらしい。
しかし郊外のビーチ沿いには、まだまだ手頃ないい物件が多いようだ。
一方、このフォートの中は、値段も数倍。しかもユネスコ世界遺産の管理下にあるため、改築などをするにも規制が多く、かなりの労力が必要なようだ。
しかし、諸々、その気になれば、不可能ではない。
と思うだけでも、今や埃っぽい喧噪の高原都市、バンガロールを拠点とする者にとっては、新たな世界が広がる思いに、心がわきたつ。
街路に点在するアンティークショップ。建築物そのものに風情のある店に入ってみる。オランダ統治時代に倉庫として使われていたという、広々としたウエアハウス。その名も、オランダ。
アルヴィンドが、木製の彫刻などに関心を示す。その類いの物は、実はバンガロールでも手に入る。バンガロールにも、英国統治時代の、邸宅の、アンティーク家具を売る店が少なくない。
家屋のディスプレイに使われていたパーツなども、味わい深い物が売られている。しかし、バンガロールでは、そういう店に出入りしたことのない夫。故に、彼の目には、珍しく映るらしい。
お値段はすべて「ツーリスト価格」にて、驚くほど高い。バンガロールで見つける方が、よほど賢明である。雰囲気だけを、楽しませてもらう。
ウエアハウスの、反対側の入り口の一隅は、お洒落なカフェになっていた。マンハッタンのSOHOにあるカフェを思い出す。
あ〜。名前を思い出せない。
よく通ったのに……なんということ!
おいしそうな自家製のパンも並んでいる。ここでランチはどうだろう? と思いつつも、更なる散策を、続ける。
■過去の美を守りながら、風情を損なわず維持することの難しさ。
街の細部を見るたびに思う。
昔の風情を生かしつつも、しかし老朽化して危険だったり、不便だったりする部分を、適宜、改修していくことの難しさ。
それは、芸術品の修復と、同じことであろう。
たとえば、修復されたことによって、色鮮やかに生まれ変わったミケランジェロの作品に対して、どういう印象を抱くか。
1989年に、ガイドブックの取材で、初めてシンガポールを訪れた。そのときに訪れた、インド人街、アラブ人街、中国人街……その、古びたエスニック街の空気を、とても気に入った。
しかし、それから数年後に訪れた時、中国人街の建物がきれいに改築されていたのに、少なからず落胆した。壁がしみ一つないパステルカラーに塗り替えられて、まるでアミューズメントパークのようだったのだ。
しかし、それから10年以上を経て、改めて訪れた時には、そのパステルカラーもそこそこにくすんでいて、なんとなく、しみじみと歳月の流れを実感した。
上の写真は、オランダの植民地下にあった17世紀、倉庫として用いられていたオールド・ゲート。東インド会社によるスパイス貿易の、ここは拠点であった。
当時、1袋(大きさは不明だが)のナツメグで、ロンドンのタウンハウスが1軒買えたという。
シナモンは、さらに価値が高く、シナモン1グラムは、ゴールド1グラムに相当したという。と、現地で買い求めた本 (Galle Fort World Heritage Site: Mark Thompson and Karl Steinberg)にはある。
スパイスは、医療目的に使われたのをはじめ、調理や菓子作り、肉類の匂い消しに重宝されたという。
門の内側はオランダ統治時代の東インド会社の、外側は英国統治時代のエンブレムが、掲げられている。オランダのエンブレムには、てっぺんに雄鶏の姿が見られる。
この、フォートの港が、東西交易の要衝のひとつであったことが、しみじみと、偲ばれる。
昼近くになると、日差しが容赦なく照りつけはじめ、もう、街歩きは辛くなる。海を見てから、ホテルに戻ろうと、灯台のあたりへ。
海の向こうの対岸に、仏舎利塔(ストゥーパ)が見える。
ひょっとして、あそこが日本山妙法寺だろうか……。
土地の人に尋ねれば、やはり。ジャパニーズ・ピース・パゴダと呼ばれているらしい。日本の平和の仏塔。
やはり、ご縁があるのだな。との思いを強くしつつ、今日の夕方は、ドライヴをかねて訪れてみようと思う。
灯台のたもとでは、結婚式の写真撮影が行われている。その向かい、右上の写真は、モスク(イスラム教寺院)だ。
この小さなフォートの中に、キリスト教、仏教、イスラム教が共存している。
ホテルへ戻り、軽くシャワーを浴びる。夫はまた、プールで泳いでいる。今日のランチはルームサーヴィスに頼むとして、わたしはリヴィングルームで、書き物をする。
こういう瞬間が、本当に気持ちがよい。
本来なら、旅の途中、その日のうちに、その日の出来事を書き上げてしまえるのが理想。しかし、今回の旅は、いかにも濃かった分、そんなにさっさとまとめるわけにもいかず。
こうしてインドに戻って来て、書いている次第だ。あともう少しだ。
今日のランチ。フィッシュ&チップスとサラダを注文し、夫とシェアする。白身魚は、何の魚だろうか、ふわりとした歯ごたえが、香ばしい衣といい具合に調和して、美味。
昼間飲むビールのまた、なんと気分のよいことだろう。
飲んだら眠くなってしまうと思うのだが、この状況で飲まずにはいられないのである。
この食後の、午後の時間が、せめてあと3時間ぐらいのびてくれれば……。
アーユルヴェーダのトリートメントを受けて、それから昼寝でもしたいくらいである。
しかし、時は無情に、あっけなく流れ。
4時ごろには、日本山妙法寺へ行こうと思っていたので、今回はスリランカ式アーユルヴェーダの体験は見送ることにした。
次回の旅の、楽しみとして、とっておこう。
■スリランカでも、南無妙法蓮華経。亡き人に思いを馳せる夕暮れ
城塞を抜けて、久しぶりにフォートの外に出る。別世界が、広がっている。そこは、賑やかなゴールの日常。
とりどりの生鮮食品が並ぶ市場。漁師たちが地引き網をひく海岸……。
ジャパニーズなピース・パゴタのことは、ドライヴァーも知っていた。
15分ほども車を走らせた先にあるウナワトゥナ (Unawatuna) という街に近い場所に位置する、ルマッサラ (Rumassala)という山にあるという。
この山。実はインドの神話、『ラーマーヤナ』とも関わりが深い。
年末年始、アーユルヴェーダグラムで読んだ『ラーマーヤナ』のことは、これまでも幾度か記した。
ラーマ王子に仕える猿の神、ハニュマーン(ハヌマーン)。『ラーマーヤナ』の中では、彼の活躍が最も特筆すべきだとの印象を受けた。
そのひとつに、ランカ(スリランカ)で戦いの最中、ラーマ王子の弟のラクシュマナが怪我を負ったときの逸話がある。
傷を治すには、ある薬草を手に入れねばならぬ。しかし、それはヒマラヤのカイラーサ山にしかないという。しかも24時間以内に戻らなければ、手遅れになる。
超人、いや超猿ハニュマーンは、インドを南から北へひとっ飛び、山で薬草を探すが見つからない。
業を煮やしたハニュマーンは、山そのものを引っこ抜いて(!)、ランカヘ戻ることにした。
その途中、このルマッサラに、山のかけらを落としたという。
山道の途中で見つけたハヌマーンの像。左手に山を掲げているのが見える。
土地の人たちによると、この山にはラーマ王子の生まれ変わりとされる「白い鹿」が、見られるという。
白鹿の話はさておき、アーユルヴェーダの医師によると、この山では、スリランカの他のどこでも見つけることのできない薬草が生えているという。
それは奇しくも、ヒマラヤで見つかる種だとのこと。
神話と現実とが交錯していて、面白い。
またこの地は、英国の作家、アーサー C. クラークの関心をも寄せている。
1917年生まれの彼は、1956年から亡くなる2008年まで、スリランカに住んでいた。スキューバ・ダイビング好きが高じたのが主な理由らしい。
彼曰く、すばらしい珊瑚礁に取り囲まれたこの山には、強い磁力があるのだという。いわゆる、「パワースポット」といったところか。
米国のセドーナのヴォルテックス、のようなものであろう。
このことは、帰国後に資料を読んでいて知ったのだが、それはもう、言われなくても「ここは、何かが違う」と実感する場所であった。
夕映えを背にして、悠然とたつ、仏舎利塔。フォートからもくっきりと見えたくらいだから、大きな塔だろうとは予想していたが、本当に、立派な塔である。
わたしと、日蓮宗、日本山妙法寺との関わりについては、昨年、このブログにも克明に記した。
あのことがあって、「日本山妙法寺」が、わたしの中で、切っても切れない存在となっていた。
今回、旅をしている途中、「そういえば、スリランカにも妙法寺がいくつかあったはず」ということを思い出した。
ドライヴァーに聞いたところ、「ゴールにひとつあります」と言っていたので、機会があれば、訪れようと思っていたのだった。
■[Mumbai] 絆が見えた日。父と、仏舎利塔と、日本山妙法寺(←Click!)
あいにく、日本人の住職の方は帰国中でご不在とのこと。お堂には鍵がかかっており、中へ入ることができず、外の窓から写真を撮らせていただく。
中へ入って、お線香の1本でも上げさせていただきたかったと思いつつも、仏舎利塔へ。
それはもう、言葉にはし難い、ひたすらに、心がざばざばと洗い流されるような、場所であった。
フォートを見下ろし、海を見渡し、沈みゆく太陽。心地のよい風。時折の鳥のさえずり。訪れる人、ほとんどなく……。
仏舎利塔の四方には、釈迦の誕生から入滅までを表す黄金色の像が見られる。
右下は、生誕直後の釈迦。右手で天を、左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と話したという逸話からなる像である。
インドの神話が息づくこの地に、自分に少なからず縁のあるお寺が、こうして尊いまでの清らかさをたたえて、立っている。
そこに、こうして訪れることができたのは、切に有り難き、ご縁だと思う。
2005年に建立されたこの仏舎利塔。いかにも平和に満ちあふれた光景だが、しかし、2007年10月には、ゴールの港を悲劇が襲った。
ゴールの海軍基地近くで、LTTE(タミル・イーラム解放のトラ)が自爆テロを起こしたのだった。
戦争や、天災の、歴史の渦の中で、生きてゆく人々。自分、家族、親戚、祖先、子孫……。
見えるか見えないかの絆をたよりに、浮き草のように儚げで、しかし、たくましい命を抱えて、生きている。
夫も、わたしも、それぞれに、仏舎利塔を見上げたり、海を眺めたりしながら、あてどもなく過去に思いを巡らせ、本当に、心が洗われた。
移り変わる自分を自覚するためにも、記憶を丁寧に扱う。そうすれば、今日がよりいっそう、意義深く思える。そして未来を見据える指針が見えてくる。
本当に、ここに来て、よかった。
太陽が沈んでしまう前に、仏舎利塔を離れた。せっかくフォートの外へ出たのだから、別の場所で日没を眺めよう、ということで、例の著名な建築家、ジェフリー・バワが手がけたライトハウスへと向かう。
夕日を追いかけながら、海辺の道を行く。
建築物と、水平線とが、一体化して気持ちのよい視界。テラスに出れば、今、まさに夕日が沈まんとするところ。
シュルレアリズムの絵画を彷彿とさせる客室の一隅。ジョルジョ・デ・キリコの作品にも似て……
と、しんみり眺めてみたいところだが、夕日を見ようと、どやどやと押し寄せる団体客。
わたしたちとて、宿泊していないのに訪れているのだから、なにも言えた立場じゃないのだが、ホテルとは、ゲストも含めて、ホテル全体の雰囲気が作り上げられてしまう。
という宿命を背負っているな、と、今回の旅では、改めて、痛感した。
その建築美。様式美。
しかし子供が走り回っていたり、iPadからゲームの音がうるさく流れ届いたり、視界を遮るように、人々がどっと押し寄せて写真を撮りまくっていたりするなかでは、風情もなにも、あったものではない。
せめて自分たちは、その場その場の、「雰囲気を壊さないよう、心がけよう」と、思った。
ローカルフード探検時には、騒ぎすぎて周囲から浮きすぎないようにしようと、反省した。ちょっと方向性、違うけど。
日が沈んで、ようやくあたりが静かになったころ、薄暮の中でビールを飲む。ライオンビールのスタウト。これがまた、おいしかった。ギネスビールをちょっと軽くした感じ。
泡のバランスにうるさい人には、堪え難い注ぎ方であろうが、正直、給仕のサーヴィスは行き届いておらず、たいそう雑にサーヴされたのだった。まあ、おいしければいいのである。
本当は、このライトハウスで食事をして帰ろうかと思っていたのだが、ダイニングルームをのぞいたところ、ダイナミックなブッフェ。
料理はとてもおいしそうだったが、しかし、そんなにたくさんを食べられないし、やはり静かに食事をした方がいいだろう、ということで、結局はまた、ホテルに戻ることにしたのだった。
エントランスホールの螺旋階段を飾るオブジェは、ラキ・セナナヤキというアーティストの作品だとか。
一瞬、「ドンキホーテ?」な印象を受けるが、これはかつての、キャンディ王国と欧州軍との戦いを表しているらしい。と夫が言っていたが、情報の出自、不明。
帰りしな、結婚式のパレード(?)に遭遇。ダンスに演奏、賑やかに、ゲストたちもきらびやかなサリー姿で……階段を、下りられない!
パレードが通り過ぎるのを待つ。
実は今日、写真撮影をしていたカップルを含め、3組目の新婚さん。男性は、みな黒尽くめのスーツ姿だったが、これが伝統的な婚姻衣裳なのだろうか。
それとも、最近のトレンド?
そんな次第で、若干気ぜわしい、束の間のライトハウス訪問であった。滞在すれば、違った印象を受けるのに違いない。
事実、シンハラジャ森林保護区に滞在中、このホテルに滞在した人たちの話を聞いたが、料理はおいしいし、部屋の雰囲気もよく、非常に快適だったとか。
特に、海の眺めが好きな人には、たまらない場所であろう。
■Jetwing LIGHTHOUSE (←Click!)
そしてついには、スリランカ最後の夜。こんなにも起伏に富んだ旅をしたのは、久しぶりのことだ。
まだまだ、非日常の空気を楽しみたい……と思いつつ、静かに、荷造りをはじめる夜。
【追記】
後日、夫のFacebookを見たら、彼はこの日の光景で、わたしとは違う場所で、キリコの同じ絵画を思い出していたようだ。
普段は感性がずれまくっている我々夫婦には珍しいことなので、「記念に」ここに、転載させてもらう。
Arvind Malhan: Occasionally moments from daily life evoke an association with memorable works of art. Giorgo de Chirico's "Melancholy and Mystery of a Street"...
Arvind Malhan: Similar palette, structure and shadows, and sense of nostalgia.. Miho at the old Dutch warehouses in Galle