絶大なる強靭と、耐え難き脆さ。
その表裏一体を、思う。
たとえ疎ましがられても。人はときに、強く干渉し合うことも大切なのかもしれない。そんな思いを強めた、ここ1週間だった。
このことについて、書き残しておくべきか否か、かなり迷った。しかし、「干渉することも大切だ」との思いを優先して、書くことに決めた。
お読みになる方は、どうかわたしの言葉を曲解せず、まっすぐに読解していただけることを願う。
先週の日曜日。ジャパン・ハッバを終えたあと、自宅へ戻り、シャワーを浴び、一息ついた。庭に出て、沈み行く夕日を眺めながら少し散歩をしたあと、夕飯の準備をした。
食事をすませたあと、ブログに記録を残した。そのときの心を覆い尽くしていた事柄以外の事実を。
疲れていたはずの日曜の夜。しかし夜中に何度も目が覚めた。身体は眠っているのに、頭だけが覚醒し、無為に思いを巡らせているような状況だった。
その知らせは、わたしが司会を担当したジャパン・ハッバの文化プログラムが始まって、数グループのパフォーマンスが終了したころに舞い込んだ。
実行委員長のインド人女性が、舞台裏へ駆け込んできた。訃報があるので、会場にアナウンスし、黙祷を捧げたいとのことである。
「みなさん、少しお時間をください。先ほど、ジャパン・ハッバの実行委員の一人が、お亡くなりになられました。どうぞご起立され、2分間の黙祷をお願いします」
「え? どなたが亡くなったの?」
事情を全く知らなかったわたしは、舞台裏に控えていたスタッフの人たちに尋ねた。
「○○さん……」
年配の、インドの方だろうか……と勝手に想像をしていたわたしは、耳を疑った。
亡くなられたのは、バンガロール補習授業校の教師などをされていた、同世代の日本人女性だった。
わたしは、以前、彼女が一時帰国していた際に、2回ほど、代行で授業を担当したことがある。その経緯があり、その後、どこかでお会いした際に、簡単に挨拶を交わした。
先日行われた「さくら会」でお見かけした時にも、黙礼を交わしただけの、「知人」と呼ぶにも遠い、「顔見知りの人」であった。
とはいえ、異国の地に暮らす日本人同士である。直接の関わりがあったわけではないにせよ、それは心に迫る知らせであった。
舞台裏のスタッフたちは、多かれ少なかれ、みなそれぞれに彼女との関わり合いがある。
黙祷を終えた後、舞台裏に戻ってワッと泣き出す実行委員長。茫然と顔を見合わせる日本人スタッフ。
舞台では、パフォーマンスが進んでおり、滞っている場合ではない。今はともかく、何も考えずに先へ進めよう。
泣いていたはずの実行委員長は、たちまち慌ただしくどこかへ駆けて行き、わたしたちもまた、会の進行を続けた。
「頭の中が白くなる」という表現があるが、まさにスタッフの頭の中は、靄に覆われたような白さに包まれていたはずだ。
ともかくは現実の作業をすませようと、みな一生懸命だった。
その方の亡くなられた理由については、詳細を知らないわたしが綴るのは憚られる。
ただ、周知の事実であることのみ記すならば。
数カ月の間、体調が芳しくなく、無理が高じた結果、ということだ。
「羊の脳みそ」と大騒ぎをしていたU-KO隊員もまた、彼女と浅からず関わりのあった一人である。諸々、平常心ではなかったということが、偲ばれる。
彼女の生徒たちだった子供たちへの対応、そしてこれからの授業についても、考えを及ばせなければならないことが、たくさんありそうだ。
その方のご冥福を、お祈りします。
ただ、異国で暮らすということは、異国で疾患を患う、あるいは死する可能性があるということを、改めて目前に突きつけられた出来事だった。
それに伴って、これまで常々思っていたことが、再び心の奥から浮上してきた。
考えたくはないが、しかし不可避な事実について、異国での生活が15年を過ぎたわたしの思うところを、書き留めておこうと思う。
■たとえ疎ましがられても。人はときに、強く干渉し合うべきなのだ。
これは、異国在住云々とは関係ないこととして。
たとえ「余計なお世話だ」と疎ましがられても、人は干渉し合うことも大切なのかもしれない、ということを痛感した。
わたしの身近にも、少なからず、いる。仕事がいっぱいいっぱいで、十分な休息をとることがままならず、常に身体の不調を訴えている人。
以前なら、そういう人に関わり合わなければ、実態を知ることはなかった。しかし昨今では、Facebookなどを通して、その人の情報が自ずと目に入って来る。
わたしは、その類いの発言が多い人のコメントを、個人的に好まない。従っては、読まずにすむよう制限をかけた設定にしている。つまり、自ら関わり合いを拒否してきた。
これからも、その姿勢をかえるつもりはない。しかし、一つだけ、考えを改めた。
万が一、その人の状態が「尋常ならない」と思えた時には、お節介を承知で、「病院に行くべき」「休息をとるべき」との提言を、少なくとも一度は、しようと。
もちろん、その人が家族と暮らしているなら、別である。一人暮らしで、身近に干渉する人があまりいないであろう場合において、のことである。
人に干渉して、余計なお世話だと思われるのは面倒だ。だが、何をおいても、健康に関することだけは、話は別である。
■異国に暮らし、働くということは、決して簡単なことではない
これは、単身で、異国に長期間滞在をしている人たちに向けての、わたしなりの提言だ。
同じ海外在住でも、会社のバックアップがある駐在員やその家族に対するものではない。
インターネットが誕生し、異国での様子がライヴで見られるようになり、更にはFacebookやツイッターを通して、世界のどこにいても、母国に近い「錯覚」に陥りやすくなった。
しかし、ネットの中の世界は、「幻」だ。
どんなに身近に感じても、異国は異国。
母国とはまったく異なる生活環境と文化慣習とがある。日本のように「平和的」な環境で生まれ育った人間には、想像を絶する現実が潜んでいる国もある。
とにもかくにも、会社のバックアップがあるとないとでは、海外で働くという概念が全く異質なものになるということを、了承しておくべきである。
異国で働くのは簡単だ。異国で暮らすのは難しくない。
そんな言葉にのせられて、「日本がつまらないから」といった理由で海外に出ることを、わたしは勧めない。
そもそも、日本で一人前に働けない人間が、異国で一人前に働けるわけがない。
日本で、それがたとえアルバイトであったとしても、社会に出てがっつりと働いた経験があった上で、異国に飛び出すのなら、それを否定するつもりはない。
しかし、「日本は閉塞感がある」だの「日本では自分の力は発揮できない」だのといった母国を否定する延長線上に国外脱出を試みたところで、成功できた人がいたとしても、それは本当に、ごく稀なはずだ。
ニューヨーク在住時には、中途半端な志で渡米し、日本料理店などでアルバイトをし、不法滞在を続ける人たちを、たくさん見てきた。
憧れてきたはずの土地に住みながら、日々、不平不満に満ちあふれ、腐っていた人たちの多かったことといったらない。
異国の地で、自分の活路を見出すことは、相応の心構えや気概が必要である。
わたしは、若い人たちはどんどん世界を見るべきだと思うし、旅をして、経験を積み、海外で力を発揮することを、むしろ支援する気持ちだ。
ただ、それを実現するにあたっての、物理的、精神的な準備は、きちんとしておくべきだ、ということを訴えたい。
●合法的に異国に滞在できる査証(ヴィザ)を取得、所持する。
●海外旅行傷害保険などの保険に入っておく。
●長期間滞在する人は、領事館に在留届を提出する。
●日本の家族や友人に、居場所や連絡先をきちんと伝えておく。
●旅先、滞在先での身近な人に、日本の家族の連絡先を伝えておく。
最低でも、上記の手続きは、すませておくべきだ。
その考えは、驕りでしかない。日本ではそれも可能だろうが、異国ではそうはいかない。
異国で病に倒れたり、あるいは没した場合、領事館をはじめ、さまざまな人たちの力を借りねばならない。
ご家族を日本から呼び寄せ、然るべき諸々の手続きを行い、そして遺体を日本へと送る。
そのプロセスにおいて関わる人たちの多さ、そしてご家族にかかるであろう精神的、経済的負担の大きさは、いかばかりか。
「そんなことまで考えてられないよ」
と言うなかれ。人はいつ、なにが起こるかわからない。
せめて海外旅行傷害保険に入っていれば、経済的負担は免れることができる。それらが準備できないほどの貧乏旅行や海外滞在は、すべきではない。
■異国にもさまざまあれど。異文化に対して謙虚であれ。
更にいえば、インドでは、メディアで報道されていないところで、行方不明者となった旅行者がたくさんいる。人知れず、行方不明者のご家族のお手伝いをしている人たちも、少なくない。
わたしとて、旅の多い歳月を送ってきた。夫と出会う前は、プライヴェートの旅はほぼ100%、一人旅だった。
それなりに危険な目にも遭ったし、際どい思いもした。騙されたこともある。自分が無茶をしたことに対する反省点は、たくさんある。だからこそ、しつこく、書いている。
旅先では、自分が日ごろ持っていたはずの心の軸がゆらぎ、正常な判断ができなくなる場合がある。なにしろ異国では、母国の常識が通用しないわけだから、その事態は不測ではない。
異文化の渦の中に巻き込まれている時には、まさか、と思うところで、騙されることがある。それが致命傷になることも、ある。
だからこそ、気を緩めちゃならないのだ。常に異国に対しては、「謙虚な心」を失ってはならない。
こうして書きながら、実は自分自身に対しても、言い聞かせている。
郷に入れば郷に従え。渦中では、異邦人である自分が異質なのだということを、自覚せよ。
……まだまだ、この件については書きたいことがたくさんあるのだが、今日のところは、このへんにしておく。