毎週金曜日にサロン・ド・ミューズをオープンするようになってからは、1週間のサイクルが、今まで以上に明確になり、スケジュール調整や時間の使い方が有意義になった気がする。
【夫の付録で、マッケンジーのアラムナイ(同窓会)へ】
一昨日の夜は、夫に誘われて、マッケンジーのアラムナイへ。日本では「マッキンゼー」と発音されているこの会社。米国のコンサルティング会社だ。
夫が大学を卒業して直後に働いていた企業で、わたしと出会ったときは、ここに在籍していた。
マッケンジーがインドに進出して20年。ムンバイ、デリー、チェンナイとオフィスをオープンし、昨年、バンガロールオフィスも立ち上げられた。
全世界でちょうど100番目のオフィスらしい。
これまでも、ムンバイなどでマッケンジー出身者の会に参加して来たが、そこでの出会いは何かと興味深い。
マッケンジーには、新卒で入社した人は、数年後には一旦会社を離れることが決められている。現在はどうかしらないが、少なくともアルヴィンドが在籍していた時は、そういうシステムだった。
MBAに進む人あり、他の会社に転職する人あり。MBAを卒業したあと、再びマッケンジーへ戻ることを希望する人は、MBAの高額な学費も会社が支援してくれる仕組みだ。
アルヴィンドは結局、コンサルティングよりもヴェンチャー・キャピタルやプライヴェート・エクイティなどの投資関連のビジネスへ進路を移行したため、マッケンジーには戻らなかった。
会合には、同様のバックグラウンドを持つNRI(Non Resident Indian:非インド在住インド人)や元NRI、あるいはインド系米国人らが一堂に会する。
インドのビジネス界におけるNRIやPIOのコミュニティというのは、非常に狭く、ムンバイでもバンガロールでも、必ず顔見知りに出会う。
噂話も、あっという間に広がる。
噂といえば、夫が「現在」、勤務しているのはニューヨークに本社があるNSR(ニュー・シルク・ルート)という会社だが、この創業者の一人が、かつてインド人として初めてマッケンジーのCEOを務めた男性、ラジャト・グプタだった。
米国に住んでいる人ならニュースでご存知だろう。彼がここ数年、インサイダー取引の疑いで、大変なことになっていることを。
彼の話については、書き始めるときりがないので触れないが、まあそんなわけで、ラジャト・グプタはNSRと縁を切ったものの、そら創業者であり有名人であるから、NSRのことはニュースにしばしば出ていた。
そんなこんなを、出会った人たちに軽く詮索されつつ、誰がこうしてああなって……という話が、初対面同士でも速やかに進んで行くのもまた、独特のネットワーク感である。
ともあれ、ラジャト・グプタの件に関して、「本当のところ」はきっと誰にもわからない。が、個人的には、本当に、気の毒だと思う。
背景はまったく異なるにせよ、マーサ・スチュワートが逮捕されたときのことを思い出す。世の中、陰謀だの不条理だの、あれこれ、ある。
【そして女性3人で、無闇に盛り上がる。】
ビジネス話で盛り上がる男ばっかりだったらつまらんな、と思いつつも出かけた、このアラムナイ・パーティ。
最初こそ、男たちばかりであったが、しばらくしてのち、先日のMITクラブのイヴェントでラルバーグ植物園へ同行したカップルを発見。加えて、顔見知りのカップルも。
妻同伴者が少ない中、話の合う2人、シャルワリとソナリに会えてうれしかった。グラスを片手に、非常に楽しい数時間を過ごしたのだった。
偶然、3人とも料理が好きだということがわかり、互いに食に関するあらゆる情報交換がすさまじい。そのハイスピードなリズム感が、心地よい。
彼女らは二人とも日本料理が大好きで、作り方などを尋ねられる。
NRIの多くに共通するのは、日本食が大好きなこと。バンガロールでも、これまで何人のNRIに、日本料理のことを尋ねられたことか。
実はシャルワリのお姉さんは、日本人男性と結婚して、日本に暮らしている。だから彼女は日本に対する関心が強く、日本料理も大好きらしい。
彼女はアーティストだが、一時期ケンブリッジ(ボストン)で教育学のPh.Dに進み、そのときにMITに通う夫と出会ったと言う。多才な女性だ。
一方、ソナリは以前、我が家のクリスマスパーティにも訪れたことがある。今はエコロジカルバッグの制作と販売を行う事業を立ち上げている。
インディラナガールのMKリテイルで売られているエコバッグもソナリの会社の商品。お気づきの方、どうぞご利用ください。
そのソナリだが、ノンヴェジタリアン炸裂の会話をしていたのだが、実は出自は「ジャイナ教徒」だというので驚いた。
ジャイナ教徒とは、不殺生が基本のスーパー・ヴェジタリアンな宗教で知られている。その彼女にジャイナ教の実態を聞くのも興味深く、瞬く間に時は流れる。
【文革、ホロコースト。ハッピーエンドしか、見なくなった】
ソナリが席を外したあとも、しばらくシャルワリとわたしは会話を続けていたのだが、現在の日中問題に話が及んだ時に、二人して意気投合したのが、
「文化大革命をやってしまった国ゆえに、わからない」
ということであった。文化大革命という名の、大量虐殺。数千万人とも言われる被害者。しかも、子どもが関わっての。
文革のことをここで深く語るつもりはないが、しかし、あのようなおぞましい革命が、実に10年も続いたこと。
それも、ちょうどわたしが生まれた直後、さほど遠くない昔に、というところに、思うところが重なる。
1976年。四人組が逮捕されたときの、新聞の一面のイメージが、今でも脳裡に焼き付いている。事情はわからなかったが、しかし4人の写真が大きく載っていて、ただならぬ空気が伝わって来た。
二人して「ワイルド・スワン」は画期的な小説だったよね、に始まり、当時の中国の話に花が咲く。
彼女が、文革に関する映画を観たことがないというので、映画『レッド・ヴァイオリン』や『さらば、わが愛 覇王別記』、『ラストエンペラー』などを教える。
文革をテーマ、あるいは背景にした映画はまだ他にももたくさんあり、わたしはそのような映画を通して、史実の一部を学ばされたことも多かった。
映画の話をしつつ、シャルワリが問う。
「ねえ、その映画って、ハッピーエンド? わたし、このごろはハッピーエンドの映画しか見る気にならないのよ」
という。そこでまた、意見が一致する。
わたしも、30歳を過ぎたころから、いや正確には、2001年の同時多発テロ以降あたりから、結末が辛い映画を見られなくなったのだ。
正確には、見たくない。
たとえ話題の映画であっても、避ける。
若いころは、どんなに悲劇的な映画でも、没頭して見ていたのだが、現実にすさまじい辛さが満ちあふれている世界で、ノンフィクションならまだしも、あえてフィクションの辛い映画を見ることは、心を沈ませるばかり。
加えて、これは昔からそうだったが、流血もの、殺戮ものも見ない。
二人して、「わざわざどんより落ち込むことないよね、最早」などと意気投合した矢先に、彼女曰く、絶望的になる映画の話をしてくれた。
『縞模様のパジャマの少年』というホロコーストをテーマに描いた悲劇である。
大学時代に読んだフランクルの『夜と霧』。この本によって、具体的に、ナチスがなにを行ったかを学ばされ、猛烈な衝撃を受けた。
もっとも、子どものころ読んだ『アンネの日記』では、その実態がよくわからなかったし、なにしろ子どもだったから、「なぜこんなことに?」という素朴な悲しみしか感じなかった。
映画や書籍でさまざまな方向から描かれて来たホロコースト。もちろん『シンドラーのリスト』や『Life is Beautiful』は観た。
『戦場のピアニスト』『愛を読む人』なども、ナチスに関する映画であった。どれもこれも辛い。そんな中でも、『縞模様のパジャマの少年』は、ずば抜けて、辛い映画らしい。
「どうせ見ないでしょ」と彼女があらすじを説明してくれた。予測できた結末とはいえ、聞いているだけで痛ましい。
わたしは、ワシントンD.C.在住時に、ホロコースト・ミュージアムを見学した。一人であれば絶対に行くつもりはない場所だった。
しかし、当時、末期がんに苛まれていた友人の澄子さんが、しかし元気にニューヨークからドライヴしてD.C.まで来てくれたときのことだ。
二人で郊外の温泉に1泊し、その帰り道、雨の降る中、訪れた。彼女の夫がユダヤ系アメリカ人だったこともあり、ホロコースト・ミュージアムをどうしても見ておきたいの、と言われたのだ。
すさまじかった。
話をしつこく文革に戻せば、あの恐ろしさは、「紅衛兵」の存在にもある。青少年が、知識人や師と仰がれる人々を捕らえ、拷問し、虐殺に加担した。
そればかりか、その後のおぞましい行動もまた、記録されているがここでは触れない。ともあれ、その紅衛兵世代が、現在の50代、60代である。
……。
紅衛兵を思うとき、寺山修司の『トマトケチャップ皇帝』を思い出す。寺山のその作品を読んだのは、大学1年のとき。まだ、紅衛兵のことを知らなかった。
『トマトケチャップ皇帝』を読んだとき、子どもたちによる、その「非現実的な」残虐さや恐ろしさに衝撃を受けたが、その後、紅衛兵の存在とその行ってきたことを知ったとき、『トマトケチャップ皇帝』を遥かに凌ぐ、と感じた。
もちろん、紅衛兵の場合は、毛沢東という指導者が存在したわけで、寺山作品とはコンセプトが当然違うのだがしかし。
現実の恐ろしさ。
久しぶりに、インド以外のことを話題にしたせいか、なんだか阿呆のようにだらだらと書いてしまった。
ともあれ、結論は、「日印、日韓の関係は、これからどうなるのだろう」という思いである。
★
本当は、サロン・ド・ミューズのことを主に書く予定だったのだが、今日はもう、このくらいにしておこう。
昨日の出で立ちだ。
紅衛兵の話題のあとで赤い服とは微妙ではあるが……。
この赤いジャケット。インド製。
インドへ移住した当初は、インドの洋服の「立体裁断のいまいちぶり」が残念だったが、このごろは、本当にいい服が増えている。
劇的に増えている。
このジャケットもシルクの肌触りが心地よく、実に快適。
前のボタンがついていなかったので、父の形見のマザー・オブ・パールのタイピンで止めてみた。
ちなみにSMALL SHOP -Jason Anshu- というブランド。かなり奇抜なデザインのものが多く、これまで自分が着こなせるものが発見できなかった。
このブランドの服を買うのは、今回が初めてだ。
裁断は奇抜だが、しかしテキスタイルそのものは、カラフルで味わい深いものが多いので、むしろ布だけでも欲しいくらいである。