インド移住以来、しばしば訪れてきたムンバイ。2008年から2年間は、南ムンバイはコラバのカフパレードに住まい、バンガロールと二都市生活をしていた。それ以降も、自分自身の出張、あるいは夫の出張に便乗して、数カ月に一度は訪れ、混沌の極まれる愛すべき都市の息吹に触れてきた。
ところが、2年前に調査の仕事で訪れて以来、すっかり訪問の機会を逸していた。何としても今年は行かねばとの、切羽詰まった思いが湧き上がり、ミューズ・クリエイション参加のイヴェント直前で慌ただしい中、2泊3日の旅を決行したのだった。
今のムンバイにおける2年間は、あまりにも長かった。貧富の差、新旧の混在がより一層際立って、独特の変貌を遂げている渦中。もっとあちこちを訪れたかったが、イヴェント前につき無理をして体調を崩してはいけない。故に自制しつつほどほどのペースで、興味のある場所へ足を運んだのだった。
旅の途中、Instagram経由Facebookに残した記録に加え、未使用の写真をいくつかピックアップして、キャプションを添えることとする。
◎インドで最も好きな街なのに、久しくご無沙汰していた。夫の出張に便乗して、立て込んでいる最中、無理矢理のように訪れた。この街の混沌を象徴するかのような、ホテルからの眺め。ちょうどホテルの斜向いに、いつも訪れる日本人墓地(供養塔)がある。ランチのあと、お参りに行こう。
◎フォーシーズンズホテルを出て道路を横切れば、古びたアパートメントがある。スラムに接するその建物の裏側へまわると、緑の中に供養塔と、南無妙法蓮華経と刻まれた石塔が見える。
ムンバイに住んでいた2008年からの2年間は訪れることがなかったのに、なぜかこの街を離れてから、森田上人がいらっしゃる日本山妙法寺、そしてこの日本人墓地を訪れるようになった。ゆえに、これまでも幾度となく、この墓地のことは記して来たのだが、敢えて改めて触れておきたい。
今から110年前、1907年に、日本人墓地の前身が作られた。当時、ムンバイは綿貿易で栄えており、多くに日本人が駐在していたという。今よりもずっと多く、数千人も。中には熱病などを患う人もあり、この地で落命した。しかしビジネスマンよりもむしろ多く命を落としたのは、「からゆきさん」たちであった。彼女たちを鎮魂するこの墓地は、第二次世界大戦中に命を落とした日本人捕虜の英霊も祀られている。
今回、今まであった英霊の卒塔婆がないのが気になったが、きっと日本山妙法寺で祀られているのだろう。
あいにく近くに花屋がなかったが、今回は以前サンプルでいただいていた日本のお香を持参した。
墓守のおばあさんは、相変わらずお元気そうだ。敷地内の小さな小屋に、娘夫婦と孫娘たちと、5人で暮らしている。2年前に訪れたときにはまだ少女のようだった孫娘の一人は、すでに女子大生になっており、3人の友達を家に招いて、試験勉強をしている最中だった。
インドの憲法の草案者であるアンベードカル。彼は低位カースト(アンタッチャブル/ダリット)の出自ながら、米コロンビア大学に進み、政治家としても活躍した。晩年は反カースト運動に専心。カースト制度による身分差別はヒンドゥー教に起因するとし、死の数カ月前に約50万人の人々と共に仏教に集団改宗した。彼にまつわる会館のようなものが、このホテルの向かい、即ち日本人墓地に隣接して立っている。この周辺に住む人たちは、この墓守の一家を含め、ダリットから仏教に改宗した人たちであろう。
大学で経済学を学んでいるという孫娘。その友人たちも朗らかに、将来を語る。
古い因習や経済的な階級差を軽々と乗り越えて、彼女たちの屈託のない笑顔と知的な口調に、この国の潜在力の底知れぬ強さ、深さ、そして明るい未来を予感せずにはいられない。
インドは本当に、広くて、深くて、尽きることなく、おもしろい。
◎ホテルのすぐ前にあるこの住宅ビルの裏に、日本人墓地がある。
◎久しぶりに、貧困層の女性たちの手工芸品を販売するWITへ。ここのキッチンリネンが優れもので、以前はしばしばまとめ買いをし、ミューズ・クリエイションのバザールでも販売代行していたものだ。今回は、メンバー向けに販売すべく、お気に入りの製品をピックアップ。
◎市街に点在するミル(紡績工場跡地)の再開発が進む中、今、ナイトライフで話題のエリアだというカマラ・ミルを視察。今回は夜来訪の機会がなかったが、次回は訪れたい。
◎わずか2年の間にも、激変するムンバイの食事情。漁村にフレンチレストランがオープンしたと聞いていた。ホテルからもほど近いので、早速予約。カジュアルな、しかし雰囲気のいいビストロ風のインテリア。メニューを開けばタパスのような小皿料理があれこれと。我々がノンヴェジタリアン、何でも食べると知った給仕が、あれこれとお勧めを教えてくれる。
マッシュルームのサラダにステーキのタルタル、バッファローの頬肉、ポークベリー、ホタテのグリル、温野菜の盛り合わせなど、どれも素材の味が生かされたほどよく、しかししっかりとしたソースの味わい。ニューヨークでも、こういうコンセプトのお店はなかなかないよね、と言いながら、どれもこれも、きれいに食べ尽くす。さすがにデザートは入らなかったが、きっとおいしいに違いない。
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ムンバイ。清濁併せ呑み込みきれず、
あふれている街。
汚れた家に生まれ、
生まれて間もなく、
汚れてしまった赤ん坊は、
着るものも着ず、
汚れたままの肌のまま、
汚れたままの子供に育ち、
利発で鋭い瞳。
憐れみを乞う鋭い瞳。
不快のなんたるかを知らず、
不快そのものが日常で、
汚れたままに思春期で、
汚れたままに恋をして、
土に眠り、
泥に戯れ、
太陽の熱残るアスファルトに頬を寄せ、
地面の温もりに親しく、
汚れたままで伴侶を得、
汚れたままで子を産んで、
汚れた子供を抱きかかえ、
汚れた手をして米を乞い、
汚れた家で朝が来て、
汚れた家で夜を迎え、
ぼさぼさの、子供の髪の、
ぼろぼろの、子供の肌の、
延々と、路肩に続く、
延々と、路肩に続く、
ぼろぼろのぼろぼろのバラックから、
裸電球の灯火がこぼれる。
傍らを走り抜ける。
ベンツさえ走る。
ベントレーさえ走る。
延々と、路肩に続く、
ぼろぼろのぼろぼろのバラックで、
今日もまた、赤ん坊が生まれる。
汚れるばかりの生涯の、
煤けるばかりの人生の、
今日もまた、赤ん坊が生まれる。
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上の詩を書いたのは、11年前。
今のムンバイに、このころの悲しみや哀れを、あまり感じない。
街の様子は相変わらず。人口の半数以上はスラムに住まい、貧しい人々が困難な生活を送っているのは事実。
だけれど、今は、若者の強い息吹、時代を軽やかに変えてゆく躍動感を、街の随所で感じる。
悪しき因習が、強固な縛りが、いつしかゆるゆると解けて、自由な魂が羽ばたいている様子を、わずか24時間足らずのうちにも感じる。
ムンバイの、インドの未来は、力に満ちた若者たちが、大きく塗り替えて行くのだろう。鳥肌が立つような思いだ。
◎ムンバイの一大洗濯場、ドービーガート。これは2005年、12年前に撮影した写真。
◎これは今回撮影した写真。彼方に見える高層ビルディング。この10年の間に、にょきにょきと、生え続けている。
◎時の流れが止まっている場所、動いている場所が交互に、走馬灯の如く巡る。
◎ユネスコ世界遺産に指定されているチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅。
◎魅力的な無数の紙製品に溢れたChimanlals。使うあてがないものでも、ついつい欲しくなってしまう。
◎ここもまた、なじみのお店のひとつ。インド各地からの、洗練された手工芸品が美しく展示されている。サリーの生地で作られたショッピングバッグをいくつか購入した。 — at Contemporary Arts and Crafts.
◎フォート地区。初めてムンバイを訪れたときに偶然見つけて以来、ずっと気に入っている、ヤズダニ・ベーカリー (YAZDANI BAKERY)。100年以上前、日本の銀行だった建物。
◎パールシー(ゾロアスター教徒)の一家が経営するこの店、年老いた兄弟が店番をしている。
◎2年以上ぶりに訪れた今日、上のお兄さんが車いすで出勤中だった。パーキンソン病を患っている彼、最後にお会いした3年前よりもかなり状態が悪く、もう話すこともできない。しかし周りのスタッフの助けを借りて、店番をしている。その様子に、いろいろな意味で、心を打たれる。
◎初めて訪れた十数年前と変わらない店内。チャイを飲みながら、しみじみと眺める。思えば視察旅行の際には、何人かのクライアントをお連れしたものだ。
SEIKOSHAの掛け時計。コマーシャルストリートのアンティークショップで見つけた我が家のもそうであるが、これもまた、100年以上、時を刻んできた時計だ。新旧混在極まれる街の片隅で、時間旅行をしているかのよう。
◎数回の頓挫を経て、ようやくインド初のスターバックス・カフェがオープンしたのは2012年。以来5年間に全国各地で見られるようになった。TATAビルディングにあるこの1号店は、天井が高く雰囲気がよく、とても落ち着ける雰囲気だ。
◎2008年11月26日。わたしたちが南ムンバイのカフパレードに住んでいたころ、ムンバイが同時多発テロの標的となった。
その日、我々夫婦は、京都を旅していた。朝、ホテルのテレビのニュースで、愛すべきタージ・マハル・パレスホテルのキューポラが煙を上げて燃えている様子を見て、愕然とした。
あのテロでも、多くの命が奪われた。
自宅からもほど近く、しばしば訪れていたホテル。お気に入りのSea Loungeの窓辺の席で、インド門、そしてアラビア海を眺めつつ、本を読んだり、書き物をしたりして過ごしたものだ。
あれから9年。
なにもかもが、遠く過去に吸い込まれて行く。
at The Taj Mahal Palace, Mumbai.
◎テロリストの銃撃により、血の海となった新館ロビーは、多くの犠牲者が出た。以来、ここに飾られる花は、いつも白だ。
◎新館と旧館を結ぶ回廊。ホテルを訪れた著名人らの写真が飾られている場所。少しずつ、入れ替えられている。
◎お気に入りのJOY SHOES。今回もサンダルを購入。インドを代表する画家、MFフセインが、英国へ亡命する前には、この店にも訪れていたようだ。入り口の足型は彼のものだとか。新館ロビーの背後の絵画も、そしてこの店の、馬を模した鉄の階段手すりも、この店の紙袋に描かれた絵も、彼の作品。MFフセインは、ヒンドゥー教の女神の裸体を描いたことで過激派から脅迫を受け、国外逃亡を余儀なくされた。2011年、祖国の土を踏むことなく、英国で亡くなった。
◎本当は、お気に入りのSea Loungeで軽いランチを取るつもりが、あいにく窓際の席がすべて満席。ここでは窓越しにアラビア海とインド門を見ながら過ごすのが幸せなので、今回は諦めて、別の場所でランチを取ることにした。
◎ホテルから徒歩数分の場所にあるTHE TABLEというレストランで、ヘルシーなサラダを。サーヴィスも非常によくて、とても居心地がいい店。
SOBO (South of Bombay) Salad. Healthy and tasty! — at The Table.
◎カラゴーダ。このエリアもまた、激しく変化し続けており。以前に増して、新旧の混在が極まっている。それにしても、今回の旅ほど、若者の息吹とセンスを感じたことはない。欧米の模倣ではない。インドならではの独自性が、モダンに昇華して、どの国にもないオリジナリティをも育んでいる気がする。
目に見えてわかりやすい、ファッションにせよ、飲食にせよ、アートにせよ。
そして今回の旅ほど、自分がそんなには、若くはないのだということを、痛感したことはない。その一方で、自分もまた、若者のような心持ちで新しいことに挑戦してみたいという気持ちにもさせられている。
◎わずか2日足らずの間に、たくさんのことを考えている。自分の気持ちが活性化する場所には、もっと頻繁に訪れるべきだと、改めて実感する。
◎1850年代以降、ムンバイは綿紡績工場が次々と建設され、インド紡績業(各種テキスタイル)の中心地であり、世界有数の貿易港でもあった。タタ・グループの創始者、ジャムシェトジー・タタもまた、ムンバイに綿紡績工場を設立。綿貿易のビジネスを始めたことで、インド有数の財閥に成長した。神戸とムンバイが綿貿易で結ばれた契機も、ジャムシェトジー・タタの働きによるものである。
1991年、インドは経済危機を契機に、印パ分離独立以降から続いていた社会主義型計画経済から自由経済へと転換を図る。そこから今日に至る経済成長が始まるわけだが、ムンバイにおけるミルズ (Mills)と呼ばれる紡績工場の再開発もまた、そのころから徐々に始まった。
南ムンバイで最も大きいショッピングモール・コンプレックスのHigh Street Phoenixはその先駆的存在だろう。そして最近では、南ムンバイ、特にロウアー・パレルやウォルリ界隈に点在する大小のミルズにおいて、再開発が進んでいる。新たな建築物が建てられている一方、古びた建物を再利用しているものも多く、廃屋が息を吹き返したような風情の店舗も少なくない。
夕べ訪れたこのレストラン界隈もその一つ。汚いんだかファンキーなんだかわからない、足場の悪いエリアを歩きつつ、暗闇だった場所に光が当たり輝く様子の躍動感が、本当におもしろい。
◎ロウアー・パレルのGOOD EARTHは昔からお気に入りの場所。
◎野良猫だったNORAが我が家を住処と決めて以来、3年あまり。我が家はすっかり猫まみれだ。ムンバイ最終日だったこの日は11月22日。2年前、弱っていた子猫のチャックを引き取ったものの、10日ほどで死んでしまった。それが11月22日のこと。以来、勝手に「いいにゃ〜にゃ〜」、すなわち猫の日と決めていた。そのことに気づいた朝。これは行くしかないだろうとの思いで、空港へ向かう前に、北インドのとある場所へ。
◎Facebookを通して数年前にその存在を知ったインド初のキャット・カフェへ。ここでは生後数カ月の猫たちと触れ合えるのだ。主旨は、野良猫の保護、そして里親探しを目的としている模様。
◎手を洗い、靴を脱いで、カフェの中に入る。20数匹の猫らが、自由に過ごしている。
◎自らわたしの膝に乗ってくる猫らのかわいさ! これぞ、猫! である。至福のひと時だ。我が家の猫らといえば、誰1匹として、そんな愛らしい真似をしてくれない。寂しいものだ。
◎バンガロールへのフライトが遅れるとの知らせを受けたので、のんびりと過ごす。カフェを出るころにはすっかり日が暮れていた。
◎新しくなったムンバイ国際空港(ジェットエアウェイズは国内線も乗り入れ)は非常に快適だった。多少フライトが遅れても、ゆっくりくつろげる空間が広がっていて、ラウンジ以外のエリアでも、十分にリラックスできる。到着時、バゲージクレイムのカートが足りず、乗客同士が「カート争奪戦」を展開していたころが、幻のようだ。
瞬く間の2泊3日だったが、2年ぶりのムンバイからは得るものが多く。これからはせめて半年に一度は訪れたいと思う。来年からは、もう少し身軽に国内を移動できるよう、ライフスタイルを見直そう。
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