●早朝出発。バンガロールからハンピまで、約350キロのドライヴ旅
積極的に旅する日々を取り戻そうと決めた今年。シンガポールへ中期出張する夫は、一緒に行こうと誘ってくれたが、わたしは久々に一人旅を楽しみたかった。
本来は、四半世紀ぶりにドレスデンやワイマール、プラハやブダペストなど、思い出深い東欧の街を旅したかった。しかしその都度、
「そこは、僕と一緒に行こう」「僕もプラハに行きたい」と、夫が口を挟む。
さあらばと、インドでも未踏で去年行きそびれたナガランドやマニプール、あるいはガンジス川@バラナシあたりを旅したいといえば、
「そこは危ない、一人ではいかない方がいい」と、あれこれうるさい。
わたしも無視して好き勝手をすればいいのだが、そうはさせない圧としつこさを持つ夫。
結局、夫も一度訪れたことがある、ここカルナタカ州のハンピを再訪することにしたのだった。
★ ★ ★
ハンピへは、2012年にフブリでカンファレンスが行われた際、ついでに、という形で夫とともに1泊2日の駆け足観光をしたことがあった。もっとゆっくり滞在したいと思っていたのに加え、もう一つ、訪れたい場所があった。
KRSMAのワイナリーだ。
5年ほど前から市場に姿を見せはじめたKRSMAワイン。インドワインの中で、個人的には最もお気に入りの銘柄だ。そのワイナリーがハンピの郊外にあることは以前から知っていたので、ここにも足を運ぼうと思う。
ワイナリーを訪れるなら、声をかけるべき人がいる。十年来のビジネスフレンド、デリー在住の繁田奈歩女史だ。超多忙な彼女ゆえ、長距離ドライヴでの旅は難しいだろう……と、無理を承知で連絡したところ、なんとか予定を調整できるとの返信。
「食と農」関連の仕事をも手がける彼女にとっても、ライターであるわたしにとっても、これは半ば、取材旅行ともいえるだろう。
かくなる経緯で、前半2泊は「女子旅」ならぬ「女史旅」、ときに「オヤジ旅」。そして後半の2泊は久しぶりの一人旅を満喫することになったのだった。
朝7時に家を出て、繁田さんをホテルでピックアップ。ラッシュアワーが始まる前に、バンガロールを脱したい。
ハンピまではバンガロールから約350キロ。休みなく走った場合、約7時間のドライヴとなる見込みだ。
約350キロ。なじみのある距離感だと思ったら、ニューヨークとワシントンDC間が225マイル。約360キロだった。この二都市間は、何度かドライヴをしたことがあるが、休みなく走って4時間。途中休憩を入れても5時間もかからない。
米国のハイウェイとインドのローカルなルートを一緒に語るなかれ。同じ距離の中に、詰まっている要素もまた、全く異なるのだ、インドは。
ちなみにハンピには空港がない。最寄りの空港はフブリで、そこからも4時間はかかる。カルナタカ州は広い。四国と同じくらいの広さだ。同じく日本の地理に例えるならば、鹿児島から門司までも350キロ程度である。
市内中心部から西北方面に向けて進路をとる。8時前だが、すでに道路は込み合い始めた。
しばらくは快適なハイウェイが続く。この調子でずっとハンピまで繋がっていれば、5時間程度で到着するのだろうが、途中から道路の状況が変わる。
途中のドライヴ・イン(と敢えて呼ぶ)にて、朝食&チャイ休憩。そこそこに清潔感があり、入りやすい店だった。
好物のワダを注文。あいにく揚げたてではなかったが、おいしかった。
繁田さんもわたしも、過去はバックパッカー。ハンピのページはわずか数ページしかないにもかかわらず、一応持参した「地球の歩き方インド」。車酔いしない彼女が、冒頭から読み始め、いろいろと突っ込んでは笑う。
これだけで軽く1時間は盛り上がった気がする。
左手に見えるのは太陽光発電のパネル。バンガロールはインドの中でも古くから太陽光発電が盛んに行われているが、昨今のインドでは、各地で加速しているように見受けられる。モディ首相の本拠地グジャラート州も、太陽光発電の一大拠点だ。
それにしても、こうして地図や所要時間が随時確認できるようになった昨今のテクノロジーの、偉大なることよ。Google Map。本当にすばらしい利便性。
道に迷わない、ということの意味。
道に迷えない、ということの意味。
黙々と走る牛車。
見慣れているはずの光景も、初めて旅する視点で眺めれば、どれもこれも興味深く、何枚もの写真を撮影してしまう。
わかってはいるんだけどね。休憩も兼ねて、車外に出て、記念撮影などする。
「どうして、岩は落ちないんだろう?」
岩が落ちないことに、疑問を禁じえない繁田さん。
「たまに落ちてんじゃないの?」
と、適当に答える我。
バンガロール含め、デカン高原の一体に広がり続ける、さまざまな岩の地盤。どのような経緯で、このような形になったのか、よくわからない。
ドライヴァー曰く、
「大きな一枚の岩山が地中に埋まっていて、それが育って地表に現れ、やがてヒビが入って少しずつ割れ、雨水などで穿たれて、このような形になったのです」
「地面の奥深くには岩のマザールーツ(根幹?)があるのです」
インドでは、よく耳にするマザールーツという言葉。植物でも、大切な根(マザールーツ)が折れると、育たなくなるというもの。
やがて彼方に、工場地帯が見え始めた。このあたりには数多くの鉱山があるという。インドの鉄鋼大手ジンダル・スチールの鉱山と鉄鋼所もここにある。
このあたり、道路工事が行われているため、埃っぽい未舗装路を迂回する。輸送のトラックが砂塵を上げながら走る中、激しく揺れる道をゆく。
ジンダル・スチールの一大コンプレックスが広がるエリア。道路沿いには、工場、宿泊施設、学校、病院、ホテルなどが見られ、ジンダル城下町の様相を呈している。
バンガロール市内とて、最近は少なくなったものの、普通に見かける働く牛。しかし、気分が旅人モードに切り替わっているせいか、物珍しく見えてしまい、やたらと写真を撮る。
このあたりは唐辛子の産地でもあり。山のような唐辛子を積んで運ぶトラック。
●ハンピ到着。ことごとく、スタンダードから外れた旅のはじまり
出発から8時間足らずでハンピに到着した。
睡眠不足だったので、車中では、眠るだろうと思っていたが、一睡もすることなく、車窓からの光景を眺めつつ、なにかしら、語り合っていた。思ったよりもずっと楽に到着した気がする。
道路は、確かにハンピ寄り3割程度は悪路が多かったが、車酔いをしやすいわたしもさほど苦にならず、さほど疲れを感じなかった。
まずは遅めのランチを取ろうとハンピ観光の中心部、ハンピバザールへ。
以前、来た時に立ち寄った眺めのよいレストラン、マンゴーツリーを目指すが、Google Mapが示す場所は、どう考えても、河畔の眺めのよい場所ではない。が、とりあえず、行ってみることにする。
この界隈は今、観光地化に向けて整備が進んでおり、多くの住居や店舗が立ち退きを要請されているという。
世界遺産に指定されている一方で、雑然とした暮らしの場が広がっており、その混沌がインドらしくていいといえばいいのだが、衛生面や安全性を考えると、周辺の環境整備が必要なのであろう。
店の場所は変われども、客層は以前とかわらぬ雰囲気。外国人のバックパッカー、とくに「現代のヒッピー」風情な人たちが散見される。
わたしはすでに訪れているし、繁田さんが帰った後も時間がある。ゆえに、彼女が行きたいところに行こうと提案するのだが、中心部の遺跡群を巡るより、むしろ眺めのよい、「高い場所」に行きたいという。
高い場所は、夕日を眺めに行くとして、その前に、浴場や階段井戸の遺跡を見に行くことに。
女子旅らしく、セルフィーを撮ろうとするも、どれもこれも、ことごとく失敗。世間に公開できるようなものが撮れない。
「坂田さん、腕、短くない?」
痛いところを突かれる。さすが、鋭い指摘だ。
気づかぬふりをしていたが、その通り。身長の割に腕が短いことも、セルフィーがうまくいかない理由の一つだったのだ。
ちなみに、ハンピの「一般的な旅情報」については、下部に前回の旅記録を転載しているので、そちらをご覧いただければと思う。今回の旅は、異例もしくは変化球な旅すぎるので、これを通常のハンピ旅だと思われてはまずい気がする。
●贅沢な日没! 岩山をよじ登って、丘の上へ。
前回の滞在時は、ハンピ観光の中心地、ハンピ・バザールにあるヴィルーパークシャ寺院の西側に広がるヘーマクータの丘から、川越に夕日を眺めた。ここは丘とはいえ、なだらかな高台のようなところで、さほど労せず、低い岩山伝いに歩いてサンセットポイントにたどり着くことができる。
しかし、繁田さんは「高い場所に登りたい」とのことなので、マータンガ丘に登ることにした。わたしも、同じところに行くよりは、違う場所に行きたい。というわけで、岩山を登る。結構ワイルドに、登る。
岩は結構すべりやすい。スニーカーを履いていたので問題ないが、雨が降ったりしてはたいへんだ。
頂上へのルートは2つあり、登りは図らずも、遠回りの道を選んでいた。
しかし、丘の東側を経由して登るこのルートを選んだのは幸いだった。眼下にアチュタラーヤ寺院の全容を見下ろすことができたからだ。朝日が昇る様子をここから眺めるのはまた、麗しいことだろう。
雨水で少しずつ、穿たれているのであろう岩。いったいどれほどの歳月をかけて、今のような岩山の形状が育まれてきたのだろう。まったく、想像できない。
登るにつれて、視界はどんどん広がり、眺めは格別なものになる。
岩を抜けてゆくも楽し。このごろは膝の痛みが気になっていたのだが、登っている間はあまり気にならないほど、景観への好奇心が勝っていた。
なんという絶景。前回訪れなかったこの寺院へは、後日訪れようと決める。
絶景に気を良くして踊り出す人。観光客にまとわりつく野良犬。平和だ。
奇岩の光景。過去の記録にも記しているが、インドの二大神話の一つである『ラーマーヤナ』は、ハンピ旅の前に必ず読むことをお勧めする。ここは、14〜17世紀のヴィジャヤナガル王国時代に、人間の手によって作られた建造物群が、都市遺跡として世界遺産に指定されている。
しかし、人の手なる遺跡もさることながら、奇妙な地球上の造形に加え、神話が現実として現在にまで連綿と連なっている様子が、なんともいえず、魅力なのだ。
ちなみにここは猿の神様、ハヌマーンの故郷であり、猿の王国でもあり、これらの岩は、ハヌマーン&猿の軍団が、敵に向かって石のつぶてを投げまくったあとだともいわれている。
自身の大きさも変幻自在。マッチョで逞しい猿だったハヌマーン。神話の世界を想像しながら眺めるのも楽しい。『ラーマーヤナ:ハンピ編』という映画を作って欲しいくらいだ。もちろん主人公はハヌマーン。すでにそういう映画、あるのかしらん。
写真では収まりきれないスケールなのだが、どうしても捉えておきたく。
1時間以上、ぼ〜っとしていても、退屈を感じない。夕暮れの風に吹かれながら、徐々に沈みゆく夕日を眺めることの、なんと気分のよいことか。
太陽が沈んだ後は、暗くなる前に丘を降りる。行きとは異なり、西側のルート。こちらの方が、近道であった。
●ハンピから更に1時間余り、離れた場所のパレスホテルへ
今回の旅。そこそこ快適な宿に泊まりたいと探したところ、TripAdvisorでITC系列のホテルを見つけた。一年前にオープンしたばかりのリゾート系のホテルにも惹かれたが、一人で宿泊するのにそこまでゴージャスにすることはない。
ITC系列の、Shivavilas Palace Hotelは、かつてのマハラジャの邸宅が数年前にホテルとなったようである。TripAdvisorには、ハンピから1.5キロとあり、便利そうだ。
ところが!
旅の数日前、ゆっくりと宿を確認したところ、ハンピの中心地からかなり遠いことが発覚。Google Mapで調べると、42キロ、1時間以上かかるではないか!
どうしたものかと繁田さんに確認したところ「街中より、星が見える静かな場所がいい」とのこと。わたしも冷静になってレヴューなどに目を通したところ、「遠くても、泊まる価値あり」との高評価が並んでいたので、変更せずに4泊することにしたのだった。
結果的にそれは、賢明な選択だった。
さて、明日はワイナリーに赴きワインを調達できるが、今晩の酒がない。というわけで、ドライヴァーにホスペットという町に寄ってもらい、酒屋を探す。
2001年。結婚式を挙げるため、初めてインドを訪れ、デリーの実家にお世話になったとき。アルコールを調達しようと連れて行かれた店が、まさにこんな感じ、鉄格子付きの薄暗い店だった。
KRSMAのお膝元だが、KRSMAのワインが置かれているわけもなく。最近話題のBIRAもない。定番のキングフィッシャーを購入する。
この料金所は、界隈の鉱山を行き来するトラックのために設けられたもの。一般の車両は、無料で通過できる。
ところで今回の旅で大切なもう一人の人物、ドライヴァーは、我が家のドライヴァーアンソニーの友人で、ロザリオだ。その名の通り、クリスチャン仲間。ロザリオは、かつて我々がクールグヘ旅をしたときにも運転してくれた。
一応、顔見知りだったことから、今回の旅も運転をお願いした次第だ。
非常に温厚でいい人なのだが……。自分が行ったことのない場所に行くのが、どうも億劫な様子。南インド各地、遠距離ドライヴ専門につき、あちこちの見どころを知り尽くしているようなのだが、今回、わたしたちの旅の目的地は、彼にとって「初体験」のところばかり。彼なりに緊張していたのかもしれない。
ホテルの場所を告げるも、「遠い」「遠すぎます」を繰り返す。
あなたが遠いと言おうとも、そこに予約を入れているから行くしかないんです。しかし、かなり鬱陶しいほど「遠い」を口にする。
あらかじめ、チェックインは遅くなると伝えてはいたのだが、夕方ごろ電話があり、チェックインの時間や夕飯のメニューについてを尋ねられた。ずいぶん、懇切丁寧だなと思ったが、それもそのはず。
12室しかないというこのホテル。今日のゲストは我々二人だけだったのだ。ホテルからは、わたしにしか電話がなかったので、繁田さんは「なんでわたしにはかかってこないんだろう」と言っていたのだが、別々に予約した我々が一緒に来るということは、名前からして日本人だし、ホテル側にはすぐにわかったのだろう。
チェックインは、ゆっくりとラウンジで。
ちなみにここは、ハンピにしてハンピにあらず。サンドゥールSandurと呼ばれる、別の街である。この町のマハラジャの邸宅が改装されており、ロイヤルファミリーの写真や調度品が、そのままに残されている。ちなみにロイヤルファミリーは近所にお住まいだとか。
購入してきたビールは、冷蔵庫で冷やしてくれるアットホームさ。料理はインド料理的コースミール。選択肢は「ヴェジかノンヴェジか」の二択だったので、ノンヴェジタリアンを頼んでおいた。前菜から主菜までヴォリュームたっぷり。デザートはさすがに辞退した。
さて、明朝はまたしても5時起床、6時出発でワイナリーへと向かう。なぜそんなに早起きなのかといえば、まずワイナリーまで3時間近くかかること。それに加え、昼近くになるとかなり気温が高くなるので、午前中に到着したほうがいいだろうと言われていたからだ。
広々と快適な部屋に戻り、シャワーを浴びて、眠りについたのだった。
★以下は、2012年の「スタンダードな」ハンピ旅の記録★
駆け抜けるようにハンピ。都市遺跡を巡る小旅行。(2012年1月の記録)
昨日、「ハンピの都市遺跡1泊」&「フブリのカンファレンス2泊」の旅から帰宅した。わずか3泊4日の旅ながら、非常に実り豊かな時間を過ごすことができた。
今回、主目的はフブリで開催されるカンファレンスの出席であった。その件については、後日、改めて備忘録を記しておこうと思う。
ユネスコ世界遺産に指定されている観光地ながら、その名を余り知られておらず、観光客もさほど多くないのは、その地の利が悪いのも理由の一つだろう。
今回、バンガロールから1時間余りのフライトでフブリへと飛び、フブリから約3時間半のドライヴ(約150km)を経て、ハンピへ赴いた。
わずか1泊、夕方と午前中の、実質5時間足らずの滞在であったが、しかし、それなりに味わい深い時間を過ごすことができた。
主には写真を中心に、まとまりなく、メモとして記録を残しておこうと思う。が、その前に、ハンピの概要を少々。
ハンピは、ここバンガロールと同じカルナタカ州にある。バンガロールから北西へ約370km。ニューヨーク=ワシントンD.C.間と同じくらいの距離だ。
ここが米国なら、気軽に車を走らせたいところだが、そこはインド。道路には、障害物がたっぷりだ。寝台列車や深夜バスで出かける方法もあるが、そうまでして行く? という思いもあり、6年が過ぎていた。
精神的距離が、非常に遠かったハンピ。この機を逃しては、きっとこれから先も訪れる機会はないだろうと思い、今回、訪問を決めたのだった。
ハンピは、14世紀(1336年)から16世紀前半(1565年)にかけて栄えたヒンドゥー教勢力、「ヴィジャヤナガル朝」の王都であった。
最盛期には約50万人が暮らし、ポルトガルや中国など、大陸の商人らも訪れたという。
ごつごつとした岩肌。巨岩の転がる乾いたデカン高原の大地。
半径約3キロ圏内に、いくつものヒンドゥー寺院や宮殿などが建立されたが、16世紀なかばに、北から侵入したイスラム勢力によって制圧された。
ガイドによると、その後、ハンピは久しく「打ち捨てられ、忘れられ」ていたという。樹木が生い茂る、まさに「兵どもが、夢のあと」だったこの地が再発見されたのは、英国統治時代らしい。
1986年、ハンピはユネスコの世界遺産に指定された。
ハンピに見られる建築物は、南インド伝統様式の「ドラヴィダ式建築」だとのことだが、一部、イスラム建築の技法も取り入れられているとのこと。
今回の旅でつくづく「読んでてよかった!」と思ったのは、年末年始、アーユルヴェーダグラム滞在時に持参していた『ラーマーヤナ』。
『ラーマーヤナ』とは、『マハーバーラタ』(こちらは未読)と並んで、インド人(ヒンドゥー教徒)にとっての、多分バイブルに相当する神話である。
概要は、下記を参照されたい。
『ラーマーヤナ』については、簡単な感想を書きたいと思いつつそのままだが、これを読んだのと読まないのとでは、インド、そしてインド人に対する見方がかなり異なると、今更ながら思っている。
インド人の伴侶を持ち、インドに暮らしていながら、今の今まで読んでいなかった自分を反省した。
というわけで、わたしが読んだのは、そもそも子ども向けに編集されたのであろう、わかりやすい上下巻。
この本を読んだことで、普段、腑に落ちなかったあれこれが、なるほどな、と納得できた。インドにお住まいの方、インドと関わりのある方には、ぜひ一読をお勧めする。
わたしももう一度、読み直すと同時に、『マハーバーラタ』も入手して読もうと思っている。
生きとし生けるもの、みな同列。
「神」と、「地上に生ける衆生」の関係。
時間と距離の精神的概念。
軽やかに面白く、奥深い本である。
さて、ハンピは、この『ラーマーヤナ』の舞台ともなっている場所。
物語の主人公であるラーマ王子に忠誠を尽くす猿のハヌマーン。
読後、わたしはすっかりハヌマーンのファンになってしまったのだが、彼の生まれ故郷がこのハンピなのだ。
……と書いていて、はたと思い当たった。
『ラーマーヤナ』と、日本の『桃太郎』。共通点が散見される。
ランカ(スリランカ)に棲む悪魔退治。鬼が島に棲む鬼退治……。
ハヌマーンと西遊記の孫悟空は、きっと関連があるのだろうとの印象を受けていたのだが……。
『桃太郎』の『ラーマーヤナ』起源説、きっとあるに違いない。といったことは、別の機会に検証するとしよう。
あれこれと話が広がると、旅の記録が終わらなくなるので、以降、写真にキャプションを添える感じで、ざっとご紹介したい。
なお、MiPhone@Indiaにも、ここに載せていないiPhone撮影の写真をあれこれと載せている。
土曜の昼ごろ、フブリの空港に到着した我々。予約していた車を呼び、荷物を積み込んでハンピへ向けてドライヴだ。と、その前に。
軽くランチを、とドライヴァーお勧めのローカルレストランに入った。この店のドサがおいしくて感激! というのも、ギーが軽めでクリスピー、だけど旨味が濃厚という、かなり理想的な味だったのだ。
今回の旅で一番おいしかったのは、この店のドサであった。
フブリから、車は東へ目指して走る。途中、視界に飛び込むのは、乾いた農耕地。農地ながらも、決して緑が潤っているわけではない、乾いた印象を受けるのだ。
綿、トウガラシ、粟、ヒエなどの穀物の畑が、交互に目に飛び込んで来る。
牛車が行き交い、ヤギの群れが道路を横切る。黒豚の家族が道路を横切る。交通量があまり多くないのをいいことに、凹凸の少なくない道路を、ドライヴァーは時に100kmも出して走る。
インドの、整備されていない一般道(ハイウェイと名付けられていても、ハイウェイとは思えない道路)で時速100kmは、ある種、自殺行為である。
時折、ドライヴァーをいさめつつ、久しぶりに「インド的ドライヴ」を経験するのであった。
途中、風力発電の風車が立ち並ぶポイントも見かけた。今が一番涼しい時期だとはいえ、陽光は鋭く照りつけ、熱い。
太陽光発電もまた、この国では偉大なるエネルギー源となるに違いないと思うのだが、そのあたりのことも、さておいておこう。
さて、午後4時ごろ、ようやくハンピに到着。村に入り、観光ポイントが点在するエリアの路上で車を停められる。
車の入場料金を払わねばならないらしいが、物売りだの、自称ガイドだの、なんだのかんだの、車のまわりをどっと取り囲む。見るからに「有象無象が跋扈」の状態で、誰が「本当に料金を支払うべき人」なのか、わからない。
そんな中に紛れて、声をかけてきた政府公認のガイド。身分証明を見せてくれたし、英語もわかりやすいし、態度も悪くない。
時間も短いことから、交渉し、2時間500ルピーでガイドをしてもらうことにした。結果3時間近く、なかなかに的確なガイドをしてもらった上、翌日の行動予定も立ててもらった。
効率よく巡るためにも、ガイドは不可欠だ。もちろん、ガイドの知識や人柄にもよるけれど。昨年のアジャンタ&エローラ遺跡でも、ガイドの必要性を痛感した。
本来、ホテルや旅行代理店などを通して手配をするのが安心だが、今回はこれで十分であった。
左上は、ナラシンハ像 (Narasimha Statue)。ヴィシュヌ神の第4の化身で、ライオンの頭と人間の身体を持っている。
右上は、シヴァ寺院にあるリンガ。シヴァ寺院では、シヴァ神の像を奉るのではなく、このシヴァ・リンガが礼拝の対象となっている。
リンガは男性器の象徴であり、ヨーニと呼ばれる器の上に立っている。ヨーニとは女性器の象徴だ。
つまりこの像は、性交中のシヴァ神を、女性の体内から見ている格好となる。
我々が生きる世界は即ち、シヴァ神が女性と性交をした結果、現れた世界であるということらしい。ということを、今回、初めて知った。リンガとはなるほど、そういうことだったのか。
リンガとヨーニとは、生命原理の最高のシンボルであるらしい。
上の写真は、特筆すべき場所ではない。ガイドがこの傍らを通過した際、教えてくれて車を降りた。何かと言えば、400〜500年前のハンピ最盛期、村の人たちが祝宴に使っていた場所だとのこと。
この上に、バナナの葉を載せて、テーブル代わりに用いていたらしい。今でもたまに、使われているという。即ち食卓である。
エローラの仏像を見た時にも思ったが、別の土地から訪れる観光客にとっては、世界遺産とは、守られるべき場所であるとの印象を受ける。
しかし、ずっとここに暮らしている人たちに取っては、いにしえから今日に至るまで、祈りの対象であり、生活の場であるのだということを、忘れてはならないと思う。
遺跡の壁面に名前を彫るなど、徒に傷をつけるのは勿論よくない。
しかし神体に触れて祈りを捧げたり、普通に出入りすることを、外部の人は「保存」を名目に、とめることはできないのだ、ということを、改めて感じた。
その後、特に行く必要はないが、近くを通ったので取り敢えず、というわけでミュージアムへ。遺跡にあった彫像などが、ここで展示されている。
インド人であるところの夫を、「ああ、インド人なんだな」と思うことが、折に触れてある。この写真を見た時も、そうだ。
夫のフェイスライン。猿(ハヌマーン)の彫像に似てる! と思うのはわたしだけか。
ちなみに、夫が怒ったときなどは、「あうん」な「金剛力士」みたいな顔になる。カッと見開いた目が立体的に飛び出し、濃く太い眉がそり上がり……。ああ、誰かに見せたい。
あと、後ろ姿(特にお尻の辺り)が、象の後ろ姿に似てるな〜と思うこともある。ああ、これは見せずともよし。
そんなしょうもない所感はさておき、今日のうちに、一番の見どころだとされているヴィッタラ寺院 (Vittala Temple)を訪ねることに。
普段のハンピは、比較的静かで観光客が少ないとのことだが、この日(土曜)は週末であるのに加え、祝祭日とあってか、着飾った人々が大勢、訪れていた。
ガイドのおじさんは、やたらと「写真撮影」にこだわる人で、「このポイントから」「このアングルで」と、過剰に親切。
確かに写真も撮りたいが、それよりなにより、自分の目で、じっくりと、対象を眺めることが大切やろ。
と思うのだが……。このところ、Facebookに自分の写真を載せるのが楽しいらしい夫。といっても、自分で撮影するのではなく、わたしが撮ったものを使うから厄介だ。映りのいい写真を所望するのだ。
以前は、「美穂は、写真ばっかり撮って」などと言っていたくせに。
ガイドとふたりして、あっちで撮ろう、こっちで撮ろうとうるさい。ここには載せていないが、かなりの数、撮らされた。
かなり、イラッとする妻。
中盤から、笑顔さえ失せてしまったが、しかしこうして帰宅してから見るに、珍しく夫とのツーショットがいい感じで撮れている。
これは、ガイドがうまく撮影してくれたお陰である。感謝せねばな。
左上は寺院の台座の部分。雨が降ると、この彫刻に水が伝わって、きれいに見えるらしい。水が流れるところをぜひとも見てみたいと思う。
台座の人物の彫刻の中には、当時大陸から訪れた、中国人やポルトガル人らの姿も見られるという。衣類や帽子に、その特徴が現れているそうだ。
さて、ゆっくりと巡りたいところだが、徐々に太陽が傾き始めてきた。日没にいいポイントを、とガイドに尋ねたところ、「サンセットポイントへ行きましょう」とのことで、直行する。
小高い丘の上にたどり着けば、太陽が本日の最後の力を振り絞るように、あたり一面を黄金色に染めている。
荒涼の乾いた大地に、緑浮かび上がる光景が、視界を埋め尽くす。
天然自然のものと、人間が作り上げたものとが、違和感なく、静かに調和しているさまが麗しい。
このサンセットポイント、ヘマクタの丘 (Hemakuta Hill)からは、ハンピの遺跡群の中で、唯一、現在も寺院としての機能を果たしているヴィルパークシャ寺院 (Virupaksha Temple)が見下ろせる。
わたしたちの背後に見えるのがそれだ。
今日は祝祭日ということで、寺院前の通り、即ちハンピ・バザールと呼ばれる界隈は、大勢の人々で賑わいを見せている。しかしこうして、遠くから見る限りにおいては、静寂の光景だ。
この寺院には、明朝、訪れることにして、そろそろホテルへと引き上げるころである。6時過ぎには、観光ポイントも殆どが扉を閉じてしまうのだ。
寺院の入り口にそびえる、ピラミッドのような形をした屋根の壁面には、さまざまな彫像が施されている。薄暗く、すでによく見えないのであるが、しかし、アルヴィンドが声を上げた。
「ミホ! あれ見て!!」
カメラをズームにして、撮影してみた。
目のつけどころが、すてきです。
さて、こちらは翌朝の風景。ホテルで朝食をすませ、9時前にはチェックアウト。なにしろランチを終えたらフブリに向かわねばならず、残すところ実質4時間程度のハンピ滞在である。
まずは、ヴィルパークシャ寺院へ再び。本日も祝祭日ゆえ、バザールは飲食店や雑貨店、装飾品や色粉を売る露店などが並び、賑わっている。
わたしたちのような観光客よりもむしろ、参拝に訪れる人の方が多いように見受けられる。入り口で靴を脱ぎ、境内へ入る。
お香の匂い、鐘の音……。写真からその喧噪は伝わらないが、しかしここは生命力が満ちあふれている、遺跡の中の現在だ。
一隅では、参拝者が持参のココナツを祭司に託している。祭司はココナツを割り、ココナツウォーターを台座の器に流し入れる。
これはきっと、神への捧げものなのであろう。
境内を一巡して、さて寺院を離れようかとしたとき、先ほどはいなかった象と、象使いが立っており、その周囲を人々が取り囲んでいる。
よくよく見てみれば、象は参拝者から「鼻で」お金を受け取ると、それを象使いに渡している。象使いが指示を出すと、象が参拝者の頭を「よしよし」という感じで、なでてくれるのだ。
「ぼくもやってもらうよ!」と、マイハニー。「ちゃんと写真を撮ってよね!」と厳しい。これは失敗できんな。
まずはお金を渡し……。
はい、象さんが笑いながら(笑っているように見えるでしょ?)、頭を撫でているの図。
実はこれ、2度目の撮影。一度目、iPhoneで撮った写真が、本人的には気に入らなかったらしく、再撮影を言い渡されたのだ。
こっちの方が、がっしり頭に鼻が載っている感じが出ているかと思う。
ちなみに、わたしもやってみた。
5ルピーを渡したところ、なでなでしてくれない。
象使いが、「10ルピー!」と言う。
10ルピー以上じゃなきゃ、なでてくれんらしい。
なかなかに、いい商売である。
というわけで10ルピー渡して、なでなでしてもらったというのに!
夫ときたら、撮影失敗。
これだもの。
ってか、そんなくだらんことは、どうでもいいのだ。見ていただきたいのは、この象の表情。人間の顔はともかく、この賢そうなやさしそうな象の顔をごらんあれ。
実際、笑ってるつもりはないんやろうけど。
こうして見ると、象になでられて大喜びしている人間の方が阿呆に見えるから、不思議なものである。
それにしても、楽しかったぞう。
……失礼。
さて、次なる目的地は、ハザーラ・ラーマ寺院 (Hazara Rama Temple)。
ここでもまた、読んでてよかった『ラーマーヤナ』、である。
キリスト教会のステンドグラスが、聖書の物語で彩られているように、この寺院の壁面はまた、『ラーマーヤナ』の名場面なども彫られているのである。
訪れる人も少なく、空気は清澄で、実に心休まる空間だ。じっくりと眺めて回りたいところだが、あまりゆっくりもしていられない。
ハンピには、少なくとも2泊はすべきだと、訪れてみて痛感した。ひとつひとつの遺跡を丁寧に見学しつつ、同時に、心を浄化すべくのんびりと、過ごしてみるのにもいい場所なのだ。
さて、次に訪れたのは、ロータス・マハル (Lotus Mahal)。この建築物は、ムスリムの建築様式が取り入れられているという。
見るからに、今まで見てきたヒンドゥー教一本やりの世界とは異なる空間。レリーフなどの細工などにも、その特徴が見られる。
開放的なオープンスペース故、中に入って写真を撮っていたら、遠くから警備の人に注意された。どの遺跡も、あちこち進入自由な状態だったが、ここはのぼっちゃいかんらしい。
が、ここに座ったとき、本当に気持ちがよかった。このあたり、くつろぎたい場所である。
左上はエレファント・ステイブルズ (Elephant Stables)。即ちゾウ小屋の跡である。小屋と呼ぶにはあまりにも重厚な、象のお住まい跡地だ。
さて、ロータス・マハルをあとにして、すぐ近くにあるクイーンズ・バス (Queen's Bath)へ。王妃の浴場である。
実際にこの浴場が浴場として使われていたころの様子を、脳裏に思い浮かべてみる。バラの花びらなどがちりばめられ、カラフルなサリーに身を包んだ侍女たちが仕え、それはそれは、艶やかな光景であったろう。
さて、クイーンズ・バスをあとにしたわたしたちは、最後に再び、最初に訪れたヴィッタラ寺院へ向かう。
もう一度、今度は昼間の様子を見ておきたく、帰る前に訪れようと決めていたのだ。他にもまだ見るべきポイントはいくつかあったようだが、今回は無理にたくさんを回ることはやめた。
改めて、写真のみを掲載しておく。
慌ただしくも実り多きハンピ観光を終え、フブリに戻る前に、友人から勧められていたレストランへ立ち寄ることにした。
Mango Treeという名の、眺めのよいその店で、ランチタイムだ。(注:この店は現在移転しており、眺めがよくない。というか眺めがない)
バナナ畑を歩いた先にある、こぢんまりとアットホームな店である。
さまざまなサイトなどで取り上げられているせいか、外国人観光客が多い。メニューにも、サンドイッチなどスナック類が用意されている。
わたしたちはローカルの定食を注文。素朴なミールスだが、清澄な空気が料理の味を引き立ててくれ、食が進んだ。
本来、ローカルの店ならばおかわり自由なので、そのつもりで頼んだら、基本、おかわりなし、らしい。が、そう言いつつも、追加を持ってきてくれた。食欲旺盛な客である。
ここでもまた、食後にゆっくりとくつろぎたいところだが、4時半までにはフブリに到着せねばならない。カンファレンスのオープニングスピーチが、5時には始まるのだ。
スピーチは、インフォシスのナラヤン・ムルティ氏によるもの。すでにカンファレンスは今朝から始まっているので、せめてこれは聞いておきたい。
後ろ髪を引かれつつも、車に乗り込み、西を目指すのであった。
というわけで、駆け抜けるように、ハンピ旅の記録、終了。
フブリの記録も、自分の経験を消化するためにも、記すつもりだ。
★追記:先ほどの夕食時、夫と「象の頭なでなで料金」について話をしていたところ、新事実が発覚! 夫は2ルピーでなでなでしてもらったらしい。わたしが要求された10ルピーとは「外国人料金」だったらしい。やられた!