新しいブログ『インド百景 2016』をご覧ください。
静かな雨音で目覚めた。窓の外はほの暗く、まだ夜は明けていない。
元旦に、雨? 雨期でもないのに……。
再び目を閉じて、次に目覚めたときには、もう夜が空けていた。しかし、雨はまだ降り続いている。
HAPPY NEW YEAR.
まだ寝ている夫を起こすつもりで、声をかける。
アケマシテ、オメデトウ!
寝ぼけながらも、新年の挨拶を交わす。
わたしたちの寝室の一隅で眠っていたNORAが、背中をグンと弓なりに曲げながら伸びをしている。
HAPPY BIRTHDAY, NORA。1歳のお誕生日、おめでとう。
昨年の7月初旬、わが家を自らの住処と決めて暮らし始めた彼女。病院に連れて行った際、ドクターから「生後、7カ月くらいですね」と言われたことから、彼女の誕生日は元日だと決めていたのだった。
ベッドから起き上がり、ギザ(浴室の湯沸かし器)のスイッチを入れる。湯が温まるのを待つ間、階下に下りる。雨はすでに止んでいた。庭に出れば、鈍色に沈む、雨に打たれた御影石の遊歩路の上に、枯れてなお凛とした菩提樹の葉が、鮮やかなピンクのブーゲンビリアの花が、鏤められている。
いつのときも、静かに微笑んでいる仏像に向かって、手を合わせる。と、雲間から太陽の光がこぼれ始めた。ゆらゆらと、覚束なくあたりを照らす。
2015年最初の朝だ。
リヴィングルームにも、キッチンにも、夕べの小宴の名残が少し。大まかな片付けは、2014年のうちにすませておいたが、布巾の上に伏せておいていたワイングラスやシャンペングラスの脚の部分を、注意深く指と指の間に滑らせて運び、リヴィングルームのカバード (cupboard) に納める。
テーブルクロスをはがし、ナプキンやエプロンなどと一緒にまとめて、洗濯機へ投げ込み、回す。元旦には家事をしてはいけない。というのは、日本の話。ここはインド。これくらいのことはしても、いいだろう。
夕べは、1年半ぶりに、日本からバンガロールへ「里帰り」している、友人夫婦と共に、年を越した。1年半ぶりの来訪に、最初は懐かしさを覚えていた彼らはまた、たちまち時を超えて、つい先日も遊びにきたばかりだというような雰囲気で、くつろぎ、飲み、食べ、語り合った。
新年を祝う、街の随所で打ち上げられる花火の炸裂音を聞きながら、新年あけましておめでとう、の乾杯。
インド。この国に暮らし始めて、10回目の年越しだった。
最初の数年は、高級ホテルやバンガロールクラブのパーティにて、飲んで食べて、踊って騒いでの狂乱の中で、新年を迎えて来た。しかし、年末をアーユルヴェーダグラムで過ごすようになってからは、ここ5年間というもの、「心静かに年を越し、心静かに新年を迎える」のが恒例となっている。
そろそろ、シャワーのお湯が温まったころだろう。
おろしたてのバラの香りの石鹸が、バスルーム全体を甘酸っぱく芳しい香りで包み込む。刹那、ワシントンD.C.の、ナショナルカセドラルにあるビショップス・ガーデンを思い出す。初夏のころ、あの庭を満たしていた、大輪のバラの花々。
あの地で過ごしたのは、4年余りだったか。
気がつけば、米国での10年足らずの生活に、追いつこうとしているインドでの生活。「今しばらく」のつもりが、こんなにも久しき日々。
そして今年の自身。この地球のうえに生を得て、まもなく半世紀となる。
「いつか」「こんど」などと、先延ばしにしたところで、その未来は決して訪れてはこないのだということを、身を以て思い知る昨今。
だからもう、年始の、ただ自己満足に過ぎない程度の「今年の目標」を、軽々しく口にしたりするのは、よそうと思う。できなかったことを数えることの遣る瀬なさ。
走らない。息切れするような走り方はしない。
心地よく、身体が軽く感じられるような、せめて「早歩き」で、ゆく。周りの風景に心を配りながら、ときに立ち止まれる余裕を携えながら。
シャワーを浴びたら、ひどくお腹が空いていることに気づいた。昨夜のおにぎりの残りを、蒸し器で温め直す。冷蔵庫から、ホウレンソウのおひたしや、レバーのパテや、煮物などの残りを取り出して、皿に盛る。そして、もりもりと、食べる。
ちなみに、煮物、とは、鶏の丸焼き和風ヴァージョン」のことだ。いくら簡単でダイナミックに調理できるからといって、このところは集いのたびに鶏の丸焼き。これでは芸がない。というわけで、見た目はいつもと同じだが、今回は初めて「和風仕立て」にしてみたのだ。
先日の豚肩ロースのブロック肉塩麹漬けのおいしさに開眼し、今度は丸ごと鶏肉を塩麹に一晩つけてみた。野菜は玉ねぎ、ニンジン、ジャガイモの他に大根、それに干し椎茸を柔らかく水で戻したもの。これらを和風に調味して、オーヴンに投入、焼いたのだ。
じっくりと味がしみ込んだ肉や野菜。おにぎりとよく合って、日本人の胃袋には殊更に、ぐっと染み入る。
食事を終えて、コーヒーを煎れ、今度は残りのケーキを食べる。翌日にはしっとりとして、できたてとはまた別のおいしさだ。
心の余裕、時間の余裕、今年は今までよりももっともっと意図的に、その余白を確保しながら、自分にとっての、「量より質」の生き方を、追求していこう。
1998年にニューヨークで出版社を起業。その後、2000年にホームページを立ち上げ、以来、数多くの言葉をネット上に鏤めてきた。
以前は、「読み返してくれる人がいるかもしれない」と思っていたが、しかしひたすらに情報があふれる今の世界。情報の大海の中で眠り続ける過去15年分の言葉は、多分これからも、目覚めることは殆どないだろう。
なにしろ、「文字量」「文章量」だけを考えてみても、1カ月に書籍1冊分は軽く綴って来た。12X15。少なく見積もっても、平均的書籍「180冊分以上」のヴォリュームが、我がホームページに眠っている。塵も積もって山となりすぎである。
自身の言葉の発信方法については、この15年間をしても、幾度となく自問し、試行錯誤してきた。
単に表現の場として「ブログ」という媒体を利用しているつもりが、「ブログを書く人」「ブロガー」と形容されることがいやで、ブログというツールを使うことに対して抵抗を覚えた時期も久しい。
わたしはライターであり、編集者である。という矜持はしかし、とても主観的なものである。この際、どういう認識のされ方をしたとしても、よいではないか。という気持ちにもなりはじめている。
インド生活も10年を迎え、インドを伝えることばかりが、わたしのすべきことではないのだ、という思いをもまた、新たにしている。ゆえに「インドもの」「インド以外の遍く世界もの」とに、自分の世界を区別すべく、インドものに関しては、この『インド百景』に一括することにした。
自分としては情趣的なはずだった『片隅の風景』についても、年度末のサーヴァーのトラブルで更新が不具合になっていた『インド百景』に一括し、移住当初から使って来た、このTypepadの有料ブログ・サーヴィスを利用することにした。そもそも、Typepadのサーヴィスが不安定だったこともあり、別の場に書き始めたのだが、最近は安定していることから、元に戻る次第。
Anyway。こんな内部的な事情は、読者の方々には何ら、関係ないであろう。
ともあれ、旅は、続く。
衝動で旅に出ていた20代、30代のころとは、異質の自分だからこそ、あのころの旅の経験が愛おしく、今の自分を育む上でかげかえのないことであったと、改めて思う。
旅する人生。彷徨する日々。流浪の歳月。その有り難き、無数の記憶。
異文化、異質を知り、理解に努め、敬意を払うことの尊さ。自身を育む諸々を「客観的に見る」その目を養うことの重要さ。そういうことをも、若い人々に伝えておきたいと、思う気持ちもある。
未知なる世界を垣間みて、体験することで、得られて来たその「考え」を、大切に守りながら、反映させながら、これからも形を変えつつ、自分なりの言葉で、発信を続ける。
縁あって、ここにいらっしゃるみなさま。2015年もまた、どうぞよろしくお願いします。
いや、結婚前に一度、夫と京都で年を越したことがあるから、18回目か。大晦日の清水寺を詣で、おぼろ月夜の小雨降るなか、東寺のあたりで除夜の鐘を聞いた。
翌日は、宿の朝食でおせち料理を味わい、やはり宿で獅子舞を鑑賞したり、餅つきを体験させてもらったりしたものだ。つきたての餅にきな粉をまぶしたそれの、おいしかったこと。ついこの間のことのように思えるが、それもまた、遠い昔。
当然ながら、南インドのこの地には、日本的正月の片鱗もなく、わたしは2日から仕事に戻った。1月中旬までに仕上げておきたい仕事がいくつかあり、しかし師走は慌ただしくてなかなか捗らなかった。ゆえに新年早々、仕事始めである。
無論、途中での息抜きの方が遥かに長く、午後も日が陰り始めると、お茶やコーヒーよりも飲みたいものへと手が伸びる。年末、友人夫妻からいただいた日本酒を、お気に入りのグラスに注ぎ、少しずつ、味わう。
このグラスは、結婚式のプレゼントにと、ニューヨークで出会った友人から贈られた。決して割りたくないので、メイドには任せず、自分で洗って片付ける。
2001年、結婚式の折に初めてインドを訪れた時も、2005年にインドへの移住を決めた時も、インドでは、おいしいワインを手軽に飲めなくなることを、覚悟した。とはいえ、言うほど、ワイン通ではない。特段の拘りもない。
米国在住時から、普段は1本15ドル前後のリーズナブルなワインで、十分に満足できる我々だ。それでも、好きなものを諦めるという覚悟をしたくらいに、当時のインド国産ワインの味は、ひどかった。
それが今では、選択肢が増え、品質には一進一退あるにせよ、おいしいワインが誕生している。このカルナタカ州ハンピ産のKRSMAのワインもそのひとつだ。
インドワインの先駆的存在と言えば、マハラシュトラ州ナシック産のSULA。今でも安定した品質で、多彩な種類のワインを販売している。特に気に入っているのは、スパークリングワインのBRUT。しかし、赤白ワインに関して言えば、銘柄にもよるが、このところ、KRSMAの方が口に合う。
不自由なこと、とか、足りないこと、について、あまり意識しなくなって久しい。
その一方で、選択肢が多ければいいというものではない、とも思う。
週末は、親戚とともに夕食を。米国在住の親戚が、新妻を伴ってインドへ一時帰国。夫はコルカタ出身のインド人。妻はニューオリンズ出身のインド系米国人。ハーバード大学在籍中に知り合ったという二人。夫は現在、ボストンで弁護士として働き、経済学者の妻はワシントンD.C.の政府機関で原油価格に関する仕事をしているとのこと。
バーベキューを食べながら、ときに難解な話に集中して耳を傾け、ときにくだらない話題をスルーして食に集中し、英語力の不足云々を超えて、親戚との会話も、なかなかにたいへんである。子供は子供で「趣味はチェロ。好きな作曲家は……」と語り始める。消化不良を起こしそうだ。
ずっと自宅で過ごしていると、半野良NORAとの交流も増える。が、日中は大抵、近所のパトロールに出かけている。元旦に1歳の誕生日を迎えた彼女は、自分へのプレゼントなのか、あるいはわたしたちへ感謝の気持ちを込めてなのか、ともあれ、小リスを捕獲して来た。正月早々、大騒ぎである。
そして翌々日の3日。またしても小リスを捕獲。NORAを溺愛する夫もさすがに辟易し、小リスの亡骸に詫びを入れながら片付けている。このような「捕獲物収拾作業」をはじめ、NORAへの食事の準備、トイレの片付けなどを夫が自ら行う、ということが、思えば去年の、最も驚いた出来事のひとつだった。
自分のことは、殆ど一切、進んで行わないというのに。
そんな夫の、今年初めての買い物は、amazon.inで注文したピンポン球。卓球をするわけではない。なにかのサイトで、猫はピンポン球で遊ぶのが好きだと読んだらしく、購入することにしたようだ。
しばらくは、見向きもせず。玄関先で、招かない招き猫状態で、じっとしている。夫が何度も転がしてみせてようやく、反応を示すも、さほど喜んでいるようにも見えず……。
夫、全力で、彼女の注意を引こうとしているの図。手前の、バーカウンターにぶらさがっているのは、夫が昨年訪れた日本の、ペットショップにて購入した、NORAへのお土産である。リアルねずみやその他諸々が豊かなのだから、玩具までそろえることもなかろうと思ったのだが、予備にと2つ。そして先日のOWCのバザールでも1つ購入し、3匹もぶら下がっている。なんともいかしたインテリアだ。
夫の情熱に根負けして、ようやく本気で遊び出した。それなりに楽しそうで、何よりだ。
ところでこの植物、日本で言うところのパキラ、英語ではマネープラント、とも呼ばれている。お金が貯まり、家に幸運を呼ぶ植物ともいわれる。この木をよじのぼって、NORAは柵をこえ、野良活動を行う。
NORAを野良でなくすために、この木を移動させるべきかとも思ったが、枯らしてしまうことになったりしては、不本意だ。というのも、これは、思い出の植物なのだ。
最後までインド移住を渋っていた夫が、ついにバンガロールへ移る決意をした。しかし当初、彼にとっては米国での快適なオフィス環境からほど遠く、バンガロールのすべてが、相当に辛そうだった。そんな中、オフィスに少しでも潤いをと、パキラの鉢植えを買ったのだった。
2006年5月。移住して半年後のことだ。そのときの記録を今、読み返してみた。さすがに、9年前の自分は、若い。そして、パキラが、微笑ましいほど、小さい。
なんとも、いろいろあった。そしてこれからも、いろいろある。
幸せは、自分の手で、育てなければ。
もはや、色あせることがなくなった過去の写真を目の前に、歳月さえも飛び越えて、当時の心持ちを思い返しながら。
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朝晩は少し冷え込むものの、日中の日差しはすでに暖かく、ときに暑く、この地の浅すぎる冬は、冬に非ず。
年始からの仕事は速やかに進み、デスクワークにも息切れしてきたので、外に出る。無性に自分で運転したくなるが、この地で、マニュアル車を操る自信はない。気分転換どころか、ストレスがたまりそうだ。いつか、自分で運転して、自由に道を走る生活に戻りたいと、考える。
サーブ900。黄色のコンバーチブル。20代のころの、憧れの車。
あの車は、本当にすてきだった。今でも、乗ってみたいと思うがしかし、サーブは確か、経営が破綻したのではなかったか。いろんな意味で、夢に終わった憧れか。
そのオーガニック専門店がオープンしていることには気づいていた。しかし、両隣、上階、常にどこかが工事中で、店内に入る衝動がそがれていた。今日、初めて入ってみたら、小さい店舗ながらもなかなかの充実ぶり。
月曜と木曜の午後、オーガニック農家から野菜が届くという。インディラナガールのいつもの店は火曜と金曜。少し、選択肢が増えてうれしい。
愛用しているRUSTIC ARTのシャンプーや石鹸などもある。このごろはオンライン・ショッピングに頼っていたが、やはり手に取って、新しい種類を確認したりしながら買うのも、いいものである。
オンライン・ショッピングといえば、新年、新しいシャワーカーテンに変えようと、以前、通販サイトを利用して購入していたシャワーカーテンを取り出した。
使う時に梱包を空ければいいと、無精をして、そのままに放置していたのを、開いてみて驚いた。
わたし、こんなの、選んだっけ? なにか見覚えがあるから、選んだに違いない。しかし、念のためサイトの買い物履歴を確認してみる。間違いはない。
どうしたのだろう、このチョイス。寝ぼけていたのだろうか。やはり、24時間、気軽に買い物ができてしまうオンライン・ショッピングとは危険である。このごろは、ジュエリー専門のサイトも充実していて、誘惑されること、このうえない。気をつけなければ。
今日は、久しぶりにコマーシャルストリートへ。まずは買い物のまえに、腹ごしらえをと、小路を右に入り、一本北側の道へ。
店舗の栄枯盛衰はあれど、この商店街の持つ独特の空気は、初めて訪れた10年前と変わらず。
新しいブランドの、新しい店舗が増えても、昔ながら、が圧倒的な存在感だ。
ランチの場所は、ここ。コマーシャルストリートにも同じ店があるのだが、こちらの方がすっきりと清潔感があり、人も少なく、ゆっくりと食事ができるのだ。
薄く香ばしく焼き上げられたペーパー・マサラ・ドサ。薄いだけに、巨大。皿からはもちろんはみ出し、テーブルからもはみ出しそうなほどの。
食後は、チャイを。「シュガー。チョタ」とお願いする。チョタ、とはヒンディー語で「少し」という意味である。わたしがヒンディー語で話せる表現は、2つだけ。
「カナ・バホット・アチャ・へ」
食事、とてもおいしかったです。
「AC カムセ・カムカルド!」
(タクシーの中で運転手に)冷房、弱めてください!
インドに10年近くも住んでいながら、なぜしゃべれないと言われそうだが、そら勉強しないことにはしゃべれないのである。一度は勉強しようと取り組んだこともあったが、あきらめた。
なにしろここバンガロールでは、英語と地元のカンナダ語が主流。デリーやムンバイだと、ヒンディー語が圧倒的に必要となるが、ここでは英語でそれなりにやっていけるから、いけない。
そんな言い訳はさておいて、チャイは美味だった。
さて、買い物とは、これである。
ニューヨークで出会った当初、夫はインド人であることを、インド人と言わなければほとんどわからない、ライフスタイルであった。しかし、絶対にインド人である、という出自が明るみになるときがあった。
それは、クリケットのワールドカップが行われている時期。特別なケーブルでしか受信できない試合を見るために、彼がどれほど、尽力したか。
そして、毎晩、寝る時の姿。白いパジャマ&クルタを着用するのである。
ちなみにパジャマとはヒンディ語で「ズボン」、クルタとは「上着(トップ)」を意味する。英国人が上下まとめて寝間着を「パジャマ」と呼んでいるが、あれは、ヒンディ語から来ている。正確には、パージャーマーと発音するようだ。ともあれ、インドでパジャマといえば、あくまでも「ズボン」のことだ。
このパジャマ&クルタ、彼が学生のころからずっと、デリーのロメイシュ・パパが調達して米国に送ってくれていたこともあり、なぜかデリーに行った特に買う習慣がついていた。が、しかし、このところ買い忘れている。
白の衣類は、水の状態が悪いインドで洗濯をすると、たちまちグレイになる。ほとんどのパジャマ&クルタがグレイ化し、極めてみすぼらしい様子になっていたので、まとめ買いをしようとコマーシャルストリートを訪れたのだった。
そもそも普段着として着ているムスリムの人たちも多い。ゆえに、ムスリムの店が多い店を重点的に訪れたのだが……。
デコレーションのない、シンプルな、木綿100%のものを見つけるのが、なかなかに難しい。刺繍があったり、マオカラーだったり、なにかしら、邪魔である。
結果5軒ほども巡り、数枚ずつを買ったのだった。ちなみにパジャマの下に下着のパンツははかない。直接、である。ゆえに、毎日洗濯をするので、彼が旅行のときには、このパジャマ&クルタだけで、たいへんなかさばりようなのである。
しかし、快眠が最優先。いつもどっさりと、持参する。
高原の街の暮らしでは、麗しい夕暮れ時の遭遇率が、極めて高い。
この時刻の、空の様子は、いかにもやさしい。
夕飯のサラダ。普段はオリーヴ・オイルとバルサミコ酢などで簡単な味付けだが、今日はトマトのみじんぎりを、これで和えてドレッシング代わりにしてみた。
おいしい! サラダをモリモリ、食べてしまえる。
わたしが茅乃舎の商品を愛用していることを知ってか、年末に友人(PAKAKO隊員)がお土産に買って来てくれたもの。ありがとう。
出張帰りの夫も「これは、胃がすっきりしていいね」と喜んでいた。
さて、そろそろシャワーでも浴びて、今日も早めに、寝るとしよう。
鮮やかな青空と、澄んだ空気が心地よい日曜の朝。少し冷え込む朝晩につき、温かな日溜まりがありがたい。
急速な都市化により、バンガロールの空気は確かに年々、悪くなっている。しかし、日曜の朝は、街の往来も少なく、いつもよりは静か。
高原という地形のお陰で、風が通り、空気が循環しやすいせいもあるだろう。こうして自宅の庭にいる限りにおいては、空気の悪さを感じることない。激減したとはいえ、緑もまだまだ、豊かだ。
年初からデスクワークが続いているものの、金曜日は久しぶりにミューズ・クリエイションのメンバーが集っての、活動日だった。日本へ一時帰国していた人、旅に出ていた人が、徐々にバンガロールに戻り始め、いつものように20数名が集まった。
2月15日には、毎年恒例のジャパン・ハッバ(日本祭り)が開催される。ミューズ・クリエイションは結成以来、一昨年、昨年と、参加して来た。3度目の今年もまた、手工芸品の販売と、ミューズ・クワイアの歌の披露を行う。とはいえ、開催まであと1カ月ほどしかない。新年早々、各チーム、準備の開始である。
布や紙の作品を販売するほか、書道や折り紙のデモンストレーションなども行う。ジャパン・ハッバは、一般のバザールとは違い、販売がメインというわけではなく、地元の人たちとの交流が大切な催しでもあるのだ。
ミューズ・クワイア(チーム歌)は、今回、曲に合わせて踊りも盛り込むこととなり、有志メンバーが特訓を開始するようだ。そのときどきで、talent、才能のある人が多いミューズ・クリエイション。日本でダンスの先生をしていた人もいて、彼女が指導をしてくれることになった。
金曜日のサロン・ド・ミューズだけでは時間が足りないので、別の日にも拙宅に集まることになり、わたしもちょっと、参加してみようと思っている。楽しみだ。
ティータイムのためのおやつ。毎度、ふぞろいのいちごたち。キウイを買い忘れたので、ミントで色を添える。
いちごの季節は限られているので、食べられるうちにと、いちごのショートケーキ風を再び。そのまま食べると酸味が強い地元産のイチゴだが、風味はしっかりとしているので、いつものように、軽く砂糖で煮てみたり、こうして生クリームに添えたりすると、いちごの味が引き立つ。
クリームとイチゴを挟んで、数時間置いておいたほうが、いちごの香りが際立ってくるということも、ここ数回の「実験」によって立証された。何度か繰り返して作ってみないことには、コツがつかめないものである。特にインドのように、素材も電力も不安定な場所においては、そのときどきで、仕上がりが異なってしまうがゆえ。
さて、今年もまた、しっかり寝て、しっかり食べ、しっかり働き、しっかり遊んで、更にはしっかり学びつつ、しかし時間に追われるのではなく、走るのではなくせいぜい早歩きで、ときに立ち止まり周囲の光景をゆっくり眺めつつ、「心の余裕」を損なわず、進んでいこう。
NORAの存在は、余裕の、ひとつの象徴のようでもある。彼女が我々の生活に入り込んで来たことも、それなりに、意味があるように思える。というわけで、今朝のNORAの様子など。
こら、やめなさい! と言われて引き下がったかのように見せて、
と、元ヤン(元野良)の凄み。
すみませんすみません。もう撮りませんよ! もの言わぬ植物でも撮りますわ。
このヤシの木に絡み付いているポトスのような葉が、胡椒なのです。この緑の実、どのタイミングでどうすれば、胡椒になるのかわからず、そのまま放置中。それにしても、自宅の庭で胡椒が採れるなんて、考えてみればユニークだ。
そうこうしているうちにも、キッチンからいい香りが漂って来た。そろそろパンが焼けるころだ。今日もまたデスクワークだが、概ね、のんびりと、過ごそう。
年明け以来、相変わらずのデスクワークだが、前倒しに進めていたこともあり、先が見えて来た。次の山に取りかかる前に、この青空の日曜を、もっとのんびりすごそうではないかと、思う。
昼ごろ、庭の胡椒の実のことを、ここに書いた。Facebookに、その記事を転載した。そうしたら、早速それを読んだ友人の一人から、茹でて塩漬けにしたものを、サラダとかパスタに入れるといいですよ、といったコメントをもらった。
それは興味深いとばかり、すぐさまネットで調べてみたら、どうやら昨年、日本で、塩漬け胡椒というのが、多分地味に、流行っていたようだ。あまりにも簡単に作れそうだったので、早速、庭の胡椒を収穫。
4、5分、茹でたあと、高濃度の塩水につけた。ヒマラヤの岩塩をたっぷりと。
こうしてみると、本当に、ほんの少し。次はいつ、収穫できるのだろう。
それにしても、なんといういいタイミング。実は、昨年のクリスマス・パーティの折に購入していた2キロの豚肩ロースの塊肉。1.5キロだけを調理して、残り500グラムを冷凍していたのだが、土曜日にそれを解凍して、塩麹につけておいたのだ。
パーティのときには、あっというまになくなってしまい、わたしは味見の一口だけ、夫も小さな一切れだけしか食べておらず、不完全燃焼だったので、ゆっくりと日本酒を飲みながら、味わおうと思っていた。この豚肉に、塩漬け胡椒はきっと合うに違いない。
ギュッと詰まった大振りのキャベツをザクザクと切り、大根も適当にスライスし、鍋の底に敷く。その上に塩麹ほか、和風味で調味した肉塊をどんと載せて数時間、ことこと、ことこと、と、煮る。
何もかもが柔らかくなったら、肉を取り出して切り分けて、再び鍋に戻す。その状態がこの写真だ。
このままでも十分においしいのだが、さて、塩漬け胡椒を取り出す。本当は、何日か漬けておくべきところなのだろうけれど、待ちきれず、数粒。これがまた、爽やかな辛みと風味で、豚肉との相性も抜群だ。日本酒とも、合う!
身近にある、素朴な素材で、簡単に調理でき、おいしく食べられることの幸せ。
それにしても、日本では「ブーム」は去ったであろう塩麹の活躍ぶりは、なかなかのものである。日本からもう少し、買ってくればよかった。
ところで、朝晩は冷える、この時節のバンガロール。オリジナルの「ホット・モヒト」を作ってみた。モヒトに必要な材料はあるのだが、冷たいものは飲みたくなく、しかしお湯で割ればおいしいのではないかと思いついたのだ。
金曜日のケーキのデコレーションに使ったミントが大量に余っていたので、それを活用。レモン(インドではライムのような形状)を絞り入れ、ハチミツを入れ、ラム酒を入れ、お湯を注いで出来上がり。
ミントとレモンの爽やかな風味、そしてラム酒の甘い香りが立ちこめて、何とも言えず、おいしい。身体も温まるし、アルコールとはいえ、身体にもいい感じ。これは少し冷え込む時節の定番になりそうだ。
ぬくぬくと心身共に温まり、心地よく眠りについたのだった。
毎度おなじみのスーパーマーケット、Thom's Bakeryで見つけたゴマのペースト。バンガロールの食品メーカーが販売しているもの。いろいろと応用して使えそうだと購入した。日本のゴマのように煎られていないので、少しばかり「青い」風味がするけれど、それなりにいける。
ホウレンソウの胡麻和え風にしてみたところ、なかなかにおいしかった。ゴマしゃぶのたれ、のようなものも、自作できるかもしれない。
ちなみにこの商品名Tahiniとあるが、中東あたりで食されるゴマのペーストのことだとか。ハマスのような感じで、ディップして食されるようである。
このパッケージにも、レモン汁や塩、オリーヴオイル、パプリカ、水などを加えてピタやトーストとともに味わうようレシピが記されている。
実はインド、世界第2位のゴマの生産国である。以前は1位だった気がしたので調べてみたところ、1位はミャンマーであった。
ちなみに日本は70位にも入っていない。大半が輸入なのであろう。
月に一度のラジオの収録。
早起きをすれば、空気が冷たく、緩やかな季節の、冬。
来月の催し、JAPAN HABBA 2015 に向けて、
特別に練習日を設けて、ミューズ・クワイア・ダンサーズ。
いつも、同じことをしているようで、
異なる人々が、異なることを、そのときどきで。
楽しむための、一生懸命もまた、いいものだ。
気がつけば、7年以上使っていたプリンタ。
調子が悪くて、同じ銘柄の新しい機種に、買い替えた。
随分と、進化していた。
ボタンの部分がシンプルだ。
思えばこれまでのプリンタには、
FAX機能が搭載されていて、そのための数字のパネル。
FAX。最後に使ったのは、いつだろう。
それにしても、猫という生き物は、箱が好きなのですね。
炊きたてのご飯と、魚の煮付け。
ホクホクのジャガイモと、ニンジンと、インゲン。
素朴に、おいしい。
猫のほかほかが、膝の上で、心地よい夜。
少しゆとりのあった今週は、あっという間に過ぎ去って、金曜日の今日は、サロン・ド・ミューズ。ミューズ・クリエイションの活動日。
今日の参加メンバーは28名。大きく焼いたカステラの、分け前も小さめに。賑やかな午後を経て、買い物に行けないこの日。
bigbasket.comで、夕べのうちに注文しておいたオーガニックの野菜が、夕方届いた。久しぶりにグリンピース。サヤに入っているものを、久しぶりに見かけたので注文しておいたのだ。そのほかにもニンジンやピーマン、どれも新鮮な物が届いてうれしい。
夫はまだ帰宅していない。金曜だし、少し夕食が遅めになっても構わない。諸々のことに、思いを馳せながら、一つ一つ、豆を剥いてゆく。この国では、何もかもがふぞろいだ。この豆もしても、また。
大きい粒、小さい粒、ころころ、ころころと、ザルの中にこぼれていく。
さて、これで今日は何を作ろう。
ピースご飯、を思い立ち、インドのバスマティ米で炊いてみることにした。香り豊かな長粒米。せっかくだから、少し旨味の強いものにしよう。玉ねぎのみじん切りをバターで炒め、そのあとに、ニンジンのみじん切りも加え、そして豆とお米を投入。茅乃舎の野菜だしをふりかけ、軽く醤油と酒をふりかけ、和洋折衷の風味にて。
味噌などに漬け込んでいた豚バラ肉は、トマトとピーマンとともに軽く炒めた。ご飯ともよく合うはずだ。ちなみに我が家の炊飯器は、ここ数年、これ一筋。どんなご飯も、おいしく炊ける。普通の鍋でも、マニプールの石鍋でも、それなりにおいしく炊けるけれど。
さて、そろそろ夫も返って来るころ、いい塩梅で準備も終了。ところが帰宅するなり夫、「ミホ〜! ミホ〜! ちょっと来て!」と騒いでいる。
夫に引っ張られるようにアパートメント・ビルディングのエントランスへ。
そこには、またしても、「新しい子猫」がいた。母親は、以前3匹の子猫を生んだ、あのジュリーに違いない。この近所に住み着いている野良。彼女には避妊手術をさせないと……と思っていたが、次々に子供を出産しているようだ。
モカ、チャイ、ラテ、と名付けていたあの3匹。1匹くらいを育てたいと思っていたけれど、いつも逃げられ、そのうち彼らは独立し、最近では1匹を見かけるのみ。すっかり野良度満点で、最早、我が家のNORAのように、自ら住みに来てくれなければ太刀打ちできない状態だった。
ところがそこで寝ていたその子猫。わたしを見るなり、足下にすりよってくる。夫にも。
一瞬の逡巡はあったが、抱き上げた時点で、連れて帰ることにした。NORAの反応が心配だが、しばらくサンルームに隔離して様子を見ればいいだろう。そして明日、病院に連れて行こう。
生後、数カ月といったところだろうか。子猫用の餌がないので、NORAのを与えたら、硬そうに、しかし一生懸命、咀嚼していた。牛乳を少し水に薄めた物を与えたら、おいしそうに飲んだ。
大きな空き缶に、トイレ用の砂を入れたら、すぐにそれをトイレだと認識して、迷わず用を足した。しかも大小。
なかなかに、度胸のある、やんちゃな「彼」のようである。ともかく、まとわりついてくる。座ったわたしによじ上り、肩から首から腕からを、探検するようにまとわりついてくる。
かわいすぎる。
NORAはすでにかなり大きくなっていて、そこまでまとわりついてくれなかったのが寂しく、それまで猫好きでもなかったのに、一旦、かわいいかも、という気持ちが芽生えると、より懐いてくれる猫を求める気持ちが芽生えていた。
そんな矢先の、この出会い。
驚くほど、軽いのに、驚くほどの敏捷性で、テーブルにジャンプしたり、飛び降りたり。
病院に連れて行き、様子を見ようとは思うけれど、うちの子に、なるだろうか。
まずはNORAのご機嫌を損ねないように、慈しんでやらなければ。色々と、たいへんだけれど、面白い……。
と、面白がっている場合ではなかった。明日からデリーの義父、ロメイシュ・パパが泊まりにくる。今週末、そして来週末。
さて、諸々の準備をするといたしましょう。
His name is Rocky.
打たれ強い男になって欲しいとの願いを込めて。「負けるなよ、NORA姐さんに」の、期待を込めて。
なにしろ、昨日までは、テニスコートの排水口で、寝起きしてた彼。十分にたくましい。
昨日も記したが、夕べはNORAには気づかれぬよう、サンルームにスペースを確保して、一晩を過ごした。
いろいろと、気になっていたのか、夢の中でも、2匹の猫が現れて、双方の仲を取り持つために、砕心している自分がいた。目が覚めたら、NORAがわたしのお腹の上で、悠然と、寝ていた。
朝一番、我が家の近くにある、公営の動物病院へ連れて行った。NORAも最初はここでワクチンを打ってもらい、避妊手術だけは、ハイブリッドなペットたち御用達の、評判のよい病院で受けさせたのだった。
なにしろ、ロッキーも、野良。まずは、軽く、状態を見てもらえればいいのだ。
ドクター曰く、この猫はオスで、生後2カ月程度、健康。とのことだったので、夫があれこれと案を出したなかから、ROCKYを採用したのだった。
ちなみに彼が候補に挙げたものの大半は、使えないものばかり。ニンジャ、コニシキなどというのもあった。ブラウニーはかわいいと思ったが、野良出自にはかわいらしすぎる。
日々、我がテリトリーのパトロールを怠らないNORAが、彼の存在に気づかぬわけはなく、ガラスの扉ごしに、威嚇することしきり。最初は驚いていたロッキーだが、すぐに気を取り直し、ミャオミャオと立ち向かっている。
ドクターから指示された薬を3種類、服用させ、1週間後にはワクチンの注射を摂取する。
昨日まで排水口ぐらし。汚れているだろうと思い、身体を拭くつもりでぬるま湯のバケツを用意したが、試しにと浸からせてみたら、さほど嫌がらない。NORAは狂ったように飛び出して、それはそれはもう大変だったから、いつも濡れたタオルで拭くだけなのだが。
無論、猫はきれい好きだから室内外ならお風呂の必要はないだろうが、なにしろ半野良。すぐに埃まみれになってしまうのだ。
ともあれ、夕べはトイレもすぐに覚え、お風呂も厭わない。なんとよくできた野良であろう。
さらにはもう、気味が悪いくらい人懐っこい。人の腕を足場にして、肩に乗っかって来る。
いやはや。こんなに人懐っこい野良猫がいるとは……。
猫屋敷と化することなく、当面はこの2匹体制でいこうと思う。さて、いつ2匹が仲良くなるのか。時間をかけて、様子を見守ろうと思う。
我が家のサンルーム(ヨガルーム)で2泊目のROCKY。
小さな段ボールのベッドで、ゆっくり眠れた様子。
しばらくROCKYと遊んでいたところ、NORAも庭にやってきた。
なにしろ猫を飼うのは初めてのこと。「先住猫」と「新入り猫」とを仲良くさせる術も知らず。ネットであれこれ調べるにつけ、数日から数週間は距離を保つべき、だとか、互いの匂いに慣れさせて、徐々に親近感を保たせるべき、だとか。
インターネットがなかったころ、みんなはどうやっていたのだろう。と、ふと思う。
NORAはといえば、昨日のように動揺して威嚇することはせず、遠くから、様子を伺っている。じっと、見ている。
ものすごく、見ている。
とばかりに、取り敢えず、の空き缶おトイレをご使用中のROCKYを、見ている。
若干、むかつく。
NORAがご近所パトロールに出かけている間、ROCKYをひなたぼっこさせるため、外に出す。
ROCKYは、朝から食べては水を飲み、食べては水を飲み、ともかく、じっとしていない。部屋でも散々飲んでいたけれど、庭に出ても、飲む。
ともかく、小さくて軽い。何グラムだろう。そうだ、体重を測ってやらねば。
NORAとの匂いを混ぜるために、書斎のNORA空間に連れて来てみる。最初はぎこちなかったけれど、そのうち、あちこち、うろうろと偵察を始める。なにしろ一昨日までは、ゴミ箱のそばの、排水口に寝ていたのだ。見る物すべてが、初めてで、物珍しくて、新世界なのだ。彼にとっては。
しかし、目を離した隙に、細長く、狭いところに入っている。生まれて以来ずっと、排水口に暮らしていたから、きっとそういう場所が落ち着くのだろう。
自分のシッポさえ、珍しいものを見るかのように、じゃれ合っている。
その後、NORAと鉢合わせしないようにサンルームへと移し、今度は、NORA姉さん、机の傍らへ。
匂いを嗅ぎつつ、なにやら落ち着かない様子を見せていたが、しばらくしたら、クウクウと寝息を立てながら、寝始めた。
それにしても、NORAが巨大に見えてしまう。子猫とは、本当に、子猫だ。
夕刻、ロメイシュ・パパが到着。今夜はチキンのホワイトシチュー。玉ねぎ、ニンジン、ジャガイモ、ブロッコリー。そして丸ごと鶏肉を捌いたもの。あとは茅乃舎の野菜だし、バター、塩胡椒、牛乳で味付け。今日はとろみをつけることなく、このままで。十分に美味。
それから、ホウレンソウのゴマペースト&醤油マヨ和え、も作っておいた。松田のマヨネーズ、マイルドでヘルシーで、おいしい。
デザートはパパからのお土産。マルハン実家の料理人、ケサールによるガジャール・ハルワ。冬のデリーの食卓を彩る赤いニンジン、バター、ミルク、砂糖などで作られたお菓子。
甘さ控えめに作られていて、まろやかに、とてもおいしい。
NORAが夜のご近所パトロールに出かけている間、再び書斎へ。NORAは生後約7カ月で我が家を選んでやってきたが、彼はまだ2カ月。思い切り子猫だ。ゆえにか、好奇心も格段に旺盛で、目が離せない。
デスクの上でペンを転がして遊んでみたり、
目を離した隙に、カップの水を飲んでいた。たまたま水をいれていたからよかったが。これからは蓋をしておかなければならない。
ジャーナルのしおりの紐も気になる。イヤフォンのコードも気になる。これはなにやら、たいへんだ。ともあれ、早くNORAと仲良くなって、二匹で遊んで欲しいのだが、いったいどれほど時間がかかるのだろう。
土曜の夜は、バンガロールで働く女性たちの集い(飲み会)に出かけた。近況報告で「猫のこと」を語る自分が、自分ではない。しかも、iPhoneでROCKYの写真を見せてみたり。わたしも、軟化するお年頃なんだなあ、こんなことして。などと思う。
ロメイシュ・パパは「犬派」で、猫は今ひとつ苦手のよう。触らず、近寄らず、距離を置いている。
さてさて、今日から再び、デスクワーク週間。猫に気を取られている場合ではない。が、気を取られすぎてしまいそうで、いけない。
今日は運ぶ鉢植えがないので、ひよこマダムを運んでいます。
ところでみなさん、わたしのこと、覚えてくださってるかしら?
今ではすっかりおなじみの、あの動くお方をみなさんに紹介したのは、わたしだったのよ。あ、NORAのことね。あれ以来、みほさんはNORAのお世話ばかりして、NORAのお手入れには余念がないのに、わたしは放置されっぱなし。おかげで美白自慢だったのに、このごろは埃かぶって、くすんでいるの。
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NORAはといえば、あのときも目つきが悪かったけど、今でもやっぱり、目つきが悪いのよ。元野良&半野良だけにね。
ところで、みなさんもご存知の通り、先週の金曜日に、またしても、新入りの動くお方がやってきたの。
みほさんが、お仕事や考えごとに集中なさりたいご様子だから、今日はわたくしアリスが、ROCKYの様子をお伝えするわね。
金曜日に、排水口にもぐってお尻を見せていたところを、みほさんに引っ張り出されてやってきました。フィラデルフィアの三流ボクサーから這い上がったROCKYに因んでいるらしいわよ。ちょっと、アウトローな感じね。
あと、この足の裏、肉球っていうのかしら? これがボクサーのグローブっぽいんですって。そうかしら?
最初は、みほさんやまるおさんにまとわりついていたけれど、おトイレもすぐに覚えて、お湯で身体を洗ってもらうのも嫌がらなくて、爪切りも素直にしてもらう、とてもいい子らしいです。
最初の日は、まるおさんに抱っこされると、腕をぐいぐいと押しながら、顔を押し付けておっぱいを探す仕草をしていたの。まるおさんの腕が毛深いから、お母さんと間違っちゃってたみたい。笑っちゃうわよね。
まるおさんたら、あれほどNORA、NORAとかわいがっていたのに、すっかりROCKYに心を奪われています。でも、ときどき「こんなことでは、NORAに悪い!」と思っているみたいで、平等に構ってやろうと努力しているみたいですよ。健気です。
ご自分の身の回りのことは、ほとんどなさらないのに(みほさんが、しばしば文句を言っています)、猫のおトイレ掃除や餌やりなどは、とても甲斐甲斐しくなさるんです。
猫煩悩、っていうのかしら?
小さいけれど、アクティヴです。だからマルハンさんちのサンルームは、今はROCKYのジムと化しています。まるおさんは、朝ご飯のあとも、いつまでもROCKYと遊んでいるので、みほさんに「オフィスに行かなくていいの?!」と、詰め寄られています。
ところで昨日、みほさんがROCKYを見つけられず、部屋を見回したところ……。
ここです。ここ! どうやって上ったんだか! さすがROCKYだけあって、やんちゃですね。
それにしても、この子のカメラ目線、なんなんでしょう。うさぎのわたしも、ハートを持っていかれちゃいそうです。
みほさんの追跡調査によると、網戸の穴に爪をひっかけて、よじ上っていたようです。
それで、NORA姐さんはと言えば……。このところ、毎日ご機嫌斜めです。もともと、概ね、ご機嫌のいいお方ではなかったけれど、尚更ね。
なにしろ、女子の割には、テリトリー意識が強くて、ご近所パトロールにも余念がないでしょ? お隣のガゼボのてっぺんに上って監視なさるくらいですから。
だからもう、最初はとても不機嫌だったし、今でもそうなんだけど、でも徐々に、慣れて来ている様子です。
でも、明らかに、外出時間が増えています。書斎の窓を飛び越えて、屋根でのおくつろぎも長くなりました。でも夜はマルハン夫妻の寝室にある自分のベッドで寝ているようですけれど、夜中にみほさんのお腹によじ上って寝たり、股間で寝たりしているそうです。ずいぶん、ですね。
ところで夕べは、ひと騒動がありました。このご近所、野良猫が増えているからこそ、多分、NORA姐さんもパトロールに余念がないと思うのです。実は、マルハンさんちのバルコニーの屋根の上に、ご近所の野良が潜入。それを見つけたNORAが、自分よりも一回りも大きいその野良を威嚇して、追い払ったんですよ! 極道の妻、入ってました!
それで、その野良は逃げようとしたけれど、塀から飛び降りられず、しばらくこの状態。ちなみにこの塀、猫脱出/侵入防止のために、マルハン夫妻が敢えて取り付けたのに、本当に、役立たず、でしたわね。
暗闇の中で、お互い唸り合いながら、かれこれ1時間以上も緊迫状態が続いていましたよ。みほさんはもう、付き合っていられないからと、お仕事をしていましたが、そのうちに野良がなんとか飛び降りる決意をしたようで、その瞬間に、ドタンバタンと音がしていましたよ。あの野良は大丈夫だったかしら。
実は昨日から、みほさんがNORAとROCKYの距離を縮めようと、少しずつ近寄せているのだけれど、NORAはやっぱり、いやみたいです。無理強いをせず、少しずつ、慣れさせていくしかないみたいですね。
みほさんは、NORAとは今まで通りの付き合い方をして、でもROCKYはできるかぎり、かわいがることに決めたそうです。なぜなら、子猫の時期は2カ月くらいで、甘えてくれるのもきっと短い間だけだから、今のうちに、猫っかわいがりしてやるんだそうです。猫だけに。
アパートメントのセキュリティーの人たちが、マルハン夫妻を「猫好き夫婦」と思い込んでいて、電話をしてきたんです。ゴミ箱の近くで、またジュリーが出産したと。
ジュリーとは、ROCKYのお母さんです。ジュリーはこの半年のうち、3度も出産したことになります。猫がそんなに短期間に妊娠出産を繰り返すなんて、みほさんも知らなかったようです。ROCKYの約2カ月後に誕生したその3匹。生まれたてで、まだ胎盤がついていました。
でも、みほさんにはどうすることもできません。生まれたての赤ちゃんには、お母さんが必要です。
セキュリティーのお兄さんに、段ボールを用意して、ジュリーと赤ちゃんを安全な場所に連れて行くようにお願いしたようですが、これはもう、ジュリーに避妊手術を受けさせるしかありません。とはいえ、逃げ足が早く。捕まえるのもたいへんです。
ともあれ、マルハンさんちで飼われるようになったのも、ご縁ですね。ROCKY、ラッキーだったわね。
そうそう、最初の2日間は、がつがつと飲み食いしていたけれど、今はすっかり落ち着いて、お行儀よくしています。食べ物の心配がないって、わかったのでしょうね。いじらしいです。
すっかり長くなってしまいました。
そんなわけで、うさぎのアリスからの、猫レポートでした。ごきげんよう。