お隣のアンドラ・プラデシュ州が分割して、
テランガナ州が誕生した。
その翌日の紙面を賑わすのは、
「我々も、別の州として独立したい」
と、名乗りを上げる地域。
主には政治的な理由から。
それにしても、多様性の極みのインドは、
果てしなく、底知れぬ、混沌。
ぐちゃぐちゃ。
お隣のタミル・ナドゥ州には、
久しくフランス統治下にあったポンディチェリという町がある。
そこには、インド人思想家であり、宗教家であった
オーロビンド・ゴーシュの理念が息づく、国際的な共同体がある。
フランス人女性によって1968年に創設された、その「オーロヴィル」。
世界最大のエコロジカル・ヴィレッジとも呼ばれている。
オーガニックの食品を生産し、エコロジカルなライフスタイルを送る人々。
そこからの商品を、オーガニックショップでも時折、見ることができる。
昨日立ち寄ったMGロード沿いの、
FOOD WORLD GOURMET改め、MARKET PLACEで、
「オーロヴィル祭り」が開催されていた。
お気に入りのジャム、それから数々のナチュラルソープを購入。
自分で使うのにも、日本の家族に送るのにもいい。
一度、オーロヴィルにも、行ってみなければ。
インドは、広い。
インドにおける昨年末の一大ニュースは、
デリー首都圏政府(州に相当)における新政党「AAP(庶民党)」の誕生だった。
政治家の汚職がはびこるインドにおいて、あらゆる悪しき慣習を一掃し、
「庶民の視点から」の政治を目指しているという。
この動きは、1947年のインド独立以降初めての、画期的な出来事であり、
きっと明るい未来への第一歩が踏み出されたのだと信じたい。
もちろん今後の波乱は予想される。
一筋縄ではいかない諸々が、立ちはだかることだろう。
それでもなお、この、デリーにおける革命的な出来事が、
他州にも波及し、
やがてはインド全体の流れが好転することを祈る思いだ。
「今年の選挙の結果次第では、インドに見切りをつけて米国に戻りたい」
と、口にしていた我が夫。諦めるなと、妻は思う。
どこの国だって、それぞれに、それなりの、問題はあるのだ。
米国に戻るよりも、この国で、チャレンジすることの方が、
よほど意義深いと思う。
庶民党の指導者は、夫と同じ名前、アルヴィンド。
サンスクリット語で、ロータスを意味することば。
アルヴィンド・ケジリワル氏には、
この先ポジティヴに、世間を騒がせて欲しい。
同じ名前のご縁で、尚更に、そう思う。
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わずかここ1、2年の間に、すさまじい勢いで急伸している
インドのオンラインショッピング市場。
この1年というもの、我が家の消費生活も徐々に変わった。
本当に、便利になった。
アマゾンもインドに。今日は、プリンターのインクが届いた。
それから、オーガニックのお気に入りの洗剤、そしてシャンプーなども。
店舗で、気に入った商品のストックがないことが多々あるインド。
客層が幅広すぎる一般の店舗にあっては、
きっと在庫管理も一筋縄ではいかず、
気に入ったものを安定供給してもらえない残念さが常にあり。
これまでは無駄足を踏むことも多かったが、
その問題がずいぶん、解決された。
これからは、「無駄足」ではない、
「楽しみのための」買い物に専心できることだろう。
誰彼構わず、色粉、色水、かけあって、狂ったように賑やかな祭り。
北インドでは、盛大に行われるこの祭りだが、
南インドのバンガロールは、すでに盛夏。
春の訪れもなにもないけれど、
それでも「地味」に、ホーリーを楽しむ人々もいる。
我が夫もデリー出身につき、どうしても「粉をまきたい」らしい。
春を祝うだけでなく、「豊饒を願う」とか「悪魔を追い払う」とか、
あれこれご利益もあるようなので、取り敢えずは、ハッピー・ホーリー!
ホーリーで使われるケミカルの色粉は、肌や目に悪いからと、ここ数年来、天然素材の色粉が奨励されている。この粉は、夫がFabIndiaで買って来たもの。オーガニック・インディアの商品。これならば、ひとまずは安心。
普段は「インド、いやだ」と常々言っている夫だが、しかしインド人。粉を手にするや、張り切って首筋やら手やらに粉を塗り付けてくる。日ごろの鬱憤を晴らしているのか?! とも思える執拗さ。どうにも、嫌がらせとしか思えないが、楽しいらしい。
朝、起きてすぐ、エクササイズの途中のわたしは、こんなこともあろうかと、古くなった黒いTシャツを着用しておいた。ボンベイ、すまぬ。
「わたしの写真を撮っても、どこにも載せないからね。眉毛、描いてないから」と言ったところ、夫が青い粉で描いてくれました。
これはネット流出禁止の域だと思われるが、「悪魔除け」の効果は抜群な気がするので、載せておく。なんか、こういう芸人が、日本にいるよね。
お見苦しい一枚。失礼いたしました。写真をクリックしても、拡大しません、させません。
Happy Holi!
自分を取り巻く世界は、
見方、考え方ひとつで、大きく変わる。
母国とは、当然ながら勝手が違い、
自分の望む通りにならないことは山とある、
異郷での暮らし。
しかし戸惑うことが多いのは、
なにもインド生活に限らない。
この世のどこを探しても、理想郷は、多分ない。
そこでどう生きるのかは、自分の気持ち次第。
インドの魅力、いいところはたくさんある。
しかし、先入観に囚われて、
見つけようとしない人、
見つけたくもないと思う人、
見つけてどうすると思う人を、
たくさん見てきた。
この国を嫌悪するのはその人の自由。
しかし、楽しめないのは、その人の責任。
インドのせいではない。
ここで母は、それなりに快適に暮らしている。
いいところばかりを見せているわけではない。
贅沢ばかりをしているわけでもない。
たとえば、アーユルヴェーダひとつをとっても、
疑心暗鬼の人もいるし、
オイルでの治療を好まない人もいる。
万人受けするトリートメントでは、多分ない。
しかし、母は娘が勧めることだからと、
疑いなく受けることで、
その恩恵を余すところなく受けている。
その柔軟性は、とても大切なことだし、
自分にとっても、きっとプラスになる。
こうして日々を写真に捉えれば、
「できすぎている」とさえ、思われそうだが、
しかし、これもインドの日常の断片。
いいところばかりを、敢えて見せているわけでもない。
昨日、母は4年前の来訪時に知り合ったバンガロール在住のTさんと、
ランチへ出かけた。
きれいな花束を抱えて、迎えにきてくれたTさん。
チャイニーズのランチを楽しんだ後、
オベロイホテルのカフェで語り合ったそうだ。
母も、とてもうれしそうだった。
本当に、ありがたい。
その後、母はアーユルヴェーダの治療を受けに診療所へ。
ドライヴァーのアンソニーがついてくれるので、
わたしは同行する必要がない。
とても、助かる。
そして今朝は、母の血液検査。
アーユルヴェーダグラムのマンモハン医師に、
母の身体の問題点を告げたところ、
コレステロール値、ヴィタミンD、
そしてカルシウムを分析する検査を受けるよう言われていた。
わざわざ病院に行く必要はない。
インドでは、血液の採取も自宅まで来てくれるのだ。
インドのサーヴィスは、なってないと世間はいう。
確かに、それは一理ある。
しかし、9時5時厳守、
「無駄」や「余計」なサポートはなく、
困ったときに、
とりつくしまもないことが多かった米国に比べ、
インドの人々は、気軽に自分の携帯電話番号を教えてくれる。
例えば家電が故障したり、
コンピュータのインストールがうまくいかなかったり、
困ったことがあったりして、
夜の10時ごろなどに電話をかけても、
対応してくれたりもする。
いいことも、悪いことも、
あまりに日常の出来事すぎて、
このごろは敢えて文字にすることが少なくなった。
しかし、この国のいい部分は、たくさんあるのだ。
ということを、ときにはきちんと書いておきたく。
特に、悪いことばかりが耳に入ってくるときには。
赤ワインを入れ、つまみなどを食べながら、至福のひととき。夕暮れの涼風が、書斎の窓から吹き込んで心地よく、空を仰げばモンスーンの時節の雲が麗しく、一日の終わりの光を通しながら、輝いている。
本日の午前中は、ミューズ・リンクスのセミナーを実施した。
といっても、バンガロール在住者が対象ではなく、夏休みを利用してバンガロールへインターンに来ている学生たちがオーディエンスだった。
外部から依頼されるセミナーは、たいていわたしが指定の場所に出向くパターンが多いが、我が家も20名以内ならセミナーを行える設備があるので、今回はお誘いした次第。我が家でのセミナーは、もれなく「おやつ付き」という小さな特典もある。
今回は、学生が対象ということもあり、学生たちをオーガナイズしているクライアントのご意向もあって、主にはわたし自身のバックグラウンドを、お話することにしていた。
大学を卒業して上京し、その後、ニューヨークに渡って起業。最終的にインドにたどり着くまでの変遷など。その過程において、わたし自身が身を以て得た教訓はたくさんあり、そのような事柄の一部を、シェアできたなら、と思った。
思ったが、せっかく2時間もあるのだから、やっぱりインドの概要は知ってもらいたい。というわけで、いつもの通り、詰め込み過ぎかもしれないと思ったが、若者なら脳みそも柔軟だし、怒濤のトークにもついてきてくれるだろうと判断し、後半は、「インド入門編」の概要部分を語った。
この入門編は、毎度書いているが、知っておくと本当に役立つことがたくさんなのだ。
わたし自身、学生時代に出会った「印象的な人物」のことは、未だに鮮明に思い出せる。自分の今を形成する上で、少しでもヒントをくださった人のことは、忘れられない。
わたし自身が、彼らにとって、どこまで印象的な言葉を口にできたかは未知数だが、ともかく、「インドで、やたら熱く語るパワフルな日本人のおばさんがいたなあ」ということは、きっと覚えていてくれるだろう。
あれこれ熱く語ったが、「健康第一!」「自炊能力を身につけよ!」だけは、忘れないで欲しいと思う。
2時間のセミナーのあと、最近のマイブーム「マンゴー入りロールケーキ」とおいしいコーヒーやお茶を出し、ティータイム。その間に質疑応答。というわけで、気がつけば3時間以上の、若者らとの交流であった。
一昨日、バンガロールに到着した彼らは、これから20日間バンガロールで過ごす。未知の世界を訪ね、未知の世界で束の間、働く。すでに異国でひと夏を過ごそうとしていることで、大きな一歩を踏み出している彼ら。この夏の経験は、きっとかけがえのないものになるに違いない。前のめりで貪欲に、多くを吸収してくれればと、人ごとながら、そう思う。
なにしろ母は、現在アーユルヴェーダの治療14日間集中コースを受けている身の上。せっかくならば、食事もなるたけ自宅でヘルシーなものを、と考えている。が、時には気分を変えたいというもの。午前中、買い物をすませた後、ランチタイムはUBシティのイタリアン、Toscanoへ。
わたしの日常はといえば、毎週金曜日にサロン・ド・ミューズをオープンするので、いかにも大勢の人々と日常的に関わっていると思われがちだが、さにあらず。
平日の外出はほとんどが一人。外食のランチも、ほとんど一人だ。そんなわたしが、一人の際に利用する店はたいてい決まっている。条件は、一人でも、ほどよいヴォリュームでおいしい食事ができる場所。
というわけで、このToscanoは、結構利用頻度が高い。その他には…… Smoke House Deli、Sunny'sといったところか。いろんな店を、一応は試してみるが、心地のよい場所、相性の合う場所というのは、そうたくさんあるわけではない。お茶をする場所はまた別で、OberoiやTaj West End、レインツリーのカフェが心地よい。
Toscanoのランチは、それなりにおいしく、母も喜んでいた。頼むメニューはいつも似通ったものばかりだが、それはそれ。
ところで、これ。夕べ、「たこ焼き実験」をしてみたの図。実はタコはおろか、なんの具も入っていない。このいかにも「たこ焼き器」っぽい調理器具を通販で購入したので、試しに焼き実験をしてみたのだ。
南インドには、「パニヤラム paniyaram」という食べ物があり、それを作るための調理器具なのだ。ドサやイディリなど、南インドの他の主食と同様、米の粉と豆の粉を混ぜ、水につけて発酵させたものが生地となる。このパニヤラムの見た目、調理器具ともに、たこ焼きのそれ、そっくり。
先日、友人がこれでたこ焼きを焼いているのを知り、わたしもやってみようかな、と思い立った次第。実は、先日作ったイカのハンバーグが非常においしかったのだが、卵を泡立てていれることから、具が緩くなり、きれいな形に整えるのが難しかった。そのときに、このたこ焼き器がひらめいて、早速通販で注文したのだ。
油を塗らなくてもノープロブレム。きれいに焼けるのに驚いた。これは使える。もう一つ購入して、一気に14個焼けるようにしようと思う。
タコがなくても、エビやイカでおいしい「なんちゃってたこ焼き」も作れる。甘いパンケーキ風にすれば、オランダ風のお菓子も作れる。鈴カステラも作れる。というわけで、今後、いろいろと試してみようと思う。
なんて静かなのだろう。
今日は、工事の槌音もなく、
街の喧噪も今日は、遠く、遠く、遠い。
鳥のさえずりさえも聞こえぬ、
風にそよぐ木の葉のざわめきが時折。
木漏れ日の揺らぎが、穏やかに視界を包む。
今日、10月2日は、
モハンダス・カラムチャンド・ガンディの誕生日。
ゆえに、国民の祝日である。
マハトマ・ガンディの、「マハトマ」とは、
名前ではない。
「偉大なる魂」という意味の、尊称だ。
1947年独立以降のインドには、
ガンディが全身全霊を賭してきた、
理念、理想の灯が、消えることなく、
静かに、しかし確かに、揺れている。
彼の理念が引き継がれているからこその、
この国の「よき面」としての有り様が、
折に触れて、滲み出てくる。
わたしとて、彼の偉業にさほど詳しいわけではないが、
それでも、まったく知らないのと、
数冊の本を読み、映画を観たりするのとでは、
まったく違う。
実はわたしがこの映画を観たのは、今年になってからのこと。
本を読むのもいいが、映画は非常に、速やかに、理解させてくれる。
というわけで、この映画、
特にインドにご縁のある方に、お勧めです。
ベン・キングスレー主演の映画「Gandhi」(1983年)
オンラインでも入手できます。
参考までにこちら(←Click!)をどうぞ。
ガンディに関しては、他の映画もありますので、お間違えのないように。
■歴史を知れば今が見える。独立、ガンディ、語る日曜。 (←Click!)
インドに来て翌年のクリスマス、2006年に買ったクリスマスツリー。
コマーシャルストリートの近くにある、サフィナプラザで。
インドに暮らす日本人の多くは、異口同音に言う。
インドには、クリスマスムードがない、と。
日本人が思うところのクリスマス。
信仰なき人々による、
クリスマスに便乗した過剰な商戦、お祭り騒ぎ。
それは、確かに、ほとんど見られない。
ましてや寒くもない。
クリスマスソングも、あちこちで、流れない。
ただ、それをして「不服に思う」のは、少し筋が違うと思う。
ましてや、「インドは欧米化が遅れている」などと言うことばは、
言い控えた方がいいだろう。
2011年の国勢調査によると、
インドのキリスト教徒は、ヒンドゥー教80.5%、イスラム教13.4%に次いで3位。
2.3%。少なく思われるだろうけれど、人口にして約2,400万人だ。
この国のキリスト教はまた、その歴史が、とてつもなく古い。
中でもインド南部のケララ州に多いシリアキリスト教(Syrian Christian)は、
西暦52年に、キリスト十二使徒の一人であるトマスによって、
伝道されたとの説もある。
使徒トマスといえば、「最後の晩餐」にて、
キリストの左横で人差し指を立て、
「裏切りものは一人ですか?」という仕草をしている彼である。
彼自身が、インドに来ていたかもしれない、と言われているのである。
それが真実ではないにしても、遅くともケララでは、
2、3世紀のうちに多くのキリスト教共同体が創設されていた。
わたしの歯科医はシリアン・クリスチャンであり、
いかに古く伝統的なキリスト教徒であるか、
そしていかに自分たちが、スーパー・ノンヴェジ、
すなわち「肉料理が好きか」ということを、
熱く語ってくれるのだった。
他にも、インド各地に、実にさまざまな宗派のキリスト教信者がいる。
夫の親戚が結婚した相手も、
ゴアを拠点とする「東インド・クリスチャン」であり、
昔ながらの教会で、
荘厳な結婚式を挙げたのだった。
我が家の旧メイドのプレシラも、
現メイドのマニも、
そして新旧複数名のドライヴァー、アンソニーも、
その名から察せられる通り、
皆、クリスチャン。
毎週日曜日には教会に礼拝に出かける。
プレシラは、祝祭の時期、約1週間に亘って、
サーモンピンクのサリーに身を包み、
毎日、仕事を終えたあとの礼拝に訪れていた。
現ドライヴァーのアンソニーは、
毎日聖書の一節がSMSで送信されるよう、
何らかのアプリケーションを使っていて、
毎日、その一節を心に刻みながら、
日々を過ごしている。
みな、それぞれの宗派の教えに従い、
敬虔に信心深く、
クリスマスもまた、過ごすのである。
ちなみに日本にキリスト教を布教しに来たフランシスコ・ザビエル。
1549年(いごよくくる)にやってくる前に、
彼はインドのゴアへ、1542年に訪れていた。
日本からインドへの帰り道、彼は中国で死亡し、海岸に埋葬されていたのだが、
翌年、発掘されて、ゴアに移された。
腐敗することなくミイラ化した彼の遺体は、
ゴアのボン・ジェズ教会に安置されており、
実は今年、10年に一度の棺の開帳が行われている。
わたしも11年前にゴアを訪れた際に、
遠目から棺の中の彼を見た。
(2003年12月@ゴア。一番下の写真の上段に、フランシスコ・ザビエルの棺がある)
この国の歴史の深さ、広さのごく断片に触れて、
気が遠くなるような思いがしたものだ。
バンガロールに移住以来、我が家の御用達でもある小さなスーパーマーケット、
Thom's Bakery。
まさしく、クリスチャン経営のお店では、
春にはイースターエッグが店頭に並び、
バラの形のローズクッキーが並び、
クリスマスには、毎年同じようなクリスマスケーキ、
そしてドライフルーツがたっぷりのプラムケーキが並ぶ。
この国の、この土地の、
クリスチャンの伝統が、
時代がどんどん流れても、
先進国の言う「洗練」が流入しても、
なお大切に引き継がれて、ハレの日を彩っている。
この国らしさ。この土地らしさ。
異国の価値観に振り回されるだけではない、
守られるべき宗教観や習慣が、
残っていることに対する敬意を、
束の間、住まわせてもらっている
我々異邦人は、慎んで持つべきであろう。
この国のクリスマスに異論を唱えるでなく、
異教徒は異教徒のやり方で、楽しみ方で、
楽しいクリスマスホリデーを、過ごしたいものである。
信仰心浅い我が家もまた、
我が家なりの楽しみ方で、
2014年を締めくくろうと思っているところだ。
■結婚式:ゴア編 (2) 麗しき教会挙式と、やっぱり踊る夜。 (←Click!)
2014年、今年最後の朝だ。青空が広がり、吹く風は心地よく、麗しい声でさえずる小鳥たちが乱舞し、平和なひととき。
緑に包まれた庭で、朝日を浴ながら、NORAも、仏像も、人間も、力を与えられているようだ。
実は先日、1年のうちにまたぐんぐんと伸びきった椰子の葉を伐採すべく、業者を呼んだのだった。我が家に隣接するITC TECH PARKはここ数年、その広大な敷地内にて工事中につき、我が家との境界に高いパーティションを設置した。それはそれで構わないのだが、なにしろ日当りが悪くなった。加えてヤシの木が伸びに伸びて、庭の芝生が成長不良。
こんな風に、頼りない陽光だけが、葉の隙間を縫って庭に落ちて来る状況だった。
というわけで、今回の業者はJustdial.comを検索、なかなかにいいところを見つけられた。なにしろ、前回は、はしごがなければ伐採できない兄さんたちだったのが、今回は肩の筋肉が発達した木登り職人が登場。
はしごが届かないポイントからは、スイスイと木登りをして伐採してゆく。
葉っぱは、実は、とても大きい。不定期に、枯れ葉がドサッと落ちて来るのだが、年々、その大きさがアップしてゆき、片付けもたいへんだ。
周囲の鉢植えなどを傷つけないよう、葉にロープを括り付けて、じわじわと下へ落とす。いい感じ。
どうせ半年もたつと、また空を覆うが如くに成長する葉につき、思い切り伐採してもらう。そうしたらもう、庭を埋め尽くさんばかりに、椰子の葉。
数名のスタッフが、それらを束ね、抱えて外へ。椰子の葉の処分も、彼らがやってくれる。非常にてきぱきと、いいサーヴィスであった。少なくとも、今年の始めに来てくれたお兄さんたちに比べたら、ずっと。
ちなみに8年前の子ども椰子の木の様子。
ところで今朝、TIMES OF INDIA紙で、印象的な記事を見つけた。先日会ったばかりのセイジェルの功績が紹介されているのだ。TIME社の成功の裏には、2011年に現職に就任して以来の、彼女の活躍が大いに関係しているとのこと。本当に、かっこいいなあ。
無論、彼女はインド系米国人だが、ともあれインドでは、企業のトップに位置し、社会的に大きな影響を与える女性たちは多い。
インドの女性の虐げられている部分ばかりが、メディアに取り上げられ世界に発信されがちだ。ここに住んでいる人たちでさえ、女性たちの活躍している様子、活躍できる土壌があるということを、知らない人は少なくない。少なくとも日本よりはずっと、地位ある女性の社会進出は確実だということを、記しておきたく。記事をお読みになりたい方は、下をクリックしてどうぞ。
■Bengaluru the secret of Time’s success (←Click!)
その一方で、本日やはりTIMES OF INDIA紙の一面を飾ったこの記事。
これは、いけない。
実は数日前、バンガロール市内の繁華街で、爆弾テロがあった。チェンナイからたまたま旅行に来ていた30代の女性が亡くなり、ほか数名が怪我をしたとのこと。
インドでは、日常的に、大小のテロ行為が見られ、このようなニュースは多かれ少なかれ、折に触れて新聞紙面を飾る。海外のメディアにも取り上げられた大きな事件としては、まず、わたしたちが移住したばかりのころ、2006年7月11日に発生したムンバイでの列車爆破事件。200名を超える死者、700名以上の負傷者が出た。
そして忘れもしない、我々がムンバイとの二都市生活を送っていた時期の2008年11月26日には、ムンバイ同時多発テロが発生した。この件については、過去にも幾度となく記したので、ここでは詳細を記さない。ともあれ、その後も、インドの各地で、「さまざまな理由/原因」によるテロリスト攻撃は、起こっている。
小さいところだと、わたしが知る限りでも、数名の死傷者が出るテロ行為はこの9年のうちに3回ほどあった。
結婚した直後、ニューヨークとワシントンD.C.で二都市生活を送っていた2001年9月11日にも、わたしたちの身近で同時多発テロが発生。以来、自分の生き方については、本当に考えさせられる出来事が続いたものだ。
個人的な出来事までに言及するときりがないので、このへんにしておく。ただ、諸々を身近に経験して思うのは、「テロに遭遇しないように気をつける」というのは、基本的に不可能だということ。テロは、テロが起こりそうにないと思っている時に、思いがけない場所で起こるものだ。
テロが起こった直後、厳戒態勢の中で次なるテロが発生、というケースは、多分、稀だろう。つまり、その直後だけピリピリとしていても、仕方のないことである。むしろ、交通事故などに気をつける方が、よほど賢明だ。
だからといって、なにも気をつけることはない、というのも違う。インドにいる以上は、テロが起こりやすいとされる国にいる以上は、常日頃から、それなりの緊張感を持って暮らすべきあろう。そのあたりの塩梅は非常に難しく、過度に緊張しているのでは、やはりよくない。各々が、自身の行動に責任を持ちながら、「考えて行動するべき」ことでもあるだろう。
ただ、こういうことは、やってはいけない。
数日前のテロを伝える記事には、大晦日から新年にかけての警戒態勢についてなどが記されている。そこに、事件から2日後、現場を訪れて、笑顔でセルフィー(自撮り)する観光客の様子が、一面に掲載されているのだ。
キャプションには「火曜日、バンガロールのチャーチストリートの爆破現場でセルフィーを撮影する観光客。事件後2日目にして、界隈は通常に戻った」とある。
それでも、まだ事件が起こって日が浅い。背景に立つ人たちも、悲劇が起こったことに対する神妙さが感じられる背中で、直立をしている。そこで、記念撮影をすべきではない。
多分、彼らは、まさか自分たちの顔が新聞に載るとは思っていなかっただろう。なんとなく、大きなカメラを抱えたフレンドリーなインド人に、笑顔を向けてしまったのかもしれない。それにしてもだ。悲劇の起こったばかりの場所で、笑顔で写真におさまるのは、やはり慎むべきだっただろう。
たとえば、日本での深刻な事件の現場で、外国人が楽しげに写真を撮っているのを見て、どういう印象を受けるか、と程度のことくらいには、思いを馳せるべきだろう。
「日本人」と書かれていなかっただけでも幸いだ。だが、彼らは紛れもなく日本人である。わたしも面識のある二人ゆえ。だから敢えて、顔は隠しつつも、書くことにした。
海外での行動は、個々人の領域を超える。
たとえばわたしの場合。世間で形容される際には、「バンガロールのコックスタウンに住む美穂」とか、「ライターの美穂」とかではなく、まずは「日本人女性の美穂」となる。
わたし自身もだから、自身の行動については、気をつけねばならないと、常々思っている。人ごとではない。一人の行動が、日本人全体の印象を左右することさえあるのだ。海外での生活も18年半。改めて気を引き締めなければと、自らをしても、思う大晦日の朝である。