ささやく人。それは今朝からのわたしである。なにしろ、声が出ないのだ。ここまで声が出なくなったのは、生まれて初めてのような気がする。
先週の日曜日にドバイから戻って来て、月曜は慌ただしく一日を過ごし、翌日火曜日。なんだか熱っぽい。しかし木曜からの取材に向けての準備をせねばならず、ゆっくりしてもいられない。そして水曜日。やっぱり熱っぽい。
滅多に体温計を使わないわたしだが、使ってみたところ37度から37.5度を行き来している。確かわたしの平熱は低く35.8度くらいだったはずなので、やっぱり熱がある。
アーユルヴェーダほか民間療法の智恵を駆使して、スチームをしたり、ジンジャーティーを飲んだり、ターメリックハニーミルクを飲んだり、睡眠時間を長く取ったりしたのだが、どうも治らない。やむなく解熱剤を飲む。
ドバイのことを書かぬまま来ているが、ドバイ行きが災いしたとしか思えない。ショッピングモールで一日中歩くという慣れないことをした翌日に、デザートサファリの「敢えて無茶苦茶なドライヴ45分」で吐きそうになったのが、致命的だったようだ。
そうなのだ。わたしは三半規管が弱いにも関わらず、ついついやっちゃいけないアクティヴィティに挑戦してしまうのだ。
そんなことはさておき、いよいよ木曜の朝。まだ微熱はあるものの、見た目はほとんど通常通りである。なんとかなるだろう。
サリーを着込み、いつになく丁寧に化粧をし、日本から来たスタッフと合流するべくThe Leela Palaceへ赴く。なぜ取材にわざわざサリーを着込んでいたかといえば、実は今回、わたし自身が取材されるのである。
4月中旬にテレビ東京で放送される番組に、15分ほど登場することになったのだ。わずか15分のために、丸々3日間、ほぼ密着である。
ディレクター、カメラマン、音響&照明、レポーターの4人に加え、バンガロール現地のコーディネーターが2名。総勢7名での行動だ。
詳細を書きたいところだが、放送される前なので書くのはよくないかもしれないので控える。ひとまずは、昨夜、無事に収録が終了したのだった。
しかしながら、惜しむらくは悪天候。この時期のバンガロールには有り得ない曇天続きで、晴れ間がほとんど見られず、湿気の多かった3日間。まさかこんな天気になるとは予想だにしていなかった。
ガーデンシティならではの緑と青空のコントラストを捉えていただけなかったのが残念だ。
加えて日に日に悪化していったわたしの声。初日は普通だったが、翌日は「翼の折れたエンジェル」な中村あゆみ、3日目には、ものまねせずとも森進一。そして本日、ついには声が出なくなってしまった。
取材そのものには、わたしの声が変化していること以外、容姿に変化はなかったし、行動が制限されたわけでもないので、大きな影響はなかったと思われるが、しかし声が出ないのにしゃべるというのは、なかなか辛いものである。
本当なら自然に直したいところだが、今週の金曜日はFM熊本の収録である。わが美声を取り戻しておく必要がある。今朝、アルヴィンドに、近所のマニパルホスピタルに連絡をしてもらい、耳鼻咽喉科のドクターの診察を受けたのだった。
声が出ないので、アルヴィンドも同行してくれた。バンガロールではかなり有名な大病院である。メディカルツーリズムでも知られている場所で、研修医も多い。が、館内の至る所にガネイシャ像が飾られていたりして、インドらしい雰囲気が漂っているところが味わい深い。
喉の粘膜を採取して検査に出してもらい、いくつかの薬を処方してもらった。ともかくはしゃべらないこと、そして塩水でうがいすることを勧められる。
そして今日一日。ほとんどしゃべることなく、ときにささやくだけの一日。
そして痛感する。普段、いかに自分が無駄にしゃべっているかということに。
取材に際しても、初日はなんだかしゃべりすぎた。2日目は中村あゆみ状態だったのでかなり控えたが、それでも余計にしゃべっていた。3日目はさすがに黙ろうとしたが、それでもしゃべらざるを得ない状況でもあり、しゃべっていた。
もっと言葉を吟味して、丁寧に、無駄なく話すべきであろうと、なんとなく思う無口な夜。
ともあれ番組のタイトルなどが確定したら、またここでお知らせしたい。また放送後には、裏話なども記そうと思う。明日からはムンバイに行く予定だったが取りやめた。今週はおとなしくバンガロールで過ごすことにした。