この女の子。オートバイの後部座席に座っている。彼女と運転手の間には、もう一人子供が座っている。彼女は、両脚で車体を挟み、それで自分をバイクに固定しているだけだ。
膝の上には、図画工作の時間に作ったのであろうか、紙製の模型が載っている。バイクが動いているときにも、停まっているときにも、それらを余裕の表情で触りながら、自らの世界に没頭している。
危ないよ、などと声をかけるのが、最早、野暮なことのようにさえ見える。
思えばデリーでも、バイクに乗って優雅に「読書する女」を見かけた。
彼らは、身に危険を感じないのだろうか? 感じないのだろうな。
しかし運転席にはドライヴァーらしき作業服の男性。
助手席にオーナーらしき男性。
こういう車は自分が運転してこその、であろうが、ここはインド。ドライヴァーが必要なのである。
それはそうと、排気ガスがたちこめる埃っぽい街でオープンカーを乗りこなすのは結構たいへん。襲ってくるのは排気ガスだけではない。物乞いのターゲットにもなりやすい。
なにしろ「全開」だもの。目の前に乞う手を突き出されて逃げ場もなく。
オーナーらしきお兄さん。憮然とした表情で、小銭を手渡している。
あまり、かっこ良くないのである。
さて本日。5つほどの物件を見た。主には3ベッドルーム。いやはや、つくづく思う。去年バンガロールに新居を購入しておいて、本当によかったと。
思えば今日は、社会人20周年記念日に加えて、新居移転1周年記念日でもあったのだ。厳密には3月31日だが、切りのいいところで4月1日。
バンガロールにもし家がなく、ムンバイに完全移住せねばならないとしたら、多分耐え難かったであろう事態である。3年前、インド移住前に不動産物件をいくつか見たが、そしてそのときですら高いと思ったが、今は当時よりも更に高い。
軽く1.5倍。2倍以上のところもありそうだ。
本日同行してくれた不動産会社の兄さんも、自らこの高騰ぶりを異常だと言っている。かつては日本の大手商社や企業駐在員向けの物件を手配していたらしいが、日本の駐在員は減っているようで、最近は依頼が少ないとのこと。
デリーやバンガロールですらその高騰ぶりは目ざましいが、ムンバイはそれどころじゃないと、痛感した。好景気に反して駐在員が減るのも無理はないだろう。
以前も、サービスアパートメントの高さに呆れたと記したが、サービスアパートメントはまだ「きれいだった」からいい。今日見た物件は、すごかった。汚いんだもの。
まずは、これ。
カフ・パレードという地区にある、一応、高級アパートメントである。
ドアを開けた途端、Uターンして、帰ろうかと思った。
いくら改装工事中だからって、このゴミの山はなんなのだ。更には窓辺で黄昏れている兄さんは誰なんだ。
「マダム、これらはきれいさっぱり片付けられますから、ご心配なく」
当たり前やろ! このまま放置されてたんじゃ、話にならんやろ!
まあ、片付けが終われば、それなりにきれいになるのであろうが、しかしだ。
この年季が入り過ぎたキッチンは、どうしたものだ。
っていうか、スラム?
「このキッチンは、改装してもらえるの?」
「オーナーと交渉してみます」
不動産業者には、無駄に多くの物件を見るのはいやだから「選りすぐりを」ということでピックアップしてもらっているというのに、これである。
ちなみにアパートメントビルディングそのものが結構古く、廃屋感が漂っている。
でもまあ、ここはムンバイ。廃屋なムードもまたこの街の個性と判断するにしても、だ。
もう書く。この家の家賃を。
3ベッドルームで1カ月の賃料がいくらだと思います? ……3Lahks。30万ルピーですよ、30万ルピー!
この廃屋が30万ルピー? ワハハ、ワハ、ワハハハハハハハ!
と、最早、大笑いである。有り得ないのである。
日本円にするには、2.8倍。あ、今は円高らしいから、2.5倍くらいか。つまり1カ月の家賃が約75万円。諸経費をいれると80万円にはなるだろう。有り得ない。
ああでも、これは夢でも冗談でもなく、現実なのだ。笑っている場合ではないのだ。でも、笑わずにはいられないのだ。
やっぱりホテル住まい続行の方がいいんじゃないかと思ったりもするが、まあこんなことでへこたれてはいられない。いつかは見つけねば、ならぬのだ。
「大家は値段の交渉に応じると言っていますから」
と、不動産屋の兄さんが言う。当たり前だ。誰がこんな家に30万ルピーも払うものか。しかし、そんな強気を言っていられないほど、ムンバイのダウンタウンの物件は数が限られているのだ。
さて、次。より廃屋度が増している。25万ルピーと、さっきよりは若干安いが、しかし高い。なのにだ。ドアを開けた途端、またしてもUターンしたくなった。
入った瞬間から「最悪の風水」というバイブレーションが襲って来た。なにしろへんてこなレイアウトなのだ。へんてこにふさわしく、室内の空気が淀んでいる。方角その他に敏感に反応するわたしには、もう、5分たりともいたくない空気感である。
しかし、おもしろいものを発見。ついついカメラを構える。と、不動産屋の兄さん、「気に入りましたか?」と笑顔で話しかけて来る。
「全然。最悪ですね。でも、おもしろいから」
と開き直って、この変な壁紙の説明をしたりする。
いったい、誰が住んでいたのだ。日本人?
いや、日本人にこれを書いてもらったインド人? 日本人には、こんな阿呆な真似はできないだろう、いくらなんでも。第一、日本人の友達を招けんよ、これでは。
小学生の努力目標じゃあるまいし。
それにしても、「金」の文字がひときわ大きいところに、哀愁を覚えてしまう。
っていうかさぁ、何なのよ〜、このヘンテコな家はさあ!
さて、気を取り直して次の物件。
おおう。この薄暗く、壁の随所が剥がれ落ちた螺旋階段はまた、廃屋度満点。
まあ、これはこれで風情があるといえばあるが、踊り場の随所で「使用人が就寝している」のである。
やっぱりスラム的。
そしてアパートメントのドアを開けると……。
違う。ここもだめだ。
インドの場合、空き物件には「見張り役」として使用人などが暮らしている場合が多いのだが、その暮らしの生活感がにじみ出過ぎていて、なんだかなあ、なのである。
このベッドルームには、女性の下着が干してあるし……。
そういう障害物を視野からはずして、なにもない空間を想像せねばならない。
その想像されたところの空間を、自分なりにうまくアレンジして、住みたい空間に仕上げられるか。という課題である。
……。
住みたくない。
そんなわけで、本日は都合5物件ほど見たが、昨日のコラバ地区の物件に勝る物なし。
確かにホテル住まいは不便も多いが、しかし、慌ててアパートメントを探して移ることもないんじゃないかとさえ思えて来る。
なんなんだかなあ、ムンバイ。デリーだったら実家の1フロアを改装して住めるし、郊外には祖父が残してくれた家もあるしで選択肢はあれこれあるのに。
でも、やはり、インドビジネスの中心は、ムンバイなのだ。ここにいなければならぬのだ。
わたしにとっても、この街にいる方が、なにかと有利なのだ。わかってはいるけれど。
やれやれ、こうなったら気長に、気に入る物件を探そうと思う。
つくづく、バンガロールに家があってよかったと、噛み締めるように思いながらの一日であった。
★今日はエイプリルフールだが、嘘じゃありません、書いてること。