帰国を明日に控えて、今日は最終日の日曜日。瞬く間の一週間あまりだった。ところで今日は母の日である。街角のデリの軒先の花々が、いつもよりいっそう、華やかに見える。
ここ数年のうちにも、店頭を飾る花の種類や色合いがずいぶんと変わった。
昔はもっと毒々しい、原色の花の組み合わせが多かったのだが、このごろはデリの店頭ですら、高級な花屋を思わせる上品な色合いのものも見られる。
それにしても。晴れ間は見えているものの、5月とは思えない肌寒さ。この1週間の間にも、いくつもの季節が訪れたような塩梅だった。
セントラルパークを歩く機会のなかったアルヴィンドとランチへの道すがら、パーク内を歩く。
シープメドウ、ストロベリーフィールドを通過しながら、アッパーウエストサイドへ。
上の大きな写真は、ヨーコ・オノが住んでいるダゴタハウス。
その真向かいあたりに、ストロベリーフィールドがある。
いつ訪れても、誰かがいて、写真を撮っていたり、花を手向けたりしている。
ギターをかき鳴らし歌う人や、土産物を売る人もいる。
わたしは、特にジョン・レノンのファンではないのだが、ここで歌を歌ってほしくはないな、といつも思う。
彼に関係のある歌にせよ、関係のない歌にせよ。
ここを訪れる人は、自分の心の中で、ジョンの歌声を再生しているのではないだろうか。
だから、余計な歌を聞きたくはないのではないかと、思うのだ。
セントラルパークをあとにして、夕べ行こうと言って行かなかったピッツェリアへ。日曜の、母の日のレストランは賑やかで。ミディアムサイズのピザも、スモールサラダのサラダも、とても大きくてアメリカン。
ストリートフェアをひやかしながら、BED BATH & BEYONDでBRITAのウォーターフィルターや、インドでは手に入らない調理器具などを買い求め、ホテルへと。
旅の最後の夜。叔父ランジャンと叔母チャンドリカに招かれて、ディナーを共にすることに。6時半ごろ、彼らの家を訪れる。チャンドリカはプージャールームで、たくさんのインドの神様に囲まれて、お祈りをしていた。
ランジャンとわたしたち3人は、イーストリヴァーを見下ろすリヴィングルームでワインを飲みながら語り合う。
アルヴィンドと出会って数カ月後のサンクスギヴィングデーに招かれて以来、12年の歳月が流れた。まだ子供だった一人娘のリタは20歳となり、親元を離れてイエール大学に進んでいる。
かつて、史上最年少でマッケンジー&カンパニーのパートナーとなり、その後は自分の会社を立ち上げ地位と富を築いたチャンドリカは、50歳前半という若さで、すでにビジネスの第一線を引退。
今はインドの伝統音楽やアート関係の仕事のほか、慈善活動も含め、別の仕事に奔走している。
夜8時を過ぎて、近所にある、彼ら行きつけのイタリアンへ夕食をとりに出かけた。オイスターのフライにチキンのグリル、パスタなど、どれも美味だ。今回のニューヨーク旅は、日本料理とイタリアンが主流であった。
それにしても、ランジャンとチャンドリカは、本当に仲のよい夫婦。ランジャンは、「チャンドリカ」「チャンドリカ」と何かにつけて、声をかけ、手を握る。
そんな彼女の左手の薬指には、目を見張るほどの、大きな大きなダイヤモンドの指輪。今日、母の日のプレゼントにランジャンから贈られた指輪だと言う。
「これは、6カラットあるのだけれど、大きいだけじゃなくて、とても高品質なの。ずっと昔、ハイダラバードのゴルゴンダで採掘されたものなのよ。それをランジャンが、つてを頼って手に入れてくれたの」
「朝、受け取ってすぐつけたときは、ちょっと違和感があったけど、今はもう、慣れたわ。どう?」
そういいながら、とてもうれしそうに見せてくれる。歳を重ね、キャリアを重ねた彼女に、大粒のダイヤモンドはよく似合う。丸顔の彼女の笑顔は、ダイヤモンドに劣らぬ輝きを放っている。
それにしても、と思う。久しく米国に住んでいながら、そして市民権を得た事実上米国人でありながら、彼らは、紛れもなくインド人である。
そんな彼らが、異国の地で成功を収めていることを、いつにも増して、すばらしいことだと思う。それは多分、自分が歳を重ねてこれまでの歳月、得られたもの、得られなかったものについて、思いを馳せることも少なくないからだろう。
ランジャンは、インドでIITを卒業した後、米国のハーバードでMBAを取得した。アルヴィンドのように米国の大学へ進学した訳ではない。
一方、チャンドリカやその妹のインディラ・ヌーイは、インド国内で大学を出て、MBAもやはりインドのIIMで取得した後、渡米している。つまり、ほぼ100%、インドで教育を受けて来た。
それはごく一部の人々のことだ、と言われてしまえばそれまでだが、自分の身の回りを見ているだけでも、インドの教育の強さ、インドの人々のたくましさ、柔軟性のようなものを、痛感させられる。
彼らとわたしとは、生まれ育った環境も、幼少時からの志も、目標として来たターゲットも、メンタリティも、何もかもが違う。
それは重々承知しているが、自分の有様とを対比してみずにはいられない。
自分が歳を重ねれば重ねるほど、その曖昧なキャリアに「これでいいのか?」と自問することが少なくない。その一方で、世界に通用するキャリアを着実に積み重ねている身近な人たちへ、敬意を抱かずにはいられない。
個人的な性格、といったことは別として。
わたしももっと、勉強をしておけばよかった。もっと、努力をするべきだった。などと、辛くも学生時代を振り返ったりもする。今の自分の在り方も、もちろん気に入ってはいるけれど。
まだまだこれから、と言いながら、今年は43歳。こんなことでいいのだろうか、と自問し続けて43歳。
まだまだ、届いていない。