あっという間に週末@デリー実家だ。身体の節々が妙に凝るのは、寝慣れぬベッドのせいではなく、寒さのせいのようだ。インド移住以来、持病だった腰痛軽減で、これもアーユルヴェーダ&ヨガのおかげだと思っていたが、単に気候が暖か、もしくは暑かったから、身体が「のびのびと」していただけだったようだ。
デリーにきて、急に筋肉が縮こまってしまった気がする。おまけに空気が乾燥しているせいか、急に肌がかさかさとなり、老けた気がする。などと辛気くさい話はさておき、日々、濃いデリー生活だ。
■スイス人一家到着で、賑わうマルハン家
一昨日、無事にスイス人一家が到着した。昨年、チューリヒに滞在した折、郊外へ足をのばして彼らの家を訪問したことは、ここでも記した(←click)。
ディアターの亡き父親と、夫アルヴィンドの母方の亡祖父がビジネスで交流があり、以来、家族ぐるみでの付き合いがあるようだ。
今回はディアターとその妻エスター、二人の娘たち、そしてエスターの両親という三世代6人の来訪である。我が夫のデリー出張がたまたま同じタイミングでぶつかったため、マルハン実家は今、賑やかだ。
4階建ての実家は、1階を企業駐在員(ITC)に貸しており、義父ロメイシュと義継母ウマは4階に暮らしている。2年前に他界したダディマ(祖母)が暮らしていた2階は、現在、接客などに用いるコモンフロア。3階は、わたしたち家族や友人らが訪問する際に利用している。
現在、3階はスイス人一家に占拠されているため、我々は2階のコモンフロアに移動し、何かと落ち着かない。2階にあるロメイシュの書斎はといえば、わたしが占領し、インターネットにも接続し、こうしてブログを書いたりできるのだから、落ち着かないなどと贅沢を言っている場合でもないのだが。
それぞれの階に2、3ベッドルームずつあるので、広さは十分にある。とはいえ、冬のデリー。広ければいいというわけではなく、むしろこぢんまりと暖かな空気に満たされていてほしい。
■古びたライフスタイルがそのままに、マルハン実家
大理石がリーズナブルに入手できるインドでは、大理石、もしくはタイルのフロアというのは一般的。夏は涼しく冷たくてよいが、冬は冷たくてたまらん。
風呂場も無駄に広い一方、湯沸かしのギザの働きが弱く、毎度「カラスの行水」を強いられる。実家を訪れるたび、全面的に内装工事をしたい衝動にかられる。
さて、デリー実家での朝は、使用人が運んでくるお茶&ビスケットで始まる。
この「なにげに英国スタイル」な朝のお茶も、実家ならでは。
まずはお茶で目覚めたあと、身繕いをして、朝食である。
デリー実家は、ダディマ亡きあと、ロメイシュとウマの二人が暮らすばかりだが、使用人はドライヴァー兼執事のティージヴィールをはじめ、料理人のケサール、掃除担当の母娘、門番……と常時6人が出入りしている。
インド富裕層の家庭において、複数の使用人を抱えることは一般的であるが、日本の平民出自なわたしにとっては、未だ使用人がうろうろうろうろしている環境が、落ち着かない。
バンガロールにせよ、ムンバイにせよ、四六時中ではないし、小人数であるから「一人の時間」を持てたが、デリー使用人は別棟に住み込んでいるので、朝から晩まで、そこにいる。
昨日、GK-Iのマーケットにある家電店で、コーヒーメーカーを購入した。
マルハン実家は誰もコーヒーを飲まないため、自らコーヒーメーカーを買い、コーヒー豆を購入。
これでなんだか少しだけ「リラックスした感じ」となった。
というのも、デリー実家のキッチンは、料理人ケサールの支配下にあり、それは我がインド移住当初の家政夫モハンに牛耳られていた我がキッチンよりも遥かに「牛耳られ度」が高いのだ。
義継母ウマは、自分のキッチンを4階に持っていることから、このコモンフロアのキッチンに何ら関与していない。そのせいもあるのか、ここのキッチンは「時代がとまっている」のである。
調理器具は、なにもかもが年季が入っている。家電に至っては、稼働することが最早奇跡としか思えぬような、「何百年前に買ったの?」というような代物ばかり。
このコーヒーメーカーの傍らにあるのは、料理の保温装置らしいが、アルヴィンドが子ども時代からあったらしい。むしろアンティークなムードがすてきとさえ思える。
トースターも、大昔のBAJAJ製だし、冷蔵庫は「むしろ電力の無駄ですよ」というような古いタイプで、冷凍庫は霜に満ちあふれた世界。電子レンジやオーヴンはない。もっとも、料理人が四六時中いるわけで、そのような家電は不要なのだ。
個人差はあれど、若い世代が同居している家庭ならば、新しい家電などを次々に導入するところだろうが、60代夫婦がのんびりと暮らす家では、新しいものを取り入れるパッションも必要も、ないのであろう。
■たやすく混乱する料理人ケサールの気の毒
ところで、推定年齢55歳、しかし70歳に見えてしまう料理人ケサールは、痩身で神経質な表情の男である。ネズミ男にも似た風貌で、掃除人などを厳しく叱りつけたりする厳格さを持つ。
彼の料理は非常においしいのだが、彼の最大の欠点は、ものすごく、臨機応変じゃないところだ。
ほんの少し予定が変わると、たちまち対応できなくなってしまう。従っては、前日から翌日の昼夜のメニューを決めておかねばならないらしい。
「ありあわせでちゃちゃっと料理」
などというコンセプトは皆無。イレギュラーなリクエストが入るとパニック状態に陥ってしまう。だから、昨日の朝のキッチンは、最早コメディだった。
あらかじめ情報は入っていたとはいえ、スイス人6人の朝食作り。
尤も、シリアルや果物、紅茶を準備し、トーストを焼く程度なのだが、トースターの傍らに無駄に待機していたかと思えば、思い立ったように茶碗を洗い始めたりと、わたしがコーヒーの準備をしている間にも、キッチンを右往左往し、しかし何ら、成果を得ていない。
目に見えてのパニックぶりに、気の毒ながらも笑えた。しかし2日目の今朝は、少し落ちついていたようだ。
ちなみにこの一家。
英語を話せるのはディアターだけ。
妻と子どもたちは、ほんの少し、祖父母は皆無。
なかなか会話が成り立たないが、それはそれである。
ロメイシュ・パパが、嬉々としてインド産ワインを開ける。
ロメイシュ・パパは、わたしがおいしいと勧めるワインを、忠実に購入してくれているのだ。
白ワインはSULA、赤いワインはGROVERのLA RESERVEを出してくれる。
スイス勢もインドワインのなかなかなおいしさに満足のよう。料理もみな、楽しげに、おいしそうに料理を平らげていた。
■教育者の極み、カレッジを4校創設した叔母さんのことなど
わがインド家族、親戚は、なにかと優秀な人々が多いことは折に触れて書いている。個人的に関心が高いので記しているが、客観的に見れば自慢話ともとれるだろう。これでもかなり控えてはいるのだが、それはそれで、仕方あるまい。
今回もまた、近所に住む親戚のおばさんを訪ね、印象的な話を聞いたので記しておく。
一昨日の夕方、ロメイシュとアルヴィンドと3人で叔母の家を訪れた。
ロメイシュとアルヴィンドの歩き方が似ていて、笑えた。
そんなことはさておき、義父ロメイシュは一人っ子。
彼の父親は男二人兄弟だが、ロメイシュの叔父夫婦には子どもがいない。
従って、ロメイシュには従兄弟がいない。
マルハン家周辺は、インド人にしては、実に親戚が少ない。
一昨日訪れた叔母とは、その叔父の妻、つまりロメイシュの叔母である。彼女は詳細を記すのも面倒なほど、良家な「シク教徒」の出身。しかしロメイシュの叔父と恋に落ち、家族親戚の反対を押し切って結婚した。
現在82歳の彼女。米国の大学で生物学を専攻し、博士号を取得したあとインドに戻る。結婚前、学校に勤めていた彼女は、しかしその教育方針に納得がいかず、自分でカレッジを設立することを決意。
知り合いだか親戚だかに相談したところ、DLF関連の人から、デリー内にて「好きな土地を選びなさい」といわれ(この辺の話は最早、理解不能)、選んだ。そして学校の創設に関わる一からに、携わった。
結論から言うと、結婚前に1つ、結婚後に3つ、合計4つのカレッジを創設。現在は2つを財団に寄付し、今は2つのカレッジを運営しているとのこと。
ユネスコ関係の仕事もしており、日本へもしばしば訪れ、2週間ほど農家にホームステイしたこともあるという。なんやかんやと賞を受賞し、しかし利益の大半は財団に寄付。
ちなみに彼女の兄弟姉妹はすべて米国在住、各々の業界の成功者で、相当に豪奢なライフスタイルであるようだが、彼女自身は極めて質素。
ここがポイントなのだが、彼女のライフスタイルは、シンプルで質素で、軸にぶれがないのだ。
わたしがインド家族や親戚を通して学ぶことの、もっとも肝となるのがこの点だ。ビジネスその他で成功しているという話はさておき、ライフのプライオリティ(優先順位)が明確になっている人の多さに、感嘆するのだ。
彼女の場合、数年前に愛すべき夫を失い、一人身だ。身の回りの世話をする使用人数名と暮らしているが、80歳を過ぎた今も、9時には出勤。6時に帰宅して、自分で料理をする。素材は使用人にカットしてもらい、自分で味付けをするだけだというが、それでも立派である。
「わたしは、教育に人生をかけているの。だから、モノはたいして重要じゃないのよ。学校の利益は1ルピー、1パイサとも無駄にせず、すべて財団のものなのよ」
デリーの一等地のあちこちに不動産を持ち、わけのわからん資産なのだろうが、邪心もぶれもなく、見事である。
すべては教育のために託されるのであろう。
彼女らに子どもたちがいないのは、寂しいことだったかもしれないと思う反面、こうして社会にお金を生かす道筋を立てていることに敬服しつつ、遺産相続の争いなどがないだけ、美しいと思う。
「マルハンの名を持つのは、もうあなたたち夫婦しかいなくなったから、あなたたちはわたしの孫同然なの。また遊びに来てちょうだい」
と彼女はいい、わたしにイアリングをくれた。ちなみにそのイアリングは、高価なものではない。むしろ安っぽい。
そんなわたしたちにも子どもはおらず、マルハンの名前が、そして坂田の名前が、ここで途絶えることは、一抹の寂しさだ。
しかし、引き継ぐ対象は、家族だけではない。それが貧しい大勢の人たちであってもいい。引き継ぐものは、お金だけではない。それが教育であってもいい。
自分たちが持つものを、いかに有効に利用していくか。その方向性を見極めることが、実は本当に難しく、意義深いことだと思うのだ。
このような類いのことに関しては、あらゆる例を挙げながら、綴りたいことがごまんとあるのだが、本当に難しく、いつも頓挫する。
■備忘録1:フィランソロキャピタリズム
フィランソロピー(philanthropy)、フェアトレード……。
近年の世界の、インドの潮流。
フィランソロキャピタリズム。philanthrocapitalism。
ひっかかる。
たとえば、低所得者層へ低金利でお金を貸すシステム。
インドで広がりを見せ始めているこの手のビジネス……。
よくわからんのに、あれこれ綴るのは控えるが、取り敢えず、気になることとしてメモ代わりに。
■備忘録2:自分と、わかってくれる人のために。
最早説明はしない。なんとなく、わかってくれる人にわかってもらえればいいのだとの思いで、今、思い出した村上龍の文章の一文を、紹介する。
過去、『片隅の風景』にて転載していたものを、コピーする。敢えて行間を空けていないので、読みづらいが、読んで欲しい。
問題なのは、いや問題というか、興味深いのは、以前は誰もこういうワインを必要としていなかったということだ。ぼくが小さかったころ、ぼくの田舎ではこういうワインが世の中に存在することさえ誰も知らなかった。もちろん日本全体が貧しくて、外貨もなかったから、こういうワインを輸入できなかったわけだけど、必要としていなかったんだ。気の合った人たちと一緒に飲めるんだったら、別にこういうすごいワインは要らない。防腐剤の入った日本酒でも、味のない焼酎でも十分に楽しめる。そういった社会の残骸はまだ居酒屋などに残っているけど、そういうのもいずれ消えていくだろう。
一九七〇年代のどこかの時点で、何かがこの社会から消えたんだ。それは、国民全体が共有できる悲しみだという人もいるが、それが何なのかはそれほど大きな問題じゃない。大切なのは、このワインと同じくらい価値のあるものをこの社会が示していないし、示そうとしていないことだ。だからこういうワインを飲むことができる人や、飲む機会がある人はそれに代わるものがないことに自然と気づいてしまい、こういうワインを飲む、このときが、まさに人生の決定的な瞬間なんだと思ってしまう。
それは無理がないことだし、しょうがないことで、そういう意識の流れに抵抗できない。このワインを飲む瞬間が人生で最上の瞬間だというのは一つの真実だから、抵抗のしようがないんだ。こんなワインを飲む瞬間と比べられるようなものは、この社会の中にはないからね。今、こういうワインを飲むことができる人は他人からもうらやましがられる。ほとんどの人は、つまり普通の人は、一生こういうワインは飲めない。普通の人は、一生、普通の人生というカテゴリーに閉じこめられて生きなければならない。そして、普通という人生のカテゴリーにはまったく魅力がないということをほとんどの人が知ってしまった。そのせいで、これから多くの悲劇が起こると思うな。
(村上龍短編集『空港にて』の「披露宴会場にて」より一部抜粋)
読めば読むほど、ぐっとくる。わかりにくいが、よくわかる。やりきれなくて、泣けてくるような、希望がなさそうで、あるような。ともあれ、うまくいえないが、こういうことなのだ。
そして、インドはまた、日本の高度経済成長期と、現代とが、同時進行で共存しながら走っている。先進国的要素が鏤められた、高度経済成長中の国。時代が混在している国。
ここではあまりにも複数の価値観が渦巻いているからこそ、自分の立っている場所を明らかにして、吹き飛ばされぬように屹立していなければ、ならないのだ。
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