3年前から、わたしたちはメイドのプレシラの息子、アーウィンに学費の支援をしている。最初、彼女はローンを頼んできたのだが、学費に必要なお金だと聞いて、以来、年に一度、まとめて渡している。
息子には、英語の勉強をさせて、きちんとした仕事に就かせたいというプレシラと、その夫であるアンソニーの気持ちが伝わって来る。貧しさの連鎖を断ちたいと切望する彼らの気持ちは、痛いほどよくわかる。
息子には、だから私立の学校に通わせることに決めたのだという。
夫婦合わせての月収は、3万円に満たない。そのお金で、義理の母、出戻りの義姉とその子供たち、合計7名が生活をしている。その暮らしの困窮ぶりは、推して知るべしである。
年に一度、アンソニーとプレシラは、アーウィンを連れて我が家にやってくる。恥ずかしがりながらも、きちんと英語でわたしと話をするアーウィンは、最早、他人のこどもではない気がする。
さて、一昨日。庭師がローンを頼んで来た。長女(13歳)の学費を支払うため、まとまったお金が必要だと言う。庭師にはまた、長男(15歳)もいる。
長男は、地方に暮らす庭師のお姉さんが引き取り、生活、学費、すべてを見てくれているという。精神に少々の障害があるとのことだが、学校が休みの時には父を手伝い、我が家にもやってきている。
わたしと「おそろ」のポロシャツを着ていた、彼である。
ちなみに庭師は、山下清画伯と、風貌が酷似していることから、わたしは心の中で、「庭師のキヨシ」と呼んでいる。
庭師のキヨシはまた、どこかしら「バカボンのパパなのだ」に似ており、一方の妻が非常にやさしげかつ、かわいらしいので、「バカボン一家ムード」を一段と盛り上げている。となると、長男はバカボンか。
ああ、わたしはなんて、失礼なことを書いているだろうか。
さて、話を本題に戻して、「学費」である。庭師のキヨシもプレシラ同様、日曜以外は毎日訪れ、庭を丁寧に、手入れしてくれる。
我が家以外の庭でも作業しているが、我が家の庭が一番広く、彼自身、気に入っているとのことで、そもそもは2日おきの作業を頼んでいたのだが、彼があえて「毎日手入れをした方が楽」とのことから、毎日来てくれている。
わたしたちがムンバイ生活をしていた不在時も、プレシラと並び、問題なく、留守を守っていてくれた。我が家にとっては大切な人たちである。
プレシラの息子にも学費を支援しているのだから、庭師の娘にも出してしかるべきかもしれないと思う。貧しい家庭のこどもだからこそ、きちんと収入を得られる仕事につけるべく、勉強をして欲しいと思う。
我が家に出入りしている人の子どもだという、その「縁(えにし)」においても、支援したいと考えた。夫に相談したところ、賛成してくれたので、昨日、庭師にその旨を伝えた。
彼は現金をもらえるとは思っていたかったようで、ひどく驚いていたが、でもとても喜んでくれた。
「明日は日曜だから、お嬢さんを連れて来て」と頼んでおいた。
さて、昨夜。最近お気に入りで、数種類のサイズを新規調達したところのマニプール州産、黒い石の粉で作られた鍋。これでもって、豚肉(スペアリブ)と大根、ナスの甘辛煮を作る。
日本米も、この石鍋で炊く。それからホウレンソウのおひたし。
鍋は強火にかけても、じわじわと全体に浸透するため、すぐには焦げ付かない。保温効果も高く、弱火で煮込んだ後、火を止めてもゆっくりと熱が伝わるので、煮込み料理がとてもおいしくできるのだ。
さて、あと10分ほどで夕飯だわ。
というときに、玄関のベルがピンポ〜ンと鳴る。来客の予定はないので、きっとセキュリティが郵便物でも届けに来たのだろうと思いきや……。
先日我が家を訪れた「日本びいき」のラスヤが、子犬&友だち2人を連れてやって来た。
子犬を買ったからと、見せに来てくれたらしい。
まだ生後36日だと言うその犬。
疲れきって寝ている。
かわいい&かわいそう。
「まだ赤ちゃんなんだから、寝かせてあげなきゃだめよ」
といいつつ、子供たちを家に通す。
インドでは、ご近所さんが来訪したら、家に通すのは当たり前。玄関先で立ち話、ということはほとんどない。たとえそれが「アポなし」でもだ。
だからまあ、相手が子どもだとはいえ、ひとまずは通すことにした。
わたしはちょうど料理を終えたところだし、特に急ぎでやることもない。
ラスヤと同じ11歳の女の子と、もう一人は15歳の女の子。アルヴィンドはと言えば、彼女たちを前にして、まるで大人の女性と話をするように、少々「どぎまぎ」しながら話しているところがおかしい。
というのも、米国でもそうだが、インドで出会う、きちんと教育を受けている層の子供たちは、実にしっかりとしていて、「大人びた」いや「ひとりの人間としてしっかりとした」受け答えができるのだ。
一方、ここでもしばしば記しているが、一部富裕層の子供たちの「甘えかされ方」は目に余る。行儀が悪く、態度がでかい。主従の「従」に属する人々を、鼻であしらうような子どもも少なくなく。
親の躾と、親の姿勢の、彼らは鏡のようなものであろう。
先日も、ムンバイのタージランズエンドの中国料理店で、子どもたち(8歳前後)の悪さが目に余り、注意した。ちなみに親たちは放置。同行のメイドらは、子どものいいなりだ。
見かねたわたしは、少女をつかまえて、言った。
「あなた、さっき、あの棚からフォーチュンクッキー、全部持ち出したでしょ? 店の物を勝手に取り出して、食べもしないのに、あんなに中身を取り出して散らかして、だめじゃない」
と、彼女。わたしをキッと睨みつけて言う。
「どうして? 何が悪いの?!」
何が悪いの? ときたもんだ。
ちなみにフォーチュンクッキーとは、中国料理店において、食後、伝票とともに出されるクッキー。中が空洞になっていて、「おみくじ」のような占いの紙が入っている。米国の中国料理店でも、おなじみだ。
さて、その悪ガキに、何が悪いのかという理由を滔々と説明した後、
「あなたはもう、小さな子どもじゃないんだから、もっとレディらしくふるまわなければ。レストランは走り回るプレイグランドじゃないの。大人も子どもも、席について、お食事を楽しむ場所なんだから」
そう言ったところ、再びわたしを、たいへんな「目ヂカラ」でキ〜ッ睨みつけて、ぷいっと去って行ったのだった。
ありゃあもう、大人の責任だ。と思いつつも、看過するわけにはいかず、うるさい東洋人のアンティ(おばさん)である。
それにしてもインドの子ども。目がでかいだけあって、目ヂカラも強烈。完全に負けるわたしの一重まぶたな目。
とまあ、こんな話は、日常茶飯事である。
さて、ラスヤとその友だち。やたらとフレンドリー。と言えば聞こえはいいが、馴れ馴れしい。日本人を見るのが珍しいのか、顔を凝視される。週末とあって、あまりにも素顔なわたし。
彼女たちの濃厚な眉に比して、わたしのそれは、ないも同然。眉くらい、ちゃんと描いておけばよかったと思うがあとの祭り。しかも眼鏡をかけていて、我ながら、痛ましい風貌だ。
と、ラスヤに思われているに違いないとの被害妄想を抱きつつ、ま、いっちょ折り紙でも教えたろ、と部屋に通す。
3人とも、予想以上に関心を示し、一生懸命だ。
結局、ツルやらカブトやらを教え、1時間以上も長居されてしまったのだった。
しかしまあ、普段子どもとは接する機会の少ない身の上。
彼らの世界の話をあれこれと聞きつつ、なかなかに楽しい。
わたしの下手な英語の発音を真似されつつ(悔しい)、それをアルヴィンドに心配されつつ。自分は同じことをやるくせ、子どもにやられているわたしをみて哀れに思ったらしい。
そして、今朝。庭師のキヨシが、娘を連れてくると言っていたので、今は使わないけれどコンディションのよい資料入れのバッグなどと、余分なペンやポーチなど、あれこれと見繕って、彼女にプレゼントする準備をして待っていた。
さて、ピンポ〜ンとベルが鳴り、庭師の妻と、少女が立っている。その少女の、なんとまあ、かわいらしいこと! 彼女がキヨシの娘? お母さんに似てよかったね〜と言わんばかりに、かわいらしい。
なので、学校のことなどをちらほらと尋ねる。
ちなみに右の写真は、彼女が自分で書いた、自分の名前である。
下の行はカンナダ語の文字だ。
昨日、キヨシが夫に、「娘は勉強ができるんです」と言っていたが、それは彼女の雰囲気や口調から察せられた。
将来は、ドクターになりたいのだという。
ちなみにインドでは、男の子には将来エンジニアに、女の子にはドクターにならせたい、なりたい、というのが、善し悪しはさておき、通例である。
わたしがプレゼントを渡すと、丁寧にお礼をいい、はにかんだような笑顔を見せて、挨拶をして去って行ったのだった。
貧しかろうが、なんだろうが、親の愛情と注意(関心)を受けて、きちんと育てられている様子が、ほんの束の間の会話でも伝わってくる。
それにしても、まさに「バカボン一家だな」との思いを強くする。男女の違いはあれ、長女は「天才児のはじめちゃん」である。
今、ちょっと気になって、Wikipediaでバカボンを調べたら、こんな一文が! 以下、青文字部分は引用。
タイトルおよび作中のキャラクター名である「バカボン」の語源は、現在公式には梵語の「薄伽梵」(ばぎゃぼん、釈迦如来)に由来するとされている。
バカボンのパパの常套句「これでいいのだ」も「覚りの境地」の言葉である様で、レレレのおじさんも、お釈迦様のお弟子の一人で「掃除」で悟りをひらいたチューラパンタカ(周利槃特=しゅりはんどく)をモデルにしているという。
ほぉぉぉ〜。これはなんとも、インド的! びっくりだ。
などというどうでもいい話はさておき。
子どもの可能性。
についてを、しみじみと考える。
昨日、我が家に遊びに来た子どもと、今日の庭師の子ども。潤沢な資産のある家庭に育った子どもと、ともすれば、学校へ通えない、常に危機感に晒されている子ども。
どちらの子どもにも、それぞれの個性と、それぞれの可能性が詰まっている。
子どもはいないながらも、子どもの教育については、折に触れて考えているテーマであり。
自分の周囲の、貧しい子供たちの学費支援をはじめ、慈善活動に対する自らの動きについても、もう少し「子ども寄り」の何かに移行していくべきか、と思う昨今だ。
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