久しぶりに、バンガロール自宅にてリラックスする土曜日である。
木曜の夜、ムンバイから、バンガロールへ戻って来た。これで、旅続きの日々が一段落した。来月の米国(ニューヨーク)行きまでは……。
1月24日に、Twitter上に、何気なく記した。
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2週続けてのんきな週末を過ごしたら、なんかもう、しばらくはいい。急に旅に出たくなった。人生初、というくらいに平穏なここ2カ月だというのにもう、落ち着かないやつだ我ながら。ムンバイ、デリーあたりで「都会の空気」を。あるいはインド国内一人旅。今年は何度か実現したい。
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その直後から、旅の日々が押し寄せた。
・ムンバイ経由でアジャンター&エローラ遺跡の旅
・チェンナイ視察旅行アテンド
・デリー経由デラドゥーンへ結婚式の旅
・ゴアへ結婚式の旅
・ムンバイ視察旅行アテンド……。
1カ月あまりのうちに、14回、飛行機を乗り降りした。念ずれば通ずというが、見事であった。
その間にバンガロール視察アテンドあり、原稿執筆数本ありで、濃密な日々。そういう日々が続くと今度は「のんびりしたい」などと思うから、勝手なものである。
さて来週早々に締め切りの原稿も迫っており、まだまだ気が抜けないのだが、しかし相も変わらず旅の記録だけは、ここに書き留めておきたい。
今回のクライアントは男性二人。彼らが事前調査の際、視察予定の業界についてインターネットで検索していたところ、わたしのウェブサイトにヒットしたとのことで、連絡があった。
電話やメールで連絡を取り合った後、ムンバイ2日間の滞在のうち初日のみ、アテンドをお引き受けする運びとなった。
お二人は、インドは初めてとのこと。
これまで「インドが初めて」という方を多数案内して来た者にとっては、まずはインドに好印象を持っていただくことを目標としている。
次いで、いつも記している通り、胃腸の健康を守ること。
この二つについては、基本的に目標達成できていると思う。「好印象」とまではいかないまでも、「思ったよりは、楽しい」と感じていただけているはずだ。
今回のお二人は、インド入りの前に、アジア数カ国の視察をされており、ムンバイが最終地点であるとのこと。すでにお疲れではないかとの懸念があったが、与えられた時間は10時間。
その間に顔合わせ、外部との打ち合わせも入っているから、実質動けるのは8時間を切っている。詰め込みすぎず、疲れぬように、しかし濃密にインパクトのある視察をしていただきたいと思いつつ、視察先リストを作る。
わたしはといえば、ムンバイへは前日入り。夜の到着でもいいのだが、せっかくだから早めのフライトを選ぶ。少し見ないうちにも、急速に変貌を遂げている昨今のインドの都市。
北ムンバイの空港から、南ムンバイへの車窓から外を眺めるだけでも、新しい発見がある。
さて、到着後、どこでランチをとるかで少々悩む。南ムンバイに到着して後にしようかとも思ったが、途中にあるFOUR SEASONS HOTELに立ち寄った。
世界各地にFOUR SEASONS HOTELはあろうけれど、ここほど「激しい立地」はないだろう。なにしろ周囲はスラムに取り囲まれているのだ。
眺めのよい上階の部屋からは、スラムの屋根屋根が見下ろせる。「雲泥の差」が目に見える。
他のも試してみたいと思いつつ、いつもと同じ「シェフ弁当」である。久しぶりに味噌汁、そして刺身を口にし、幸せだ。前菜の豆腐サラダも美味であった。
それにしても店内は込み合っている。この店では、タイ料理、インド料理、中国料理、そして日本料理が楽しめるのだが、特にランチタイムのセットメニューはヴァラエティも豊かで、他のテーブルの料理が気になる。
高級ブランドの衣類に身を包み、小物を携えた女性たちの、そのファッションをさりげなく目にするのもまた興味深く。微妙にトレンドの変化を感じたので、その件についてはまた改めて書き留めたい。
食後、南ムンバイのコラバまで車を走らせる。途中、次々に建築されている高層ビルディングに目がとまる。
ここ数年のうちに、いったいどれほどのビルディングが誕生しただろう。そういえば昨年だったか、ムンバイに建設予定の104階建てだかの住宅用アパートメントの不動産広告を見た。
いろんな意味で、鳥肌が立った。
マンハッタンで52階建てのビルディングに住んでいた時、斜め上の部屋が火災を起こし、結果4人の住人が亡くなったことは過去に何度か記した。
その後の、9/11/2001。
あれ以来、高層ビルディングが苦手である。ムンバイに住んでいたころは、高層ビルディングしか選択肢がなかったことから17階に住んでいたが、決していい気分ではなかった。エレベータに閉じ込められかけたこともある。
インドで104階建て。高所恐怖症でも、閉所恐怖症でもないけれど、エレベータに乗るだけでも、辛そうだ。
コラバでは、まずはTHE TAJ MAHAL PALACEへ。先月宿泊した際、夫はJOY SHOESでサンダルを買ったのだが、それがとても気に入ったらしく、もう一足欲しいとのこと。
前回は茶色だったので、今回は黒を。わたしもついでに自分のサンダルを購入。ここの靴はすべて革製で、履き心地が非常によい。毎度のことながら、お勧めだ。
さて、買い物をすませ、館内を散策して後、今回の宿泊先であるOBEROI(オベロイ)へ。
オベロイ・ホテル。及び隣接、同経営であるトライデントホテル。ここはタージ・マハル・パレス同様、11/26/2008のムンバイ同時多発テロの標的となったホテル。
トライデント側は早いうちに営業再開していたが、オベロイは全面改装を経て、昨年、営業再開した。それ以来、初めての宿泊だ。
2008年、ムンバイとの二都市生活を始めた当初、数カ月はホテル生活だった。中でもオベロイで過ごした時間は長かった。あのころの部屋の様子や雰囲気からは一変していて、ずいぶんとモダンなインテリアに刷新されている。
モダン、というよりは、「高級感を全面的に打ち出している」という印象を受ける。
今回、視察は1日しかないため、時間を有効に使いたい。そのためには効率よく街を走りたい。ドライヴァーの腕前が決め手となる。
インドでは、いい運転手に当たるか当たらないかで、移動の効率その他が「雲泥の差」となるのも事実なのだ。
市井のタクシー会社の運転手よりも、ホテル・タクシーの運転手の方が、英語もでき、間違いなく遥かに頼りになるため、少々高くてもそちらを頼むつもりでいた。
あらかじめオベロイホテルへ連絡をし、「スタンダードカーを」と頼んだところ、BMWしかないと言われた。もちろん、高額のレートだ。
なにもBMWなど必要なく、ホンダのアコードやトヨタのカローラ、あるいはイノーヴァで十分なのだが、テロ後の再開業の際、方針を変えたのだという。
結局は、ホテルから信頼のおける外部の運転手を手配してもらったのだった。
それでもホテルがかなりの手数料を取っていたが、いざというときに運転手や車の交換を速やかにしてもらえるという利点も考え、ホテルを通した。
以前も書いたが、オベロイ・ホテル内は、レストランの料金も目を見張るほどの上昇ぶり。あのときは、クラブハウスサンドイッチの高さについて、しつこく記した。
とはいえ、先進国において、このクラスのホテルに泊まれば、同じような料金でも納得するわけで、それがまた複雑な心境だ。
ここに住んでいて、あらゆる食品のコストを知っているが故の、困惑である。
ともあれ、部屋は非常に快適に生まれ変わっている。使い勝手のよい家具調度品、寝心地のよいベッド。洗練された内装。SONYのフラットパネルTV。
バスルームは、すべてTOTOの製品で統一されていた。便座の「低さ」が日本的で、使いにくい感じがしたが、バスルーム全体がすっきりとまとめられており、気分がよかった。
デスク周りも機能的。なにより大きめの机がうれしい。些細なことながら、こういうアウトレット(コンセント類)が使いやすいかどうか、ということも、滞在中の快適度を左右するものだ。
窓の外からは、隣接するNCPA、そして湾の向こうにカフパレード地区が見える。もっとも背の高いビルディング、ワールドトレードセンター。あの斜向いに立つビルディングに、わたしたちは住んでいた。
あの二都市生活を終えてから、すでに1年以上が過ぎた。
さて、このオベロイに数カ月滞在していたときの記録。懐かしく読み返した。部屋の一隅でご飯を炊き、いなり寿司を作って、夫に弁当を持たせていた我。我ながら、甲斐甲斐しくも阿呆である。
いくら外食続きで日本米が恋しいからって……。ホテルでいなり寿司、作るなよ。
■二都市生活のはじまり。がんばっていこうぜ。 (2008/02/20)
■ムンバイ。ホテルライフの食事情。 (2008/03/07)
■今しばらくは、ホテル住まい。身一つで、勝負。 (2008/04/02)
8時からの打ち合わせに備え、7時にはダイニングで朝食を。……と、なにやら目の前がちらちらする。ふと花瓶を見ると、金魚(グッピー?)が泳いでいる。なにかしら、落ち着かない。
さて、朝食のテーブルでお二人とご対面。長旅の果て、夕べ遅くにチェックインされたというのにお元気そうで安心した。
インド出張を前にして、日本のインド経験者から「インドの飲食物は危険」との警告を受けていたらしく、シンガポールで非常食(?)を買い込まれていらしたとのこと。
そんなことはないのに!
といつも思うのだが、実はネガティヴな情報を吹聴される出張者は、日本人に限らず少なくないのだ。10年前のインドならいざ知らず、現在のインドは、場所さえ選べば、決して不衛生でも危険でもない。
視察の内容はさておき、食事の件だけ記しておくならば、お二人ともインドに対して好奇心旺盛で、食事も「守りに入る」ご様子ではなかった。
従ってはこれ幸いと、いつもクライアントをご案内しているお気に入りのグジャラティ・ターリーの店へ。
ナリマン・ポイントにあるグジャラート地方の定食が人気の店、SAMRATだ。ヴェジタリアンながらも種類の豊富さに、満足感たっぷりの料理である。
その後、市街を巡ってのち、チャイ休憩をしたいところ。こぎれいなBARISTAやCAFE COFFEE DAYもいいけれど、そういうところは明日、ご自分たちでも気軽に立ち寄れるはずなので、わたしがご案内するまでもない。
ということで、我がお気に入りのフォートにあるYAZDANI BAKERYへ。
初めてのムンバイ旅行で、わたしの「嗅覚」が導いてくれたこの店。
朝の街。
パンを焼くいい香りが立ちこめていて、その香りにつられて、ここにたどり着いたのだ。
あのとき以来、ムンバイでお気に入りの場所のひとつである。
ムンバイ在住時にも、しばしば訪れたものだ。
パルーシー(ゾロアスター教徒)の一族が経営しているこの店。
日本人であるわたしが訪れると、いつも必ず声をかけられる。
この建物は、かつて日本の銀行だったということもあり、彼らは日本に対する親近感を持っているのだ。
ムンバイには数千人の日本人が駐在していた。
当時、英国統治下にあったムンバイは、日本よりもずっと「先進的な都市」であったのだ。
綿花を求めてムンバイを訪れた日本人が大半だったとかで、図らずもこの地で命を落とした人々の「日本人墓地」もある。
豪奢な建築物の名残を今も見ることができる。
が、老朽化したそれらを目にするばかりの昨今。その事実を知る日本人は、多分極めて少ないと思う。
この件についてはまた、別の機会に記したい。
ヤズダニ・ベーカリーについては何度も紹介してきたが、以下、二つピックアップしておいた。ご興味のある方は、ご覧いただきたい。
■ビスケットの匂いと、正四角柱の食パン。2004/4/17 (←Click!)
■ムンバイの街を巡る。食べる。飲む。語る。買う。2009/1/14 (←Click!)
南ムンバイを北上している途中、リライアンス・グループの兄、ムケーシュ・アンバニの邸宅が目に入った。
閑静な高級住宅街に突出した「異様な景観」のビルディング。
インドの風水である Vastu Shastra (ヴァーストゥ・シャーストラ)に基づいて設計されているという。
ちなみにヴァーストゥ・シャーストラとは、中国の風水の基にもなっているとのことだ。
総工費、約1000億円。
空中庭園あり、ヘリポートあり、シアターあり。
建築前からなにかと物議を醸していた大邸宅、でき上がったようである。
この邸宅についても、過去に記しているので、関心のある方は下記をどうぞ。
■雲の上に生きる者。泥の上に生きる者。(←Click!)
さて、視察旅行そのものもまた、つつがなく完了した。ドライヴァーも非常に優秀な人で、時間のロスなく効率よく巡れた。
なにより、クライアントのお二人が、積極的に「雲泥の差の街」の両側面を楽しまれたことがうれしかった。YAZDANIのチャイもおいしいと、店の雰囲気ともども、楽しまれていた。
そう。ホテルやお洒落なレストランでは決して味わうことのできない、露店のチャイ屋の濃厚な味。
午後6時半に、わたしは最終便に乗るべくお二人と別れたが、彼らがその後、偶然にも、我々夫婦がお気に入りのLING'S PAVILIONをネットで見つけて夕食をとられたとの知らせがあった。
この店もYAZADANI同様、初めてのムンバイで訪れて以来のお気に入りである。
なんだか今回のムンバイでは、7年前の「初めてのムンバイ」を思い出すことが多かった。
さて、今回ムンバイ出張からサンダルの他に、持ち帰ったもの。それは、YAZDANIのパン。大切に「手荷物」で持ち帰って来た素朴食パンなど計50ルピー(100円)分。
厚めに切って、バターとイチゴジャムを塗って食べるのが、子どものころからの好きな食べ方。凝った菓子パンよりも、ずっとおいしい。
そんなわけで、視察旅行も無事に終わった。
敢えて自分で言うが、ムンバイは、インドは、その地に詳しい人に案内してもらうか否かで、印象は大きく変わる。視察の成果にしても然り。
たとえ予算がかかっても、効率よく巡ることができるし、胃腸に悪いものを食べてしまうおそれもない。短期間で街の概要を吸収できる。
事情を知るコーディネーターに依頼することが肝要だということを、書き添えておきたい。
インド発、元気なキレイを目指す日々(第二の坂田ブログ)(←Click)