夕べ、最終の、ジェットエアエイズのフライトでバンガロールに戻って来た。バンガロールはここ数日、雨が続いているようで、空気は湿気を含んで冷たく、肌寒い。
夫は帰宅するなり、ウィンブルドンのテニスの試合を見なければと、テレビをつける。が、ケーブルが受信できない。数日の間にも、庭のブーゲンビリアの茎がディッシュにまで伸びてしまい、受信を妨げているようだ。
ハサミを持って庭に出て、茎を数本、切る。
さて、今朝もまた、しとしとと小雨模様。静かな土曜日だ。午後からは外出なので、その前に、ムンバイでの断片を拾い集めておこう。
半日、外に出るだけで、さまざまな光景が待ち構えている街。インドでは、この街に限らず、四方八方にドラマが展開されているが、ムンバイでは、殊更に。
今日は、写真にキャプションを添えて、ムンバイの光景の、ごく断片を。
新しいレストランを訪れようと、昨年12月、フォートにオープンしたフレンチ・ビストロのCHEZ VOUSへ。彼はオーナーのフレデリック。
南仏はエクサン・プロヴァンスから来たという彼。そもそもP&Gに勤めていたとのことだが、現在は方向転換、ムンバイで新境地を開拓中だ。
エクサン・プロヴァンス。わたしはこれまで、3度、訪れたことがある。
1度目は、25歳のとき。ツールドフランスを巡る南仏、ときどきスペインはピレネーのドライヴ取材で。
2度目は、28歳のとき、パリを起点に欧州を、ぐるりと3カ月鉄道旅の途中で。
3度目は、32歳のとき、アルヴィンドと2人で、ローマ発バルセロナ着、地中海沿岸鉄道旅の途中で。
いずれの旅も、もう、ずいぶんと、昔のことになってしまった。
それにしても、なぜあの麗しき街を離れて、ここへ? 由緒ある音楽学校のある、水の都。セザンヌのふるさと。お菓子屋さんがいっぱいの……。
なぜ? と聞きたいことが山ほどあった。でも、とりあえずは、料理を堪能。ポテトとカリフラワーのポタージュが、本当に、おいしかった。
エクサン・プロヴァンスの思い出は、尽きない。書き始めると終わらないので、この辺にしておこう。
CHEZ VOUS。また、来ようと思う。
と、一旦、店から外へ出れば、南仏風情は吹き飛んで、喧噪。弁当配達人、ダッバワーラーたちの作業風景に遭遇だ。
ダッバワーラーについて、2010年5月の『月刊 グローバル経営』に寄稿している。この話題、興味を持つ方が多いので、以下、転載する。
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■ムンバイの弁当配達人
自転車に、大八車に、あるいは頭上の板の上に、たくさんの弁当箱を携え運ぶ白い帽子の男たち。ムンバイの街角で、時折目にする彼らは、ダッバワーラー (Dabbawala)、あるいはティフィンワーラー(Tiffinwala)と呼ばれる弁当配達人だ。
ダッバとは箱、ワーラーとは人を意味するヒンディー語(マラティ語)。ティフィンとは「軽いランチ」を意味する英語の古い表現だ。ムンバイの風物詩のひとつとも言えるこのダッバワーラーの起源は、19世紀末に遡る。
インドが英国に統治されていた当時、土地の食事が口に合わない英国人たちが、家庭料理を職場に運ばせるべく弁当配達人を雇ったのが始まりだ。このシステムは徐々に拡大、整備され、今なおムンバイカー(ムンバイの人々)にとって欠かせない存在として根付いている。
温かな料理を好むインドの人たち。口に合った家庭料理をランチタイムにも味わいたいと願う人々のニーズを満たしてくれるのが、ダッバワーラーだ。経済的で時間通りに配達されるのに加え、満員電車に弁当を持たずに乗れる身軽さも魅力。なにしろムンバイの通勤電車は東京のそれをしのぐ壮絶さなのだ。
1日の電車利用者は700万人に上るとのことだが、走行時もドアが開け放たれているため、毎日平均8人が転げ落ちたり電柱に激突したりして死亡している。一年で3,000人の計算になるからすさまじい。通勤電車に弁当箱の入る隙間がないのにも納得だ。
さて、各エリアのダッバワーラーによって、家庭から回収された弁当箱は、地域ごとの集配所に持ち込まれ、目的地別に分類される。分類された弁当箱は、まとめて列車に積み込まれ、指定の駅で降ろされた後、現地のダッバワーラーによってオフィスに届けられる。
空になった弁当箱は、逆のルートをたどって各家庭に戻される。なお、ダッバワーラーを用いて「日替わり弁当」を職場に届けるサーヴィスを持つレストランや食堂もある。
現在、1日に20万個近くの弁当箱が約5,000人のダッバワーラーによって配達されている。文字が読めない人が多いため、配達指示は複雑な記号などを用いて行われる「ローテク」なシステムながら、配達ミスは1,600万件中1件という少なさだとのこと。雨の日も、嵐の日も休むことなく、時間に遅れることなく、弁当箱は届けられる。
かつてBBCニュースがダッバワーラーに関するドキュメンタリー番組を組んだことで、チャールズ皇太子が関心を持ち、渡印した際、ダッバワーラーたちと対面したとのこと。
また、インド国内のビジネススクールに、ダッバワーラーが特別講師として招かれたり、欧米の経済誌に取り上げられたりと、そのユニークかつ確実なサーヴィスは、人々の関心を集めている。
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個人宅から回収される弁当だけでなく、レストランの弁当配達サーヴィスにも使われている。
いつ、どこで見かけても、忙しそうな彼ら。カメラを携えてうろうろとする人があっても、目もくれず、作業をしている。
毎度おなじみのオアシス、THE TAJ MAHAL PALACE。アロマの香り、芳しく、蒸し暑く喧噪の路上とは別世界。
いきつけのジュエリーショップや靴屋、そして書店を巡った後、いつものSEA LOUNGEへ。
ちょうどハイティーの時刻で、さまざまな軽食やスウィーツが用意されていたが、わたしはコーヒーだけを。
コーヒー1杯が、諸々込みで400ルピー(800円)とは、インド相場にしては高く感じるが、しかし、コーヒーは頼まなくても、おかわりをついでくれるし、美味なクッキーを添えてくれる。
気前のよい老齢の給仕は、ハイティーの菓子をいくつか持って来てくれたりもする。
なにより、この空間で、インド門を眺めながら、心ゆくまでのんびりとくつろげるひとときが幸せ。
と、携帯電話にSMSが入る。
チカンカリ刺繍製品の行商人からだ。今日、明日と、ワールドトレードセンターのエキシビションにて、出店しているとの知らせ。なんというグッドタイミング。
ワールドトレードセンター。二都市生活をしていたころ住んでいたカフパレードにある。我が家の斜向いで、しばしば飛び込みで、エキシビションへ出かけていたものだ。
このホテルからは車で5分ほど。立ち寄ることにした。
ムンバイだけでなく、デリーやコルカタなど他都市から集まったファッション関係のブランドが100以上も店を出している。
いつもの如く、女性の買い物客で賑わっている。
柔らかな白い木綿に、チカンカリ刺繍がほどこされた日常着を一枚。それからオーガニックのハチミツを1瓶買った。
帰路、ナリマン・ポイントのマリンドライヴを走る。アラビア海を望む、弧を描いた湾。朝な夕な、海を眺める人たち、遊歩道を歩く人たちでいっぱいの場所。
北東部を望めば、雨雲から降る、雨の様子が見える。その雨雲は、どんどんと、こちらへ迫ってくるのだ。
雨を凌ぐところなどない、海辺の遊歩道で、雨雲が近づいてくるのを気にも留めず、くつろぐ人々。ほどなくして、大雨が降り始め、数十メートル先も見えぬほどの激しさ。
屋根のある場所にひしめき雨宿りする人あれば、喜んで、雨に打たれる人たちあり。諸手を広げて、天を仰ぎ……。ボリウッドスター、入っている青年もいて。
しかし、1キロも走らぬうちに、また雨は止んで、夕日が差し込むのだった。
6月30日は、わたしたちが米国で結婚式をしてからちょうど10周年である。
インドでの挙式を数週間後に控え、わたしたちは、米国で婚姻をファイルすべく、ヴァージニア州の、シェナンドア国立公園のあたりにある、B&Bへ。
オーナーが、結婚式を挙げる資格を持っていたことから、B&Bの、緑の芝生の上で、式を挙げたのだった。二人きりで。
この日を思い出すたび、脳裏に浮かぶのは、佐野元春の「天国に続く芝生の丘」。
高く空は晴れ渡り、光に満ちて……。
素朴で、ささやかで、幸せで、すてきな曲よ。ほんとうに。
たった1枚だけ、ホームページに載せていた。
他には、ないのだ。
なにしろ、二人だけだったから、写真を撮ってくれる人もなかった。
それにしても。インターネット上に載せた写真の、色あせなさ。
妙な感じだ。
当時のメールマガジンに、言葉の記録を残している。
米国での簡易結婚式。
ご興味のある方、下記をクリックして、どうぞ。
■ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー(Vol. 48 7/10/2001)
あの夜、THE INN AT LITTLE WASHINGTONで味わった料理。本当に、格別だった。
ホテルの朝食。2日目は、クラブ・ラウンジで。こちらの方が、静かに、種類は少ないけれど、やや質の高い料理が、味わえるのだ。
いつものように、フルーツをたっぷりと。
夫もまた。ニンジンのジュース。あまり好きじゃないけれど、ヘルシーだから食べなさいと妻から言われてパパイア。ヴィタミンCたっぷりだからのキウイ。そして大好物のマンゴー。お気に入りのランブータン。
彼のお皿を見ているだけでも、妻の影響を色濃く受けていることがわかって、しみじみと。
なにより彼の指。結婚指輪のほかに、あの日あのとき購入した100円指輪を、毎日、律儀に付けている。幸運を招く、象のしっぽの指輪。
今更、「つけなくてもいいよ」とも言えず。
ムンバイのサグラダファミリア(聖家族教会)、と命名したところのショッピングモール、HIGH STREET PHOENIX。
その命名にふさわしく、初めて訪れた6年前から、新築、増築、改築があっちこっちで行われていて、ハチャメチャだ。
一番新しい高級系ビルディング、PALLADIUM。バーバリーは大セール中で、半額の衣類も山ほどに。半額といえども高いのだが、それでもどしどし買い込む富裕層のお姉様方。
新しいスーパーマーケットもオープンしていて、いつまで持つのか、という疑問も残るが。なにしろ栄枯盛衰が激しいムンバイの富裕層をターゲットとする市場。
見上げれば、シャングリラホテルが建築中。まもなくオープンするらしい。スラムに包まれたこの一帯。FOUR SEASONSに続いて、混沌のムンバイを見下ろす「絶景」なロケーションともいえる。
ここもモールの一隅。この工事の様子と言ったらもう。右上の写真。内部はきれいなモールなのだが、この外観。こんなにおんぼろにできてしまう理由を、むしろ知りたい。
南ムンバイの中央部以北、ウォルリ。この界隈は、高層ビル林立のあたり。詳細は、昨年の記録を。
■[Mumbai] ハイライズが次々と。より際立つ雲泥の差。2010/08/13 (←Click!)
見上げれば、雨後の筍のように生えてゆくビルディング。見下ろせば、地べたを這うように生きる、アスファルトの温もり知る人々。
■ムンバイ。清濁併せ呑み込みきれず、(←Click!)
チャイニーズ。サンドイッチ。フランキー。フランキー? それはムンバイならでは? のスナック。食べたことは、ない。
荷造りをして、チェックアウトのその前に、窓からの光景を一枚。
ムンバイ。いつも、何かを、伝えてくれる街。
振り返れば、繰り返し見ていることを。けれど、いつも心に突き刺さるようなことを。自分が揺らぐとき、より揺さぶられることもあるけれど。
なにもかもが、渦巻いて、世界も日本もインドも、しかし、飛びながら、走りながら、自分の軸をしっかりと、ぶれないように屹立せねばと、いつも、思わされるのだ。
苦みをも甘受し、幸いを有り難く、たいせつに、受け止めよう。